第5話 生じる疑問
別の日。
それは快晴の昼間のことだった。
また『絶望』が現れ、それを魔法少女達が倒す。そして、囚われていた一般人が解放された。
戦いが終わると、橙花の手元に柔らかいハートの形をした『絶望』の破片がいつのまにか握られている。
「残党処理のやつら、ちゃんと仕事してるのかしら」
不快そうにやや顔をしかめ、紫色の魔法少女が不満を零した。
「新しい幹部が捕まったとかそういう話、一切無いもんねー」
言いつつも、水色の魔法少女はあまり興味が無い様子だ。
「確かにそうですね。最近は『暗黒の国』の場所まで行ったとか聞きましたけど」
「そうだね、でも何も成果がなかったってことかな?」
黄緑色の魔法少女が首を傾げ、それに同意する様子で桃色の魔法少女が頷いた。
今回も、橙花はよく同じになる魔法少女達と戦いに出ていた。彼女達の他にも魔法少女は居るのだが、橙花自身の居場所が近いからかよく被るのだ。
「みんなちゃんと頑張ってるんだよ、だって『暗黒の国』に渡るなんて結構大変らしいし」
と、夫のことを思い出しながらフォローする。しかし、橙花が自身の最初の仲間達と『暗黒の国』に渡った時は結構あっさりと行けた。なので、この感想は研究施設の人達が会話していたものをうっすら引用したものだ。
それから、『絶望』に囚われていた一般人を魔法少女達が軽く介抱し、やってきた救助隊に引き渡す。
「じゃ、これで戦いは終わりだねー」
うーん、と伸びをしながら水色の魔法少女が歩き出すと
「打ち上げ行くの?」
「まあ、今回は大丈夫だけれど」
「私も大丈夫ですよ」
そう、桃色、紫色、黄緑色の魔法少女はそれぞれ答えた。
「んじゃあ、行こっかー」
その会話をしている合間、橙花は周囲を見回す。
いつも通りに、戦闘で破壊された世界の修復は魔法少女の力で自動的に行われていた。
完全に修復が確認されてから、止められていた規制線などが解除され、日常が動き出すはずだ。
「……前も聞きましたけど、何を見ているんですか?」
黄緑色の魔法少女が、心底不思議そうに問いかける。周囲を見ると他の魔法少女達も見ているので気になっているのだろう。
「ええっと、……召喚者がいないなぁって思って」
10年前の『暗黒の国』達との戦いでは、『絶望』を召喚する前後、戦いの最中には召喚者の『暗黒の国』の者がいつも側にいた記憶があった。
だが、今は一切現れないのだ。
「それがどうしたんですか。いつものことじゃないですか」
「うん。まあそうなんだけど」
怪訝な表情の魔法少女達に、橙花は頬を掻く。
そもそも、魔法少女達が『暗黒の国』の連中を倒したのに、いまだに『絶望』が現れていること自体がおかしいのだ。
もちろん、『暗黒の国』の連中を倒してからしばらくは平和だった。ただ、それから1年と少し経った頃から突如、再び『絶望』が現れ始めた。
それからもう8年近くこの状態だ。倒しても倒しても『絶望』は消えず、むしろ頻度が増えている。
「何かの兆候か」と聞かれても捕まえた『暗黒の国』の連中は知らぬ存ぜぬを貫くばかりである。
もうみんなが慣れてしまっているから、誰も何も言わなくなっているし、新しい魔法少女達はその奇怪しさを知らない。
「あ、打ち上げ行く?」
そう、水色の魔法少女は問う。
「……ごめんね、用事があるんだ」
眉尻を下げて断り、そのまま今回は解散した。
×
「昔みたいに幹部が出てこないんだけど、どうしてかなぁ。今の子達って召喚者が居ないのが常識、って感じだからこのモヤモヤ伝わんないと思うし、他のみんなは変身してないしさぁ。どうしよう」
自宅で、橙花は夫の葦月に疑問と不満を漏らす。リビングのソファに深く腰掛け、だらしなく背もたれにもたれた。
「それはそうでしょう」と夫に呆れられた。「うひゃっ!」ついでに冷蔵庫で冷やされたボトルを頬に当てられる。水分補給をしろということだろうか。
「なんで?」
当てられたそれを受け取りつつ、話の続きを促すように橙花は葦月に視線を向ける。彼は隣に腰掛け、興味がなさそうにテレビを点けた。だが、音量はやや小さめだ。
「侵略中だった以前はともかく、今出撃するとわざわざ自分から捕まりに行くようなものでしょう」
と葦月。確かに、魔法少女も少なく研究施設も設立されたばかりの初期とは違い、現在は魔法少女は世界の至る箇所にも居るし、研究施設も研究を重ね、治安に関連する組織達は『絶望』に対抗できうる武器を所持していた。だから、現状では前線に出ても抵抗もままならずに捕縛されるだけだろう。
「じゃあ、なんで怪物が出てくるのか知ってる?」
「……以前申し上げた通り、私は知りません。ただ……」
「何?」
「『暗黒の国』では『絶望』は自然発生するものがいます。以前の報告でも申し上げましたが」
「それは知ってる」
「ややもすると、この世界の環境が『暗黒の国』に似てきたのでは?」
「……え?」
「仮に『絶望』が自然発生するようになっているのならば、かなり事態は緊急性を帯びてきますよ。今やもう、召喚者の見えない『絶望』は真昼に現れているのですから」
「……そう、なんだ」
彼が言っている事がもし本当ならば、確かに大変だと橙花は考える。野生の生き物のようにそこら中に『絶望』が跋扈する世界になってしまうだろう。
「そういえば、きみ、少し前に『暗黒の国』に行くって言ってなかった? 何しに行ってたの」
冷たいボトルを開封し、それを口に含んだ。ひんやりとした喉越しに目を細める。
「拠点の様子を確認していたのです。監視付きでしたがね」
うんざりした様子で彼は答えた。どうやら手錠や力を封じるものなど色々な装置を身体に付けていたらしい。
「それは大変だったね……物理的に痛い目には遭ってない?」
「ええ、大したことは。そもそも、私は同郷の者や魔法少女、妖精でなければ傷一つ付きませんよ」
「そっか。なんとなく安心したようなそうでないような。……それで、拠点はどうなってたの?」
何気なく新しい情報を得たような気がするが、橙花はひとまず話を先に進める。
「私が居た頃の拠点はもう、蛻の殻でしたよ。建物だけが残されており、誰も居なかった」
「……そうなんだ」
葦月の話を聞きながら、橙花はたくさんの構成員や『絶望』に護られていた拠点のことを思い出していた。あんなに広くて人が居たのに、と思うと不思議な寂しさと罪悪感を感じた。
「拠点が変わったのでしょうね」と特になんとも感じてない様子で葦月は答える。むしろ、つまらなそうな表情にも見えた。
「なんかこう、不思議な感じのパワーで分かったりしない?」
「はぁ?」
気を取り直して問うと「そちらがそれを言うのですか」と呆れの視線をもらう。
どうやら、魔法少女は妖精の不思議な力を授かっていること、なのに敵の居場所が分からないことなどを含めて『不思議な感じのパワーに頼れと言うのか』と言いたいらしい。
「現状では、探すのは無理でしょうね。恐らく指導者も変わっているはずなので」と葦月はテレビに視線を向けた。そして、テレビの音量を少し上げる。ざわざわと騒がしいそれはバラエティ番組らしい。
そう言われて、橙花は『暗黒の国』の統治者『インフィーニ』を自分達で倒したことを思い出す。『インフィーニ』はこの世界を『暗黒の国』のように暗い世界にして、不幸を搾取しようとしていた。
「他の捕まった幹部達はどうしてるんだっけ」
ちら、と葦月を伺い見ると、彼はテレビを見ているようで何も見ていなかったらしいと気付いた。指摘するようなことでもないのでそのまま放置する。
「それぞれが別の機関で罪を償っていたり、刑期を終えて自由に過ごしていたりしているはずです。貴女はよくご存知でしょう?」
と夫は不意に橙花に視線を向けた。その視線には何か別の、例えば『熱』のような感情が潜んでいるような気がして、気不味くなり橙花は視線を逸らした。
すると、くす、と小さく笑う吐息が聞こえる。どうやら少し揶揄われたらしいと気付き少し悔しくなった。
「……きみは?」
「高位幹部だったと言うのにそう簡単に手放されると?」
拗ねたそれを隠しきれず、少し低くなった声で問うと苦笑混じりに返された。
「でも、こうして一緒にいられる」
ただの構成員だったら、一緒になんてなれなかったかもしれない、と言外に含めて彼を見つめる。きっと、彼は『魔法少女でないと対処できないから』魔法少女になれる橙花と共に居るのだ。
「それは、貴女が魔法少女をしているからでは」
「うーん……それはそうかも、しれないけど」
「自分のせいで魔法少女をさせられているのでは」と、葦月は問う。
「好きでやってるからいいの。保証やお給料もはずむし」
「……」
何か言いた気に葦月は橙花を見たが、小さく息を吐いて視線を逸らした。
「まあ良いや。じゃあそろそろ寝るね、おやすみー」
じゃあね、とソファから立ち上がり橙花は自室に向かおうとする。だが
「待って下さい」
はし、と葦月に腕を掴まれる。
「……なに」
振り返り見ると、彼は真剣な表情で橙花を見上げていた。そして
「『おやすみのキス』が、まだですよ」
「え゛」
とんでもないことを言い出した。
「……喧嘩した時も遅くなった時も、なんと言うか無理矢理にでもしてくるよね」
そう、呆れ顔で橙花は訊く。葦月が『暗黒の国』に行った日も、橙花が遠方の地域で魔法少女として派遣された日も、いつのまにか彼は橙花の側に居り、今の様に『おやすみのキス』をねだった。
「何か、意味あるの」
「私と、貴女のためです」
「…………そうなの?」
あまりにも真剣なので、と言うかまあ嫌ではないので、その言葉に従う。
「ん」
唇が重なり、互いの温度を分け合う。
「……ありがとうございます」
『おやすみのキス』が終わると、葦月はうっそりと目を細めた。実に嬉しそうで、色っぽい雰囲気だ。
そうだ、と橙花は思う。なぜ、いつも『おやすみのキス』を終えると『ありがとう』とお礼を言うのだろうか、と。
だが、この行為を終えるといつも眠くなってしまう。
何かを言いたかった。けれど身体に力が入らず、思考がままならない。視界が暗転して行く。
×
ゆらり、と崩れ落ちた橙花を葦月は抱き留めた。そのまま横抱きにし、橙花を彼女の自室へ運ぶ。
それからベッドに寝かせて毛布を掛けてやる。
眠る橙花の額に、そっと葦月は口付けた。そうやって忘れさせる。
「……おやすみなさい、橙花」