10話 身体《ボディ》
朝食を囲む皆。二人はトーストとスクランブルエッグを食べながら、猫は魚肉ソーセージにかじりつき、春風は貴騎の食パンを少しだけちぎり分けて貰っていた。
「ご主人、気を失っている間とか寝ている間何かを見たっすか?」
「気を失っているとき、先代の魔法少女を見た。名前はイシル。使い魔の名前はバストだった」
薫は古い記憶を語る。断片的な記憶の羅列。夜の戦いの記憶。昼の戦いの記憶。決戦の記憶。
「薫の記憶は私に提供された情報と合致します」
春風は淡々と述べる。
「ねえ、結局あの戦いの結末どうなったの?」
薫は猫に向かって問いかける。
「それが、アタシにもわからないんすよ……」
「シルフとノームは魔術師シルヴェーヌの支配下にあり、記憶のフィードバックが不完全でした。私が継承したシルフの記録上残っているのは、魔法少女全滅により勝者不在とあります」
困り果てる猫に春風が補足する。
「しかし、先ほど薫が言った通り、ウンディーネは契約者とともにあったはずです。貴女が記憶にとどめていないのはどういうことでしょうか」
春風は睨みつけるように猫を見る。
「えー、だって提供情報が多すぎるから、斜め読みしかしてないっすよぉ」
猫は小さくなりながら、そう言ってのけた。
「職務怠慢ですね。貴女を四大精霊の一柱として弾劾します」
「やれるもんならやってみやがれっす!その鳥頭から記憶を抹殺してやるっす!」
一触即発の小動物たち。その時、貴騎のスマホからアラーム音が響く。
「そろそろ準備していかないと」
貴騎はアラームを止めながら言う。皆、既に朝食を終えていた。
「そうか、貴騎は土曜の講義取ってるんだっけ」
薫はそう言いながら、食器を片付け始める。
「ああ、すまない、シャワーだけ借りてもいいか?」
貴騎は「悪い」と付け加えながら食器を渡す。そして、ユニットバスを指さしながら、問いかけた。
「うん、どうぞ。タオルはそこにかかってるのを使って」
薫は快く返事をした。貴騎は「助かる」とだけ言って急いでユニットバスへ向かう。一人暮らしの部屋に脱衣所などもなく、貴騎はタオルを取るとユニットバスに入り、蓋を閉めたトイレに脱いだ服を置いて、シャワーを浴び始めた。
薫はその間、食器を洗い始める。しかし、唐突に尿意を催し始めた。
『え、うそでしょ?このタイミングで?』
いつもと違う感覚が走る。身体の構造が異なり、尿意を我慢できる限界が分からない。不安と焦燥感だけが猛烈に込み上げてくる。
「ごめん、貴騎!トイレ行かせて!」
貴騎の返答を待たずして、ユニットバスの扉を開ける。
「ん?――ッッ!?!?」
貴騎は最初は理解できずに、シャワーを床に向けて扉に目を向ける。そして、その視界に女が飛び込んできたときに声にならない音を喉から鳴らして、壁の方へ全身を向ける。薫はそんな貴騎を尻目に貴騎の服を廊下に置き、便器の蓋を開けると一度便座を上げてからもう一度降ろして、便器に座った。
「……」
薫はふと貴騎の方を見てしまう。引き締まった筋肉質な背中と尻が見える。まさしく男の身体だった。そして、自分の身体に視線を落とす。肉付きの良い太もも、毛の薄い脛、か細く白い足。まさしく女の身体だった。
「……」
状況理解が追い付き、恥ずかしくなってくる。シャワーの水音が何よりも救いだった。用を終えると混乱が支配する頭で、なんとかユニットバスから出る。そして、慌ててふたを閉めた便器の上に貴騎の服を戻す。
「ごめん!ありがとう!」
薫は顔を赤くしながら、扉越しに貴騎に声をかける。
「あ、ああ。こちらこそ、すまない」
貴騎も謝る必要が無いにもかかわらず、自然と謝罪の言葉が口から出ていた。少しして、貴騎が上がって来た。
「それじゃあ、また」
貴騎は身支度を整えると髪の毛も乾かさずに、薫の部屋を後にした。
「またね」
薫は玄関で短く手を振って見送った。部屋には一人と一匹だけが残った。
「お風呂、入るかぁ」
薫は服を脱ぐとユニットバスに入る。曇った鏡を拭うと、自分の顔に似た女がそこには立っていた。不思議と興奮はしなかった。ただ混乱だけが頭の中にあった。
「えぇ……ここも無くなるの?」
元々体毛が薄く、十本程度しか無かった脇の毛がきれいさっぱり無くなっていた。
「やっぱりここもない……」
お腹をつつくと本来あるはずの腹筋の厚さが感じられない。
「これからどうしよう……」
顔つきは女のそれだが、もともと中性的なことも相まって、胸を隠して男物の服を着れば『高津 薫』で居られそうだった。薫は一つ深呼吸すると、シャワーの蛇口を回す。
「冷たっ!?」
シャワーの温度調整は水に切り替えられていた。




