065.夕霧出禁
野分という風が幾日も吹いて、邸の植え込みや建具を破損した。すごい暴風雨だった。御所は大丈夫かなと俺はまず冷泉さんや春宮のことを心配した。光の邸も大きいしいろいろ植わっていたから、枝が折れたり花が吹き散らされたりして大変だっただろうか。
俺は朱雀院内の建物を一つひとつ見て回り、壊れた箇所を修理するよう頼んだ。三宮の対も荒れていたが三宮は思ったほど怯えてはおらず、
「綺麗な空ですね」
暴風が全てを運び去り一段と涼しくなった秋晴れの空を楽しんでいる。度胸あるなあ。朧月夜さんの方が怯えて俺に抱きついていたくらいだったが
「すこし、離れてもらえますか」
「嫌です♡」
彼女は理由をつけては俺にくっついてくるので困った。法衣に袈裟姿で祈る俺にまですがりつくので困る。俺が出家したらこの方はどうなさるつもりなのかな。幸せに暮らして下さるといいのだけれど……。三宮より気になるので難儀だった。彼女は歌や楽器が上手く華やかで美的感覚も鋭い、まさに貴族生活に向いている女性だった。だからこそ俺とここにいるのがもったいないような気がして、彼女はこのままでいいんだろうかと心配になる。
◇◇◇
野分の去った数日後、お見舞いも兼ねてまず冷泉さんにご挨拶しようと御所へ伺った。
「朱雀さん、丁度いいところに」
冷泉さんはニコニコと微笑まれながら、俺に軽く手招きをなさる。御前には蛍と夕霧くんがいた。なんだか少し緊迫した様子で、俺は二人の後ろにさり気なく座った。
「お前六條院を出禁になったってマジかよ?」
「出禁……」
蛍が興奮気味に尋ねるので俺は耳を疑った。出禁って……。親の家を出入り禁止になることなんてあるんだろうか。夕霧くんの衣はよく見ると乱れていて。襟元が誰かに強く掴まれたのか折れてしまっている。
「野分のとき紫さんを見たかって訊かれて、見たって言って」
夕霧くんは始終落ち着いていた。
「狙うかって訊かれて。『女には興味ないけど、あんたが苦しむ姿を見れるならやる価値あるかもな』って答えました」
「そりゃひでーわ……」
蛍もさすがに呆れたのか、しばし絶句した。
「光にそれは禁句だったぞ」
青春してんなーと言ってため息をつく。
「もちろん本気じゃねーんだろ?」
「興味ないす。継母なんて」
夕霧くんが目も動かさず即答するので
「冷てえなー」
蛍は夕霧くんにはかなわないと言った様子で苦笑した。
「あの光を落ち着かせた絶世の美女だぜ? 間違いなく京一なんだからもう少し気を使えよ」
蛍は夕霧くんをたしなめていたが、冷泉さんはいつも以上にニコニコしておられた。夕霧くんが光と衝突するほど冷泉さんが嬉しそうに見えるのがどこか不思議だ。父親と正面からぶつかりあっても決して引けを取らない夕霧くんが眩しいのかもしれない。
「まーあの光にそこまでキツい口叩けんのもお前だけだろうな」
蛍は諦めたようにうなずくと夕霧くんの肩をぽんと叩いた。
「さすがだよ。だが光の気持ちも少しは考えてやれよ。お前を脅威に感じてんだから」
夕霧くんが少しわからないような目をするので、蛍は続けた。
「お前のこと男として認めて、警戒してんだよ」
夕霧くんは嫌そうな顔をして眉を寄せたが、しばらく黙って考えこんでいた。親への反抗は甘えでもあるからなあ。夕霧くんもそろそろ卒業する時期なのかもしれない。
「あの人酷くて。祖母ちゃんのこともう長くないだろうから見舞いに行けって言ってました」
「そりゃひでーわ」
光の敬語ながらも失礼なことをハッキリ言う癖に蛍は苦笑していた。
「中宮は元気そうだった?」
冷泉さんがさりげなく里帰り中の梅壺中宮を心配なさると、夕霧くんは帝を真っ直ぐに見つめて答えた。
「はい。せっかく咲いた秋の花が荒らされてお気の毒でしたが、様々な籠に吹き散らされた枝を入れさせたりして、風流でした」
「流石だなー」
蛍はこんな時にも雅さを忘れない中宮さまに感心している。
「妹さんはお元気?」
「ええ。今八つです」
俺の質問に夕霧くんが答えてくれたので俺は春宮のことを思い出した。春宮の二歳下か。春宮が元服を迎え光の娘さんが裳着をされたら、いよいよ入内ということになるのかな。帝や春宮は結婚が早いからもう少しのんびりさせてあげたい気もした。夕霧くんが春宮の義兄になれたほうが当然出世は早いだろうけれど。
「お前、出禁食らったわりにはウロウロしてんな」
「怒らせる前すから。元々紫さん近辺には出禁でしたし」
夕霧くんは蛍に答えながら、さっき言われたことをまだ考えているようだった。
「侮辱、しすぎましたね」
じっと反省している様子に成長を感じる。
「一目惚れしました! って言ったほうがまだ良かったかもしれねーな」
蛍が言うので俺も苦笑してしまった。
「そうだね。光は『奥様なんて眼中にない』って部分に怒ったのかも」
光って怒るポイント変わってるからなあ。奥様は光の八歳下だったかな。夕霧くんから見れば十三歳も上だし父親の恋人だから、恋愛対象外と感じるのはおかしいことじゃないと思うけれど。そう言われて怒るってことはよほどの美人なんだろうか。
光が夕霧くんに激怒したという噂はそれこそ野分のように京じゅうへ伝わって、いつの間にか朱雀院に仕える女房たちの口の端にものぼった。親子とはいえ光は太政大臣だから夕霧くんの政治生命を危ぶむ声まで聞かれたけれど。冷泉さんはいつも通りに夕霧くんを重用して見せたので、皆の憶測もいつしか和らいでいった。
朱雀:桐壺帝の子。光の3歳上。のちの朱雀帝、朱雀院。
光:桐壺帝の子。朱雀の弟。
蛍:桐壺帝の子。朱雀、光の弟。のちの蛍兵部卿宮。
冷泉:光の長男。系図上は桐壺帝の子。朱雀帝時代の春宮。後の冷泉帝、冷泉院。
夕霧:光の次男。系図上は長男。光と葵の子。冷泉の3歳下。
春宮:朱雀と承香殿女御の子。女三宮の異母弟。後の今上帝。
女三宮:朱雀の娘。薫の母。柏木に想いを寄せられる。
明石姫君:光と明石の娘。春宮(今上帝)に入内し長男を産み、后となる。
紫:藤壺中宮の姪。光の妻。10歳から光に引き取られ養育された。光の8歳下。
梅壺中宮:六条御息所の娘。冷泉の9歳上。秋好中宮。
朧月夜:弘徽殿大后の妹。前尚侍。宮仕え前に光と関係した。




