007.ご懐妊の報せ
年が明けて、桜の季節も過ぎた頃だった。十八歳の光はあの生死をさまよう病が癒えた後もたびたび体調をくずし、公務を休むことが多かった。やっぱり忙しすぎるのかな。父上に召され左大臣邸に連れて行かれ、自分の邸でゆっくり休むこともままならない。
「この前北山で拝んでもらったから平気だよ。ただ、あそこまで迎えが来たのには参った」
光は高名な聖がいるという山へ行き、祈祷や誦経をしてもらったと言っていた。そこにも父上の使いがきたり左大臣家の公達が来たりで大変だったらしい。いつも誰かに追いかけられているなあ。自分の時間取れるのかな。俺は光のような交際の多い生活はとても送れないと思うので、自分に人気がなくて良かったと思ってしまった。
「そういえば、お隣で仕える女性の数減ったかな?」
「はい。女御のご気分が優れないそうで先日お里へ帰られましたので、供にお連れなのでしょう」
「そう」
藤壺さんも具合が悪いのか。光もだし、皆大変だな……。俺は何気なく思ったが、次の瞬間不安になって尋ねてしまった。
「まさか、母が何かしたのかな?」
「そのようなことは」
頼りにしている女房は微笑んで否定してくれる。本当に大丈夫かな。母なら憎しみから生霊も飛ばしかねない気がするけれど。藤壺さんは結局夏の間帰ってこられず、秋口になってからやっと御所に戻られた。
「ご懐妊だそうですよ」
御所はその話題でもちきりで。父上はたいそうお喜びで、毎日のように藤壺さんを見舞われているらしい。
「よかったね」
俺は素直に喜びながら、母が内心穏やかでないだろうなと察した。御所は浮足立ったおめでたい空気に満ちていて、父上は藤壺さんとお気に入りの光も呼んで、楽や舞の会を頻繁に開いて楽しまれている。冬には行幸があるからその練習もかねているのかな。
「お寂しくはないですか」
「えっ?」
女房にさり気なくきかれて。俺は首をかしげた。
「あのような遊びの会に呼ばれずに」
この人が俺のことを思って多少怒ってくれているということに気づくのにしばらくかかった。
「俺は風流じゃないからね。歌や楽器も得意じゃないし」
ただ見ているだけならいいけれどやってみろと言われると困るので、俺は会に呼ばれないことに怒りや悲しみはなかった。光と比較されるのもしんどいものがあるし。父上は、光と比べられる俺の名誉を守るためにあえて呼ばないのかもしれない。
「俺は気にしてないから平気だけど、皆は見たいよね」
ごめんねと俺は謝った。主人の俺が呼ばれないのだからお付きの女房も当然見られないわけで。俺はその点については申し訳なく思った。
「大丈夫ですよ。私たちは隣の女房とも懇意ですから。お手伝いとしてご相伴にあずかれます」
彼女はニコッと笑って答えた。さすがだなあ。宮中で働く女性は横の連携も取れているらしい。
「むしろ、春宮様が何か会を主催なさったらどうですか」
「俺が?!」
「即位なさった暁には、風雅な遊びもなさるでしょうから」
「そっか。うーん……」
俺は自分が主催するとは全く考えたことがなくて、思わずうなってしまった。でもそうだよな。帝になれば周りを退屈させすぎてもいけないし、何か考えないと。でも何がいいだろう。俺の企画力じゃ参加者を募っても集まらなさそうだし……。俺が首をひねってうーんと考えていると
「失礼いたします」
部屋の外から誰か来たようで女房が取次に立った。しばらくして戻ってくると
「御文でございます」
うやうやしく俺に差し出してくれる。秋にふさわしい落ち着いた色味の紙で。
「左大臣邸からだそうです」
「そう」
俺は不思議な気持ちで文を開いた。左大臣から文をもらったことなんてないけど……。開いてすこし動きを止めてしまって。文の差出人は左大臣ではなく、光の妻である葵さんだった。
朱雀:桐壺帝の子。光の3歳上。のちの朱雀帝。朱雀院。
光:桐壺帝の子。朱雀の弟。
蛍:桐壺帝の子。朱雀、光の弟。のちの蛍兵部卿宮。
葵:左大臣の娘。光の妻。光の4歳上。
藤壺女御:桐壺更衣に似ていることから入内した。光の5歳上。のちの中宮。
弘徽殿女御:朱雀の母。右大臣の娘。桐壺更衣とその子である光を憎んでいる。