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朱雀と弟  作者: 村上有リ
冷泉帝
61/96

061.蛍火

「もう行くわ。あんま待たせるのも何だし」


 (ほたる)はそう言うとおもむろに立ち上がった。


「お前、あんまキツいこと言うなよ」


 (ひかる)の方が不安になって頼むように声をかける。蛍が席を立つと夕霧(ゆうぎり)くんと柏木(かしわぎ)くんも無言で立ち上がってこの場を去ろうとした。と思ったら


朱雀(すざく)さん」


 俺の袖が夕霧くんに引かれて。俺もつられて立ち上がる。


「来て下さい」


 俺は蛍の後を追うように、彼らについて歩いた。


「あの、どこへ……?」


「蛍さんがどうするか見ます」


「覗き見するの?!」


 俺は人の恋路を盗み見るのは大いに抵抗があったが、夕霧くんは有無を言わせぬ態度だった。


「蛍さんには言ってあります」


「そうなんだ……」


 人に見られながら女性と話せる蛍もすごい。どうなってしまうんだろう。

 俺は玉鬘(たまかずら)さんが居るという夏の町の西の対へ連れてこられると、薄暗い部屋の柱の陰に身を潜めた。ここからは蛍の様子はよく見えるが、彼女の姿は几帳に隔てられていて見えない。先に到着していた蛍は入口の女房に取次を頼むと、席を作ってもらい御簾の前に座っていた。



(ふみ)をありがとう」


 御簾の内にいる人に話しかける蛍はとても落ち着いていた。長い付き合いだけど、恋人と話す蛍を見るのも初めてだな。いや恋人ではないのか……。彼の声の調子はいつもと同じで。ただとても優しくて温かかった。


「あいつ変なことしてないすか」


 相手の女性は少し笑うと、微かな声で答えた。


「抱き寄せて髪を撫でては下さいますけど、それ以上は……」


 よくそれ以上行かないなと思いながら俺はヒヤヒヤして聞いた。俺にどんな未来を変えられるっていうんだろう。覗き見なんてして大丈夫だろうか……?

 二人はしばらく黙っていて。闇に目を凝らして見ると、俺をここに連れてきた夕霧くんや柏木くんはいなくなっていた。二人に気を利かせて去ったのかもしれない。


「貴女を好きですって言いたいんすけど。俺、長年連れ添った妻亡くして、子供らもいて。難しいです」


 蛍は正直だった。玉鬘さんを絶望させるなと光は言っていたけれど、結局正直に話すのが一番傷は浅いのかもしれない。


「誠実な方ですね」


 中の女性は残念そうに、でも少し微笑みながら言った。


「どんな未来を夢見て(みやこ)に来たんすか」


「何も……ただ、強引に言い寄ってくる男から逃げたくて来ました」


「そうですか」


 蛍は残念そうにうなずくと


「すいません、あいつが迷惑かけて」


 光の言動について謝罪した。蛍って光の弟なんだけれど、しっかりしているから兄みたいに見える。


「私を愛してくれる方は、この京にはおられないのでしょうか……?」


 彼女が悲しげに尋ねるので、俺は胸が苦しくなった。


「旦那様も私を弄ばれるだけで。夫にはなって下さらないと思います」


 彼女は鋭くて。光の()()()()にはなれないことを見抜いているようだった。


「現れますよ、必ず」


 蛍も苦しそうだった。でもできる限り優しく答えている。


「こども、好きですか」


 蛍がおもむろに尋ねると


「はい」


 彼女は嬉しそうに答えた。


「でも、私にできるのかしら……恋人すらできそうもないのに」


 俺は彼女が寂しそうにつぶやくのを聞いていられなかった。こんなに苦労しているこの人をどうして天は救わないのだろう。筋書きにない人が現れて、彼女を救い出してはくれないのだろうか。予言書に書いていない奇跡は起こらないのか……。


 蛍も俺と同じ気持ちなのか、だいぶ長い間黙っていた。そこにふわりと黄緑色のひかりが現れて。彼女の周りを明滅して飛び違った。ホタルか……? 女房か誰かが帷子(かたびら)に包んだホタルを放したようで、その淡いひかりに照らされ、彼女の影が浮かんでは消えた。


「……」


 蛍はホタルたちのひかりを見ると、悲しそうにため息をついた。


「下がって」


 彼女を部屋の奥へ下がらせると、目の前の御簾を少しだけ持ち上げる。ホタルたちは外の空気につられたのか、次々と蛍の方へ舞い集ってきた。呼吸するような明滅に合わせて、蛍の姿が幻想的に浮かび上がる。


 顔や肩の周りを飛ぶのを追い払うでもなく、蛍は小さな虫たちを外へ逃がそうと立ち上がった。暗い廊下に黄緑色のひかりが揺らめきながら反射する。点いては消える蛍火は一晩だけ黄泉帰った死者の魂のようだった。ホタルたちは蛍の優しげな横顔を照らして。


「綺麗だなー」


 蛍も小さくつぶやいて微笑む。まとわりつくホタルたちは蛍の周りをなかなか去ろうとはせず、久しぶりに会えた人と懐かしく話しているようにも見えた。蛍は沓を借りてホタルたちと共に外へ降りると、一匹ずつ空へ帰しながら


「……さよなら」


 彼女にそっと別れを告げた。

朱雀:桐壺帝の子。光の3歳上。のちの朱雀帝、朱雀院。

光:桐壺帝の子。朱雀の弟。

蛍:桐壺帝の子。朱雀、光の弟。のちの蛍兵部卿宮。

冷泉:光の長男。系図上は桐壺帝の子。朱雀帝時代の春宮。後の冷泉帝、冷泉院。

夕霧:光の次男。系図上は長男。光と葵の子。冷泉の3歳下。


柏木:内大臣の子。雲居雁の兄。夕霧の従兄。

玉鬘:夕顔と内大臣の娘。光が自邸に引き取り親代わりとなった。

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