14話 恋人《ラバー》
古の哲学者は世界を構成する元素を四つに分類した。サラマンダーが司る火の元素、シルフが司る風の元素、ウンディーネが司る水の元素、そしてノームが司る土の元素。初めに火があり、風が運び、水の中で育み、土が生まれる。土は土地となり、生命を育んだ。そして神は土塊から男を作り、その肋骨から女を作った。
――それならば、泥人形と人に違いはないのだろうか?
ティーパーティーを終えた一行は塔の屋上にいた。
『我、叡智の杖を支えに往かん。熾天の羽を纏え!』
ジュリアが鍵語を唱えると炎の蛇が巻き付く杖を持ち、燃える様な赤いドレスを纏った魔法少女がそこにいた。
『杯を満たして、聖杯秘儀・満タン!』
『全身武装起動』
二人も続いて変身する。ここに三人の魔法少女がそろった。ジュリアはモニターのようなものに映し出された地図を見ている。
「うーん、やっぱり気になる……」
ジュリアは難しそうな表情を浮かべる。
「どうしたの?」
薫はモニターをのぞき込んだ。
「興味ある?そうね、これはね。この辺りの地脈を可視化したものなの。この合流点がこの塔」
幾本もの川のような線が一つの点で合流していた。
「で、これが気になるところ。他のところと見比べてみて、色に揺らぎがないでしょ?」
そう説明して指さされた場所を見ると他の場所よりも色が安定している。
「本来現地調査しないとわからない規模の変異よ。ん?」
モニターの地図上に波紋が発生していた。
「あら、ちょうど貴方たちの出番よ。アルカナは恋人ね」
「え、ジュリアは?」
薫が驚きながら訪ねる。
「私は私の仕事をするわ。これは魔術師の仕事よ」
そう言って、揺るぎない地図の一点を見つめる。
「恋人は名前の通りいつも二人組で発生するわ。ちょうど二人組の貴方たちにぴったりじゃない。さ、キビキビ働いてらっしゃい」
――深夜の駅前。電車も無くなり、本来いるのは酔いつぶれた者ぐらいだが、今日は違った。唇を重ねる男女がちらほらといる。そして、その中心には半裸の男女が君臨していた。それは恋人の獣だった。
「まずいっす、ご主人。恋人が一般人を食い物にしてるっす。あのイチャこらしてる人たち、徐々にエーテルを吸い取られてるっす!」
「エーテ、なんて?」
「生気を吸われてるってことっす!」
雲の絨毯に乗りながら、七海は薫を急かす。
「要はあのカップルたちが恋人の電池になってるということか。状況を打破する方法は?」
「彼らは互いを対象に魅了状態にあります。魅了を解呪することで状況は打破できます」
貴騎の問いに春風が答える。
「解呪……魔法を解く、ということか。しかし、そんな魔法は」
「それかより強力に魅了してやるか、っす」
貴騎の困惑に七海が新たな案を出す。
「オッケー、わかった!」
それを聞いて薫は直ぐに絨毯から飛び降りた。
『今から狙い撃ちしてあげる!』
薫は人差し指に口づけする。口づけを受けた人差し指はキラキラと輝きを帯びた。
『狙撃のような口づけを!』
そして、その指でカップルを次々と指差し、発砲していく。
『バン!』『バン!』『バーン!』
発砲の度にハート型の光が銃口に現れ、それを貫くように桃色の光線がカップルに目掛けて飛んでいく。光線に貫かれた男たちは口づけをやめて視線を薫に向けた。
「あ、ご主人、ついに自分のこと可愛いと思い始めたっす……でも、浄化するとか頭にないパワープレイのご主人はカッコカワイイっす!!脳筋魔法少女みたいっす!」
絨毯が後を追って高度を下げると、七海は薫の傍らに飛び降りる。
「うっ、浄化って、先に言ってよ……」
「ご主人が勝手に先走ったっす。さ、ここから追いかけっこですよ」
男は羨望の眼差しを、女は憎悪の眼差しを薫に向けていた。
「やばいかも……貴騎、あとは任せた!」
「ああ」
貴騎は短く返事すると、一度の跳躍で恋人を間合いに収め、二人諸共を斬り伏せんと剣を横に薙ぐ。しかし、刃は二人を傷つけることなくすり抜けてしまった。
「対象霊体化、対霊障壁を展開してください」
春風の提案に貴騎は思考を巡らせるも、そのような対抗策は見出せなかった。男の霊体が貴騎に触れ、抵抗することも叶わず、魅了の呪いが貴騎を蝕む。薫には女の霊体が飛来し、貴騎と同じく魅了の呪いがその魂を縛る。
薫は自我を見失い、変身を解き貴騎をじっと見つめる。その眼差しは熱く、息遣いは荒く、苦しげな表情を浮かべる。一方、貴騎は戦っていた。呪いの最中自我を見失わず、辛うじて意識を保っている。精神の戦いは熾烈を極め、身体を動かすことが叶わない。甲冑を纏う彼はただじっと己と戦っていた。
そして、薫は駆け出し始めた。貴騎に向けて駆け、その板金で覆われた胸に飛び込む。コツンと額を当てて熱を冷まそうとするも、ただ板金が温まるだけだった。そして、貴騎の顔を見上げる。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
その瞳は潤んでいた。眉は整っていた。高くはないが鼻は通っていた。頬は赤く火照っていた。素肌はきめ細かく、シミ一つなかった。輪郭には産毛が見えた。耳も赤らんでいたいた。唇は潤んでいた。やや赤みを帯びていた。吐息のために少しだけ開かれた口からは前歯と犬歯が覗いていた。潤んだ舌が見えた。湿り気と熱を帯びた吐息は甘い乳香を孕んでいるような錯覚を覚えた。その表情は蕩けていた。可愛いと思った。
貴騎は息を止め、剣を握る右手を限界まで握りしめた。そして、一切の躊躇なく自らの頭を殴り抜けた。魔法で強化された全力の拳は兜にめり込み、そのへこみは明らかに兜の中にある頭部に至っていた。殴りつけた手甲の板金もひしゃげている。その衝撃で意識と記憶を飛ばしながら、仰向けに倒れしまった。男の霊体は這い出すように貴騎の身体から抜け出す。
『非常事態:失神、強制復旧』
意識を失った次の瞬間、纏った甲冑から鍵語が響く。兜に風が舞い込み、腹部に鈍い衝撃が走る。次の瞬間、むせ上がるような咳をしながら貴騎は起き上がる。そして、兜を脱ぎ捨てると、混濁する記憶で現状を把握しようと辺りを見る。
頭部から血を流し、右目が開かない。酷い頭痛がする。驚いた表情の薫が立ちすくんでいる。男型の幽霊が漂っている。
「春風!」
敵を特定すると、あとは行動を決めるだけだった。
「アルカナの使用を提案します」
「了解!」
春風の提案を承諾すると、左手を目の前に掲げる。するとその手のひらの中に最初に手に入れた悪魔のカードが現れた。そして、それを握りつぶす。
『秘儀同調:悪魔』
すると、左手があのときの悪魔のそれに変容する。貴騎には静かな怒りがあった。その怒りの正体はわからない。ただ、何かを汚されたようで、目の前のアルカナの獣に怒りが湧いた。そして、その怒りを左手の悪魔にくべる。悪魔の腕は黒とも青とも形容出来る暗い焔を纏い、その勢いを一層強めた。
貴騎は逃走を試みる男の霊の首を悪魔の左手で掴む。そして、右手の剣に視線を向けると剣に同じ焔を纏い、それで霊体を突き刺した。悲鳴は聞こえない。ただ、苦しげな顔を見せながら焔に焼かれて消えていった。
「マスター!」
ふと、脇腹に冷たさと衝撃を感じる。そして、寒気が背筋を駆け巡り、やがて痛みと、脇腹を伝う湿っぽい暖かさを感じる。振り返ると表情を悲哀と憎悪に歪ませた恋人の女がそこに立っていた。貴騎は振り向きざまに剣を斬り上げる。女も暗い焔に焼かれてあえなく消えていった。
貴騎は霞む視界の中、焔の向こうに薫が無事に立っているのを確認する。呪いの名残で意識が混濁しているのか、呆然としていたが、問題は無さそうに見えた。周りのカップルも呪いが解けたようで同じく放心状態だった。自身の変身が解け、鎧が消える。女が消えると同時に、脇腹に刺さった刃も消えていた。傷口から血が溢れ出す。どれほど深い傷なのかはわからない。ただ死の予感だけははっきりと感じ取れた。興奮が冷め、死の恐怖が心の底から湧き上がってくる。
「たすけて」
そう叫ぼうとするが、声は出なかった。身体の感覚が消えていく。視線が落ちる。どうやら膝をついたようだった。何も聞こえない。手を伸ばそうとする。腕は上がらない。何も感じない。薫が意識を取り戻したのか、変身しながら駆け寄り始めた。そこで、貴騎の意識は途絶えた。
――遠くで声が聞こえる気がする。
薫は暗闇の中、遠くの方で七海が呼ぶ声を聞いていた。水の中にいるような。布団に潜っているような。目を開いているのか閉じているのかもわからない。そんなひどく曖昧な感覚だった。
暗闇の向こう側に光が見える。そこへ向かうと声が大きくなった気がした。呼ばれてるから向かわないといけない。その思いで光へ進む。光の中に出たとき、そこは白い霞がかかったようだった。ただ、はっきりと七海の声が聞こえる。
「ご主人!起きて!貴騎が!」
霞が晴れていき、視界が開ける。そこには貴騎が脇腹から血を流し、膝をついていた。
『聖杯秘儀・満タン!』
思考を挟む時間は無かった。ただ本能に従うように、自然に身体が動いていた。魔法少女に変身しながら駆け出す。
「貴騎!!『癒しの水を!』」
傷口が塞がらない。
『癒しの水を!』『癒しの水を!』『癒しの水を!』
貴騎の身体に変化はない。
「貴騎!貴騎!返事して!お願い!起きて!」
薫は涙を流して叫んでいた。
「ご主人……ここに、もう貴騎の魂は無いっす……」
七海は事実を突きつける。
「うるさい!だまって!なんとかしてよ!魔法で!生き返らせるのはどんなイメージ!?ねぇ!?」
「過去に完全に魂が離れてからの蘇生は実績がありません。理論上、無いものは、作れません」
春風もまた、無慈悲に事実を突きつけた。やがて、貴騎の身体は塵となって崩れ、土塊へと還っていく。
「そんな……行かないで!貴騎!貴騎!!」
無力な叫びが夜に響いた。




