エピローグ1
今は新暦325年9月、俺達がフリーでやっていた頃から4年の歳月が過ぎた事になる。俺は21歳になり、現在はジェネラルウイングに所属している。
俺はムーンレイク工科大学に通っている訳だが、飛行士としてレースに出ている為、月開催のリーグ戦でもない限り学校に通う事もなく、大半を通信で講義を受けている。大学の飛行士学科は2年で修了するのだが、飛行技師の技術を知識として納めるべく、未だに講義を聞いて勉強をしている。
俺はジェネラルウイング本社ビルに隣接して建てられている学生寮を出て本社のある方角へと歩く。
今日から暫く出かけるので、俺の所属する『戦略作戦部』に挨拶をしに行く予定だ。通常、飛行士はここと契約するだけで、所属はしないのだが俺の場合はちょっと違う。プロ契約しながらも学校に通っているので戦略作戦部育成課に所属しているのだ。
戦略作戦部の大部屋に入るとそこには飛行技師達が多数いた。そもそもこの部署はプロとして働いている飛行技師数百人と育成の飛行士や飛行技師が所属している部署なので飛行技師だらけなのである。
「部長、おはようございます」
「よう、早いな。どうしたんだよ」
俺が声を掛けた相手は、この戦略作戦部のトップはロドリゴ・ペレイラ部長である。
彼は5年前に現役を退いて管理職になった。
この戦略作戦部はいわばジェネラルウイングの中核である。その部長とはつまり企業の中心になったと言える。
他の企業はエールダンジェを売り、その広告としてレース部門を持っているというモノがほとんどだ。
だが、ジェネラルウイングは全く異なる。ジェネラルウイングはレースで勝利する為に存在している。多くの機体を売るのもモニタリングする為であり、製品を売るのは儲ける為でなく、勝利する為の資金獲得とモニタリングによる情報収集である。
だから、レース部門である戦略作戦部のトップになったロドリゴさんの立場はかなり大きい。取締役の次に巨大な権力を持っていると言えるだろう。
「暫くいなくなるので挨拶にと」
「律儀だな。ああ、そうか。ウエストガーデンに行くんだっけ」
「ええ。やっとムーンオープンをキャンセルしてもよくなったので」
「お前も意外と頑固だよな。そこまで地元に参加したかったか?」
「だって、もう4年も帰ってないんですよ?地元がジェネラル市なロドリゴ部長には分からないですよ」
「まあ、そうかもな。まあ、お前の場合は色々あったからなぁ」
「うっ」
ジェネラルウイングに来てからは正確に言えば3年と8カ月な訳だが、決して順調な訳では無かった。色々と大変でウエストガーデン
「皆さんは今週からムーンオープンですよね?」
「ああ。第1節の地方オープンは今年誰が最も活躍するかを占うビッグレースだからな。プジョルの奴はかなり意気込んでたけどな」
「プジョルさん?俺、あの人苦手なんですよね」
「知ってるよ」
「ほら、昔からあの手の自信過剰なタイプって下からひっくり倒してきたじゃないですか」
「今はお前が一番上だからな?」
「自覚してますよ。そして、流石に一番手が、二番手を自信もろとも叩き潰すわけにもいかないじゃないですか。団体のチームメイトですし」
現在、俺がクラブの一番手、キャプテンはトラオレさんにやって貰っているが、エースなのは確かだ。団体戦はスピードを出せないから苦手というのもあるけど。レオンさんがキャプテンをチェリーさんもといランディさんにやらせていた理由もよくわかる。
「プジョルの調整に、オルマンドも苦労している。アイツが苦労しているのは、レオンとのコンビで殻を破って以降では初めて見るが、アイツは向上心の塊だからな。苦しいのも楽しんでる」
「ロドリゴさんならどうですか?」
「プジョルは難しいなぁ。でも、まあ、俺向きな飛行士だとは思うぜ。その飛行士を使いこなそうって躍起になってんだよ、オルマンドは。あれで俺の穴を埋めようと必死なんだ。まあ、だからこそ俺はアイツを信じて現場から外れられたんだ。それにあいつもそろそろリーダーの自覚が欲しかったしな」
オルマンドさんはまだ30代半ばだが、既に世界屈指の飛行技師として名を轟かせ、世界王者が複数人存在するジェネラルウイングの飛行技師陣の中においても最高の飛行技師と認められている。かつては飛行技師王の『最後の弟子』として有名だ。
俺とロドリゴさんが話していると、そこに同僚の飛行士ソニア・モンテロがやって来る。
青いショートカットの髪に青く金属質の輝きを持った瞳の美女だ。年齢は今年で25歳になる。
彼女の登場に俺は弱冠腰が引けてしまう。
苦手な女性だからでもある。彼女のせいで何度か修羅場を体験した。
「レナード。どうしたの、こんな朝早くから。はっ、まさかの朝帰り。ついにリラの膜を破ったのね」
「さらっとセクハラしないでください、ソニアさん」
「職場でさらっと飲み屋でも言わない事を言わないでくれ。っていうか、リラは来てないよな?また殴り合いとか勘弁してくれよ」
ロドリゴ部長もまた引きつって諫めつつも、周りを見る。
そう、このソニアさんはボーイッシュな美女なのだが、発言が若干おっさんなのだ。
10代前半の頃、飛行技師として最年少でグレードSに出場したキャリアがある。その時は飛行士に枕営業をしていたらしく、それが発覚し、相手の家族は崩壊した。
余りに過ぎるので、枕営業禁止令がジェネラルウイング内で発布された。
更に、俺がジェネラルウイング入団直後、彼女はベンジャミンとコンビを組んでいた。ベンジャミンを下手糞と罵り、喧嘩になりそうだったのだが、ベンジャミンを自信喪失させてこのクラブから去らせたのが彼女だ。何せ、見本を見せてやると同じステップアップツアーに出場して、彼女はベンジャミンを曲芸飛行で武器も持たずに19分間一切得点を与えず、最後の1分でベンジャミンを蹴り回してKO勝利したのだ。
飛行士不足に陥ったクラブに責任を取る事を言われ、彼女は現在プロ飛行士をしている。
実際、それでメジャーツアーを優勝したりしているんだから恐ろしいの一言だ。
当人も、飛行技師としてより高みを目指す為に、飛行士を経験するのも良いかもしれないと飛行士に専念しているのだが、今度は飛行技師との確執が酷い。実力があるだけに自分の選任飛行技師への罵り方が半端じゃないのだ。技術的に細かく確認をして、飛行技師を自信喪失させるのだ。
彼女は飛行技師として10代前半でデビューしたのは、実力が高かったからだ。技術力ならオルマンド・グライリヒ、ブリギッテ・尹に次ぐと言われる。そんなトップ飛行技師が飛行士をやってしまったら、担当する飛行技師はたまったものじゃない。
長らく説明してしまったが、つまるところ、ジェネラルウイング最大の問題児の称号を持っている。
「何だ、まだ童貞なの?今度夜のレクチャーしてあげようか?」
「修羅場は嫌ですから勘弁してください」
以前、それで俺の担当飛行技師になろうとして、リラが切れてソニアさんと殴り合いの大喧嘩を起こしたのだ。
ソニアさんの保護者代わりでもあるブリギッテ課長とリラの先生でもあるロドリゴ部長が慌てて二人を止めたのはちょっとした事件だった。
「今度は負けないから大丈夫よ。ボクシング通い始めたし」
シュッシュッと拳を振るソニアさん。
「そっちですか!?」
俺はあまりにとんでもない話をするので頭を抱えるのだが、俺以上にロドリゴ部長が頭を抱えて、重たい溜息を吐いていた。
優秀な問題児の部下なんて持つものじゃない、俺は心の底から思った。
「まあ、こっちはムーンオープンを取るから、お前は楽しんで来い」
「ありがとうございます」
ロドリゴさんは俺を快く押し出してくれる。
新暦325年9月から始まる新しいシーズンのレースが始まる。最初の第1節、9月最初に各地でオープン戦が始まる。全米オープンとか全英オープンとかそんな感じのレースが行われるのだが、月ではムーンオープンが行なわれる。去年までずっと出ていた。2年連続優勝をしており、今年は三連覇が掛かっていたのだが、今年の俺はそこに出場しない。地方オープンは格付けの有無にかかわらず行われている。
俺はウエストガーデン市民大会に参加する為に、今回のムーンオープンをキャンセルした。昔、プロになって初めて勝てた大会がこれだった。別にプロランキングがつく訳では無いが、地元で戦って勝てたのが嬉しかったからだ。
今まで、出場が許可されなかったのだが、リーグ戦やグレードSで大量のプロランキングを取ったので、そこで頑張らなくても世界ランキング2位を余裕で保持できる為に地元の大会出場が許されたのだ。
***
俺は飛行技師の仕事があるリラとは別便でウエストガーデンに向かう。昔は何をするにもいつも一緒だったのだが、今は現地集合が多く、寂しい気持ちが大きい。
ウエストガーデンにはあちこちに広告画像が壁や空に見られる。
その広告の大半は『ウエストガーデン市民大会』の広告ばかりで俺とリラの画像が大きく映されていた。
サングラスをかけて、当人である事をバレないようにしているのも、あちこち遠征に出かけていたので慣れてしまっている自分が怖い。そもそも、今年の人気投票で出場が選ばれる『スーパースターズカップ』の人気投票が1位だったので、宇宙で1番人気のある飛行士になっていた。
何せ、今の俺の立場というのは、月で一番プロランキングが高い飛行士であり、プロランキング1位をホンカネンと奪い合っている。俺とホンカネンがプロ飛行士になった切欠があの『血の五月テロ事件』だというのだから何とも皮肉な話だ。
俺は両親の弔われている被災者の共同墓地でこれまでの事を報告して、それから養護施設に行ってイアンナさんに挨拶をする。久し振りの家族の帰省に子供達も喜んでくれた。
「あれ、もしかしてレンじゃないか?」
俺は養護施設を出て学校の近くを歩いていると、そこに一人の男が声を掛けて来る。胸板の厚い褐色の巨漢だった。一瞬誰か分からなかったが、記憶を掘り返すと合致する人物がいた。
「もしかして、ドミトリ先輩?」
「ああ。覚えていてくれたか。久し振りだな」
同じ中学の二つ上の先輩で、一緒に団体戦で戦った仲間だ。
「そりゃまあ。……先輩はまだエアリアルレースやってるんですか?」
「まさか。お前みたいに選ばれた一部の人間と違うからな。今日は養護施設の子供達の手伝いで有給取ってるだけ。レンは例のあれで戻って来たのか?」
ドミトリ先輩は半透明の空間映像に映し出される俺とリラの姿が描かれているウエストガーデン市民大会の広告を指さす。
「そう。その為に戻って来たんだ。リラとは別で。そう言えばアンリってどうしたんだ?」
「あいつ?高校卒業した後に『一山当てて来る』って言って、どっかいっちまったよ」
「……あのバカ」
思い切り溜息を吐く。師匠が心配していそうだ。
そういえば高山さんに挨拶をしてなかった。彼のお陰で近接が苦手という弱点を克服できた。一度挨拶しに行きたい所だ。
「そういえば、レン。聞いてるか?ウチの養護施設の飛行士の事」
「ドミトリ先輩の養護施設?」
「昔のお前とミハイロワにそっくりなコンビがいるんだよ。ウチのフロン養護施設に昔からいたエレーヌって子と、他所の養護施設が閉鎖されてこっちに来たクリストファーの2人のコンビがステップアップツアー優勝したんだよ。後期中学2年生で」
「それ、凄いですね。俺が初めて取ったのは中学の冬だからなぁ」
凄い若手が地元から出て来たとは聞いていたが、そんなコンビがいるのか。
「だろ?地元じゃレナード2世なんて言われて、ユース世代だけじゃなく、プロからも声を掛けられそうな雰囲気だ」
「レナード2世ってのはちょっとこそばゆいですね」
「そういう立場になったって事だろ?弟も俺と一緒で飛行技師やってるけど、俺と違って団体戦で州大会まで出てるからな。あの出場だけが目標のエールダンジェ同好会が強くなったもんだよ」
「おっと、後輩の方が俺より成績良いのか」
侮りがたし、我が母校の後輩たち。俺達は1回戦負けだったからなぁ。
「まあ、エールダンジェ同好会にレンがいた事があるだけなのに、どこのクラブもレナードのいたエールダンジェの部活みたいに売ってたりしてよく分からない感じらしいけど」
「そもそも在籍すらしてねえし」
俺とドミトリさんは互いに笑いあう。
「今度、レンがこっちに来るって言うから、躍起になってるぜ。打倒レナードってさ。可愛がってやってくれよ」
「それは良いんだけどさ。俺、耳にしたんだけど、カルロスさんもこっちに来るって聞いたぞ?」
「は?」
「いや、何かあのおっさん、『カルロス二世発掘』の為にスカウト気取りで月に拠点をもって活動するんだとか。ウエストガーデンはインフラが良いからさ。近所に住むからよろしくなーってさ。俺は住んでねえよって言ったんだけど」
「憧れの飛行士に対して随分な口ぶりだな」
「あれは子供の頃までだよ。あんな面倒臭いおっさん憧れていたなんて若かりし日の過ちだ。俺はレオンファンだから」
「でも、すげーよな、あの人も。昨シーズンのユニバーサルオープンを優勝して引退だもんな」
ドミトリさんは昨シーズンの最終グレードS『ユニバーサルオープン』の話を持ち出す。そう、カルロスさんが最年長優勝を飾り、見事な引退式をしたのだが………
「ありゃ、勝ち逃げだよ。45歳のおっさんに勝ち逃げされた気持ちが分かりますか?アモカチにはしてやられたって、リラは同期のライバルが出てきて半分くらい喜んでたけど、俺はあのおっさんに負けた事に腹立たしさしかないから。………くくくくく、飛んで火にいる夏の虫。市民大会というホームグラウンドでギタギタにしたる」
「いや、月でやるユニバーサルオープンでも十分にホームだったじゃねえか」
いや、そうですけどね?
無論、俺も向こうのホームである地球の|グランドチャンピオンシップ《グラチャン》で3度優勝している。というか、未だに|グランドチャンピオンシップ《グラチャン》以外で優勝していないんだ。
「今年度こそは年間グレードS全制覇を成し遂げて、リラに告白するのだ!」
「お前はどこまで行くつもりか知らないが、取り敢えず頑張れ」
なぜか生暖かい視線を向けられて肩を叩かれてしまった。
***
俺はドミトリさんと別れて、ウエストガーデンのゴミ山とも呼ばれるゴミ処理場のある方へと向かう。あそこの麓には高山さんがいた筈だ。挨拶と、アンリの事を聞きに向かう。
ジェネラル市に特産物は特にないのでエールダンジェの形をしたゼリーを持って向かう。
だが、辿り着いた場所に道場は存在しなかった。潰れて更地になっていた。
アンリがいなくなった理由が何となく分かってしまった。あの道場が無くなったから引き留めたり説教をしてくれる相手がいなくなってしまったんだ。
俺は諦めて帰ろうと思ったが、更地の隣に小さな民家があり、『高山』という表札が貼ってあった。
俺はそういえば隣に家があった事を思い出す。
そこで俺はもしかして道場はつぶれても、まだここに住んでいるのではないかと思い、インターホンを押す。
『はい、高山です。どちら様でしょうか?』
「えと、レナードって言います。ゲーリー・高山さんは御在宅でしょうか?」
『………少々、お待ちください』
玄関が開くと、美しい女性が現れる。
思い出すのは高山先生の義理の娘さんだかで道場の手伝い等をしていた女性だ。
「あらあら、驚いたわ。あのスターが義父に何か御用で?」
「はい。以前、アンリに連れて来られて、困っていた事を解決する助言を頂き、お陰で世界一に何度も立つ事が出来ました。その挨拶を、と思いまして……」
「ああ、あの時の。まさかあの時の子がレナードさんだったなんて。テレビと印象が違うから別人だと思ってしまったわ。凄いのね」
「いえ。きっと、高山さんの助言が無ければ、ここまで早く大きい舞台で戦えるチャンスは得られなかったし、友達を救う事も出来なかったと思ってます。なので、是非ともお礼をさせていただきたく。あ、これお土産です」
「あ、ありがとう。…………でも」
俺は高山さんの義娘さんにお土産を渡すのだが、彼女は顔を曇らしてしまう。
そして悩むように口をゆっくりと持ち上げて言葉を紡ぐ。その言葉に俺は驚きを感じるのだった。
それは、高山さんが死んだという話だった。
「去年の3月末に遺伝子病で。本人は満足して逝けたから良かったと思います」
今どき、100歳位生きるのは普通だ。老後を働かずに過ごすのが普通だが、70歳ならまだ働いていてもおかしくない年齢だ。まさか既に亡くなっていたとは思わなかった。
「そう……ですか」
アンリが出て行ったのはもしかして去年の3月なのでは、というように思う。
「でも、レナードさんには感謝してるんですよ」
「は?」
「ウチの子、お祖父ちゃんがいなくなって、すっかり落ち込んでたから。去年の12月くらいかしら、空を楽しそうに飛ぶレナードさんを見て、僕も空を飛びたいって言いだして。お隣の美咲ちゃんと2人でゴミ山にエールダンジェの部品を手に入れるんだって登ってたのよ。まあ、美咲ちゃんはエールダンジェを作る為に3つくらいの頃から山に登って、ハーリー使ってゴミ拾いをしてたから、昔に戻ったともいえるんだけど」
俺はそこでふと思い出すのは、高山道場に入った瞬間、目の前で血まみれになって倒れていた少年を思い出す。同年代の女の子と一緒に親に怒られて泣いていた。
なるほど、そういえば血まみれにさせた機械はあの女の子が作ったらしい話を聞いていた。まさか彼女は飛行技師志望だったのか。リラやカイトと同じ事をしていたというのも興味深かった。
「飛行士になりたいと?」
「まさか。あの子、争いごとが嫌いだから」
「俺も好きじゃないですよ?」
リラがいなければ、きっとそこそこ飛んで満足していただろう。
「軍用遺伝子保持者だからかしら。勝っても周りから当たり前だと差別されて、負ければ情けないとバカにされて、そういう舞台に立ちたいって思わない子だから」
高山さんの義娘さんは苦笑して答える。
まだ差別は残っているのか。この問題だけは、中々に難しいものだ。
俺達が世界一になれるんだから、軍用遺伝子保持者が特別だと思う必要はないと伝えたかったのだが。簡単にその考えが多くの人に伝わるものじゃないのだろう。
「その割には、何だか一生懸命に剣術をやっていましたよね。血まみれになって」
高山道場に入った瞬間、血まみれの子供の死体が置いてあると思って焦ったのは記憶に新しい。
「ふふふ、あの子ったらお祖父ちゃんが寂しそうにしてるから、励ましたいだけで剣術をしてたのよ」
「?……え。励ましたいだけで、あんなズタズタになってたんですか?」
血まみれの死体みたいになってたんですけど。
「そうなの。お祖父ちゃん、見本を見せても弟子たちには『まるで人間じゃない』と口にされて、あの子はお祖父ちゃんが寂しそうにしているのに気付いていたみたい。だから『才能の無い僕でも出来るんだから、お祖父ちゃんは人間だよ』って。ただ、それを言いたいだけで剣術をやってたみたい」
「……ああ」
それは俺がエールダンジェの世界で、軍用遺伝子保持者が同じ人間だと示そうとした事と同じで、そしてシャルル王子が俺に負けて嬉しく思っていたのと同じだ。
あの少年は血塗れになりながら、ただお祖父ちゃんにそれを伝えたいためにやってたのか。そりゃ、何でなのかお祖父ちゃんにも言える筈もない。
「ふふふ、あの子、お祖父ちゃんしかできなかったことが出来るようになって、お祖父ちゃんに伝えることが出来て、お祖父ちゃんも死ぬ時も満足したように亡くなったわ」
「そ、そりゃ凄い」
あの血まみれの少年は高山さんの剣術を出来るようになったというのだろう。アンリには才能が無いと断言されていた。その少年が、あの天才の巣窟にあっても不可能と言わしめた技術を可能にしたのだ。しかも子供の身で。
きっと高山さんは満足して亡くなったのだろう。
「まあ、それを見てアンリ君は酷く悔しそうにしていて。『修行に出る』って言いだして、どこかに行っちゃったの。ショックだったと思うわ。可愛がっていた弟分が、気付いたら自分よりも強くなっていたんだから」
「え、アンリ、まさかあの子に負けて、修行に出たの?」
「そうみたい」
高山さんの義娘さんは苦笑を見せる。
少なくとも、アンリの剣術は疾風やエリアス・金に匹敵する天賦の剣だ。そのアンリに勝った?想像がつかなかった。
だが、アンリは剣術に関しては真摯だった。師匠を尊敬していた。
最初から師匠の領域に辿り着けないと諦めていたが、諦めずにやっていた弟分はその領域に到達してしまったのだ。悔しかっただろう。
アイツはノリで変な場所に行くから不安だが、目標をもって出て行ったのなら大丈夫か?ちょっと心配だからカイトに連絡をしておこう。
まだ、カイトはシャルル王子と一緒にいる筈だし、シャルル王子もあの手の武闘派の手札は欲しがっていた筈だ。喜んで探して確保してくれるだろう。
以前もシャルル王子は有名なテロ組織を叩き潰したとニュースになっていた。アンリの求める闘争の場も提供してくれる事だろう。