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チェリーさん

 僕はフラフラとミハイルに連れられて歩く。


 何で僕がレースに出る事になってるんだ?


 理解が全く追いつかなかった。

 何であの人とレースするの?あの時の事を一生懸命思い出そうとするが、頭が痛くて記憶があやしい。しこたま殴られて朦朧としていたからだ。


 そうだ、僕は倒れている時に手を取られて、そんでもって何か指で操作させられていた覚えがある。

 もしかして、僕はグッタリしている所を、勝手に試合相手にさせられちゃったの?

 別に飛行士(エアリアル・レーサー)資格とか持ってないのに!?

 一体、どうすれば良いのだろう?




 僕はミハイルの後ろを追うようにとぼとぼと歩いていく。

 たくさんの人が行き交う商店街、人間が店の前で客寄せをしていたり、地面にアクセサリーを並べて売っていたり、とにかく新暦の時代とは思えない原始的な商売をしている様子で、賑わいを見せていた。

 そんな中、商店街通りの端にある、天井につながっている巨大な黒い角柱の麓でミハイルは足を止める。高層ビルが空に繋がっているような感じだ。


 ミハイルが歩く先、真っ黒い柱の麓にある階層だけは、何故かピンク色の店が存在していた。

 ピンク色のアダルトな雰囲気を持つブティックと呼ぶのが分かりやすいだろう。この雑多な地下商店街の中では、場違いと言って良い店が存在していた。


 よく言えば近代的。悪く言えば場から浮いている。

 黒い要塞の最下層に何故かピンク色でファンシーな店があるのだ。明らかにおかしい。ガラス張りの店の中には女性の服がたくさん飾ってある。

 特にいかがわしい店ではなさそうだが、とにかく売られている服だけでなく、柱、天井、壁、床、全てがピンクである。ただのピンクではない、あらゆるピンクがそこにあった。チェリーブラッサム、サーモン・ピンク、パステル・ピンク、色とりどりのピンクだ。


 店主の趣味の悪さに僕は絶句するしか無かった。


 店の中はよく見えるし、普通にお客さんが入っている。ケバそうな格好の女性客が何やら服を物色している。あれが俗に言う水商売の人なのかもしれない。


 でも、正直に言おう。男の身でこの店に入るのは勇気がいる。まさかこの店に入ろうと言うのか?ミハイルよ、お前、こんな場所に何の用なのだ?僕はこんな店に入るような勇者じゃない。村人Aで十分だよ?



 ミハイルも中に入る様子はないのだが店の外で中の様子を窺いながら店の出入り口の横で立ち止まっていた。


「まさか、入るの?」

「店主に用があるんだけど、さすがに客がいるのに入れないだろ、こんななりで」

 僕の質問に、ミハイルは溜息と一緒にぼやく。


 ああ、自分の汚い身なりに自覚あったんだ。


 店の外には半透明のガラスで区切られていて、そこには10秒おきくらいに綺麗な女性モデルが服を着ている姿が見られる。これはウエストガーデンの洋服店やブランドショップなんかと同じだ。

 暇なのでそんなのをボケーッと眺めていた。



 その時、僕に凄まじい衝撃が走った。

 とてつもない美少女の画像が映し出されたからだ。


 空より舞い降りた美しき天使のようだった。薄い桃色のドレスを着こなす姿は、花の上に咲いた美の化身そのものだ。

 僕と同じ年くらいだろうか、にも拘らず自然な感じで膨らんだ胸元は女性的で、この世にこんな美女がいた事に感謝したくなった。赤みがかった美しいブラウンの髪、神秘的なダークブラウンの瞳。全てが僕の理想をこの世に顕現したような容姿だった。

 ご近所で一番の美少女と評判のアンネマリアちゃん(11歳)と比べたら、もはやアンネマリアちゃんは美少女ではなく『普通の中では見れたもの』という評価に変わってしまう位、圧倒的な美貌があった。


 これが本職モデルの実力か。

 いや、テレビ映像に映る美少女子役とかたくさん見て来たけど、ハッキリ言って彼女たちでさえ凡庸に見えるほどだ。こんな存在が、フィロソフィアの個人ブティックのモデルとして存在していたなんてびっくりだ。

 フィロソフィアに来てよかった。


 いやいやいやいや、何を考えているんだ、僕は!


 危うくこんな掃き溜めみたいな場所に来たことに感謝する所だった。

 くう、まさかこんなトラップがあるなんて。恐ろしや、フィロソフィア。そうだ、そもそもこんな美女がこの世にいる筈がない。きっと3Dモデルか何かだろう。今の時代、AIアイドルだって腐るほどいるのだ。こんな可愛い子がリアルで存在するはずがない。

 今まで、アイドルに金をつぎ込む愚か者を鼻で笑っていたが、なるほど、つぎ込みたくなる理由がよくわかったぞ。


 ………画像データとか売ってくれないかな?



「何見てんだよ、中入るぞ」

 いきなり僕と天使の間にボサボサ頭の小汚いミハイルが現れて、僕の耳を引っ張って歩き出す。

「いたっ…痛いよ、ミハイル。千切れる…耳が千切れちゃうよぉ」

 さすがに画像に映っていたモデルの女の子に見惚れてたとは言えず、苦笑いをしながら付いて行くのだった。



***



 僕達は中のお客さんと入れ替わるように店に入る。


 すると、店の奥にある『STAFF ONLY』と書いてあるドアが開く。

 そこから現れたのは……何ていうか店の外の画像の女の子を遥かに超える衝撃だった。但し、良い意味ではなく悪い意味でだ。


「あら~、久し振りじゃないの、リーちゃん。中層にあがるまでここには来ないとか言っておいて、どうしたのよう、もう」


 しなを作って奥から店員と思しき人が現れる。

 桃色に染色した長い髪を左右に高いところで結っており、ピンク色のフリルのついたワンピースのドレスに身を包んだ“男”だった。


 そう、男である。


 髪型と服装はともかく、中身は男である。スカートから見える足は筋肉でしまっており胸元が分厚い。膨らみがあるとか丸みがあるとかじゃなく、ただただ分厚いのだ。腕の太さが僕の腰より太いのではと思うほどだ。しかも青髭に割れた顎。


 男の中の漢だった。

 具体的に言えばピンク色の女装をしたマッスルなオッサンである。


 僕が凍り付いている中、ミハイルは関係無しに話を進めていた。

「その呼び名は辞めろって言ってんだろ、チェリーさん」


 チェリーさんだと!?

 突っ込みどころ満載な店員の登場に僕は失礼ながら吐き気とかもよおしそうになる。

 だが、誰も僕を責めれまい。

 だってくねくねと保護欲をかき立てられそうな素振りを見せるのに、服装もフリフリなのに、当の本人は青髭で顎の割れたボディビルダー並みの筋肉隆々なおっさんだ。


「ところでリーちゃん。あの子どうしたの?もしかして彼氏?」

 ウフッとか笑ってこっちを見るおっさん、もといチェリーさん。

 ゾワッとした。鳥肌が立つとはこういう事だったのか。しかもとんでもないことを言い出しやがった。男が何で男の彼氏なの?


「なわけねーだろ」

 僕も激しく否定したいが、怖くて口には出来ない。


「拾ったんだよ。で、俺の地元と同じだったらしいんだけどさ、なんか変な事を口走ってるから、ちょっと情報を取りに来たんだ。チェリーさん、上層でも店やってんだろ?」

「ええ、そうよ~。もう、ルナグラードのチェリーブランドは有名なんだから~」


 マジでか!?

 ルナグラード州は大丈夫か!?

 女装のオッサンのブランドが大賑わいなのか!?


 僕は聞き返せない恐ろしい疑問によって頭の中を占拠される。

「フィロソフィアの娼婦相手に商売してるだけじゃねーか」

「あら、美しい女が着飾らないのは罪だわ。私はそのお手伝いをしているだけだもの」

「まあ、良いや。その話をしても終わりそうにないし。それより聞いてくれよ、チェリーさん。ウエストガーデンの情報を売ってほしいんだ」

「ウエストガーデン?……ああ、なるほどねぇ」

 チェリーさんは納得するようにすこし真面目な顔をする。


「あと、コイツ、ウエストガーデンに返したいんだけどどうにかできない?」

「この子?」

 舌なめずりして僕を見るチェリーさん。何だろう、今日僕は死ぬのではないだろうか?

 何だか怖くて腰が引けてしまう。

「金なら前にやった仕事のおつりくらいはあるだろ」

「そうねぇ。確かに貴方の要求に対して、貴方の体で支払った内容は確かにお釣りがあるとは言えるわねぇ」


 体で支払った!?

 ミハイル、君はこのオッサンと何をしたの!?そういうのは良くないよ!


 僕の中に戦慄が駆け抜ける。

 同時にミハイルが僕をウエストガーデンに帰してくれようとしている事に気付く。やっぱり良い子なのだと。


「でも、ダーメ」

「何でだよ?」

「確かに貴方の仕事は予想以上に大きい見返りがあったのは否めないわ。上の店でも貴方のお陰で客が増えたのは数字でも出ている。それでも下層に落ちた人間をウエストガーデンに届ける事は出来ないわ。ここがそういう場所だって知っている筈よ?」

 チェリーさんはミハイルを窘めるように言う。

「……言ってみただけだ。チェリーさんならなんか良い方法知ってるかと思っただけだし」

 ミハイルはプイッとそっぽ向く。

 丁度僕の方に向いてしまい、僕とぱったり目が合うと、今度は違う方向へプイッと目をそらすのだ。


「残念だけど、そんな特別な方法を知るほど特別な人間でも無いわねぇ。まあ、貴方のそういう部分、私は好きよ。私のメカニックの兄弟子によく似ているもの」

「で、前者の方の要求は?」

 少し拗ねたように口を尖らせながら、ミハイルはチェリーさんに訊ねる。

「そっちの方なら……そうね、奥に来なさい」

 チェリーさんは店の奥へ続く『STAFF ONLY』と書かれているドアを顎でしゃくる。




 僕とミハイルはチェリーさんに従ってドアの先へと進むと、ピンクな色の店から一転してどこにでもあるような質素な外観が広がる。そこから階段を登り続ける。た先には大きな空間があった。


「広―い。そういえばお店って黒いビルの1階だけど、上側は天蓋まで繋がってたっけ」

 あまり気にしてなかったが、その大きさにかなり驚いた。ウチの学校の体育館よりも広いスペースがある。何より凄い高い場所まで繋がっている。

 50メートル四方の空間が、下手すると天蓋よりも上まで繋がっているようだ。2カ所にあるエレベータはさらに上まで繋がっている。


「もしかして、このエレベータに乗っていけば中層に上がれる!?」

「無理。中層と下層の間には生体スキャンがあって、各階層への移動許可のない人間が通ろうとするとエレベータが止まるから」

 僕のボヤキに対してミハイルが首を横に振る。

「一度、他のエレベータに忍び込んで上に登ろうとして引っ掛かったものね」

「うぐ」

 ミハイルはどうやらやらかしたことがあったらしい。なるほど、ダメなのか。

「私はエレベータで最上層から最下層まで移動できる権限があるのよ。一応、フィロソフィアの管理者の一人だから」

「え」


 どうやら目の前のピンクのおっさんは超偉い人だったらしい。

 一つの居住区(ハビタット)の管理者という事は、ウエストガーデンで言えば市長と何人かいる市長代理に当たる立場だ。フィロソフィアの場合、カジノでの稼ぎが大きいから、よほどの大富豪じゃないと管理者なんてなれないと思うんだけど。


「チェリーさんはここら辺一帯の元締め…じゃなくてオーナーなんだ」

 でも、そんなに売れているのか?ピンクの店のピンクの服。そして元締めってマフィアか何かなの?

 もう突っ込みどころが多すぎてちょっと怖いんだけど。


「下層に落ちる前は、ここで調整をさせてもらっていたんだよ。機体も道具もここに全部置いてた。まあ、下層に落ちる際に没収されたけどさ」

「ミハイル、機体を持っていたの?」

「メカニック志望が機体を持って無くてどうするんだよ。まあ、中層は普通に警察機能が存在しているから飛行士(レーサー)から預かる事も多かったし。最初はチェリーさんが口をきいて仕事を貰ってたんだ。結構、手広くやってたんだぜ。下層じゃ、機体なんて預けてもらえないけどよ」

「まあ、確かに…」

 下層は信用できないもんね。中層って普通の都市なんだ。それだけはちょっとほっとした。上層の美しいカジノの下で、とんでもない酷い世界が広がっているのかと思っていたよ。


「あら、前にも言っているけどリーちゃんが私の言う通りにしてくれるんなら、パトロンになってあげても良いって言ってるのに、頑ななんだもの。借金も肩代わりして中層に上げる事くらいならできるわよ」

 僕とミハイルが話していると、そこにチェリーさんが加わって来る。


「だ・れ・が・アンタのパトロンなんて受け入れるか!ピンクのフリフリ着てメカニックなんて死んでも願い下げだ!」

 それは確かに痛い。男としての矜持が何もかも失われてしまうようだ。ちょっとありえないな。

 うん。でも、ミハイルはあまり整えていないが、ちゃんと身なりを整えたら美少年風になりそうな気もする。ボサボサで鉄錆と油に汚れて、ケセランパサランみたいな感じになってるけど。

 実際、このオッサン、もといチェリーさんには好まれているようだし。


「もしかしてここでテストフライトとかやってたの?」

「ああ。重力制御装置があって、重力、非重力の両方の飛行練習も出来る。そもそもチェリーさんは今でこそファッションデザイナーとしてブティックを経営しているけど、元はプロの飛行士(レーサー)飛行技師(メカニック)だからな」

「え」

 僕は衝撃を受ける。この女装したチェリーと名乗るおっさんが元飛行士(レーサー)!?飛行技師(メカニック)も兼ねた飛行士(レーサー)!?

 僕の憧れているプロ飛行士(レーサー)の想像図がガラガラ崩れ落ちていくようだ。


「っていうか、何でプロの飛行士(レーサー)がこんな所でブティック経営!?」

 ありえない。デザイナーよりも飛行士(レーサー)の方が儲かる。名門クラブの飛行技師(メカニック)ならトップクラスでなくても、一流デザイナーに匹敵するほど稼げる筈だ。それくらいエアリアル・レースは収入が良い世界でも屈指の一大興業なんだから。

「失恋をしたのよ。好きだった男に女が出来て、自棄を起こして実家に帰ったってだけよ」


 影を落とすかのように、遠くを見て自嘲するチェリーさん。

 ピンクのフリフリを着てツインテールとか理由の分からない格好をしてなければ渋いオッサンに見えなくも………、いや、やはり僕には拒絶感しか残らなかった。

 そもそもチェリーなんてプロ選手がいただろうか?

 ミドルネーム?

 僕の横にいたミハイルが僕の耳元でボソリと呟く。


「あまり詮索するな。本名を知ったら、2度と立ち直れないから」

「?」

 理由が分からず、僕はさらに首を傾げるしかなかった。


 チェリーさんはこの部屋に存在する大きな液晶モニターの方へと向かう。

 ピンク色のアミュレットを触れると、モニターに電源がついて、空中に半透明のキーボードや色んなボタンが置いてある立体画像が映し出される。


「空中キーボードだ。ぼく、それ結構得意なんだよね」

 通常のキーボードは指をキーボード上に置く事でボタンの配置を把握する。だけど触っている感覚の無いキーボードをたたくのは非常に困難らしい。

 カイト曰く、『レンのとりえは空中キーボード』という酷い評価をされた事もあった。


「へえ、珍しいわね。まあ、私みたいにカラスなんかは、こういうの得意な人も多いけど、大抵は苦手なのよね~。全然、普及しなかったくらいだし」

 チェリーさんがウインクをして説明をする。

 ゾワッてするから辞めて欲しい。


「あの、ところで……カラスってたまに聞きますけど。何ですか、それ?」

「「は?」」

 僕の問いに、何故かチェリーさんとミハイルはかなり驚いた表情で僕をみるのだった。


 何でそこまでおかしな物を見るような目で見られなければならないのだろう?確かに偶にカラスって言葉をよく聞く。カイトもそんな渾名を勝手につけられていて、先生さえもそう呼んでいた。

 何だか蔑んだ感じで呼んでたから、僕は口にしたことが無かったけど。


「カラスを知らないって正気?軍用遺伝子保持者を差す用語だよ」

 ミハイルは呆れるように僕を見てぼやく。


 ………


「え、何で?」

 意味が分からない。何で軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)がカラスなのだろうか?

「人より眼が良くて、知能が高くて、人間に害を与える害鳥だからね。タカとかフクロウとかだと格好いいから蔑称にならないでしょう?」

 チェリーさんは肩をすくめて苦笑いする。ああ、この人はそう呼ばれて来たのかとちょっとだけ納得する。

 だからって自分を貶めるような言い方をしなくてもいいのに。


「お坊ちゃんだとは思ってたけど、全く、オマエの親は何を教えて……」

 ミハイルはそう口にして慌てて口を噤む。そして申し訳なさそうな顔をしてそっぽ向く。


「むしろ……良いご家庭に育てられたのでしょうねぇ」

 チェリーさんは逆に感心したように口にする。


 なるほど、カラスってのは軍用遺伝子を持つ人間を差す言葉だったのか。

 そういえば両親からそういう話を聞いた事がない。一般的に軍用遺伝子をもって生まれた人を軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)とは呼ぶけど、カラスとは耳にしたこともない。偶に耳にした記憶がないわけじゃないけど、あまりいい言葉だとは思ってなかった。


「まあ、端的に言えば軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)の差別用語だよ」

「……って、えええっ?差別用語!?あれ、悪口だったの!?」

「本当にオマエ、天然だなぁ」

 ミハイルが呆れるように僕をみる。

 うー、そんな事を言われても教わってないもん。学校の教科書にだって乗ってないし、お父さんにだって聞いたことないし。


「でも、お父さんも言ってたけど、クローンを祖先に持っていても、そもそも親を子供が選べないんだから、子供を差別するのはおかしいんじゃ無いの?」

 不思議な話だ。

 自分から選んだわけでは無いのに何でおかしく言われるんだろう?


「世の中はそんなに甘くないわよ。軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)は生まれ付き高い能力を持ってくるから、嫉妬の対象になるわ。スポーツ業界も大半は軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)。人口が少ないにもかかわらず、フットボールの半数以上は軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)が活躍してる。陸上競技の世界記録は全て軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)。ここ50年、グレードS(グランドスラム)で優勝した飛行士(レーサー)飛行技師(メカニック)も全て軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)よ」

 そんなに軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)と僕ら一般人とでは違ったのか。カイトと僕の間に大きな能力の隔たりがある理由が分かった気がする。


 チェリーさんは考え込む僕を一瞥してから、大きなコンピュータ筐体を弄って、コンピュータの半透明の空間ウインドウパネルを出す。

 そして空間キーボードを打って、ムーンネットへアクセスを始めるのだった。


 そんなチェリーさんを尻目に、今まで不思議だった事が解明してほっとしたものの、ふと疑問に思い当たる。

「そっかぁ。……ん?あれ、じゃあ、僕が虐められてたのって軍用遺伝子保持者(メタリックカラー)だったカイトと仲良かったからなのか?そういえばクラスメイトや先生も『カラスなんかとつるんでるクズ』だとか、罵倒されていた事あったけど…てっきりカイトの渾名か何かだと思ってたけど。………んんんっ!?差別用語で先生がカイトを馬鹿にしてたって事!?」

「だろうな。ウチの養護施設にもそれで学校に行かないでVR教育に変えた子はいたし」

 ミハイルはそんな事を口にする。

「だからカイトもVR教育を多く取るようにしたんだ。でも、何だかやるせなくなるなぁ。先生が生徒を差別するなんて!知ってたらお父さんに言ったのに!」


 あまりの事に憤慨する。

 知らなかった事実を知って、僕は腹立たしさを感じる。

 確かにカイトは勉強態度が良いとはいえなかった。よく先生の間違いを指摘して、知識に関する事を鼻に掛ける部分があった。


 でも差別して良い理由にはならない筈だ。


 あの時、カイトはテロリストについて行ってしまった。

 そうか、僕が気付いていない場所で、カイトはずっと傷ついていたのかもしれない。僕が鈍感だったから気付かなかったんだ。


 だからカイトは……


 何だか悲しくなってきた。僕がもっとしっかりしていれば、カイトをひきとめられたのでは無いだろうか?


「さてと、お待ちかね。これがウエストガーデンで起こった事よ」

 チェリーさんは地球や火星でも有名な月のニュースサイトを画面に出す。


『|BLOODY MAY ATTACK《血の五月テロ事件》』


 それがテロ事件の呼称だった。

 ウエストガーデン襲撃、ムーンランド国際空港の破壊、火星王太子夫妻の暗殺、人口500万人いるウエストガーデンで死者100万人超という大惨事を引き起こしたとされている。


「そ、そんなに被害者が!?」

「お、おい!シャレにならねえじゃねえか、これ!マジなのかよ」

 凄い状況だったのは理解していたけど、まさかこんな事になっていたなんて。

 ミハイルも明らかにうろたえていた。無愛想でクールな印象があったが、さすがに大きく驚き慌てふためいていた。


「まあ、上層ではこのニュースばかりだから。これほど大規模な災害は100年前の第三次太陽系戦争以来とも言われているわね。それ位のテロ事件だったって、毎日のようにニュースが流れてるわ」

「……」

 お母さんやお父さんが僕を生かしてくれた。あんな事件の中心にいたのに、僕がここで生きているのは奇蹟なのかもしれない。事件の被害が僕の知る以上に悲惨だった事を知り、寒いものを感じてしまう。


 事件の中にあった小さなトピックがいくつかある。

 火星王太子の息子と娘の2人が近隣に滞在していた傭兵団によって救われた事。

 ウエストガーデン産業廃棄物処分場の重力爆発で、さらに被害が広がる瀬戸際を警備たちによって食い止めたこと等が書かれていた。


「貴方、何ていったかしら?」

「えと、レナード・アスター…です」

「レナード・アスター。ああ。確かに……行方不明者リストに入っているわね。ご両親は…………」

 僕は答えられなかった。どうなっているか知ってる。行方不明者リストに乗っている筈がない。僕の目の前で亡くなったのを見てしまったからだ。

 チェリーさんも僕の様子を見て察したように口を噤む。


「そんなのよりもミハイル養護施設だよ。ミハイル養護施設の子供達は生きてるのか!?」

「名前が分かれば行方不明者や死傷者も検索できるわよ」

 そう言ってチェリーさんはキーボードの前からどいて、ミハイルに検索を任せる。

「ん?ミハイル養護施設?」


 昨今、育児放棄をする親が多く、養護施設は多い。

 お隣の学区にある養護施設がその名前だった。アルベック養護施設のカイトと仲良くしていたので、アルベック養護施設の子供達と仲が良い。ミハイル養護施設という名前を何処かで聞いた事があると感じていたが、なるほどカイトから聞いていたのかもしれない。


「ミハイルって何歳?学年は?」

「あ?……基礎学校3年だったけど……」

 キーボードを操作するのに四苦八苦しているミハイル。空中キーボードは苦手な人は本当に苦手なのである。

「もしかして空間キーボードが苦手?僕が変わりにうとうか?それだけは取り柄なんだよね。変な特技だってカイトに言われてたし」

「いらねー。自分で打つよ。口で言ってもスペルまでわからねーだろ、お前」

 確かにそのとおりだ。言語は共通言語になっても、名前だけは様々な国の言葉でそのまま呼ぶので、同じ発音でもゲルマン系、ラテン系、中国系、インド系、アラブ系、ロシア系で読み方も書き方も全然違う。


「あ、でも、僕と同学年でお隣の学区って事は、もしかしたら9月の新学期からは同じ学校になってたかもしれないんだぁ」

「ならねえよ。学校辞めてるし」

「義務教育は辞められないと思うけど…」


 後期中学校までは義務教育だよ?僕達は後期中学校までの単位を取らないと、社会に出ることさえ本来は認められないのに。

「やばいな。今気付いたけど、早くここを出ないと、僕、留年しちゃうんだけど」

「知るか、バカ」

「うううう」


 僕が悔しがっていると、ホッとしたようにミハイルは座り込み、ポツンと口にする。

「良かった。ウチの養護施設は被害が0だ」

「良かったね」

「ああ」

 ミハイルは髪で隠された目を少しこするようにしてほっとしたように座り込む。


「でも、向こうは大変でしょうね。被害は酷すぎるもの。大きい市の人口の2割近くが死亡なんて前代未聞よ。しかもウエストガーデンは住宅街、交通の要所で、ムーンランドやテルヌーヴ、ムーンレイク州なんかに長距離労働者が住んでいる都市だもの。月の経済全体に影響を与える大災害と言えるわ」


 チェリーさんに言われて気付いたけど、ウエストガーデンはインフラ設備が月でも最高レベルらしいので、そこに住んでいる人が多いから、そこが機能不全になる事はかなり困った事になる。

 国際空港から1時間掛からずに遠い隣の州にも行けるから、ムーンレイク州やテルヌーヴ州にある大都市勤めの人も多い。実際、隣の家のお兄さんがテルヌーヴ州の首都にあるアルテミス放送局勤めだった筈だ。

 自分の事だけでなく、本当に大変な事になっているのだと改めて実感する。


「そういえば、この子はリーちゃんの飛行士(レーサー)なの?」

 チェリーさんはぽつんと僕を指して訊ねてくる。

「あ?んな訳ねーじゃん」

 ミハイルは首を横に振る。


「ほら、再来週のレースにエントリーされていたから。レナード・アスター」

 チェリーさんの言葉に僕はピキリと凍りつく。

「そういえば……そんな事があったような」

 僕は引き攣って呻く。忘れようとしていたのに余計な事を言わないでほしかった。無かった事にならないだろうか?


「自分で知らないでレースエントリーしちゃったの?」

「……その……この対戦相手の人と悶着があって、倒れてた時に勝手に登録されたっぽいんだけど」

 僕は倒れてた時の事を思い出す。全然、思い出せないけど、なんか変な事をさせられていたような気はする。


「簡易レース登録用の認証か」

 ボソッとミハイルが何かに気付いたように呟く。

「かんいれーすとうろくようのにんしょー?」

「下層ってのは何でもかんでも賭け事にしちまうんだよ。賭博に金をぶち込んで稼ごうって輩が多いからな。レース登録サイトがあって、喧嘩が起こってレースで決着つけるぞ、ってなっても、2人で仲良くカジノのレース場にいってシコシコ登録するなんてアホだろ?決闘よろしく、その場の勢いでウェブ認証1つで即座に喧嘩成立って訳だ」

「…僕、了承してないよぉ。撤回できないの?」

 僕はチラッとミハイルを見る。何か良いアイデアでもあると思うんだけど。


「無理だな。公開された瞬間から賭博が成立する。上層の時は、賭博成立したレースを覆すには補償金が必要だけど、そんな大金持ってないから、棄権したら飛行士(レーサー)はそのまま下層行きって言われてたし」

「うぇ」

 それは酷い。酷過ぎる。

 というか、それじゃあ、僕はレースに出るしかないじゃないか。

 でも、レースに出たら殺されてしまう。

 あんなデスゲームみたいなエアリアルレースになんて出たくないよう。でも出なかったらとんでもない借金を背負わされてここより酷い最下層へ落ちてしまう。

 僕は頭を抱えて泣きたくなる。


「短い人生だったわね」

「しゃあねえよ。それも人生だ。あきらめろ」

 チェリーさんが同情するように頷き、ミハイルも悲し気に首を横に振って俺の肩を叩く。気持ちは分かるぞと言わんばかりに。

「そんな諦めないでよ!僕エールダンジェさえ持ってないんだよ。飛行技師(メカニック)ならどうにか助けてよぉ」

 僕は頭を抱えてミハイルにしがみつく。

「無茶言うな!」

 ミハイルは僕の頭を引っ張り離そうとする。


 でももう僕には頼れる人は誰もいないのだ。どうすれば良いの?

 意地でもここは拝み倒すしかない。ミハイルは頼りになるし、頭の良い子だし、きっと何か良いサポートを思いついてくれるはずだ。


「あら、良いじゃない、リーちゃん。助けてあげなさいよ」

「ああ?」

 ミハイルは露骨に嫌そうな顔をする。そこまで嫌か!?


「アナタだって、細かいバイトじゃお金はたまらないし、専属飛行士(レーサー)がいないから飛行技師(メカニック)としての経験や技術も磨けない状況だから困っていたのでしょう?」

「で、でも、チェリーさん。コンバットレース、取り分け下層のレースはルールが甘くてただの殺し合いだ。で、下層は基本的に罪人だから、死んだ奴の装備は勝者が処分するルールになってる。コイツにエールダンジェを渡すって事は、コイツが負けて殺されたらエールダンジェも勝者に取られるって事じゃねえか!」

「ぴぎっ」

 カジノの前で流れていたレースシーンを思い出す。

 血塗れになって負けた選手が動かなくなったのを思い出してしまう。まさか僕もああなってしまうのだろうか。


 嫌だ。絶対に嫌だ。


 と言うよりも、そんなルールがあるの?だからエールダンジェは貸せないって事!?あのレースも相手の機体目当てで殺そうとしてたの!?


「ミハイルー、頼むよぉ、助けてよぉ。せめて、せめて死なない方法を」

「ええい、離せ、この疫病神!俺まで不幸菌をすりつけるな!」

「頼むよぉ。もう頼れるのはミハイルしかいないんだよぉ」

「だああっ、近付くな!メシ与えただけで懐くな!餌付けしたつもりはねえ!大体、テメエさっきからどこ触ってやがる!変態か!?」

「ほえ?」

 逃げようとするミハイルに対して、僕は逃がすまいとミハイルにしがみついていた。

 だが、そこで僕はふと気付く。僕の右手がミハイルの胸を触っていて、その胸は何故か男の子っぽくない不自然なふくらみがある事に。

 ふにふにと弾力がある。


「ま、まさか、ミハイル。君、女の子だったの?」


 僕は恐る恐るミハイルを見上げて訊ねてみる。

 ミハイルはニコリと笑うのだが、ボサボサに伸びた髪の奥に見える濃い茶色の瞳が、全く笑って無かった。


「今、死にやがれ!」


 ミハイルは腰に射してあるスパナを取り出すと僕の頭に振り下ろす。

 過去最大級の衝撃と、凄まじい鈍痛が僕から自由を奪う。


 地面に倒れた僕をチェリーさんは哀れむようにみていた。

 うん、分かってる。流石の僕でも女の子に女かどうか聞くのはルール違反だ。母さんに知れたらめちゃくちゃ怒られるだろう。


「まあ、下層じゃ女だってバレたらどうなるかわからねえから男のナリだった訳だから仕方ねえかもしれないけど」

「そうねぇ。でも、アナタ、スラムの落ちる前、上層にいた頃からそんなナリだったじゃない」

 まさかの確信犯の男装をばらすミハイルと、呆れたように突っ込みを入れるチェリーさん。


 何故、男だと思われたのは仕方ない筈なのに殴られたのだ!?

 理不尽だよ!




 聞けばミハイルの本名はリラ・ミハイロワというらしい。

 下層で女だとバレたら何されるか分からないから、ミハイルで通していただけだとか。ミハイル養護施設出身の子供は男の子ならミハイロフ、女の子ならミハイロワ姓になるらしいのだが、ミハイル・ミハイロフでは名前が重複してしまう。孤児院育ちの人がそんな名前を付ける筈もなく。

 それにチェリーさんがミハイルの事をリーちゃんと呼んでいたのも、言われてみれば不自然で、ミハイルのどこにリーちゃんがあるのだろうと思う所だ。


「でも、リーちゃん。アナタ、下層に落ちてから稼ぎが悪くて中々中層に上がれてないじゃない?」

「うぐ。ま、まあ、担当飛行士(レーサー)がいる訳じゃないし」

「別に、以前のアナタのように大きいリスクを負うわけでも無いのだから、手伝ってあげたらどうかしら?」

 チェリーさんがなんと僕を助けるように口にしてくれる。おお、これはもしかしてもしかするのか?


「さっきも言ったけど、コイツの場合、リスクしかないじゃないか。大体、マリウスって暴行障害で下層に落ちたけど、インターハイに出たことあるエリート崩れじゃねえか。掛け金はエールダンジェとコイツの命。勝たないと得るものが無いのに、負ける確率100%、『時間切れで生かす』のが目標のレースだぞ。そんな厄介な奴と組むなんてごめんだ」

 ミハイル、改めリラはキッパリと言い切る。


「そうねぇ。じゃあ、……リーちゃんがレースに出てくれるなら、私の趣味で使ってたスポーツ用エールダンジェをあげても良いわよ」

「ほえ?」

 チェリーさんはぽつんと口にする。僕は思わぬ言葉に目を丸くする。


「マジか?」

「もしもその子を生かして返すことが出来たら、そのままリーちゃんにエールダンジェを上げる。それでどうかしら?」

「……でも、こいつが死んだら相手にエールダンジェを取られるんだろ?アンタに何のメリットがあるんだよ」

「どうせ捨てる予定だったもの。捨てるものをリーちゃんに渡すだけよ。それに言ったでしょう?私はリーちゃんのファンだから、もう一度飛行技師(メカニック)をするのを見るのがメリットとも言えるわね。だから、ゴミをリーちゃんに渡すだけの私にはメリットしかないわよ」


 何と、チェリーさんが僕に救いの手を差し伸べてくれたのだった。

「つまり、こいつを生かせることが出来れば、俺にはエールダンジェが手に入るって事か」

「助けてくれるの!?」

「エールダンジェのゲットの為ならな。仕方ねぇ、手伝ってやるよ」

「うんうん。っていうか僕だって死にたくないし!」

 リラは肩をすくめて諦めたようにして溜息を吐き、僕はわずかな希望が見えてブンブンと首を縦に振って喜ぶ。


「但し、練習はここでする事。外への持ち出しはレースの時以外禁止。良い?」

「うん。分かった。わーい、チェリーさん、超良い人!気持ち悪いオカマ野郎とか心の中で思ってごめんなさい!」

「うふふ、今度思ったらチ●コもいじゃうぞ」

「ピギッ」

 僕は股間をガードして後退る。やっぱりチェリーさんは恐ろしい人だった。




 こうして、僕とリラの初めてのコンビ、そして僕にとっては初めてのレースが始まるのだった。

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