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牛丼屋で「ごちそうさまでした」って言ったら女店員さんに「ごちそうさまを言える人ってステキです」と褒められた

 大学生の入間いるま裕樹ひろきは大学周辺をぶらぶら歩いていた。

 午後に出るはずだった講義が突如休講となり、次の講義まで手持ち無沙汰になってしまったためだ。

 裕樹はふと牛丼が食べたくなった。すでに学食で昼は済ませていたが、その気になれば一日四食五食でも食べられる年頃である。発作的な牛丼欲に素直に従うことにした裕樹は、大学から少し離れたところにある牛丼屋に向かった。


 入った店はどこにでもある牛丼屋。どこにでもあるチェーン店。だからこそいつものあの味を食べられる。

 カウンター席に座り、「牛丼並盛」の食券を差し出すと、すぐさま牛丼が出てきた。


「いただきます」


 まずはラーメンの時、最初にスープを飲むラーメン通のように、肉だけを頬張る。つゆがよくかかっていてとてもうまい。

 続いて牛肉と飯を同時にかき込む。肉と米が口の中で混ざり合い、絶妙な味を醸し出す。これぞ牛丼の真骨頂。味わうたびに幸せが訪れる。昼間から気兼ねなく牛丼を食べられる身分の自分に感謝すらしたくなる。

 米粒一つ残さず綺麗に平らげ、器を下げる。


「ごちそうさまでした」


 裕樹がこう言った瞬間、店を切り盛りしていた女店員が近づいてきた。

 店のユニフォームをつけ、髪は短めの清潔感の漂う顔立ちをした若い女だった。

 裕樹はなんだろうと頭に疑問符を浮かべる。


「ごちそうさまを言える人ってステキです」


「へ……?」


 いきなりステキと言われ、裕樹は困惑してしまった。


「ステキって俺が?」


「はい」


 女店員は笑顔でうなずく。


「ど、どうして?」


「意外と少ないんですよ。食べた後にごちそうさまを言ってくれる人って」


「へえ~、そうなんだ」


 裕樹としては子供の頃からの習慣だったことをしただけなのだが、まさしく意外だった。


「だからお客様みたいな人を見ると嬉しくて……また是非来て下さいね!」


 にっこりと笑う女店員。裕樹も悪い気はしなかった。

 空き時間があったらまた来よう、と思えた。

 裕樹は大学に戻ると、残っていた午後の講義は明るい気持ちで受けることができた。



***



 それ以来、裕樹はこの牛丼屋に足しげく通うようになった。

 目当ては牛丼というよりは、ごちそうさまを褒めてくれた女店員だった。時には彼女がいない時間に入店してしまうこともあったが、通ううちだんだんと彼女のいる曜日や時間をつかめてきた。


 もちろん裕樹にも自分がストーカーじみた行為をしている自覚はあった。ほんの少しでも彼女からの嫌悪を感じたらすぐにやめようと思っていた。

 ところが、彼女は裕樹を見るたび「また来てくれたんですね」とばかりの笑顔を見せるので、それは杞憂であることが分かった。

 牛丼を食べ終わったら、当然この一言を告げる。


「ごちそうさまでした」


「また言って下さいましたね。嬉しいです!」


 ごちそうさまを言うだけでこんなに喜ばれるなら安いものだ。

 裕樹はいつしか彼女と自己紹介し合うほどの仲になっていた。

 彼女の名前は五十嵐いがらし花穂かほといい、大学は違うが裕樹と同じく学生だった。

 花穂の家は厳格というわけではなかったが、食べ物に関する躾は厳しく、特に「いただきます」「ごちそうさま」は絶対言うように育てられた。なので言わない人を見ると、どうしても違和感を抱いてしまっていたとのこと。

 牛丼屋で働いていても、大半の人は何も言わないか、あるいは会釈などそれらしい仕草をするのがせいぜいで、裕樹のようにはっきりと「いただきます」「ごちそうさま」をするお客は本当に珍しいという。


「入間さんの家も厳しかったんですか?」


「いや、そんなことはなかったかな。ただ、自分の中で食事してる時としてない時ははっきり区別しようって思いがあったから、自然と言うようになってた」


「特にしつけられたわけでもないのに、ちゃんといただきますごちそうさまを言うなんてすごいなぁ」


 裕樹からすれば当たり前のことをしているだけで、極端な話「呼吸をしてるなんてすごい」と言われてるようなものでもあるが、褒められて悪い気はしない。まして花穂のような可愛い子にならなおさらだった。

 今日も牛丼を食べ終わると、裕樹ははっきりと言葉に出した。


「ごちそうさまでした」


「またお越し下さい!」


 多少財布には響くが、裕樹の幸せな牛丼ライフの日々は続いた。



***



 裕樹と花穂が知り合ってから一ヶ月ほど経ったある日。

 裕樹はやはり牛丼屋を訪れていた。他に客はスーツ姿のサラリーマンが一人だけ。いつものように牛丼の並盛を注文する。


「いただきます」


 と挨拶してから食べると、花穂が微笑んでくれる。裕樹は今世界で一番幸せなのは自分かもしれない、と牛丼と幸福感を味わう。

 ところが――


 二人組の男が店に入ってきた。

 見るからに柄が悪そうで、雑談もうるさい。せっかくの花穂とのひと時が台無しだと裕樹は内心舌打ちする。

 しかし、これだけならばまだよかった。


 二人組は注文して出てきた牛丼に対し、持ち込んだ調味料を入れ始めたのだ。


「わさび入れまくろうぜ」


 チューブから肉の上に、わざびをふんだんに盛りつける。


「うへぇ~、気持ちわりぃ!」


「次はケチャップとマスタード……」


 牛丼を食べながら裕樹は男たちの会話に耳を傾ける。

 聞いていると、どうもネット上で「牛丼を魔改造する遊び」が流行っているらしく、二人もそれに乗っていることが分かった。

 無茶苦茶に調味料や具材を入れた牛丼の画像をアップして、ひどい牛丼にできればできるほどウケるとのこと。


 何が面白いんだ……と呆れながら裕樹は牛丼を食べ続ける。


 二人とも、牛丼を原型がないほどに“改造”するとゲラゲラ笑った。


「これどうする? 食うの?」


「食えるわけないじゃん、こんなの」


「だよなぁ!」


 自分たちが改造した牛丼を食べるつもりはないようだ。


「とにかく写真撮ろうぜ! これならかなり高い評価つくぜ!」


「だな! なんかもう産業廃棄物って感じ!」


 笑いながらスマホをどんぶりに向ける二人組。

 すると、花穂が二人に近づいていった。顔には怒りを帯びている。


「何やってるんですか、あなたたち!」


 二人組は花穂を睨み返す。


「あ?」


「牛丼は食べ物です。私は食べてもらうために牛丼を作ってるんです。なのにこんなことをして……恥ずかしくないんですか!」


 悪ふざけコンビに正論をぶつける花穂。

 だが、これが心に響くような輩ならば最初から悪ふざけなどやっていない。


「なんだよ、お前」


「今すぐ出ていって下さい」


「なんで出ていかなきゃならねえんだよ。これから写真撮るんだよ、俺らは」


「食べ物で遊んで……あなたがたはお客なんかじゃありません!」


 こう言い切った花穂に、二人組は不快感をあらわにする。


「ふざけんなよ、てめえ! 客に逆らうってのかよ!」


 二人組の片割れが、花穂の腕を強くはたいた。

 こうなると、裕樹も傍観者ではいられない。


「やめろ!!!」


 裕樹が怒鳴った。

 ビクッとなる二人組。

 裕樹は席を立つと二人に近づいていく。


「なんだよ、お前」


「お前たちのことが許せない」


「ああ? 許せないならなんなんだよ!」


 二人組も凄む。もしも取っ組み合いになれば、裕樹に勝ち目はない。

 裕樹の口からは自然とある言葉が出てきた。


「いただきます」


「……?」きょとんとする二人組。


「いただきます」


 さらに連呼する。


「い、た、だ、き、ま、す」


 有無を言わせない迫力だった。

 迫力に押される形で、二人組の片割れが拳を振るう。


「このっ!」


 顔面に直撃したが、裕樹は怯まなかった。そしてこう口ずさむ。


「ごちそうさまでした」


 パンチを喰らっておいてこの態度。

 今の裕樹には、得体の知れない威圧感が備わっていた。


「食え」


「え……?」


「これ全部食べろよ。お前らもいただきますしろよ」


 裕樹の迫力に呑まれ、二人は魔改造した牛丼を食べ始めた。

 当然だが味はひどく、全く箸は進まない。


「すんませんでした……」


「もう勘弁してくれよぉ……」


「ダメだ」


 二人組には逃げるという選択肢もあっただろう。

 しかし、裕樹が仁王像のように見張っており、そんな気すら起こらなかった。


 やがて、牛丼屋に一人の警察官が入ってきた。


「あのー、ここで喧嘩があったって聞きましたが……」


 客だったサラリーマンが立ち上がる。


「通報したのは私です。そこの二人組が立っている彼を殴りつけてるのを見ました」


 一連の騒動を見ていたサラリーマンが通報してくれていた。

 警察官もテーブルの上に置いてある無惨な牛丼を見て、なんとなく状況を察する。


「君たちか。とりあえず話を聞かせてもらおうか」


 裕樹は平然としたものだが、自分たちで作った魔改造牛丼を食わされるはめになり、あげく警察沙汰になってしまった二人組は顔面蒼白になっていた。



……



 騒動は収まり、裕樹はバイトを終えた花穂と会う。


「先ほどはありがとうございました……!」


 花穂は自分のために戦ってくれた裕樹に頭を下げる。


「いやいや、俺も連中にムカついてたから、ちょうどよかったよ」


「殴られた箇所は大丈夫ですか?」


「うん、大したことないよ」裕樹は頬をさする。


「それにしても、どうして『いただきます』を連呼したんですか?」


 裕樹は先ほどの自分の行動を思い返す。


「ん~、自分でもよく分からないけど……やっぱりあの二人組に立ち向かうのはちょっと怖かったんだ。だから、自分が一番自信のある言葉で立ち向かってみようって思ったんだ」


 裕樹とて恐怖心はあった。だからこそそれを払拭するために「いただきます」を選んだ。

 殴られたのは痛かったが「ごちそうさまでした」と言ったら耐えることができた。

 なぜなら――


「好きな人が褒めてくれた言葉だから……」


「!」


 直後、裕樹はとんでもないことを口走ったと気づいた。

 慌てて取り消そうとするが、花穂も笑っていた。


「五十嵐さん……?」


「私も……私も、あなたのことが好きです」


 二人は共に頬を染めた。同時に想いが通じ合っていたと分かり、幸せも噛み締めていた。


「今後とも……よろしくお願いします」


 頭を下げる花穂に、裕樹も思わず頭を下げた。


「こちらこそ!」


 やり取りがよそよそしくなってしまったことを自覚し、二人は苦笑した。



***



 晴れて交際するようになった裕樹と花穂。

 記念すべき初デートはどこに行くか、二人に迷いはなかった。


「牛丼屋に行こう!」


「そうしましょう!」


 二人は花穂が勤めている店とはまた別の系列である牛丼屋に入る。


 まず、出てきた牛丼に向かって二人揃って――


「いただきます!」


 食べ終わったらきちんと――


「ごちそうさまでした!」


 会計をして、手を繋いで幸せそうに店を出て行く裕樹と花穂。


 二人を見ていた牛丼屋の店員は呆気に取られた様子でこうつぶやいた。


「いやー、あんな息ピッタリにいただきますとごちそうさまをするカップルは初めてだ……」






お読み下さりましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分も「いただきます」「ごちそうさま」はしてますね 手をあわせてかなり小声ですが 何か小学校の頃からずっとやってます 理由がわからないですけど何か続いてるんですよね~
[良い点] 特に意識してるわけじゃないけど昔から会計時にはごちそうさまでしたって言ってたな 美味しくないときや酷い料理(焼きすぎで焦げてたり、待たされまくって固くなって(冷めて)たり)は若干思う事はあ…
[良い点] かほちゃんをいただきます!ごちそうさまでした!とても美味しかったよ!というオチなんだろうなと予想してたら、めちゃくちゃ純粋な話だったので恥ずかしい。
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