第8話 過去を思い出してみる
次の日も葦月は不機嫌というか黙り込んでいて、橙花はどうしたら良いかわからなかった。
「どうしたの」
そう問い掛けるが
「何も」
そう、顔を逸らすだけだ。
何も、教えてくれない。
それがすごく、きゅう、と胸を締め付ける。
×
「どうしたの、オレンジ」
不機嫌になった夫について悩んでると、水色の魔法少女に声をかけられる。
お菓子を渡した日以来、他の魔法少女達が橙花に話しかけてくるようになったのだ。それに合わせて、橙花も少しだけ時間を作って他の魔法少女達と話すようになる。
最近学校で流行っているものや自分の好きなもののことについてだ。時折、水色の魔法少女から「打ち上げにもおいでよ」と言われるのだが、「用事があるから」と遠慮している。実際には『ちょっとまだ恥ずかしいから』という理由も入っているのだが、橙花は魔法少女事業で仕事をしているし、魔法少女としての用事が済んだら研究施設の研究員としての仕事が残っている。なので、仕事を放り出して打ち上げに参加するわけにはいかない。
それに、手に入れた『絶望』の破片を保存する用事もある。
「浮かない顔してるよ? 悩み事?」
そう、水色の魔法少女に指摘された。他の魔法少女達も少し心配そうにしている。
「ええっとね、」
まだ時間に余裕がありそうだったので、悩み事を少し話してみることにした。何も聞かないよりはきっと、マシになるだろうと考えたからだ。
「わたしの……大事な人の話、なんだけど」
夫の葦月を恋人や家族のような相手として認識できるよう、少し情報をぼかす。
「大事な人? 恋人とか?」
「……うん。まあ、そんな感じ」
「へぇ!」
興味深そうに水色の魔法少女が身を乗り出した。他の魔法少女達も二人に注目している。中高生らしく、恋愛のネタが好きなようだ。
さすがに魔法少女をしている身で『結婚している』なんて言えなかった。だから、夫である葦月の事を大まかには恋人と置き換えて話を進める。
実際、橙花自身と葦月との間に恋や愛があるかは分からないが、結婚しているのでそれくらいは話を盛ってもいいだろうと少し思ったのだ。知らず、頬が赤くなる。
「悩み事って何ですか?」
黄緑色の魔法少女が問いかける。
「……最近、その。なんだか信頼されてない気がするんだ」
本題はこれ。色々と言いたい事はあるが、一番は信頼関係が築けていない事だと橙花は考えていた。
「信頼?」
どういうことだろう、と桃色と紫色の魔法少女が顔を見合わせる。
「たとえば?」と水色の魔法少女が促した。
「何かわたしに秘密を作ってる気がするんだけど、それを教えてくれないから。どうしたらいいのかなぁって」
と、ここまで説明した時に、なんとなく浮気を疑うような言葉になってしまったと自覚する。ふと水色の魔法少女を見ると、眉を寄せて『なんだそいつ』と言いたげな顔になっていた。
「別れちゃえば?」
あっけらかんとした顔で水色の魔法少女に言われた。まあそう言われてしまうよな、と内心で思う。
「良い人なんてさ、世界にはたくさんいるんだし。だから、本当に嫌になったら別れたら良いんだよ」
「無理だよ」
そう、橙花は反射的に答えた。
「『嫌』じゃなくて?」
と桃色の魔法少女に聞かれて、『好きだから別れたくない』のではなく、『他の理由があって別れられない』と答えてしまったと気付く。
「う、色々事情があって別れられないの」
そう、しどろもどろになりつつ、橙花はどうにか答えた。既に橙花と葦月の二人は結婚しているので、容易に別れられないのは確かだ。それに、結婚した理由も容易に別れられない理由になっている。
「事情とかどうでもよくない? 嫌なら別れちゃえば良いのに」
「え……」
思いがけない言葉に、知らず下がっていた顔が上がる。
「事情なんて、大体どうにでもなるよ」
水色の魔法少女は真っ直ぐに橙花を見つめる。
「……」
確かに、結婚していても別れる事はできる。そう思うと、不思議と少し寂しい気がした。
それに、橙花は嫌だから別れたい訳ではないのだ。ただ、彼が隠している事を知りたいだけで。
「恋人から信頼されたいの?」
どう答えよう、と逡巡する間に水色の魔法少女が問いかけた。
「うん」
素直に言葉が出る。信頼されていない事が嫌なだけであって、他には大きな不満を持っていない。そう、気付いた。
「ふぅん。別れたくないんだね」
「うん。……一人にしたら危なっかしい人だし」
色々な意味で。と内心で付け加える。
だって葦月は『暗黒の国』の最高幹部だし、橙花と離婚してしまえば一人ぼっちになってしまう。一人になった途端に何を仕出かすかも分からないし、見張っている方が安心する。
仮に、彼自身は一人ぼっちでも平気だったとしても、橙花は気になってしまうだろう。
「ダメ男に引っかかってない?」
疑うようなじとっとした目で紫色の魔法少女が橙花を見る。他の魔法少女達もやや気まずそうな表情をしていた。
「だ、ダメじゃないよ! ちゃんとしてる真面目な人だし」
「秘密作られちゃってるのに?」
「うっ」
それはもっともな意見だ。
橙花は、葦月の隠している秘密を知りたいと思っている。信頼してもらえたら、その秘密を教えてくれるだろうか。
「何で信頼してくれないのか聞いてみたらどうですか?」
それまで静観していた黄緑色の魔法少女が問いかける。
「聞けたら苦労してないよ……」
「じゃあ、その人としたやりとりとか思い出してみるとかどう?」
「やり取り、かぁ」
水色の魔法少女が提案した所で、橙花の持つタイマーが鳴った。
「あ、そろそろ戻らなきゃだ。ごめんね、とりあえず思い出してみる事にする。アドバイスありがとう!」
×
そんなこんなで家に帰ると葦月は帰っておらず、橙花一人だった。
ならば丁度良いかも、と先程のアドバイスを実行してみることにした。
「たとえば、敵対してた時とか?」
ソファに座り、背もたれにもたれる。そうして目を閉じ、昔を思い出した。
×
まずは、初めて変身した日の事を。
初めて変身したのは、仲間に出会うずっと前だった。
目の前で突然、怪物『絶望』が現れたのだ。そして、その『絶望』が撒き散らす破壊や混乱、不幸達を、闇のような男が嘲笑っていた。
その嘲笑っていた男がルーナム・ノクテム。つまりは葦月だった。
対抗する力を持たぬ橙花は、その破壊を、その悍ましい男を、ただ見つめるしかできなかった。
どこまでも緋い夕焼けに苦しみ、悲しみを募らせていた時。
不意に何か胸の辺りで光り、変身アイテムのレインボーパクトとフロースオレンジに変身するための小さなアイテムが現れたのだ。
それを手に取った直後、オレンジ色の光と風の奔流に飲み込まれ、気付いたら変身していた。
後で、妖精達が世界に『不思議な力』をばら撒いたおかげで、『暗黒の国』に対抗する強い心を持ち合わせた少女達に力が授けられたのだと知った。
×
「いや、これは違うかも」
ふと目を開ける。
確かにこれは彼との関わりの始まりではあっただろうが、この時点ではまだ橙花は葦月には敵愾心しか持ち合わせていない。
信頼関係以前の話だ。
「そういえば、昔、一度だけ助けてくれたな」と少し思い出す。
×
それは、『暗黒の国』に誘拐された時のこと。
はじめての変身してからしばらくして、妖精と他の魔法少女達に出会った。それからはグループを作って、共に『絶望』を倒すようになる。
それから数ヶ月が過ぎ、『結託が厄介だ』と判断され、魔法少女達はバラバラになるように数名が『暗黒の国』に誘拐された。
その中に、橙花も入っていた。
初めて訪れた『暗黒の国』は暗く澱んでいて、本当に生き物が住んでいる世界なのかと疑った。
そして、橙花は葦月と二人きりになった。
正しくは、他の攫われた魔法少女のところにも幹部が一人ずつ付いていたのだが。
そこで、橙花は抵抗して彼と戦った。結局、一人ではどうしようもなく、捕らわれてしまう。
その後、何かの拍子に橙花は『暗黒の国』の食べ物を口に入れてしまった。
その上、異世界のものだったからか橙花の身体に合わなかったらしく、橙花は体調を崩す。
そして、苦しんでいた時に
「人質は元気であってこそ意味を成すのです。勝手に苦しまないで下さい」
と、治療してもらった。
思いの外焦っていたように見え、橙花の容態が安定した時には少し安心していたように思える。
×
「……何というか、微妙?」
先に誘拐されている前提を忘れていた。最終的に他の魔法少女達に助けてもらい大事には至っていないが。
多分、葦月にとっても橙花が『暗黒の国』の食べ物を口に入れる事も、それを食した事で体調を崩した事も、予想外だったのだ。
「そういえば、あの時食べた果物が美味しかった気がする」
何という名前だったかは覚えていない。
だが、美味しかったとしても体調を崩すような食べ物なので、もう口にする事はないのだろうな、と何となく思った。
「この関係が始まったのは大学を卒業したころだし、その時のあたりかな?」
そう思い直し、次は大学を卒業した頃辺りについて思い出すことにする。