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7.運命の出会いは甘く香り立つ 1

 


 マリエラがダリアと運命の出会いを果たしたのは、二年も前のことだ。


 名のある貴族や商家などの金持ちが、孤児院や教会に寄付や慰問をするのは別に珍しくはない。そしてそうした援助なしには生きられない私たちにとっては、それはきっと感謝すべきものなのだろう。


 でも、マリエラは貴族や金持ち連中が嫌いだった。


 いつもぷんぷん鼻に付く香水の香りをあちこちに巻き散らしては、自分たちを憐れみの目で蔑んでいく特権階級たち。施しを受けなければ明日の糧を得ることさえ難しい自分の境遇が、あまりにみじめだったし、何よりその上から見下すようなその目に苛立つ。


 だからどんなに大金をくれようと、温かい食べ物をくれようと、マリエラは貴族や金持ちが大嫌いだった。

 その日は特に最悪だった。14歳になったマリエラのもとに客が訪れて、こう言ったのだ。


 『お前ほど器量が良ければ、あと一年もすればいい客が付くだろう。食べるには困らない程度には給金もくれてやるし、きれいな服も着せてやろう。こんな孤児院の暮らしよりは、ずっとましだろう?』


 体を売って金を稼げ。つまりはそういう話だった。


 マリエラは、こみ上げる激しい怒りに身を震わせた。こういう話は、今回が初めてではない。ちょっと見た目良く生まれて、成長とともに胸も大きくなって、そのためにどれだけ嫌な思いをしてきたか。その上、こんなに薄汚い目で舐め回されるように見られて。


 孤児である、ただそれだけの理由でまともな仕事につくことも、満足に食べ物にありつくこともできないのだ。


 とはいえ、孤児院の今後を思えばその客を殴りつけることさえできない。もし下手に怒らせでもしたら、何をされるか分からないのだから。


 蹴り飛ばしたい気持ちを必死に抑えて追い帰し、猫の額ほどの小さな庭でひとり泣いた。

 そんな時、話しかけてきたのが――。


「よろしければ、おひとつどうぞ」


 落ち着いた優しげな声とともに目の前に差し出されたのは、小さな袋にきれいにラッピングされたお菓子。

 そこには、淡い黄色のふんわりとしたドレスを着た身なりのいい少女が立っていた。


 また貴族が自己満足のために憐れみをかけにきたのかと、無視して立ち去ろうとするマリエラに少女は言った。


「甘いものを食べると、少し気持ちが落ち着きますよ」


 呑気な言葉にこっちの気持ちも知らないで、と腹が立った。


「あなたみたいな人、大っ嫌いよ。こんなみじめな、底辺を這いずり回ならきゃお腹も満たせない人生なんて、想像もできないでしょう。いつも頭をへこへこ下げながら施しを受けなきゃ生きられない私たちの気持ちなんて。上から見下ろす気分は、さぞかし気持ちいいでしょうね」


 いつもならば、こんなこと思っていたって口にはしない。自分にとって家族同然の孤児院の子どもたちのためにも、援助してくれる人に対して失礼な態度を取るわけにはいかなかったから。

 なのに、気づいた時には口から全部言いたいことを吐き出してしまっていた。


 そんな私に、少女は先ほどの袋から焼き菓子をひとつ取り出すと私の手の上に乗せてくれたのだ。


「私があなたでも、きっと嫌いだと思ったでしょう。憎いとさえ思うかもしれないわ。当然よ」


 そう言うとおもむろに私の隣に座り、袋からもうひとつ焼き菓子を取り出して自分の口に放り込んだ。

 ぽかんと口を開けて見つめる私の横で、お菓子をおいしそうに咀嚼する少女を私はまじまじと見つめた。


 背中まで伸びた艶々とした長い黒髪をした、陶器のようなきれいな肌。目はややつり気味でクールな印象だけれどとてもキラキラと輝いていて。そしてなにより、その表情はとてもやわらかくて優しげで。


 びっくりするくらい、きれいだと思った。絵の中から抜け出てきたのかと思うくらいには。

 

「あの、ちょっと……こんな草の上に座ったらせっかくのドレスが。それに……」

「もうひとつ余分にあるから、これは二人で一緒に食べましょう。せっかくのお菓子だもの、誰かと一緒に食べたほうがおいしいわ」


 ドレスが汚れるのも気にするふうもなく、少女と私はなぜか二人並んでお菓子を食べる羽目になった。困惑しながら、マリエラはそっとその少女の顔を盗み見る。


「既製品ほどおいしくはないかもしれないけど、私が作ったの。でも貴族の娘が料理をするなんてあまり褒められることじゃないから、いつもこっそり。でも隠れて作ったんじゃ、まわりに配ることもできないでしょう。だから、ここの皆さんに食べてもらおうと思って時々来るの」


 少女が作ったというお菓子はどれもひとつひとつ種類も見た目も違っていて、そしてとびきりおいしかった。その香りと口に広がる甘さに、さっきまでの澱んだ気持ちが薄れていく。


「……すごくおいしい。こんなに上手に作れるのなら、売ればきっと評判になるわよ」


 サクッとした香ばしい食感のクッキーが、口の中でやさしくほどけていく。

 お菓子を食べるのははじめてではないけれど、こんなにおいしいと思えたことはなかった。味だけじゃなく、心までほんわりと優しく幸せな気持ちになる。


「ふふっ。ありがとう。じゃあ、いつかあなたが私の作ったお菓子を売ればいいわ。そしたら私は好きなだけお菓子を作れるし、あなたはお店を出せるし」

「貴族のお嬢様が商売なんて、聞いたことないわ」


 貴族らしくない発想に、思わず笑いがこぼれる。

 そして、こちらを微塵も見下げてなどいない少女の態度に、マリエラは先ほどの自分が恥ずかしくなった。


「……先ほどの失礼をお詫びします。あなたは何も悪くないの。私が勝手に荒んでただけなんです。お菓子をいつもありがとうございます。こんなにおいしいんだもの、みんな喜ぶわ」


 お菓子の甘さが、私の心をほどいてくれたのかもしれない。少女のくれたお菓子と優しさに救われたような気持ちで、私はまた笑うことができた。

 

「いいの。こちらこそ、おいしいって言ってくれて嬉しかったわ。ありがとう」


 その花が綻ぶような笑顔を見た時、私の胸は大きく高鳴った。

 とても尊いものを目にしたような、まるで天使に出会ったようなそんな気持ちに、私は自分の運命が輝き出したのを感じた。


 そして少女は帰っていった。甘い香りと、頬を紅潮させ幸福感にひたる私を残して――。


 少女がトラダール伯爵家の令嬢ダリアだと知ったのは、それから少ししてからのこと。

 マリエラは、ダリアの来訪を心待ちにするようになった。


 その後も何度かダリアは孤児院にきてくれたけれど、話したのはそれっきり。

 でもマリエラの人生は、その日から明るく輝きだしたのだ。ダリアとの出会いは、いつか叶えたい夢と人生の喜びを教えてくれたから。

 

(あの日からずっと、ダリア様は私の最推し。美しくてかわいらしくて、優しくてあたたかくて。本当に尊い。存在が尊すぎる)


 そんなマリエラのもとにゴルドア男爵が不穏な企みとともにやってきたのは、間もなくのことだった。




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