神の使徒
腹を満たし人心地つくと、エクレは野菜を買いに行った。俺はミラの要望で一緒にモンスターと交流ができるコーナーに来ていた。
「はあー、はあー、ふふっ、ニャンコかわいいよ~。あー、ニャンコ~」
全体的に丸みを帯びたぬいぐるみみたいなネコをミラは息を荒くして頬ずりしている。
ミラがちょっと人に見せられない表情をしている。
ネコは最初は大人しくミラに抱かれていたが、狂気をはらんだその表情に危険を感じたのか暴れて腕の中から逃げ出してしまった。
「ああ、ニャンコ……」
逃げたネコに切なげに手を伸ばすが、振り向きもせず走り去ってしまった。
行き先を失った手を彷徨わせていると横からにゃあにゃあとネコの鳴き声がしてきて見ると、頭や肩、膝の上、足元にまでネコに群がれているレイジがいる。
ミラは餌を与えてなんとかネコに触れたというのに、何もせずともネコが寄ってきているレイジのことをまるで親の仇でも見るような殺意のこもった視線を向けてくる。
それ絶対仲間に向けていい目じゃないと思うんだが。
「決して届くことのない楽園に私は手を伸ばす、無駄だと理解していようとやめることできない……」
なんかミラが暗く沈んだ目でぶつぶつと言ってるけどなんだろ寒気がしてきた。
「光輝に満ちた世界、それは私が恋い焦がれ求め続けたもの、それを手に入れることができないなら……」
この肌がピリピリと痺れるような感覚、これは大魔法を放つ前触れだ。
ミラから漏れ出る黒い靄が周囲を満たしいく。
ネコたちは震え上がり逃げることもできずレイジの身体にしがみつく。
「いっそ微塵となって滅びてしまえっ!《ラスト・ディ……」
「――ま、待った!」
ネコを引っ剥がしてミラの眼前に突きつける。
「ほ、ほら、触りたいなら、い、一匹やるよ」
若干声が震えていたがしょうがない。
「…………いいの?」
黒い靄が霧散し、さっきまでの背筋も凍る雰囲気が消える。
俺の手にぶら下がっているネコに両手を伸ばしてくる。
「ああ、たくさん群がりすぎて重かったからな」
持たざる者が嫉妬の視線を向けてくるが、それよりも目の前のネコを触りたい要求の方が勝ったようで顔を輝かせてネコを受け取ろうと手を伸ばしたが。
その手は無常にも叩き落とされた。ネコパンチによって。
しばらく何が起こったのか理解できず固まっいたミラだが、もう一度ネコへ向かって手を伸ばす。
だが、先程と同様に触るんじゃないにゃといわんばかりにネコパンチが炸裂する。
また止まったミラは今度は俺の足元に擦り寄るネコに手を伸ばすが、フシャーと毛を逆立てて威嚇されて手を引っ込める。
「…………う、うぅ。やっぱり私には……」
瞳を潤ませて悲しそうな顔をするミラを見ていられなくて、あとこんなことで死にたくないので近くの売店まで行きあるものを買う。纏わりついているネコを振り切って急いで戻るとミラの背後を駆け抜けざま手に持ったものをふりかける。
「わっ、な、なに……って、ええ!?」
ミラの目には自分の方へ大挙して押し寄せるネコが写っていた。驚きと喜びの混じった悲鳴が上がり、ネコたちがミラに飛びかかってあっという間に姿が見えなくなる。
所詮は畜生、先程の恐怖も忘れてやがる。
「ここは天国なの。もふもふだにゃ~、えへへ」
ネコに群がられて幸せそうに頬を緩めている。
満足そうなミラを眺めながらのんびりとしているとエクレが戻ってきた。
「獣に襲われれるミラを見て楽しんでいるところ失礼します」
「俺が変態みたいに聞こえるんだが気のせいか?」
「疾しい心があるからそう思うだけでしょう。……向こうの方が何やら騒がしいですね」
口の減らないエクレに言いたいことがあったが、本当に騒がしいのでコロッセオの方を見る。コロッセオより高い柱が十数本も地面から生えていた。いや、うねうねと動いているあれは柱じゃなくて植物のつるか? つる植物の先端には口だろうか鋭い牙が並んでいる。
ここの野菜は草食だったはずだが、肉食っぽく見えるのは気のせいだろうか? そもそも野菜が草食って時点で十分に肉食な感じはあるが。
その時空中にいくつもの映像が出現した。
「祭り、祭り! 祭りと聞いて僕が現れないはずがないだろう! 日常にささやかな刺激を提供することこそ生きがい、狂楽の魔王、ルスト! 収穫祭と聞いて朝食を作るついでに片手間に作った野菜を出場させてもらった。舌がとろけてしまうほど美味しくて、もう他のものは食べられなくなること間違いなし。だって実際に舌がとろけ落ちるからね! さあ諸君食べるか食べられるかの収穫祭を楽しんでくれたまえ!」
魔王ルストが要件だけ告げると映像が消え、つる植物が暴れだす。
だが――
「今回は遠いですし、巻き込まれそうにないですね。前回は金に目が眩んだレイジさんが爆発するから大変でしたけど」
「しょうがないだろ? 金貨が落ちていれば拾うのは当然のことだろ? まさかそれが罠だなんて誰が思う。……というかそういうこと言うなよな、なんか起こりそうじゃないか」
嫌な予感を裏付けるように、ミラに群がっていたネコがなにかに気づいたように顔を上げ、一斉にどこかへと去ってしまう。
「うへへ……あれ? ニャンコたちは……?」
幸せそうに緩みまくった顔をして寝そべったままのミラだったが、ネコがいなくなったことに遅れながら気づいたようだ。
「……え?」
ミラの下の地面が盛り上がり、何かが飛び出してくる。
見上げるそれはコロッセオにいるのと同じつる植物だった。
そのつる植物の後ろで鈍い音をさせてミラが落ちた。
うわっ、痛そうだな。顔面から落ちたよ。
「動かないんだけど、ミラは大丈夫なのか?」
「気絶しているだけのようです。仮に死んでいてもお金を払えば蘇生できるのでどちらにせよ問題はないですね」
まあ、確かにそうだけど。
「こいつを二人で倒せると思うか」
エクレが銃を撃つ。つる植物に命中するが何ら反応はなくうねうねしている。
「駄目ですね。私が現在所持している銃器では火力不足で倒せません」
「ちっ、役立たずが。逃げるぞ」
幸いつる植物は気絶しているミラには気付いていないので置いていってもいいだろ。
逃げる俺たちを捉えたつる植物が蛇みたいに這って追ってくる。
あれ、おかしいな。今日は冒険に来たわけじゃないのになんでまた逃げなきゃいけないんだろうな。こうして逃げているとアンデッドの軍勢から逃げていたのが昨日のことのように思い出せる。またあんな痛くて苦しい目に合うのは御免こうむる。
「それで逃げてどうするんですか?」
「コロッセオで戦っている奴らになすりつけるに決まってんだろ。あっちにいっぱいいるんだし一体ぐらい増えたところで構わないだろ?」
「潔いほどクズな発言ですね。……ん、前に誰かいます」
ちょうど俺たちの進路上に誰か立っている。教会で見た神父みたいな白装束の男だ。つる植物が迫ってきているのが見えないはずないのに逃げ出す様子はない。
逃げないなら轢き殺されても文句はないだろう。俺は進路を変えることなく男の横を駆け抜けた瞬間、男が口を開く。
「主よ、主の意思こそ唯一絶対」
背後から轟音が響いて振り返るとつる植物が真っ二つに斬り裂かれていた。その前には立つ男の手にはいつの間にか白銀に輝く槍が握られている。
「大丈夫でしたか?」
白銀の槍を消した男が振り向く。
「ああ、助かった。それだけ強いんならあっちも手伝ってきたらどうだ?」
穏やかに微笑む男にどことなく嫌な感じがする。
「あちらは警備の方に任せても大丈夫でしょう。それよりも、私にはやらなければいけないことがありますので」
やっぱりそうくるか。背後のコロッセオの騒ぎを気にすることなく、俺たちを待ち構えるように立っていた時点でなんか嫌な予感はしていた。
「私はレヒト様より加護を賜った使徒、オルドルと申します。先日レヒト様より神託を受け、世界を混沌へと陥れようとする脅威を排除しに来ました」
「それはご苦労なことだ。邪魔しちゃ悪いから俺たちはお暇するよ」
「いえ、その必要はありません。彼女こそが排除すべき神敵なのですから」
オルドルの視線の先には、私は関係ありませんという顔をしているエクレがいる。
あー、うん、やっぱりか。イーリスが他の神が……、とか言っていたが別に大丈夫だろうと真剣に聞いていなかった。
俺、真面目に働く神様って嫌いだな。もっと怠惰でよくない? 魔王とか放置してくるくせになんでこの口の悪いアンドロイドには迅速に動いちゃうのかね。やっぱ魔王よりもポンコツの方が相手が楽だからか。
「イーリスはエクレに手を出さないって言っていたんだが、その辺あんたの神様はわかっているのか?」
「ほぉ、イーリス様の神託を受けたのですか。イーリス様は慈悲深き神であられる、彼女が世界に弓を引かない限りは許しているのでしょう。……ですが、災厄の芽は早めに摘み取るべきというのがレヒト様の意思です。私はただそれに従うだけです」
イーリスの名前を出しても駄目か、こういう信仰心厚いやつってすっげぇ面倒なんだよな。死んでも神の意志を叶えるっていう執念がやばい。もう狂信者って言っても過言ではないだろう。
倒せるとは思えない。つる植物を瞬殺した相手に勝てるわけがない。
でも、腰を落としていつでも斬りかかれるように構える。
「心配いりません。用があるのは彼女だけなので、あなたに危害を加えるつもりはありません」
なんともありがたいことに俺だけ見逃してくれるようだ、あまりの優しさに泣けるね。だが、エクレを見捨てるという選択肢はありえない。
「ふむ。引く気はないようですね、困りました。イーリス様の信徒と争う気はないのですが。……ではこうしましょう。私は一切反撃しないのでいくらでも攻撃してきてください。それで力の差がわかるでしょう」
オルドルが両手を広げて無防備な姿を晒す。
そんなこと言うってことは防御に絶対の自信があるのだろう。明らかになめられているが実際力の差は歴然だ。こういう時に活躍しそうなミラは遠くで気絶したままぴくりとも動かない。まったくもって役に立たないやつだ。こうなったら俺がやるしかない。
俺がただ漫然と日々を過ごしていると思ったら大間違いだ。こういう時のために力をつけてんだよ。好きに攻撃していいって言ってるし遠慮なくやらせてもらう。
刀を抜いて指を切る。切った指先を刀に押し当てると血が吸われていき、刀からドス黒い瘴気が吹き出る。それとともに刀を持つ手から全身へ力の奔流が駆け抜ける。
レイジの変化を見たオルドルが微かに目を見張る。
「うおおおおぉぉーーっ!」
一気に距離を詰めると左肩から右腰へと袈裟斬りにする。
だが――
「それで終わりですか?」
オルドルは斬られる前と変わらない余裕と自信に満ちた表情でレイジを見てくる。その身にかすり傷一つない、それどころか服すらも斬れていない。
「くっ――」
立て続けに刀を振るうがオルドルが纏う白銀の光が全てを防ぎ刃が通らない。
「いくらやっても無駄ですよ。レヒト様の加護によって守られている私に傷一つつけることはできません」
「なんだよそれ!? ふざけんなインチキだろ! 俺はそんな加護もらってないぞ!」
ちくしょう、今度会ったら絶対文句言ってやる。何が慈悲深い神だ。本当に慈悲深いっていうんなら強い加護くれよ。
「そろそろ理解しましたか? ではあなたは下がっていてください」
「……いいや、まだだ」
俺は笑みを浮かべると、円筒状の物を取り出す。
「これが俺の奥の手だ! しかとその目に焼き付けやがれ!」
ピンを抜いて後ろに飛び下がりながら、オルドルの眼前へ投げつける。
「……? これが奥の手で――ぐあああああああっ!」
ちょうどオルドルの目の前で凄まじい閃光が解き放たれる。目を焼かれて苦悶の叫びを上げる。
どんなに防御が硬かろうが、目は光を捉え、耳は音を拾う。つまりスタングレネードは効くってことだ。
「はっはっは! 余裕かましてくるから足元をすくわれるんだよ!」
目を抑えて苦しむオルドルを笑って満足すると、全力で退散する。途中ミラを回収してケイオスの街へ駆け戻る。




