002.気のおけない兄弟
それから何度か文を交わして、俺は光と仲良くなった。光は父上のお気に入りだからよく御前に呼ばれるし、左大臣の婿にもなっていて常に忙しそうだけれど。たまに俺に会う時間も作ってくれる。
「こんにちは……」
「すー兄、いらっしゃーい」
俺が控えめに御簾の内をのぞくと、中で待っていた蛍が元気よく手招きしてくれた。奥で光も待ってくれていて。
「ここは俺のいきつけの局だから。女の子も口堅い子ばかりだから安心してね」
蛍は俺の手を取って奥に引き入れてくれながら軽く目配せする。俺は若い侍女たちの裾を踏まないように歩くのが難しくてすこし緊張した。小さめの局だから二人との距離も近くて。兄弟三人輪になって座る。
「兄貴に会った第一印象はね、深窓の姫君って感じ。色白だし小柄だし華奢だし、女かと思った。むしろ女ならよかったのに。なんで女じゃないの?」
「えっ……なんかごめん」
なんでって言われてもと思って俺は当惑した。
「もったいないよね。顔は父上に似てるけどもっと優美だし。もったいないよ」
光がため息をつきながら二度も言うと、本当にもったいない気がしてくるから不思議だ。
「だからさ、すー兄は帝で良かったんだって。こんな頼りなさげな宮様のねーちゃんがいたら行く末が心配で仕方ないもん。宮様なんて降嫁も難しいし相手次第で没落するし。厳しいよ」
蛍は俺の肩をポンポンと叩いて、今度は男で良かったと言ってくれた。俺は褒められているのかけなされているのかよくわからず、あいまいに苦笑した。
「前も着てたけど、似合うよねその色。色白の肌に深紅が良く映えてる」
光は俺の衣にふれると、生地の厚みや肌触りを入念に確かめた。
「世話焼きの女房が見立ててくれるんだ。俺は全然、何着ても構わないんだけど」
「その髪も女房が伸ばせって?」
「ああ、これは」
俺の髪は肩を過ぎてみぞおちの辺りまであった。結って冠をかぶるには肩くらいあれば十分だと思うんだけれど。
「いやいや、これは俺のお願いなんだよねー」
蛍が俺の髪を手にとって得意げに笑う。
「綺麗だし、切るのもったいないじゃん? だから伸ばしてカツラ作ろうと思って。それを高貴で髪が薄くなってきた人に売ればさ」
「お前、春宮様の御髪を何だと思ってんだよ……」
光はさすがに呆れたのか、冷たい目で蛍を見た。
「美髪は貴重な資源だよ? 大切にしなきゃ。俺たちだっていつハゲるか」
蛍の言にはいつになく力が入っていて、俺はすこし笑ってしまった。
「それに綺麗だから伸ばしたら良いと思って。長いサラサラの黒髪を持つ帝、カッコいいじゃん」
「なるほど」
ふたりが同意するのでそんなものなのかなと俺は思った。光や蛍はオシャレな貴族だから着ているものもこだわりに溢れているけど、俺は自分の外見に関する要望はないので、いつも人から言われたものを言われた通りに着ていた。毎月なんやかんや祭祀があって、こういう日にはこれを着るって決まりもあるから私服を着る機会も少ないし。こういう点で春宮ってラクだ。
「蛍の髪型カッコいいね」
「でしょー?」
蛍が嬉しそうに笑うので触れて良かったんだと思った。俺たちは人前では髪を結って冠や烏帽子をかぶらないといけないけれど。今日の蛍は耳より上の髪を後頭部で一つにとめて、後ろ髪と共に垂らしている。
「なんか三国時代の人みたい」
「俺の武勇に気づいちゃったかー」
「兄貴の三国時代イメージ絶対間違ってると思う」
得意げな蛍を尻目に光は苦笑した。光の右耳にかけただけの黒髪も艶で美しい。
「だいたいその武勇をいつ使うんだよ、この京でさ。だいぶ戦してねえのに」
「意外と便利なんだよ。蹴鞠のときとか、琵琶弾くときもさー」
蛍は運動神経抜群で楽器もできるから羨ましいなと思った。下を向いたとき髪が落ちてこないのは確かに便利そうだ。
「そうだすー兄、髪型の決まりもう少しゆるくしてくれない? すー兄の御世でいいからさ」
「帝にそんな権限あるかな」
俺は自信がなくてあいまいに笑った。
「もっと活動的な髪型流行らせようよ。俺髪結うの好きじゃないんだよ、時間かかるし。乱れると直すの大変だしさー」
「言うほど乱れるか?」
「乱れるよー。だって俺キスが好きだし。首から上が動かしにくいんだよ!」
「なんの告白だよ」
光は必死な蛍に苦笑しながらすっと視線を遠くにやると
「でもまあ確かに不便だから、俺が天下取ったら自由化するわ」
さらりと言った。
「何お前、その歳でもう天下取るつもりなの?」
「だって帝の子で左大臣後見まであんのに天下取れねえとか、雑魚すぎん?」
光は皇子だけれど父上のご意志で臣下にされていて、その父上のご恩寵で順調に出世していた。父上はただの親王じゃ心配だと思って、光にしっかりした地位と権力をつけてあげたかったんだと思う。
「政治家こえー。じゃ出世した暁には俺にもなんか利権ちょーだい」
「親王なんて日和見だからなあ。いつまで味方かわかんねえし」
「えー」
ぷうと膨れる蛍を笑顔でからかいながら、二人はどこまでも仲が良さそうだった。俺は気のおけない兄弟っていいなと思いながら、微笑んで二人を見ていた。
朱雀:桐壺帝の子。光の3歳上。のちの朱雀帝、朱雀院。
光:桐壺帝の子。朱雀の弟。
蛍:桐壺帝の子。朱雀、光の弟。のちの蛍兵部卿宮。