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作者: 雉白書屋

「君に、これの世話を、頼みたい」


 惑星トドラの衛星に在る生物研究基地CSPノープ、第七研究室にて所長は彼に対し、そう言った。


「はぁ、構いませんけど……まーた単独で新惑星に調査に行ったんですか? 自由でいいですねぇ」


 彼は皮肉っぽくそう言い、椅子から立ち上がると積み上がった箱や床の上にある書類に足を取られそうになりながら所長のもとへ歩み寄り、その両手に抱える透明のケースをまじまじと見つめる。

 しかし、いくらその姿を探そうとも、ケースの中に生き物の姿は見受けられない。


「んー? あの、これはどういう」


「これは、むだ」


「む?」


 彼は、さらに目を凝らすと「ははあ」といった具合に頷き、所長に言った。


「なるほど。透明な宇宙生物ですか。ピパ星のオウオウロキアやタゴルフモ星のサレントのような」


「いや、むだ。透明では、ない」


「はい? では極小サイズの虫類やああ、そうか、細菌ですね?」


「いや、むだ」


「え、む、無? え、なにもいないということですか?」


「むだ。嫌なら、いい。逃げればいい。そうしろ」


「いや、やりますよ。そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」


 彼がケースを受け取ると所長は部屋から出て行った。他の仕事はしなくていい。集中し、これの世話だけを頼む。そう言い残して早々と。

 彼も廊下に出て、その背を見送り、また部屋のほうに振り返るとため息をついた。

 自分が望んだとはいえ、狭い部屋だ。一方で所長は宇宙を飛び回り、自由に調査。早く昇進し、自分もああいう風に好きに振る舞いたいものだ。

 彼は作業台の上を片付け(床に追いやり)ケースをその真ん中に置いた。やはりとも言うべきか当然とも言うべきか所長から受け取った時も置いた今も手に重さ、その残滓も感じられない。

 

「空っぽ……無、だよな……」


 一応、彼はデータベースにアクセスしたが『ム』という生物の項目はあっても、その大きさは三十メートルを超える、惑星ムルタムのピンクのカエルの類の生き物で所長がいう『無』ではなかった。

 無。彼はその言葉にどこか引っ掛かりを覚え、しばらく唸っていると、また少し調べ物をし、そしてパチンと指を鳴らした。

 

 ――なるほど『裸の王様』ね。つまり、おれはからかわれたわけだ。


 彼はケースを指でピンと叩くと、所長が来る前にしていた作業に戻った。

 ……が、しばらくしてピタリと動きを止めた。

  

 ――気になる……。その存在感が。これは、この気持ちはなんだ?

 

 彼は椅子から立ち上がり、ケースの前へ。

 やはり何かいるようには見えない。からかわれたことは間違いないだろう。しかし……気になる。このケース、それ自体の存在が

。ああ、目障りだな……。

 そう考えた彼はケースを作業台の端へずらした。

 ……が、まだ気になる。これはただの空のケースだ。なのになぜだ。なぜこうも……。

 捨ててしまうか? いや、駄目だ。なぜなら、ああ、そうか。それで気づいた。所長のさっきの言いつけがあるからだ。さっさと所長に会って種明かししてもらい、この気持ち悪いモヤモヤを解こう。

 彼はそう考えたが所長はすでに基地を発った後だった。連絡も取りつがないらしい。活発な人で未知と聞くといても立ってもいられない性分なのだ。そう珍しいことではない研究者の性。気になることがあると他に集中できないというのは彼も同じ。

 ゆえに困った。昔からそうなのだ。所長は他の仕事はしなくていいと言ったがそうはいかない。冗談を真に受けたと後で笑われるどころか呆れられ、昇進の道もそれこそ無に帰すだろう。そうなればいつまで経ってもこの狭い部屋で仕事をする羽目になる。いい加減うんざりしていた。

 中に何か入れてしまおうか。とりあえず気は紛れる。

 いや、ケースは開けるなと言っていた。ではどこか、部屋の外にでもやるか。いや、誰かが空っぽだと勘違いして持って行ってしまうかもしれない。いや、勘違いも何もあるか。これには何も入っていないのだ。無なのだ。

 いや、そうか無か。この中には無があるのか。いや、無はないのだ。無とは何なのだ。無はないというのは無という存在がそこにないことを指していて無はあるのか? いやいや、そんなのそうだ、その棚の隙間だって何もないがあると言えるのか? このゴミ箱、ほら、中身をひっくり返せば同じだ。無だ。無がある。


「あの、ちょっといいかな? 積み荷の確認で、所長がここに一つ――」


「ああ、置いてったよ。で今、それについて集中してるんだ」


「ああ、そう……」


 何かわかりかけていたのに邪魔が入った。基地内の安全のために持ち帰った物は職員がチェックする決まりとなっているのだ。それでなんだったかな。所長が、そうだ。これはテストだ。それで……ああ、無だ。無がここにあるぞ。無だ。無だ。所長がいう、無とは概念なのか? 思念なのか? そういう生物なのか? それがおれの脳へ干渉しているのだ。これは試練だ。打ち勝てば所長の座はおれのものだ。それは違うか。無だ。無を感じる。いや、感じているうちは無ではないのか。無とは……無とは……。




「戻ったよ」


 床に座り、机の上のケースを見上げていた彼は研究室に入ってきた所長に目を移した。

 その既視感にフッと笑い、口を開いた。


「……ここに無は存在しません。簡単なことでしたよ。このケースの中には空間があり、そして時間が存在している。無を捉えることなどできはしないのですよ。どうですか? 正解ですか?」


「ん……」


「テストだったんでしょう? ……え、違うんですか」


 と、所長の反応に不安になった彼は所長の方へ目だけではなく体を向ける。所長は言った。


「……いや、無ではない」


「はい?」


「『ムダ』と言ったんだ。そこにはその名の生物が入っているはずだった」


「え、でも空っぽ……ああ、入れ忘れたんですか。ははは、はーあ……」

 

 彼は大きくため息をついた。疲れた。いや疲れていたらしい。あれこれ考えてバカみたいだ。休みを申請しようか、と。


「今、私が持っているケースに入っているこれが『ムダ』だ。そう名乗っている」


「まさに無駄、ね。なんて奇遇な。ああ今、ひしひしと感じていますよ。無駄無駄……で、その生き物は、うわぁ、それにしてもたくさん持ってきましたね」


「狡猾な寄生生物だ。耳から入り、脳を侵食するにつれ宿主への支配力を増す」


「それは恐ろしいですね……。え、ちょっとちょっと、ははは、冗談はいいですから。ほら、こんなとこで開けないでくださいよ、ははは……」


「思い込みが激しく、人とコミュニケーションを取るのが苦手な君に任せて良かった。この男の体に入ったはいいが、それがこの基地に帰還した直後のタイミング。仲間を星に取りに戻る間、誰かが我々の研究している振りをしなければならなかったんだ」


 所長はそう喋りながらケースを開け、その手に幾匹もの蠢くムダを纏わせ彼の顔にそっと近づける。

 そして、彼は無を感じた。自分という存在がそうなっていく過程をじっくりと。

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