未来の飛行技師女王
レセプションパーティの一発芸大会と抽選会が終わり、俺とリラは適当に端で食事を始めていた。
「よう、自動ドア」
「うるせー、ほっとけ」
俺とリラが並んで食事をしていると、そこにジェロムとロレーナさんがやって来る。ジェロムの奴はわざとらしく俺の気にしている事を笑顔で突っ込んでくる。酷い男だよ、全く。
「リラ的にはどうなの?月最強の若手、何でしょ?」
「んー、正直、眼中になかったけど」
「ウチのリラさんの方がよほど傲慢だからねぇ」
「っていうか、勝算あるの?」
俺はジトとリラを見る。
「は?だって、あの人。ベンジャミンのレベルアップバージョンよ?2年前のフィロソフィアでの調整をするだけだから。当時より機体性能も飛行士の性能も上がってるから余裕よ」
俺とジェロムは互いに見合い『今、飛行士をパーツって呼ばなかったか?』っていう疑念を抱く。だが、俺はそこを追求する度胸が無いので聞かなかったことにした。
暫くして、俺とジェロムはおいしい肉を探しに2人で他の食事が乗っているテーブルへと遠征する。無論、リラには食べすぎ注意の言葉を貰っているのだが。
「それにしてもスターって凄いな。お前も火星じゃ、あんななの?」
地球のメディアがたくさん集まっているのはヴェスレイ・尹やウィリアム・パルムグレンの辺り。月のメディアがたくさん集まっているのがパウルス・クラウゼの辺り。無論、全メディアが集まっているのがジェラール・ディオール。
対して、俺とジェロムの周りは閑散としていた。
「月はエールダンジェが一番人気だからかもしれないけど、火星の一番人気のスポーツはBSAリーグだからな。エールダンジェにそこまで注目しないって。星の外に出ればホンカネンさんクラスじゃなければ追いかけてこないって」
「そういえばそうだった」
火星で最も人気なスポーツはBSAという人型巨大ロボットに乗って戦うバトルマシンスポーツだ。
これは火星しか存在しないスポーツで、これをやりたいが為に火星に移住するパイロット候補生もいるくらいだ。戦争でもないのに、大きいロボに乗って広大な宇宙で敵と戦う。
ジェロムの所属するワイルドアームズは実はこのスポーツにおいても強豪で、むしろエールダンジェ以上にこっちの方が有名な企業だ。そもそも100年前の太陽系大戦の英雄スバルが乗っていた機体がワイルドアームズ社製だった程だからだ。
ちなみに、地球でのエールダンジェ人気は地域によりけりで、西欧、北米、東アジアでは比較的人気スポーツだが、他の地域はそこまでではない。単純にスカイリンクを作る投資家が他の地域に少なかった為だ。
「逆に、月なんてエールダンジェのやれる環境が多くて羨ましい限りだと思うぜ」
「まあね」
その点については恵まれているが、月では環境が恵まれているから人気があるのか、人気があるから環境が恵まれているのかは分からない。
俺はあぶらっぽい肉の上に黒い粉と黒っぽいプチプの乗った食事がある。
「あ、この肉、美味いな黒いプチプチがなんとも…」
「それ、フォアグラだよ。鳥の肝臓を太らせた奴。トリュフとキャビアを乗せてんじゃないか?豪華だな」
「……初めて食った」
「天然ものなんて取り寄せたりしないしさ、コロニー育ちの俺らは」
コロニー育ちと呼ばれても自分の居住区をコロニーと呼ぶのは火星人だけなのでなんとも言い難い。まあ、同じ居住区育ちという事だ。
「こんな贅沢しちゃって良いのかなって、偶に思うんだよね」
「あ?良いじゃん、別に」
「まあ、そうなんだけどさ」
両親はどう思うのだろうかと考えてしまう。もしも生きてたらご馳走をしてあげたい所だが、それも叶わない。だから思ってしまうのだ。自分ばっかり良い思いをしてはいけないのではと。
「もう、俺らはグレードBのベスト16だぜ。雲に隠れていた頂が、徐々に見えてきた場所だよ。新人王と違う若手優遇策のグレードAと違って、ホンカネンさんみたいな選手と本番の舞台で戦える可能性がある場所だぜ。憧れにあと一歩だ。準決勝では絶対に負けないぜ」
「……そこまで勝ち上がれるかが不安だけど。レースの場で万全の出場が怪しいし」
「あー。お前、かなりやばかったもんな。準決勝は3試合目だしな。どうにもお前と俺の対戦は余計な要素が混じり過ぎていかん」
「でも、そういうもんだって言ってたぜ。練習じゃ負けた事のない相手だけど、本番の勝ち上がって疲れた状態だと、一度も勝った事がないっていう例もあるし。それも勝負の内なんだろ」
「なるほど。つまりお前は俺にはボロ負けって事で」
「前言撤回。実力だけなら俺の方が上だと思う」
俺とジェロムは互いに視線をかわして睨み合う。
するとそこにやって来るのはヴェスレイと高橋の2人だった。
「お前ら、美味そうなもの食ってるな」
「何それ」
「三大美食を乗せた何か」
俺は率直に答える。やって来た2人はモソモソと食事を始める。
「そういえばそちらさんもブロックで思いっきり別れたな」
ふと思い出したようにジェロムがヴェスレイと高橋に言う。二人は食事を持っている更によそいながらうなずく。
「高橋さんはジェラールでしたっけ?」
「ああ。ベスト8で最大の難敵だ。とはいえ、負ける気はしないけどな。あの弾幕を掻い潜って一撃決められれば」
高橋さんはギュッと拳を握ってジェラール対策を口にするのだが
「んな、弾幕、潜るも何も喰らわない位置から当ててきゃ良いじゃん」
ジェロムは呆れたように突っ込む。
「「「それ、お前しか出来ねえよ」」」
俺、ヴェスレイ、高橋の3人は同時に突っ込む。高橋は近接、ヴェスレイは近接寄りのオールラウンダー、俺は中間距離の飛行系。遠距離一辺倒のジェロムとでは話が違い過ぎる。だが、ジェロムは飛行で捉えられてボコすかやられたらしい。
遠距離から一方的な攻撃が出来れば苦労しないのだろう。
「これだから遠距離射撃系は」
「俺なんてあの攻撃のベスト射程で撃ち合わないと勝てないってのに。相性って言葉があるなら、俺とジェラールほど相性が悪い事はないんじゃないか?掻い潜っても何もできねえもん。ポジションをうまくとるしかないか。まあ、そこまで精神力が保つかなぁ」
「まあ、そこはそっちの二人が削ってくれるのを祈るしかなくね?」
「つまり俺かジェロムがジェラールと当たった際に、ジェラールが弱くなってなかったらお二方のせいと」
「そうだな」
俺とジェロムはうんうんと頷きあう。
先に当たるからと責任を押し付ける俺とジェロムに、高橋とヴェスレイは微妙な顔で俺達を睨んでいた。
「でも、俺的にはヴェスレイがその前にマルグリットさんに堕とされると嬉しい」
俺はヴェスレイがベスト8でマルグリットさんに当たるだろうと予測して口にする。するとヴェスレイも深刻そうな顔をするのだった。
「あの女か。………あの胸が気になってレースに集中できないんだけど」
「「「分かる」」」
男4人も集まれば、下世話な話も出るものである。マルグリットさんは可愛い上におっぱいが大きい。俺達男性陣からしたら目の毒だった。いや、目の薬か?
「それよりも、レナード。お前の飛行技師って彼氏とかいるの?めちゃくちゃ美人じゃん。すっげー気になってたんだけど。紹介してくれない?」
高橋が俺にクイックイッとリラの方に顔をちょっと向けて俺に尋ねて来る。
「断固拒否する」
「そうだぞ。レンは6年も組んでいるくせに6年間片思いなんだから察してやれよ」
「それ、もう、諦めた方が良いんじゃないの?」
俺の言葉にジェロムも後押ししてくれるのだが、高橋はむしろ同情するような視線で俺を見て来る。何て失礼な奴だ。
とはいえ、確かに6年間片思いの上、最初の2年間は初恋の相手だとさえ知らずに相棒を続けていた始末だ。基本的に人間として噛み合っているとは思うんだ。何せ普通に喧嘩別れしてもおかしくない長くて深い付き合いだからだ。
「まあ、無理だと思うぞ。俺の彼女がミハイロワさんと仲良いけどさ。色恋に脇目も振らず、世界の頂点以外に興味ないって言ってたから。男より男前だって」
「つまり、俺がレナードをボコにして、彼女のハートをゲットするチャンスはあると」
「その前に、お前、マリンレーサーズカップでボコにされてたじゃねーか」
ヴェスレイはジトと高橋を見て突っ込みを入れる。
「ぐっ。お前には言われたくない」
そう、高橋の言うように、ヴェスレイも同じツアーでボコにされているのだ。ちなみに、俺は高橋をボコにした記憶がない。どうやって倒したんだろう?
そんな若き4人組の元へ、一人の男が現れる。
「あ、いたいた。レナード君。久し振り。元気だったかい?」
そこに現れたのは何とレオンさんだ。元ジェネラルウイングで、かつて世界最高のレーサーと謳われたレオン・シーフォ、その人である。
歴代2番目のグレードS優勝数を誇る飛行士。2つ名は完全無欠と称し、その実力は際立っていた。
「レオンさん。え、こんな場所にいらっしゃってたんですか?」
「ああ。訳有でね。レナード君を探していたんだよ。そうそう、ツアーファイナル出場おめでとう」
「いえ。レオンさんに以前、胸を貸してもらってから、自分のやりたいことが出来るようになったし、レオンさんのお陰と言って良いくらい、今は調子が良いですから。ホント、感謝です」
「そういって貰えると嬉しいよ」
俺はレオンさんと再会の挨拶をしながら握手をする。
「な、な、な、何でお前」
「れ、レオン…」
「本物?」
レオンさんの登場にヴェスレイ、ジェロム、高橋の3人はガチガチに固まってしまう。そういえば、俺はジェネラル市でディアナさんやロドリゴさんの家に住まわせてもらってる時に出会っていたから免疫があったけど、普通はこうだ。
レースの業界では伝説的英雄として存在しているレオン・シーフォを前に緊張しない筈がない。
「ジェロム・クレベルソンだよね。ホセさんから聞いてるよ。過去にも珍しい面白いタイプの子だって。期待してるよ。頑張ってね」
「は、はい」
何故畏まる、ジェロムよ。
「あとマルクさんの息子さんだよね。前に会った時はこんな小さかったのに、もうプロなんだから時間を感じるよ」
「お、覚えていただけてたんですか?」
「僕、記憶力は良いんだ。頑張ってね」
「はい」
「それと高橋君で良いんだよね。前にカルロス君に会った時に凄い強い剣術使いの子がいるって聞いてたから、チェックしてたんだよ。カルロス君と戦ってどうだった?」
「いえ、まだ自分は……修行不足です」
「まあ、僕からするとそうでもないけどね。カルロス君はその手の駆け引きとか自分の実力をレース中に相手へ大きく見せたりするのが凄く上手いんだよ。いやらしいって言うか……。でも、カルロス君も最終的には勝って当たり前、みたいな顔をしてたけど内心は焦ってたと思うよ。だからめげずに次は挽回してほしいね。期待しているからさ」
「はい!」
レオンさんは3人に声を掛けてにこやかに笑う。
「っていうか、何でレナードがレオンさんと知り合いなんだよ」
ヴェスレイが俺の裾を引っ張って訊ねる。
「ウチの相方がロドリゴさんに色々と教わっていて、ジェネラル市に行った際にその伝手で一緒に飛ばせて貰った事があるんだよ」
「そうそう。あのレースは楽しかった。僕が本気で飛ばして、一緒の領域で戦えた飛行士は初めてだったからね。現役の頃もディアナだって付いてこれなかった。並行して撃ち合うなんて人生で初めてだったんだから。だから今は自分の事のように君の活躍が嬉しいんだ」
「何か、父さんが大ファンだった人にそうやって褒められると、照れちゃいますね」
「そうそう、リラさんはこっちに来てるよね」
「あ、案内しますよ」
「すまないね」
それじゃあと俺はジェロム達と別れて、レオンさんを連れて元の場所に戻る。
***
俺が戻ると、そこにはリラの他にイケメンの男が立っていた。
「良いだろ。俺とここから抜け出さないか?」
「他の女性たちに悪いですよ」
「気にすることは無いさ。君ほど美しい子を壁の花にするなんて俺には出来ないからね。今日はクラブの借りてるホテル以外に、こっちのホテルの1101号室のスイートを借りてるんだ。今夜遊びに来なよ」
「いえ、明日はレースがありますし。一応、1回戦の相手ですけど」
リラは波風立たないようにやんわり断っているが、相手はかなりめげない空気の読まない奴だった。
「戦うのは俺と君の受け持ってる飛行士だろう?飛行技師は関係ないさ。君が望むなら、俺の飛行技師にしてやってもいいんだぜ」
よく見れば、あのイケメンは週刊誌で女性関係でも醜聞を流すパウルス・クラウゼだった。何と、月のエールダンジェ史に残る元高校生王者がリラを口説いていた。
「あ、あの野郎!」
舐め過ぎてるにもほどがある。しかも対戦相手の飛行技師を口説くとか何を考えているんだ。俺はそこに乗り込もうと腕をまくって歩き出すが……
「お断りします。私、強い飛行士にしか興味ないんで」
「は?」
「ウチのレナードとパウルスさんを比べたらちょっと実力的に話にならないって言うか……小手先が通用するのは学生レースまでですよ」
「あ?」
パウルスはきっぱりとリラに実力を否定されて顔色を変える。そして不機嫌そうにリラを睨みつける。
「俺を馬鹿にしてるのか?」
一気に雰囲気が剣呑になる。
「いえ、事実を口にしただけですけど」
「テメ…」
拳を握ろうとするパウルス。
「パウルス。何をしてるのかな?」
だが、パウルス・クラウゼが激昂しそうになる直前、レオンさんが間に入ってパウルスの名を呼ぶ。
「!……レ、レ、レオンさん!?………な、何でここに」
パウルスは一気に顔色を変える。
さすがレオンさん。パウルス相手でもその威光はすさまじいらしい。
そりゃ、パウルスは高校生大会の歴史に残るような王者だが、レオンさんは高校生の頃に高校生大会に出ないで世界一の舞台に立って優勝している人だ。しかも同じクラブの先輩後輩の仲。話になる筈もなかった。
「知人に知り合いを紹介してほしいと頼まれてね。そんなの必要ないとは思ったけど、折角だからここに足を運んだんだ。それよりもパウルス。明日の対戦相手の飛行技師を口説くのはさすがにどうかと思うよ。彼女が綺麗なのは分かるけど、君はそんな当然の事も分からないのかい?」
レオンさんは諭すようにパウルスに対して指摘をする。パウルスは分が悪そうな様子で顔を引きつらせていた。
「で、でも、もう学生じゃなくてプロなんだし、そこら辺は自己判断すればいい話じゃないですか」
「まだ序列6位の君がプロを語るのかい?」
「!……で、でも、プロは結果が全てだ。それに俺の出るレースの賞金が上がってるのだって俺が出場するのが決まってるからだ。だからこそクラブだって俺を必要としている」
「僕は君に何かを言えるような立場の人間じゃないけど……正直、最近、評判が悪いよ」
「それこそ週刊誌が面白おかしく書き立てるせいで、俺自身には後ろめたい事とかある訳じゃないですから」
「そっちじゃない。練習態度やコンディション調整についてだ。週刊誌で何を書かれても僕は見ないから君が何をしてるかなんて興味はないよ。でも、コーチも飛行技師も君に対して辟易してきている。才能に胡坐をかいて、今のような…」
レオンさんはパウルスに対して説教じみた事を口にしていると、そこでスポンサーの男達が割って入って来る。
「まあまあ、レオンさん。パウルス君はよくやってますよ。今はまだ結果が出てないだけでね」
「そうそう。それよりもパウルス君のファンがたくさん向こうに来てるんで対応願いますか?ウチの企業からの招待客でして」
男達はパウルスとレオンさんの間を切り離して、パウルスの背を押すように去って行く。パウルスもすこしホッとした様子でレオンさんから逃げるように去って行く。
いつも笑顔だったレオンさんらしからぬ、苦虫を噛み潰したような顔でそれを眺める。
そしてすぐに切り替えたように俺達に微笑んで見せる。微苦笑って感じだった。
「すまなかったね、リラさん。ウチの後輩が」
「いえ。別に」
「悪い奴じゃないんだけどね。小さい頃は空が大好きで練習熱心な子だったんだ。知っての通り、常人が真似できない程の空間把握能力を持っているし、僕らの助言もよく聞く良い子だった」
「だった。過去形…なんですね」
まるで過去を思い出すような言葉と、節々に来る過去形に、俺もリラも違和感を覚える。
「中学で活躍して多くの備品にスポンサーも付き始めて、周りもチヤホヤし始めて、変な取り巻きが出来てね。随分と変わったよ。昔はあんな子じゃなかったのに。リラさんが指摘したように、……小手先が通用するのは学生レースまで、今既にプロで全く通用していない。ジェネラルウイングは若手にチャンスを与えるべくプロ契約可能な6人の内、序列6番目を期待している選手に渡すんだ。彼が未だに序列6番って事は……分かるよね。期待はしてるけど実力は足りてないって証明なんだ」
レオンさんは少し悲し気に口にする。レオンさんもまた、恐らくはパウルス・クロウゼに期待していたのだろう。だが、高校を卒業しても思うように頭角を現してこない後輩にがっかりしている。そんな感じだ。
「そういう状況で何で未だに、小言が出てくるような状況なのでしょう?」
「スポンサー達の甘言に気持ちが行くのかな。ああやって周りに守られてしまってる。僕には常に業界で誰も歯向かえないおっかない人が飛行技師にいたし、元々GWスペースシップ重工の社長令息だからそういうおべっかを聞くのも慣れてたからね。僕としては昔のパウルスに戻ってしっかり頑張ってくれると嬉しい。ウチの生え抜きは皆アイツに期待してるんだよ」
レオンさんは悲しそうな瞳でパウルスの方を見る。彼はスポンサー達に紹介され、若い女性に囲まれて楽しげにふるまっていた。
もうレオンさんに注意された事を忘れたかのように。
「有名になると甘い罠に嵌るなんて聞きますけど、実際にあるんですね」
「あるよ。レナード君みたいに、基礎飛行が趣味、なんて言える子の場合はむしろ安心できるけどね。基礎飛行は練習し続けるだけで飛行技術は衰えないから。でもこいつは休むとどんどん下手になる」
ぞっとするような話だ。
気付かない内に弱くなるという状況は本当に恐ろしい。
俺達は他人事じゃない話を聞かされて心の中で引き締める。自分達も有名になったらそうなってしまうのだろうか?だが、俺の場合はちょっと考えにくい。何せ目標はリラを世界一の飛行技師にする事だ。そして俺の相方がそんな甘えを許すはずもない。
そんな中、両手で2人の少女と手を繋ぎながら歩いてくる一人の青年がやって来る。
俺はその青年を見て直に思い出す。第3シードに入って喜んでいたウィリアム・パルムグレン選手だった。俺の中で緊張が走る。
「初めまして、だよね。僕はウィリアム・パルムグレン。レナード・アスター君とリラ・ミハイロワさんだよね」
「え、ええ。まあ。自動ドアのレナード・アスターですが」
「あははは。そう言えばパウルスさんがそんな事を言っていたね。実はこの大会、ずっと君と戦うのを楽しみにしてたんだ。4ツアーあるからどこかで当たるかと思ってたんだけど、結局当たれなかったからさ。別に僕は君を軽んじて当たった事を喜んだつもりじゃないんだ。もしも気分を害していたのなら許して欲しい」
ウィリアムは丁寧に頭を下げる。
「え、あ、いえ」
パウルスと違って、物凄く紳士だ。さすが元世界王者ニクラス・パルムグレンの息子だ。
「なめられる事に慣れ過ぎてて何を聞いてもバカにされているものだと思ってしまうこっち側にも問題ありましたから」
リラはフォローを入れる。
そのフォローは間違いないのだが、そこを突っ込んでほしくはなかった。そう、俺達は舐められ慣れていた。
「でも、俺と当たるのを楽しみにしてたって……。自慢じゃないけどここ数年、エールダンジェ雑誌には結果以外に名前の乗った事のない選手ですが?」
何故知っているのだろう?
「学校でスバルカップの君のレースを何度か見せられてね。全然無名なのに、凄い飛行士がいる事に驚いてたんだ。とはいえ、僕もさすがにこのレースでそこまで勝ち上がれる自信はなかったからね。早いうちに当たりたいって思ってたんだよ。先生も早いうちに当たらないと精神が持たない可能性があるから1~2回戦じゃないと実力を体感できないだろうって言うしさ」
「そ、そうですか。い、いやー、そんな評価してもらえるなんて」
「そうかな?少なくとも、このツアーで君の名前は一気に売れたと思うよ」
ウィリアムさんはそう言って讃えてくれる。これは褒め殺しという奴だろうか?
するとウィリアムさんと手を繋いでいた二人の少女が前に出る。瓜二つな少女で、まるっきり同じ白地に赤いラインの入ったワンピースドレスを着ていた。元世界王者のパルムグレン氏は二人の違いは髪の長さがショートとロングの違いだけだろうか?
「ルナ・パルムグレンです」
「レイナ・パルムグレンです」
「レナードさんとリラさんですよね」
「サインください」
2人の少女はサイン色紙とサインペンを俺達に差し出してくる。
俺は困ってしまいウィリアムさんの方を見る。
「2人はマリンレーサーズカップで君とヴェスレイ君のレースを見てファンになったんだってさ。本当はライバル関係にあると世間様から言われている、ヴェスレイ君の『偵察に行ってくる』って見に行ってたはずなんだけどね」
ウィリアムさんはアハハハと苦笑する。
「僕はね、ビューンって飛ぶのが格好良かったの!」
「リラさんみたいにお母さんよりも美人でもっと華麗な飛行技師の人って初めて見ましたの」
キラキラと目を輝かす幼女2人。
なんだか照れ臭い。
「さ、サインなんて準備してないんだけど」
俺が困っているとリラがサラサラと色紙にサインを書く。俺の書くスペースを残しておき、俺はそこに自分のサインを書く。相手の名前も聞いていたので『レイナちゃんとルナちゃんへ』という文字も忘れずに。
俺が彼女たちに渡すと凄く嬉しそうに喜んでいた。
「レンてさ。幼女に…」
「リラ。言わなくていいから」
間違いなくリラは『幼女にばかり憧れられてるよね』って言おうとしていた。
桃ちゃんに続き、メリッサ王女、そしてパルムグレン姉妹と並び、なんだかなぁって感じだった。
「じゃあ、ウィリアムの2回戦はレナード君か。ちゃんと勝ち上がらないと、先生が怒るぞ?こんな場所まで来て、手前で落ちるな!って」
「勿論、1回戦は絶対に勝ちますよ。何せ先生が飛行技師についてくれるんですから」
するとレオンさんがウィリアムに声を掛け、ウィリアムはうなずいて意気込む。そういえば、ウィリアムは俺とレオンさんの前に立っていたのに、レオンさんには特別挨拶をしてなかったのは、もう顔見知りだったからなのか。
リラはレオンさんの方を見て知っていたのかと尋ねるような表情をすると、レオンさんはうなずく。
「地球でエールダンジェ教室をして、そこからESエールダンジェ学園学長の所有する宇宙船でこっちに来たんだ。昨日、彼らと合流してたんだよ。ウィリアムとはその時に顔を合わせていたんだ」
「へー」
俺はなるほどと納得し、そこでふと気づく。ESエールダンジェ学園学長の所有する宇宙船なんて使うのはなぜだろうと考えて、ふと思い当たる。
一体、誰と一緒に来たのだ?
そんな中、小さくカツンカツンと人の歩く足音が近づいてくるのを聞いて、俺とリラは振り向く。
「先生、こっちですよ」
レオンさんが手を挙げてやって来た男を呼ぶ。
やってきた老紳士は杖を片手にゆっくりと歩いてこの会場を闊歩する。周りにいた人間達がまるで道を譲るように避ける。
俺の心臓は一気に跳ね上がる。
レオンさんとウィリアムが同時に先生と呼ぶような人物、そもそも一人しか存在するはずがないのだ。
俺は老紳士を見て、そして慌ててリラを見る。
そう、あの老紳士こそが、リラがエールダンジェをやっている中で最大の目標としている人物である。
エリック・シルベストル。
飛行技師王の二つ名を持つ男だ。
この業界に飛行技師の概念を植え付け、エアリアル・レースを太陽系の大衆に広めたと言っても過言ではない、この業界の重鎮。数多の企業のトップでさえ一目を置き、彼の作った理論こそが現代エアリアル・レースの基本であり全てと言っても過言ではない。
過去に出会った誰と比較しても、比べる事さえできない超大物が、この場所にやってきたのだ。
「エリック先生。こっちがレナード・アスター君で、こっちがリラ・ミハイロワさんです」
「エリック・シルベストルだ。よろしく」
「あ、は、ひゃい」
リラは慌てて手をドレスのスカートの部分で手を拭いて右手を差し出す。そこで左手を前に出そうとして、やっぱり相手に合わせて右手で握手をするのだった。
この女、思い切り緊張して声が一瞬ひっくり返った癖に、宣戦布告でもしようかと、左手を差し出そうと考えやがった。何という豪胆。目の前の人は、この業界のドンともいうべき人間なのに。
レオンさんもその様子に微苦笑をしていた。多分、俺も同じような表情をしているだろう。
シルベストルとリラが握手を交わす。
「ふふふ、良い手だ。飛行技師の手だな」
「こ、光栄です」
「心にもない事を言わなくても良いさ」
リラは畏まって返答するのだが、シルベストル氏はフンと鼻で笑う。
「スバルカップを見て以来、君たちの事はずっとチェックしていたからな」
「そ、それは……」
俺はまさかあの大御所にまで注目されていたとは思いもしなかった。
「あのレースは歴史を変えるものだった。あのレースの違いを世間が誰も理解できないだろう事を惜しくも思っていた。特に飛行技師。まるで俺の残した理論に喧嘩を売っているかのような調整。引退して昨今、こんな規格外が世に出て来るとは思いもしなかった。あの調整は自分で考えたのか?」
「え、あ。は、はい。その、飛行士を勝たせるためにどうすれば良いか。どうやって勝利に介入できるかを考えて…」
「くはははは。やっぱりか。所々、俺の知ってる飛行技師の癖が入っていたが、根底が全く別物だったからな。俺が現役時代、アプローチしようとしてたどり着けなかった概念が、俺の基本を引っ繰り返して形になってたんだ。しかも、小綺麗な嬢ちゃんが飛行技師をしているからどんな奴かと思えば、俺の知るどんな本職の連中にも負けない、良い手をしてやがる」
エリック・シルベストルは豪快に笑って、リラを評価する。
俺はその時、鳥肌を立たせていた。俺の相棒が、目標だった相手から褒められている状況に驚いていた。
「まあ、先生に紹介してほしいって言われていたんだよ。主にリラさんの方なんだけどね」
レオンさんの言葉に俺は本気で驚いていた。俺達が世界の頂点に紹介してほしいと頼まれるような存在だという事実が、だ。
「まさか、エリック・シルベストル当人にそんな言葉を頂けるなんて驚きました」
リラは緊張した様子で返答する。
「堅苦しい言葉は抜きだ。何せ20年ぶりに俺にガチで喧嘩を売れるようなタマが目の前にいるんだ。それが楽しくて、こんな場所まで来てしまった」
「リラに会いに?」
「いいや、お前らに会いにだな。何せレナードは、かつて俺が作った理論じゃ、こんな場所に辿り着く事さえ不可能だった。それを現実として覆した。しかも俺が作った最強の芸術品さえも抑え込んだって言うじゃないか。興味が湧かない筈もない」
そう、俺がそもそも多くのスカウトから目を掛けられなかったのはシルベストル氏の作った理屈の外側にいたからともいえる。それが勝ってここまで来ている。あり得ない事だろう。
そして最高の芸術品とはおそらくレオンさんの事を差していると思われる。彼とのレースの事も、恐らくレオンさん経由で耳にしたのかもしれない。
「でだ。お前ら、ウチの高校に来ないか?」
「は?」
俺は目を丸くする。リラもキョトンとしていた。
「恐らく、お前らを認めるクラブは皆無だろう。ウチの学園に来れば、2人に最大の支援をし、リラがどのクラブでも通用する必要な技術と飛行技師達をマネージメントする能力を身に着けさせながら、プロの舞台で戦わせ続ける事が出来る。今、プロに入ればお前らは底辺に落ちて、次に表に出るのは困難だ。このまま消えていく可能性もある。ウチに来れば、3年でどのクラブでも飛行技師としてやれる技能を身に着けさせ、誰もが黙るような結果をもってこの世界に君臨できるだろう。恐らく、これ以上ない条件だとは思うが?」
エリック・シルベストルはとんでもない事を口にする。この人はリラの実力を評価し、特別待遇で俺とコンビを組ませながら飛行技師としてトップクラブで戦える能力をリラに身に付けさせると言ったのだ。
ずっと見上げて、追いかけてきた存在が、まさかこれ以上ないような評価をリラにしていた事実が、俺を戦慄させた。
この流れに乗れば、俺達は……。でも、……
リラは首を横に振る。俺はその姿を見て、やっぱりと心の中で納得していた。
「お断りします」
「何故だ?」
「確かにおっしゃる通りでしょう。今の私がプロに入れば、底辺に落ちる。エリック・シルベストルの作った理論はその位凄い物だってのは分かってる。でも、私はそれを食い破っていく。本気で上の連中と戦って、上の連中に私を認めさせて、頂への道を自分の足で登らなければ意味がない。何年かかろうが、そこを駆けあがり戦った経験も全て手にして王の麓に辿り着くのではなく王と並び、そして王を越えていく。それを成すのが私の目指す道です。貴方に指し示された最高の道ではなく、自分で選ぶ茨道を歩きたいのです」
リラは一切妥協なく、しっかりと王を見据えて断言する。
やだ、この人、格好良すぎる。俺が女なら惚れてるわ。いや、男だけど惚れてますが。本当に……男前すぎる。
「ははははっ!良いな、それは」
楽しそうにシルベストル氏は笑う。反発されたのに逆に喜んでいた。
「さて、本当なら飛行技師同士、過去のレースなどを振りかえって会話をしたい所だが、俺とお前さんは今大会は敵同士だ。ならば敵同士らしく、明後日にはレースで会話をしよう。まだまだ若いものに負けるつもりはない。じゃあな、未来の飛行技師の女王」
エリック・シルベストルはリアの肩を叩いて、そして嬉しそうに去って行くのであった。
「レースで会話…か」
リラは口にして考え込む。つまり、
「ウィリアムさんの飛行技師として出て来るって事ですか?」
俺の問いにウィリアムさんはうなずく。
「そうだね。ウチからは何人かこの大会に出ていて、実はツアーファイナルで君と当たった場合、先生が見てくれるって話もあったんだ。まあ、ファイナルに出れそうな僕を含めた3人にしか知らない事だけど。結局、ここに出れたのは僕だけ、そして幸運な事に2回戦で君と当たる。だからね、二重に楽しみにしているよ」
注目しているライバルと戦えることと、憧れの飛行技師についてもらえることの二つの意味があるというのだろう。
「……やだなぁ。ずっと目標にしていた存在と戦えるチャンスがきちゃうなんて……もう間違ってもこの大会で負けられないじゃないですか」
気が重すぎる。しかも相手はというと、月の王者が終われば、元世界王者の父を持ち飛行技師がエリック・シルベストルというおまけつき。
そりゃ、元々はジェラール・ディオールと戦うってのが目標だったから、決勝まで行くのが目標ともいえるんだけど。
リラにエリック・シルベストルとガチで戦わせて勝たせるなんて、最高のチャンスを与えさせるなんて、俺は死んでも2回戦まで勝利するしかなくなったのだ。
「僕も先生を負けさせるつもりはないし、本気で戦おう」
ウィリアムさんはそう言って俺と握手をして、そして妹たちを連れて去って行く。最後まで妹たちは俺達に手を振っていたので、俺達も手を振って別れる。
「っていうか、エリック・シルベストルにまでマークされてたのかよ。ウチの相方化物ですか?」
「ふ、ふふ。ととととと、当然よ」
「めっちゃビビってる、めっちゃビビってるよ、リラ」
めちゃくちゃ格好いい担架切っておいて、実は内心かなりテンパってたな、コイツ。でも、そういえばこういう女だよな、昔から。
「レオンさん、まさかあの人に僕らを紹介する為にここに来てたんですか?」
俺は隣にいるレオンさんに尋ねる。
「あははは、実はそうなんだ。ほとんど先生に拉致られる感じでここまで連れてこられちゃって。そして、あの先生は本気で君達と遊びに来ている。覚悟した方が良いよ。なにせあの人の調整は、己の描く理想と己の今出せる最高の能力を、そのまま現実に具現化させる飛行技師だからね。君たちがどう戦うのか楽しみに観戦させてもらうよ」
レオンさんもヒラヒラと手を振って去って行く。
やがて、誰もいなくなり俺とリラは二人でパーティ会場の片隅に取り残される。
やっと有名人ラッシュが終わり、俺とリラは大きく溜息を吐く。
「最近、大物との出会いが多すぎない?」
「まあ、そこまでやって来たって事よ。フィロソフィアのアンダースラムで出会った私達にしちゃ、奇跡に等しい確率なんでしょうけど」
「そりゃそうだ。でも……ジェロムが言ったように、そろそろ目で見える場所にまでやって来てるんだよね。頂上が見える位置に」
「ええ。足を止めるつもりはないわ。一緒に行くわよ」
「ああ」
俺とリラは互いに拳と拳を軽く合わせて、二人で笑いあう。
そう、俺達のゴールがまだ長いのか短いのかは分からない。だけど、確実に見える場所までたどり着いたのだ。