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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

正常性バイアス勇者 ~絶体絶命だけど、なんか普通な気もしてきた~

作者: 忌野希和

「私たちの召喚に応えし勇者様、どうか魔王を倒し世界をお救いください。勇者様が神より授かったスキルは〈正常性バイアス〉……です?」


 俺を召喚した神官の少女が、鑑定結果を見ながら可愛らしく首をかしげている。

 そりゃそうだ。


 〈正常性バイアス〉はスキル名として使われるような単語ではない。

 確か自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりする心理状態を現す言葉だったはずだ。


 事故や災害に遭遇しても自分は大丈夫、大事にはならないと思い込んで逃げ遅れてしまうというやつだ。

 どう考えてもデメリットなのだが、少女を含めた取り巻きたちが「聞いたこともないスキルだ、きっと凄い効果があるに違いない」と、大騒ぎしている。


「勇者様、〈正常性バイアス〉とは何なのでしょうか?」


 え、俺が意味を説明しないといけないのか?


「えーっと、ピンチになってもそう思わない心というか、なんというか」


「まあ、絶体絶命でも諦めない、不撓不屈の精神をお持ちなのですね。流石は勇者様です」


 俺のちょっとだけポジティブに言い換えた説明を聞いて、少女は大げさに喜んだ。

 とてもネガティブな意味なんです、と言える雰囲気ではなかった。


 せめて俺は勇者召喚に巻き込まれた脇役であれと願ったが、周囲を見渡しても俺以外の部外者はいなかった。

 どうやら召喚されたのは俺だけで、俺がメインのようだ。


「ちなみに俺って他にスキルは持ってるんです?」


「〈正常性バイアス〉だけのようです」


 うーん、控えめに言ってこれは詰んだのでは。





 と思ったのだが、今のところはなんとかなっている。

 勇者にはスキル以外にも様々な恩恵があった。


 身体強化、魔術への適性、及び言語の自動翻訳。

 勇者基本セットといったところか。


 ご多分に漏れず、この異世界は魔王と呼ばれる存在に侵略されていた。

 俺はこの世界を造った神を信仰する者たちによって、勇者として召喚されたというわけだ。


 俺は齢三十のしがないサラリーマンで、喧嘩すらまともにしたことのない臆病者だったのだが、現在は剣を振り回して魔獣と戦っている。

 自身に降りかかる暴力であったり、死への恐怖はあまり感じない。


 ゲームや映画の中での出来事のように感じていて、まるで他人事だ。

 これってもしかしなくても〈正常性バイアス〉の影響だよなあ。

 この世界に馴染むという意味では、しっかりメリットとして働いているのかもしれない。


「ようし、こっちだ。かかってこい!」


 俺が剣と盾を構えて叫ぶと、猪っぽい魔獣が唸り声を上げながら突進してくる。

 全長四メートルはある巨体が自動車のような速度で突っ込んでくるのだから、直撃すれば即死もありえる。


 まあ当たればの話だが。

 俺はぎりぎりまで引き付けてから横に飛び退き、前足を剣で斬りつけた。

 生木に鉈を振り下ろしたような、鈍い感触が手のひらに伝わってくる。


 ちなみに服装は召喚時に来ていた仕事着のスーツ姿で、防具の類はつけていない。

 なんでも召喚時に身につけていたものには神の祝福が付与されていて、生半可な防具より優れ、様々な効果が付与されているそうだ。


 スーツ姿で剣と盾を装備しているとか、シュールにもほどがある。

 また視力が悪くメガネをかけているのだが、驚いたことに視力が回復していた。

 そして度数が消えて伊達と化したメガネは、神の祝福により相手の能力や体力を可視化する便利アイテムに変貌している。


 前足を斬られて体勢を崩した魔獣の右目に、どこからともなく飛来した矢が突き刺さった。

 痛みに悲鳴を上げて暴れる魔獣を、今度は《雷撃》の魔術が襲った。


 痺れて動きが止まったのを見て俺は魔獣に側面から肉迫し、勢いのまま剣を真っすぐ突き出す。

 切先は分厚い魔獣の脂肪を貫き、骨を避けながら心臓へと到達した。


 即死だったからか断末魔はない。

 魔獣はぶるりと一度震えてから、四肢をだらりと地面に放り出す。

 念のためメガネ越しに見える魔獣のHP表示がゼロになるのを確認してから、俺は魔獣から剣を引き抜いた。


「勇者様、お怪我はありませんか?」


 駆け寄ってきた神官のリティが、俺の返事を待たずに《治癒》の魔術を唱える。

 俺の体が光に包まれ、戦闘でついた軽い擦り傷が癒えてなくなった。


 彼女が俺を召喚した張本人で、絹のように真っすぐで長い金髪と、宝石のように煌めく碧眼を持つ正統派美少女だ。

 上等な法衣を纏うその姿は神々しさすら漂う。


 リティは神に仕える敬虔な神官であると同時に、この国の第一王女様でもある。

 勇者を助け魔王を討伐するという使命を帯び、日夜健気に頑張っていた。

 ちょっとした掠り傷でも《治癒》を使うくらい心配性で、使命感が空回りしているのではないかとこっちが心配になる。


「さっすがは勇者様だね。あんなでっかい奴相手に正面に立つなんて、僕には怖くて真似できないよ~」


 樹上からひらりと飛び降りてきたのは、上級冒険者のタリスだ。

 鮮やかな若草色の髪をショートカットにしているエルフの少女で、魔獣の目に矢を射ったのは彼女だ。


 見た目は小柄な少女だが、長命なエルフなので実際の年齢は三桁らしい。

 故郷の森を治める族長の娘で、後を継ぐ予定だったが外の世界に憧れて出奔。

 それからは冒険者を長年続けていて、怖いなどと軽口を言っているがその実力は五本の指に入るそうだ。


「立ち向かう勇気は勿論のこと、剣術も素晴らしいですわ。高位の雷魔術でも肉に阻まれて心の臓には届きませんでしたのに」


 背後に立つ宮廷魔術師のレルアンが、おっとりとした口調で俺を褒める。

 癖のある燃えるような赤い髪の毛をサイドテールにした美女で、言葉の通り《雷撃》の魔術を放ったのが彼女だ。


 代々宮廷魔術師を輩出している公爵家のご令嬢なのだが、その中でも歴代最強と謳われる程の才能と魔力量を保持していた。

 何故か踊り子のような扇情的な衣装を着ていて、抜群のプロポーションも相まって目のやり場に非常に困る。


 魔王討伐の旅の仲間は俺を含めたこの四人だ。

 どういう訳か俺以外が全員うら若き乙女なので、色々と気苦労が絶えない。


 勇者と魔王の戦いは数百年周期で繰り返されて、魔王を討伐した暁には富と名声が約束されている。

 事実上の拉致で元の世界には二度と戻れない分、手厚く歓迎するのが習わしだそうだ。


 独身で恋人も久しくいないし、老いた両親は俺より遥かに出来の良い兄が見てくれるだろう。

 なので俺自身に未練はさほどなかったが、失踪したも同然なので両親と兄には申し訳ない気持ちで一杯だった。


 魔王討伐というのはもっとこう、軍隊同士がぶつかり合う戦争のようなものを想像していたのだが、実際は少数精鋭による強行突破だった。

 魔王城へ乗り込む、古き良きJRPGスタイルだ。


 軍隊もあるにはあるのだが、勇者及びそれに匹敵する戦力となると、一騎当千が当たり前なのでまるで役に立たなかった。

 今度は某無双ゲームみたいになってしまうわけだが、ここはゲームのような世界だが決してゲームではない。


 兵士たち全員に人生があり、死ねば悲しむ家族がいる。

 無双で散らしてよい命などひとつもない。

 というわけで化け物には化け物をぶつける方式になるわけだが……。




 

 魔族領に侵入し、魔獣や魔族を順調に退け、旅も折り返し地点を過ぎたくらいだろうか。

 この調子なら俺は魔王討伐もできるだろうと楽観視していた。

 今思えばこれも〈正常性バイアス〉が働いていたに違いない。


「我が名は魔王軍四天王〈破城〉のデュラネラ。お初にお目に掛かる。いざ尋常に勝負」


「……はぁっ?」


 そいつは荒野でたった一人、俺たちに対峙していた。

 漆黒の全身鎧を纏い、兜もフルフェイスなので見えない。

 声からすると女のようだが、俺よりも頭二つ分は背が高く、身長よりも更に長い両手剣を肩に担いでいた。


 俺が素っ頓狂な声を上げたのは、伊達メガネに表示される能力値が異常だったからだ。

 これまでに戦ってきた魔獣や魔族より桁が二つ多い。


 伊達メガネ越しにデュラネラが纏う膨大な魔素を見て、恐怖で身が竦む。

 だというのに、俺を襲った危機感は〈正常性バイアス〉が働いてすぐに霧散する。


「みんな、こいつは強い。気を付けるんだ」


 もっと言う事があるはずなのに、いつも通りの気負わない声音が零れた。

 リティたちはそれを信じて戦闘が始まる。


 違う、違うんだ。

 こいつはそんなレベルじゃないんだ。


 デュラネラの姿がかき消えたかと思うと、目の前に現れた。

 真っすぐに振り下ろされた両手剣を辛うじて盾で防ぐと、軌道の逸れた刃が大地を深く抉った。

 大きな音と共に土煙が舞い上がり、俺とデュラネラの姿を覆い隠す。


 たった一撃を受け止めただけで腕が痺れてしまった。

 盾を取り落とさなかっただけ僥倖か。


 俺がデュラネラから距離を取ろうと飛び退いたのと、土煙を斬り裂くようにして矢が飛来したのは同時だった。

 視界ゼロだというのに、タリスの放った矢は正確にデュラネラの頭部を射抜いた。

 かに見えたが、漆黒の兜に弾かれる。


「うわ、効いてないよ」


「それならこれはどうかしら」


 次いでレルアンの魔術 《風刃》がデュラネラを襲う。

 突風が巻き起こり土煙を吹き飛ばした。


 それだけではなく、無数に発生した不可視の風の刃が漆黒の鎧を切り刻む。

 しかし金属を引っ掻くような耳障りな音はすれど、鎧に傷が付いた様子すらなかった。


「皆さん、支援します!」


 今のままでは攻撃が通用しないと悟ったリティが、《身体強化》の魔術詠唱を始めた。

 このパーティーは前衛が俺だけだ。

 なのでリティたちが狙われないよう前に出て剣を振るうが、デュラネラは地面に刺さっていた両手剣を軽々と持ち上げて受け止めた。


 そのまま鍔迫り合いになると、恐ろしいほどの膂力を発揮して押し潰そうとしてくる。

 俺はあっさり押し負けて上体が仰け反り、背骨が折れそうになったところでリティの《身体強化》が発動。

 なんとかギリギリで踏みとどまった。


「勇者一行は強者と聞いていたが、こんなものか」


 刃の向こうにある兜から、落胆の色を隠さない声が聞こえてきた。

 堪えるのに必死で返事をする余裕すらないその一方で、まだどうにかなるのではという根拠のない自信が俺の中で燻る。


 どこまでも〈正常性バイアス〉が邪魔をしていた。

 押されているのに考え事を、油断しているのがいい証拠だ。


 不意に剣を引かれ鍔迫り合いが解除される。

 つんのめった俺の顎下にデュラネラの膝蹴りが炸裂した。


「勇者様!」


 意識が飛んだのはほんの一瞬だったようだ。

 蹴り飛ばされた俺は、空中で一回転してから地面に着地する。

 伊達メガネもどこかに飛んで行ってしまった。


「癒やします」


「がふっ」


 顎は割られ舌も千切れかかり、まともに喋れなくなっている俺の元にリティが駆け寄ってきた。

 口の端から零れる血で汚れるのも厭わずに、俺の両頬を手で包み込むようにして《治癒》をかけてくれる。


 デュラネラはレルアンが《土変化》の魔術で作った土の壁に囲まれ足止めされていたが、数秒もすると壁にひびが入り砕け散った。

 出てきたデュラネラの胴体にタリスの矢が吸い込まれる。

 渾身の一撃(チャージショット)は鎧を貫くまでには至らなかったが、デュラネラの体を後方へ押し戻した。


 ここでようやく俺が戦線に復帰する。

 現時点で誰もデュラネラに有効打を与えられていない。

 こうして死闘が幕を開けた。





「つ、強すぎるよぉ」


「すみません、もう撃ち止めです」


 矢を撃ち尽くしたタリスは短剣に持ち替えて戦っていたが、腹部を斬られて地面にうずくまっていた。

 失血により顔色は蒼白になっている。


 レルアンは魔術の使い過ぎで魔力枯渇を起こし、意識が朦朧としていた。

 倒れないように杖にしがみついているのがやっとだ。


 《火球》で炙っても、《雷撃》を落としてもデュラネラにはダメージを与えることはできなかった。

 俺はリティの《治癒》と《身体強化》のおかげでなんとか戦えているが、彼女の魔力が尽きればそれまでだ。


 デュラネラの猛攻を凌ぎ続ける。

 きっと俺の表情はいつもと変わらず、自信に満ち溢れた顔をしているのだろう。


 リティたちにはどんなに劣勢でも諦めない、不屈の精神の持ち主に見えているかもしれない。

 その真実はリティたちの命どころか、自分の命にすら頓着していないだけなのだが。


「底は見えた。もう付き合う必要もない」


 小さい呟きとは裏腹に、フルスイングされた両手剣の一撃はこれまで以上に重たいものだった。

 盾での防御は辛うじて間に合ったが、踏ん張り切れず弾き飛ばされ地面を転がる。

 追撃を警戒して盾を構えながら身を起こしたが、デュラネラの姿がない。


「しまった!」


 デュラネラはリティ目掛けて突進していた。

 後衛職のリティにデュラネラから身を護る術はない。

 本人もそのことを正しく理解していて、覚悟を決めた表情で向かってくるデュラネラを見据えている。


 不意にその視線が土壁で遮られた。

 レルアンの《土変化》の魔術だ。


 足りない魔力の代わりに生命力を捧げ、目と耳から血を流しながらレルアンがその場に崩れ落ちた。

 限界を越え命を削って創り出された土壁だったが、デュラネラが肩からぶつかるとあっさり砕かれてしまう。


 稼げた時間はほんの僅かだったが、そのおかげで俺は割り込むことができた。

 今ここでリティを庇っても、デュラネラを倒さない限り殺される順番が変わるだけだったが、それでも体が勝手に動く。


 デュラネラが振り下ろした両手剣からリティを庇う。

 背中を斬りつけられ、未だかつてない衝撃が体を襲う。

 息がかかるくらい近くにあるリティの綺麗な顔が歪み、碧眼が大きく見開かれた。


「勇者様!!!」


 リティの悲痛な叫びを最後に、俺の意識はぶつりと途切れ…


 …


 ……


 ………


 …………あれ、途切れないな。


 背中もなんか思ったより痛くないし。


「どういうことだ、これは」


 背後からデュラネラの困惑する声が聞こえてきた。

 よくわからないが、今のうちにリティを抱えて距離を取る。

 呆然としていたリティだが、我に返ると慌てて俺の背中の傷を確認した。


「傷は浅いです。すぐに癒します」


 どういうことだ? 急にデュラネラが情けをかけて手加減したのか?

 しかしデュラネラ本人が困惑しているところを見ると、そういうわけでもないようだ。

 わからない、わからないが、まだ戦えるらしい。


「一体何をした」


「さて、何だろうな」


「教えるわけもないか。いいだろう。戦いの中で見極めてやろう」


 本当にわからないからそう答えたのだが、相変わらず〈正常性バイアス〉が働き余裕のある態度に見えたのだろう。

 デュラネラは俺が何かを隠していると勘ぐっている。

 死闘の第二ラウンドが始まった。





「時間切れか……今日のところは身を引こう。最初に侮った発言をしたことは謝罪する。次に相まみえる時を楽しみにしている」


 そう言い残して魔王軍四天王〈破城〉のデュラネラは去って行った。

 死闘の第二ラウンドは互角の戦いであった。


 デュラネラは全然本気を出していなかったのだ。

 両手剣を振るうたびに真空波のようなものが発生するし、躱して地面に刺さった刀身は大地を深く斬り裂いた。


 俺はそれらを防ぐので精一杯だったが、逆に言えば防ぐことは何故かできた。

 俺自身の能力が上がったような自覚はない。

 まるで俺への攻撃だけが弱体化しているような不思議な感覚だった。


「勇者様、お役に立てず申し訳ありません……」


 デュラネラの圧倒的な力を目の当たりにして、リティたちはすっかり落ち込んでいる。

 本気を出す前のデュラネラの時点で攻撃が通用しなかったのだから、落ち込むのも仕方がない。


「いや、俺も防戦一方だったし、未だにどうして攻撃を防げたのかわからないんだ。俺自身の力が上がったとは思えないし……」


 俺が感じていたことをそのまま伝えると、リティは少し考え込んでからこう述べた。


「これは私の推測なのですが、勇者様はスキル〈正常性バイアス〉をお持ちです。その効果はご自身にとって都合の悪い事柄を無視したり、過小評価したりする心理状態だと伺っています。これがもし勇者様の心だけでなく、他者の心や世界そのものに干渉できたとすればいかかでしょう」


「ええと、つまりデュラネラの恐ろしい攻撃力は俺にとって都合が悪いから、無視まではいかなくとも、過少評価して物理的に軽減してるってこと?」


 ううむ、理屈としては合ってる……のか?


「勇者様が魔王を倒すべく神から授かるスキルです。そのくらいのことは出来ても不思議ではありません」


「しかしいくら相手の攻撃を弱体化できても、こっちの攻撃力が増すわけじゃないからなあ」


「それは考え方次第じゃないかしら」


 顎に手を当てて考え込んでいたレルアンが、俺とリティの会話に参加する。


「相手の攻撃力が高くて都合が悪いのなら、防御力が高いことも都合が悪いと捉えられるのではないかと思いますわ」


「あーなるほど、攻撃力をデハブできるなら防御力もできるって考え方か」


 途端にゲームっぽい概念になったなと思ったが、そもそもスキルという概念もゲームっぽかったか。


「でもそんなに都合よく、相手に干渉できるものだろうか」


「それなら心配ないよ。さっきの戦いだけじゃなく、僕たちの心でも実証済み……むぐぐっ」


 妙に確信めいたタリスの発言を、慌てた様子のリティが飛びついて口を塞ぐ。


「とっ、とにかく勇者様の心構えが大事だということです。先程は敵への弱体化の効果が勇者様自身にしか現れませんでしたが、()()()()()私たちにも影響を与えてくだされば、まだまだお役に立てます。当然勇者様の御力に縋るだけでなく、私たち自身ももっと研鑽を積まなければなりませんが」


「俺の方こそ普段から皆に頼りっぱなしだよ。そうだな……俺たちは仲間、ひとつのパーティーなんだし、皆も〈正常性バイアス〉の影響下に入れられるよう意識してみるよ」


 強敵の出現で絶体絶命の危機に陥った俺たちだったが、スキル〈正常性バイアス〉のおかげ? で乗り切ることができた。

これからは〈正常性バイアス〉がネガティブな意味だという固定観念は捨てて、もっと効率よく使いこなさなければならない。

 さもなければ、大切な仲間を失うことになるのだから。







 魔王軍四天王〈破城〉のデュラネラと戦った日の夜、私たちは宿屋の一室に集まっていた。


「うう、さっきはごめんね。うっかり口を滑らせちゃったよ」


 ベッドの上で正座してタリスが俯いている。


「大丈夫よ。勇者様は気が付かなかったみたいだし。とはいえ気が付かないのはそれはそれで困るのだけれど」


 タリスのいる隣のベッドの端に腰掛けたレルアンが困り顔で首を傾げる。


「少しずつ勇者様の〈正常性バイアス〉の力の片鱗が見えてきましたね。精神だけでなく世界にも干渉できるなんて、さすがは勇者様です」


「でも早く僕たちの気持ちを受け入れて欲しいかな。感情の上がったり下がったりで疲れちゃうよ」


「それは……そうですね」


 私たち三人は勇者様に惚れている。

 元々私たちは魔王を倒すための戦力としてだけでなく、半ば拉致のように召喚された勇者様に与えられた報酬であり、情を移させ魔王を倒した後に武力として国に残ってもらうための枷でもあった。


 そこに私たちの感情は考慮されていなかったのだが、旅を通じて三人とも惚れてしまったのだ。

 レルアンとタリスがいつ本当に惚れたのかは知らないが、私は出会う前から勇者様に憧れを抱いていたので、二人よりは先だと思う。


 勇者様は数百年に一度だけ召喚され、大半の人は同じ時代を生きることなく御伽噺の中だけの存在で終わる。

 勇者様が召喚されるということは、魔王が現れ世界に危機が訪れているということでもあった。

 普通ならそんな乱世に生まれてしまった不幸を嘆くだろうけど、私は不謹慎にも幸運だと思っている。


 私は一国の王女なので将来隣国の王族の元に嫁ぐために、小さい頃から様々な教育を受けてきた。

 それが王族に生まれた私の義務であり嫌という気持ちはないものの、義務は所詮義務であり好きというわけでもない。


 与えられた使命を淡々とこなす毎日の中で、私が唯一夢中になったものがある。

 城の書庫にある過去の勇者様の英雄譚を読むことだ。


 王城から出ることは許されず、出られたとしても大勢の護衛を引き連れて安全な城下街や神殿を往復するのが精々。

 籠の鳥である私にとって、勇者様の従者となり魔王を倒す旅に出て…やがて恋に落ちるという物語は、たとえ命懸けだとしても憧れるものがある。


 そして憧れが現実になり、私は舞い上がった。

 この機会を逃すわけにはいかない。

 理想は御伽噺のように勇者様との相思相愛だが、現実はそんなに甘くないだろう。


 私の婚約者である隣国の王子は見目麗しく優しい方であったが、恋という感情は芽生えなかった。

 脈々と政略結婚が行なわれてきた王家の血筋には、恋などという不要な感情は抜け落ちているに違いない。


 憧れはするが、私が勇者様に対して恋をすることはないだろう。

 ならばせめて勇者様には私に惚れてもらい、魔王討伐後も末永くこの国に居てもらえるようにしなければ。


 ……なんて、自惚れたことを考えていた当時の私を張り倒したい。

 実際は全く逆だもの。


 勇者様は紳士だった。

 王侯貴族の男性たちも紳士ではあるが、それは表向きだけで内心は私たちを政治の道具としてしか見ていなかった。


 子孫を作る大切な道具が壊れないよう丁寧に扱ってはくれるが、同じ人としては見てくれない。

 私たちの感情は一切考慮されず、高価な宝石のように厳重に仕舞われるだけ。


 一方で勇者様は私たちを同じ人間として見てくれる。

 ある時立ち寄った街にはスラム街があった。

 そこにはお腹を空かせた孤児たちが沢山いると知った時、神に仕える者として施しを、炊き出しをしたいと願った私に快く協力してくれた。


 普通の王侯貴族なら却下するか、許可しても出資だけして神殿で働く平民に任せて、私の参加は認められない。

 重要なのは自分たちが施しをしたという実績だけで、私がしたいという願いは聞き入れられない。


 またある時は下町への買い物に付き合ってくれたり、親交のある令嬢が務める神殿への訪問を許してくれた。

 わがままばかり言っている気がして申し訳なくなり、私が謝罪すると勇者様は当たり前のようにこう言った。


「わがままって言う程でもないよ。それに魔王討伐の旅は過酷なんだから、たまには気晴らしや寄り道して英気を養わないとね」


 王女という立場ではなく、私個人をここまで尊重してくれる男性は初めてだった。

 私が世間知らずなだけかもしれないけれど、こんなに優しくされたら惚れてしまうのも無理はないと思う。


 こんな素敵な人と結婚できたら、どれだけ幸せだろうか。

 なんとしても勇者様に惚れてもらいたい。


 しかし勇者様のスキルがそれを拒否していた。


「今日の戦いで勇者様のスキルは勇者様以外にも影響を及ぼすことが判明しましたから、私たちの感情への干渉も間違いないでしょう」


「そうだね。結構アピールしてるつもりだけど、気付かれてないのかな? もうストレートに告白しちゃう?」


「いいえ、気付かれているからこそ、私たちの想いが勇者様にとって都合の悪いものとして、過少評価に修正されているのではないかしら」


「つまり今の状況で告白しても、間違いなく三人ともフラれてしまいますね」


 ですよね。

 事実を改めて認識して、私を含めた三人ががくっと項垂れる。


 最初は戸惑うばかりだった。

 勇者様への溢れる想いがある日突然、急に萎んでしまったのだから。

 だが再び日を重ねるごとに想いは募り、そしてまた萎んでしまう。

 そういった感情の乱高下は、正直しんどい。


 恋愛に疎い私は何か精神的な病なのかと不安になり、レルアンとタリスに相談した結果、二人にも同様の症状があることが判明。

 お互いの気持ちを把握し合う切っ掛けになった。


「観察している限り、異性に興味がないわけではないのよね。私の体に視線がいかないよう意識しているのはわかるもの。うふふ、可愛いわ」


 レルアンの扇情的な衣装は見ているこっちが恥ずかしくなるくらいだ。

 でも勇者様に見てもらえるなら私も着てみたいかも。

 いや、レルアンの豊満なスタイルだからこそ似合っているわけで、それと比較され幻滅されでもしたら……うん、致命傷だからやめておこう。


「ものすごく奥手なのでしょうか? それとも私たちは勇者様にとって取るに足らない存在なのか」


 私のネガティブな発言で一層に落ち込む一同であったが、タリスが急にベッドの上で立ち上がった。

 両の拳を力強く握りしめている。


「逆だ、逆に考えるんだよ。僕たちの想いが萎まなければ受け入れて貰えるってことだよね。これからもっと親密になればいいんだよっ」


 持ち前のポジティブさを発揮したタリスの言葉で、私とレルアンも項垂れた頭を持ち上げた。


「確かにそうですね。タイミングさえ間違えなければ、告白は絶対成功するのですから」


「それでは誰が先に認められても恨みっこなしですわね」


 三人の視線が交わり、火花が散る。


 こうして勇者様の知らないところで、勇者様争奪戦が幕を開けた。

 もちろん魔王討伐が最優先だ。

 けれど、勇者様と共に困難を乗り越えた私たちにも報酬があってもいいですよね……?

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