5話 導師《マグス》
夜空を貫き、雷雲を纏う塔は雲の中に雷鳴を轟かせながらも、静かに挑戦者を待っていた。挑戦者たる騎士と少女は今、あらゆる建造物の頂点を伝って、今まさに塔に至らんとしていた。
「侵入口を発見した。このまま一気に跳ぶ」
貴騎はそれだけ告げると、塔の中腹に開いたガラスのない窓を目掛けて一気に跳躍する。薫はただしがみつき、猫は興奮気味に何か叫んでいた。騎士は窓枠を潜り抜け、床に足をつけると、跳躍の勢いを制動する。足で床を削りながら、数歩程度進んだところで止まった。騎士は少女をそっと降ろし、立たせる。
「大丈夫か?」
「えっ、うん。大丈夫」
地に足を付けて、薫はやっと呼吸することを思い出した。
「春風、気配等はわかるか?」
「塔全体が獣の身体であると推測されます。魔力流動が激しく、索敵は困難です」
「アタシの鼻も効かないっす」
貴騎の問いかけに鳥も猫も残念そうに回答する。
「では、歩いて散策するしかないな。俺が前を歩く、薫は背中を頼む」
貴騎はそう言いながら剣を鞘から抜き放った。
「わかった、後ろは任せて」
薫はそう答えるとちらちらと後ろを確認しながら、貴騎の後を付いて行く。塔の中は燭台のようなものが点在していた。淡いながらも明かりがあり、最低限の視界は確保される。しかし、その壁面と床面は黒く、燭台の合間や少し先がよく見えない状況だった。
「我が工房へようこそ。でも、今は取り込み中なの、ここから消えてくださらないかしら?」
突如女の声が響く。突然の出来事に、貴騎たちは周囲を見回す。声は全方位から響いているように感じられた。
「さもないと……私が貴方たちを消すわ」
その言葉のあと、雷雲の轟きが、その間隔を狭める。
「今の匂い……この声の女の属性は火っす!杖の魔法少女っす!まさか、魔法少女がアルカナの獣を支配してるっすか!?」
猫が慌てて、そう告げた。
「いま、ホントに貴方たちの相手をしている暇はないの。手加減できないわよ。いいから早く消えて!」
塔に響く声からは焦燥感が読み取れる。薫には純然たる悪意は読み取れなかった。
「僕たちは、他の魔法少女を傷つけるつもりはない!だから、まずは攻撃するのはやめてくれ!」
薫の声が黒き石の廊下を響き渡る。少しの間をおいて、女の声が響いた。
「今何か言ったかしら?残念だけど拡声魔術は仕込んだけど、集音魔術は作ってないの。つまり、貴方たちの言葉を聴く耳持たないってことよ!無駄だと解る知能があったら、消し炭になる前に早く消えなさい!」
その言葉を聞いた瞬間、貴騎は薫の手を引いて抱きかかえると、近くの部屋に飛び込んだ。
「わっ!?」
薫は小さな声を上げると、先程立っていた廊下を、廊下と同じ太さの稲妻が走り抜けた。貴騎は背中から着地し、薫は貴騎の胸の上に抱かれていた。
「無事か?」
貴騎は薫を抱いていた左腕を放し、全員の無事を確認する。幸い薫も猫も鳥も怪我はないようだった。
「ぁ、ありがと」
薫はそう言うと慌てて立ち上がり、貴騎から離れた。
「直感は鋭いようね。でも、次はないわ」
無慈悲な女の声がまたしても響き渡る。そんな絶望的な中、春風が冷静に告げる。
「拡声魔術について解析した結果、術式構造から術者または発声機構が塔の頂点に存在すると推測されます。また、術者が述べた通り、集音魔術の存在は認められず、その他の術式も検知されませんでした。以上のことから、術者は我々の位置を捕捉できていないと考えます」
「でも、僕たちが生き残ったことには気づいてるみたい……?」
不安を感じる薫に、貴騎は続ける。
「ハッタリ、または生存だけはわかるのか。雷の手応えがわかるのか……」
「そういえば、雷が来るってなんでわかったんだ?」
薫は何かのきっかけになればと疑問を口にする。
「あのとき、俺の武装が微弱な先行放電を検知した。故にあとに落雷が続くと判断した」
「つまり、弱い雷が僕たちを通ってたってわけか。それって手応えが分かるなら、その場で軌道修正してたんじゃないかなぁ」
貴騎の回答に、薫は可能性の一つを消去する。
「さっすがご主人、割とありうる話っす。それにあのしゃべり方はすっげぇプライドが高いに違いないっす!そんな奴が不確かな状況でハッタリかまして恥をかくようなことはしないっす!」
猫がもう一つの可能性を否定する。
「術者は塔を使役していますが、完全に掌握しているわけではないと考えます。おそらく塔と術者の間で口伝に近い水準のコミュニケーションが取られていると推察されます」
春風は一行の仮説を補強した。薫は続いて作戦を提案する。
「もう時間が無い。次の雷に合わせて窓から外に出よう。そして外からてっぺん目指して上っていこう!」
薫は自分を奮い起たせる意味でも、力強く決断を下す。それに猫が心配の声をあげる。
「ご主人、外はあの雷雲が渦巻いてるっすよ!?」
「貴騎!なんかこう、雲をズパーっと斬れない?」
無理難題とわかりながらも、薫は貴騎に尋ねた。
「風で雲を斬る……可能だ」
「マスターが信じる可能性ならば実現可能です。我々は剣であり風使いなのですから」
貴騎と風の精霊はそう答えた。
「しかし……」
貴騎が心配そうに付け加えようとしたとき、薫は笑顔で答える。
「大丈夫。僕は飛べる!それに気づいたよ」
『小さな水の粒よ、僕を乗せて。筋斗雲』
薫が呪文をつづるり杯から水を撒くと、小さな雲が現れ薫はそれに片足で飛び乗る。
「ご主人!魔法少女みたいっす!」
猫は薫の魔法少女っぷりを讃えた。そして、一行は窓のそばに移動する。
「まだ残っているようね。じゃあ、これでさよならよ」
塔全体に響き渡るようなその言葉のあと、貴騎は先程と同じ先行放電を感知した。
「今だ!」
貴騎の号令に全員が、窓から空中に飛び出す。薫は小さな雲に着地し、貴騎は風で制動しながら、塔の壁面に立つ。そして、塔の頂上を目指して走り始めた。眼前には雷鳴轟く黒く厚い雲が塔に巻き付いている。それを前に、貴騎は呪文を唱え始めた。
『風を以て天を翔ける竜雲を裂け、天叢雲剣!』
その呪文により、剣に強烈な風が集まり、一太刀で雷雲が裂け、頂上までの道が拓かれた。その切り拓かれた道を貴騎は壁を走り、薫は雲の階段を駆け上がった。
塔の頂上には貴騎が先に着いた。数秒遅れて薫が疲れ切った顔を出す。そこには、赤いドレスローブを纏った女が立っていた。そして、その手には蛇が巻き付いた杖が握られていた。
「あら、性懲りも無くこんなとこまでたどり着いたのね。愚か過ぎるその蛮勇には逆に敬意を表するわ」
杖の魔法少女は加虐趣味的な笑みを浮かべながら、杖を構えた。
「貴方たちの名前を聞いてあげる。私の名は、夕陽ケ丘ジュリア」
その名を聞いて、猫の全身の毛が逆立った。
「夕陽ケ丘!?アイツ、マジモンの導師じゃないっすか!ガチもガチガチのオカルティスト!この島の地脈整備をした大魔術師の末裔っすよ!!」
猫は慌てふためく。猫の言葉を聞いて、二人の魔法少女に一層の警戒心が生まれる。
「高津 薫」
「清風 貴騎」
二人の名前を聞いて、ジュリアは考え始める。
「高津……清風……聞いたことないわね……どこぞの木っ端……」
数秒つぶやくと何かを思い出したように、目を見開いて言葉を続けた。
「ああ!!もしかして、一般人!?他に魔法少女が三人いることをすっかり忘れていたわ!」
ジュリアは悪びれもなく言い放った。そして、薫が続く。
「僕たちは魔法少女同士の戦いをしに来たんじゃない。アルカナの獣を安全に倒せればそれでいいんだ!」
薫の言葉にジュリアは表情から笑みを取り去り、見定めるように薫の目を見る。
「ふぅん、嘘は吐いてないのね。善良な一般人の魔法少女、使えそうね……」
ジュリアの顔に不敵な笑みが浮かぶ。
「あ、あの魔術師、わかりやすいかもしれないっす」
猫は薫と貴騎にだけ聞こえるように呟いた。
「ねぇ、貴方たち。人助けとか好きそうよね。そういうお人好しそうな顔してるもの。そっちは顔が見えないけど、同類って感じよ」
傲慢な魔女の言葉に猫はまたしても秘密裏に呟く。
「あー、ろくでもないことになるっす」
「お察しの通り、この塔は私が支配しているわ。でもね、愚者が入り込んで塔が想定以上に膨張しちゃって困ってたのよね。これじゃ逆にこの地の地脈が乱れちゃう。そこで、貴方たちには塔の中にいる愚者を見つけ出して欲しいの。もちろん愚者を倒したならそのカードは貴方たちのものよ。ジョーカーなんて不確定要素、私は持ちたくないもの。どう、悪くない条件じゃない?」
ジュリアはさも当然のように、依頼事項を薫たちに伝える。
「うわー、平然と厄介事を押し付けてきたっすー」
猫は心を無にして、ボヤいた。薫は少し考えて、貴騎を見ると二人とも頷いた。
「わかった。その依頼受けるよ。でも、その前に二つ教えてほしい。一つはこの塔をどうする気か。もう一つは愚者はどんな奴か」
ジュリアはまたしても不敵に笑い、質問に答える。
「いいわ、答えてあげる。この塔は今私の権限でこの地の地脈の合流点と接続してるの。それはここを私の拠点とするため。最初は小さな10階建てぐらいの塔だったんだけど、愚者がちょっかい出してきて、地脈を吸ってすくすく伸びて、今じゃ35階建ての高層ビルの仲間入りよ。貴方たちが愚者を取り除いてくれたら。この地の地脈管理者として安心安全に運用するわ。私の利点は、この地の獣の発生をほぼリアルタイムで検知できること。使い魔の嗅覚頼りじゃなくてね。この地の安全を守るものとして当然の義務よね」
「自分でやらかしといて、どの口が言ってるんすかねぇ」
猫は冷ややかな声を上げた。
「もう一つ、愚者はまさしく道化の見た目をしてるわ。塔と融合した今、どんな危険性をもっているかは、その使い魔のほうが詳しいんじゃないかしら?」
そう言ってジュリアは猫とオカメインコを一瞥した。
「わかった、それで十分」
薫はそう告げると、出発しようと歩み出す。
「ねぇ、ちょっと待って。メッセージIDを交換しましょうよ。場所がわかれば、連絡をくれたら塔の管理者として支援するわ」
ジュリアは左手にスマホを握って、連絡先の交換を申し出る。
「あ、テレパシーとかじゃないんだ」
「今どき連絡取るくらいで魔力を使うなんて勿体無いの。いいから早く出して」
薫の小さな疑問に、ジュリアはすぐさま答え、連絡先交換を促す。薫と貴騎はスマホを探し始めるが、どこにあるかわからない。見かねた猫が私物の出し方を教えてやる。
「ご主人、元の持ち物は折り畳まれた個人亜空間に入ってるっす。杯の要領で取り出すっす。魔法少女の便利機能っす」
薫と貴騎はスマホを取り出すと、ジュリアと連絡先を交換した。
「オッケー!それじゃあ、行ってらっしゃい。キビキビ働いてねー」
ジュリアはそう言って、笑顔で手をひらひらと振りながら一行を見送る。二人はため息を吐きながら、塔の中へ出発した。