第3話 相手の正体
「荷物。持ちますよ」
不機嫌そうな低い声で、葦月は片手を差し出した。もう片方の手は仕事用の荷物を抱えているためだ。
「うん、ありがどう」
礼を告げ、橙花は荷物を預ける。不機嫌そうなその様子が彼の常なのだ。それがより不機嫌そうなのは、少し照れているから。それを思うと、なんだかくすぐったく思えた。
夕暮れの道を、橙花と葦月は並んで歩く。そして横断歩道の前で足を止めた。
国道沿いの歩道は帰宅ラッシュの時間帯だからかたくさんの人々、車が往来している。少しして、歩道信号の音響が音を奏でた。信号で止められていた人の流れが動き始める。
「お仕事の調子はどう?」
隣を歩く夫を見上げた。だが彼はこちらを見ずに、真っ直ぐに前を見据えたまま歩き始める。気にせず、橙花も歩き始めた。葦月は橙花と同じく研究施設の研究員だ。だが部署がやや異なるために、二人は勤め先が異なっていた。
「いつも通りです。新しい進捗は無く、何も変わらない」
と、葦月はつまらなそうに返事をするが、橙花はそれをにこにこと笑顔で聞く。
「どうしたのですか」
前を見据えたままで葦月に問われた。
「なんか、こういうのいいなーって思ってさ。一緒に帰るとか、お話ししながら歩くとか」
「そうですか」
「そうなの。ただ会話できるだけでも嬉しいからさ」
言いながら橙花は葦月の袖を握る。「歩き難いですよ」
「ふふん。きみは両手塞がってるもんねー。だから今がチャンスなんだよ」
そう笑うと、彼の呆れ混じりの溜息が聞こえた。
街路樹の並ぶ歩道を歩く。傾いた陽は更に沈み、うっすらと暗くなっていた。周囲を見回せば、いつの間にか人混みは無くなっている。
それから、橙花は葦月に今日あった出来事をやや誤魔化しを入れながら話した。「私の仕事の話はつまらないでしょうから」と、彼はあまり話す事はなかったが、彼女は気にせず話かける。
それを続けているうちに、二人は自宅に帰り着いた。
×
二人の自宅は研究施設由来の建物だ。それは二人が共に研究施設に所属しているから充てられているものだ。簡単に言えば社宅である。
建物は白を基調にしたシンプルな建物で、家具等が備え付けで職場にほど近い。しかし、建物の内部も家具類もほとんどが白を基調にしたシンプルなものなので、ものすごく味気ない。
帰宅後に手洗いなどを済ませてからBGM代わりにテレビを点け、購入した食材を冷蔵庫や冷凍庫に入れた。すると投入した食材を自動的に読み取り、登録される。
「今日の夕ご飯何にする?」とダイニングから葦月に問うと、「あなたが楽に作れる炒め物一品と主食、いつものスープでお願いします」と声が聞こえた。「はーい」と答えつつパネルを操作する。登録日数の長い食材が選ばれ、それを目印に橙花は食材を選び始めた。
「野菜炒めだからねー」
言いつつ手に取った食材を調理する。それと同時にとある機械を操作する。それは栄養補助食品のスープを作り出すものだ。これがあるので、どんなに雑なおかずを作っても、一食当たりの栄養分は可不足無く補給される。ただし、昼食にラーメン等を食べただとか間食を多めに摂っただとかの場合、そのことを別途で記録しなければならない。
橙花が調理をしている合間に、葦月はスーツから着替えたり共同スペースを片付けたりなどをしていた。それを横目にご飯を二人分盛り付ける。
それから出来上がった夕食達をダイニングテーブルに置く
いた。これで夕飯は完成だ。
「いただきます!」
着席後、橙花は手を合わせ、葦月は目を閉じ少し黙ってから食事を開始した。
それからニュースが始まり、橙花はおもむろに視線を向ける。葦月も視線こそは向けなかったが多少は聞いているらしい。内容は毎度の通り『絶望』と魔法少女の事だった。
ニュースキャスターが怪物について説明をし、『暗黒の国』との関連性を話していた。
「ねぇ」
もぐもぐと野菜炒めを咀嚼しながら橙花が葦月に声をかける。
「口内の物を飲み込んでからにしてください。何ですか」
「きみと一緒になってから、結構経つね」
「……そうですね」
「きみがわたしを裏切るつもりがないのはなんとなく分かってるんだけどさ」
「はい」返事をし、葦月は食事の手を止め橙花を見た。橙花はテレビから視線を外し葦月を見つめる。
「なんで、わたしだったの」
テレビでは魔法少女や『暗黒の国』の噂話が真偽関係無く挙げられていた。〈……魔法少女の力は『暗黒の国』由来の技術だとか言われておりますね……〉
「何故、と訊かれても『分からない』としか言い様がありませんが」
〈……話によると『暗黒の国』の者はほとんど人間と同じ見た目をしているそうですね。ただ、暗い世界だからか身体の色素は薄く、虹彩の形がやや異なるとか……〉
橙花を見つめ返した葦月の虹彩は爬虫類のように縦に広い形状をしている。
「『暗黒の国』の住人だったきみだから、魔法少女なら誰でもいいのかと思ってたけど」
現在も魔法少女をしている橙花の夫は、『暗黒の国』の住人。つまりは敵だった。
彼の本来の名はルーナム・ノクテム。『暗黒の国』の最高幹部だ。
二人の出会いは『暗黒の国』が初めてこの世界を侵略しようとした日まで遡る。それからすぐに別の世界『ミラキュラス』から妖精が現れ、そのおかげで橙花が魔法少女となった。
だが、橙花の他にも仲間の魔法少女はたくさん居たし、より魅力的な子も居ただろう。なのに、葦月は初めから彼女に執着していた。
「……誰でも良かった、訳では無いですね。興味も無い」
すい、と視線を逸らし、葦月は野菜炒めを口に運んだ。それは心底つまらなそうな表情に見える。
「ふーん。『一目惚れだった』とか、そんなのじゃないの?」
と、やや揶揄い混じりの視線を橙花は向けた。
「…………そうかもしれませんね」
「そう素直に言われると、こっちが照れちゃうよ」
口内のものを飲み込んでから、葦月は彼女をじぃっと見つめる。彼は自身の感情の変化には鈍く、それを確かめようと思ったのかもしれない。視線に居た堪れなくなり、今度は橙花が視線を逸らした。
「でもさ。毎度、強いきみの相手させられるわたしの気持ち分かる?」
口を尖らせ、誤魔化すようにスープに口を付ける。保温機能の高い器のおかげか、時間が経ってもまだ温かかった。
彼が橙花に気を取られている合間に、他の魔法少女達が『絶望』を退治する、なんて事がよくあったのだ。
「さぁ。私は貴女では無いので理解の仕様も無い」
ともかく。
二人は魔法少女と『暗黒の国』の者として出会い、幾度と戦いこうして結ばれた。
「説得とか大変だったんだからね」
そう、橙花は手に持つ食器を少し振る。
「行儀が悪いですよ」
彼は、敗北後は研究施設に生きた研究資料として囚われる予定だった。倫理があるかも分からない様々な検証を用いて『暗黒の国』の正体を露わにする。本来はそういう予定だった。
そんな彼を、橙花が「一生面倒見るから!」と無理を言って引き取った。そして橙花が大学を卒業すると同時に二人は結婚する。『生きた研究資料にしないために魔法少女の橙花と結婚してどちらかが死ぬまで一生、監視生活を送る』そういう約束になったからだ。
その上、二人は研究施設の研究員として施設に所属もしている。お陰でほとんどの自由がない。
「それに残りの人達、まだ全員捕まってないみたいだし」
テレビに視線を向けると、すでに別の話題に移っていた。動物の保護団体だとか話題のスイーツの話らしい。
「侵略に加担した彼等の名前や『暗黒の国』での立場等の情報は可能な限り、全て提示を致しました。居場所については各々が好み易い場所を。魔法少女達に敗れた後は皆、好き勝手に逃亡しておりますので……正直に言えば何も知りません」
「うーん。まあ、そうなんだろうね。きみが偉い立場の人だったとしても、分からない事はあるよね」
頷き、橙花は一度訪れた事のある『暗黒の国』のことを思い出す。本当に暗くて、重いエネルギーに満たされた国だった。
「……身体は、辛く無いですか」
ふと葦月が橙花の首元に視線を向けた。そこには透き通った橙色の、丸っこいハートの像をしたペンダントが下がっている。艶やかで僅かに光を放つ。
「平気だよ。今までもなんとも無いし」
視線に気付き、橙花はそのペンダントトップを摘み上げ、室内灯に翳した。
「これもきみがくれた時のまま、透明で濁ってもないし」
「辛くなった際には、絶対に私に教えて下さいね」
『絶対に』と強調する葦月に「心配性だなぁ」と軽く笑って流す。
「分かってる。きみも、お仕事頑張ってね」
現在の橙花の仕事は『変身できる限り、他の魔法少女の元に派遣される事』で、夫である葦月の仕事は『残党の情報を提供し、全員の居場所を特定する事』なのだ。