悔しいよう
僕らは走って街の路地裏へと飛び込むように入って追いかけてきた男達を撒く。
息をひそめて路地裏から大通りの方を見るとまだ、男たちは僕達を探しているようだった。恐ろしい程に彼らの右手にナイフが握られていた。
見つかったら殺されちゃうのでは?
僕とその男達に追いかけられていた少年は、路地の奥に隠れてひっそりと息を潜める。祈るように彼らの姿が見えなくなるのを待っていた。
恐ろしき追跡者が見えなくなって、少しだけホッとして息を吐く。
「いやー、助かったっすよ」
男達に追いかけられていた少年はニコニコと笑って僕に礼をする。
褐色の肌に黒い縮れた髪を短く刈っている。黒曜石を思わせる光り輝く瞳が印象的なその少年は僕の目をはっきり見ながら笑う。
「一体、何があったの?ええと……」
「ああ、自分、ペドロって言うっす」
「僕はレナード・アスター。みんなはレンって呼ぶけど……どうしてあの人達に追われてたの?」
僕はペドロと名乗った目の前の少年に率直に尋ねる。
「奴等、この辺の元締めなんすよ」
「元締め?」
「そうっす。で、その前ちょっと良い稼ぎをしたんすけど、奴等その時に失敗して損したらしいんっすよね。で、八つ当たりされそうになったんすよ」
「何だか格好悪い話だね」
八つ当たりで八つ裂きにされるのか。恐ろしい土地だ。
「でしょう?いやー、偶に本当に殺されたりする仲間とかいますからね。助かったっすよ」
「……」
そんな命のやり取りが平気で行われているのかと知って、背筋に寒いものをに感じる。もう、この土地はどうなっているのかと担当者に訴えたい。
担当者はどこ?
「まあ、今日は薬物やって無かったから殺される事は無いとは思ってたっすけどね」
薬物!?
本当にとんでもない場所にやってきてしまった事に気付かされる。
「それより兄貴は見たところ、こういう場所に生きてる人には見えないっすけど、何でこんな所に?」
「あ、あにき?……ええと、いや、そのウエストガーデンのゴミ山を登っていたら急にゴミ山が崩れちゃって、………気付いたらここに流れ着いていたって感じで」
ペドロはいきなり兄貴とか呼び出す。ちょっと変な感じでムズムズする。
とはいえ、何でここにいるのかといわれてもあまり説明がつかない。
自分でも何でこんな場所に辿り着いたのかよく分かって無いのだ。自分で説明してみても何だか変な感じである。
「………そりゃまた難儀な事で」
どうもペドロはそれはどうでも良いようで聞き流して適当に相槌を打っていた。
「うん。それで、どうにかお金を手にしてウエストガーデンに連絡を取りたいんだ。救助を頼むって言うか」
「ああ、なるほどなるほど。ですがそんなお金があるんですか?区画移動用エレベータで上層に行くには100万MR必要だったと思いますけど」
ペドロは不思議そうに僕をジロジロとみる。
100万MRの価値が僕にはわからない。
月で使われている共通のお金はM$で、エールダンジェの大会とかの賞金金額はU$なのだが、基本的に大差ないのは知っている。実のところ、MRという通貨は耳にした事はあるけどどんなものかは知らなかった。
「バッグの中にスポーツタイプのエールダンジェがあるんだ。それを借金の形にできるって教えてくれた人がいて」
「借金っすか。たしかにスポーツタイプのエールダンジェは高いっすからね」
どうやらミハイルの教えてくれたようにすれば上手くいきそうだ。少しホッとする。
「そうだ。銀行の場所って知らない?」
「銀行っすか?良いっすよ。お世話になったっすからね。案内するっす!」
ペドロはにこやかに僕に案内を申し出てくれるのだった。
良かった、これでどうにかウエストガーデンまで行けそうだ。
僕はペドロに引き連れられて銀行のある場所に向かう。
路地裏を抜けて、人通りの多い大通りを歩く。
空が薄暗いのは相変わらずで、天蓋は灰色のままで、街灯がついているだけ。街にはあまり活気がなく、仕事もないのにぶらぶらしているような怪しげな人がたくさんいた。
それでも、人の気配が少なく襲われても人の目のないような場所よりは、よほど安心できる気がした。
***
大通りを歩いていると、時計塔が見える。針は10時を指しており、1日が経っていた。
歩いていると、キュウと小さくお腹が鳴る。そういえばもうかなり食事をしてなかった。腹が減った。上層に登ったら、食事にしようと心に決める。
「兄貴、ここっす」
辿り着いた場所はルナグラード州営銀行。
大きなビルがズンッと聳え立ち、天蓋までビルが繋がっていた。
もしかして上層につながっているエレベータもあるのかな?
僕は銀行に入ろうと足を向けると、そこでペドロが僕の手を取る。
「兄貴。これ」
「?」
ペドロは入口の注意書きを指差す。
『飲食物、銃刀や武器等の持ち込みは固く禁じます。場合によっては警備ロボによって排除・通報させていただきます』
ペドロの言葉に僕は首をかしげて考え込む。
お腹が減る程度に飲食物は持っていない。
当然だけど武器なんて持っていないのだけれど、何を言っているんだろう?
「もってないけど」
「エールダンジェって一応武器じゃないっすか」
「あ」
エールダンジェはスポーツ用品だけど、そういえばエールダンジェは元々軍事兵器から出来た生活用品。
僕はペドロに言われるまで気付いていなかっけど、確かに言われて見ればこれは武器だ。
「どうしよう」
エールダンジェを持って銀行には入れない。エールダンジェを持っていかないと銀行で借金ができない。
卵が先か鶏が先か、否、それとこれはちょっと違うような気がする。ともあれ、僕は銀行に入る事が困難なことに気付かされてしまった。
「兄貴、自分がそれを持ってましょうか?銀行に説明して外で取引したらどうっすかね?それまで待ってますから」
ペドロはそこでいいアイデアを出してくれる。なるほど、その手があったか。というかエールダンジェを持って入って良いか聞けばいいんだよね。
「あ、そうかー。うん。じゃあ、これよろしくね。ありがとー」
僕はエールダンジェの入った手提げ袋を背中から下ろすと、ペドロに渡す。ペドロはそれを両手で仰々しく受け取る。
「いえいえ、兄貴には世話になったっすから」
ペドロは謙遜するように首を横に振る。
「それじゃあ、待っててね。直に戻ってくるから」
僕は軽い足取りで銀行へと入る。
僕は銀行の受付をしているテーブルに浮かんでいる人間の姿をした立体映像に事情を話す。
エールダンジェの担保に借金をしたい旨、ウエストガーデンに戻れば返せるのではという話をすると、受付AIは素直に聞いてくれた。
『エールダンジェをお持ちでは無いようですが、どちらにありますか?』
受付の立体映像は僕の様子を見て(上についている監視カメラで見ているのだろう)、エールダンジェを持っていない事を逆に尋ねてくる。
「武器の持ち込み禁止って聞いてたから」
『スポーツ用品は武器扱いになりません。安全性を考慮されたスポーツ仕様ですから』
「あ、そっかぁ。深く考えすぎちゃった」
アハハハと後頭部を搔いて苦笑する。言われてみればその通りだ。ちょっと大げさに考えすぎたのかもしれない。
「じゃあ、持ってくるね」
『安全性に問題ないか確認いたしましょう』
受付の立体映像が消えると、テーブルについていた中央の穴が開き、小型ドローンが現れる。
「こっちです」
僕はドローンを誘導しながら、店の外に出て、ペドロに渡したエールダンジェを見せようとする。
だけど、銀行の外には僕のエールダンジェを持っていた筈のペドロが存在しなかった。
「あれ、ペドロ?」
どこへ行ったのだろうか?まさか、こんな短時間で行方不明とか迷子は無いと思うんだけど。1分も経ってないし。
まさか、僕らを追いかけていた奴らに見つかって、慌てて逃げたのだろうか?だとしたら大変だ。早く探さないと。
『お連れ様はいらっしゃらないのでしょうか?』
エールダンジェを見に来たドローンから声が掛けられる。
「何処か行っちゃったみたいです」
『でしたら、今度はエールダンジェを直接中に持ってきて再度お声掛け願います』
「はい」
ドローンはそのまま店の中に戻っていってしまった。
僕は慌ててペドロを探しに行く羽目になったのだった。
***
どんなに走り回って辺りを探しても、一向に見つからなかった。
何度も銀行の周りを見回しながら、裏通りをのぞいたりして、探し続ける。
昼が過ぎ、夕方へと差し掛かる。キュウキュウとなる腹が鳴るが、お金が無いから食事を手に入れる事さえできなかった。
あまりにお腹が減り過ぎて死にそうだ。
疲れてしまい、まっすぐ歩けないくらいフラフラして歩いていた。銀行からちょっと遠い場所にある明るい建物を見つけ、その近くへと向かう。
僕は明るい灯の近くで蹲って座り込む。もう疲れてしまった。
明かりが煌びやかな建物の近くは薄暗い街の中でひどく目立つ。天蓋まで建物が伸びていて、中層へ向かうエレベータでもあるのだろうか?
帰りたいという意識が頭の中を占める。
ウエストガーデンはどうなってしまったのだろう。
もしかしたらあの事件の行方不明者として名前が載っているのだろうか?
早く帰らないと……
早く帰る?
どこに?
何故?
そもそもどこに帰るんだろう。お父さんもお母さんもいないのに。
涙が出てきそうになり、目元を拭く。
僕は何でこんなひどい所にいるんだろう。こんな掃き溜めみたいな場所から早く出て行きたい。
それにお腹が減って仕方ない。それもよく考えたら仕方ないかもしれない。僕はもうあの事件から一切食べ物を食べてない。キュウキュウ腹の音が鳴いて仕方ない。もう力も出なくなってきた。
「お腹減ったよう…」
僕は座ってうつむいていると、いつの間にか空は夕方の薄暗い色から夜の黒い色へと変わっていた。でも、近くの明るい建物があるので、少しだけ心強かった。
そんな時、どこからか『エールダンジェ』という言葉が聞こえて顔を上げる。
「レース始まるんだろ?」
「次の試合で当たるかもしれないんだろ」
「今日、マリウスの野郎がムーンライトを手に入れたって話を聞いたぜ?あっちの方がやばいかもしれない」
「マジか?」
「とりあえずレースを観戦しようぜ。賭博場の前で放送されてる筈だからさ」
そんな話を耳にして、僕はエールダンジェのレースが行なわれるという話を聞いて、周りを見る。
気づいていなかったのだが、どうやら僕が明るい場所を求めて近付いた建物は、どうやら『フィロソフィアアンダーカジノ』という名前の賭博場みたいだ。
更に夜も更けると、様々な色が入り乱れるようにライトアップされて、凄く綺麗になる。
大きな電光掲示板では、賭博状況が分かるような放送が流されていた。
どうやらエールダンジェの放送が行われているというのはここの事だろう。オッズとかが映されて、そしてレース映像が映される。
「ん、あれは……エールダンジェ?」
僕は映像を見て想像していたものと違うものが映されており、凄く驚かされる。
エールダンジェを用いたバトルレース、通称エアリアルレースは頭、胸、腰、両肩、両大腿にあるポイントに一定の衝撃を与えればポイントになる。勿論、マシンバトルスポーツと呼ばれているだけあってライトハンドガンに当たれば痛いし激しい接触もある。でも、安全性を考慮されたプロのレースでも死者が出る事は非常に稀だ。
だけど、画面に映し出されているレースはそんなレースとは一線を画すものだった。
二人の飛行士が空を飛んで互いに銃撃を撃ち合うのだが、当たると激しく吹き飛び、機体でなく体に当たると血が飛んだりする。どうも出力が凄く高いみたいだ。
さらに組み合って殴り合ったりする。
普通、エアリアルレースでは相手のポイント以外を攻撃する事はあまりない。そもそも重力制御装置によって斥力場が働いているから、接触する事自体が珍しい。互いの斥力場同士がぶつかり合って接触しないで跳ね返ったりする方が多い。
普通のエアリアルレースはポイントの奪い合いなのだけれど、今、僕の目の前で繰り広げられている映像は殺し合いのようだ。
相手が倒れても7ポイント取らない限り終わらないようで、倒れた男の上に馬乗りになって何度も何度もポイントにならないのに殴りつける。
もはや狂気の沙汰としか思えない展開だった。僕の知るエアリアルレースとは全く違うものだった。
だけど、それを見ている人達は大喜びで歓声を上げていた。
ぞっとする程、恐ろしい見世物だ。
恐怖で冷たく感じる僕の熱とは逆に、レースを見ている観客は賭博用のマネーカードを握りしめて、殴れ殺せと腕を振り回して応援する。
エアリアルレースは基本的に賭博興業だというのは知っている。
フットボールなんかもそういった要素が存在している。だけど、これでは人と人の殺し合いを見て楽しむだけで、エールダンジェはオマケである。
吐き気さえ催すレースが終わり、僕はうんざりした感じで顔を膝の上に埋めて溜息を吐く。ここは生活環境だけじゃなく、大好きなエアリアルレースまでおかしなことになっている。
こんな場所から早く出ていきたいよぉ。
僕は目元をゴシゴシと拭いて涙をこらえていると、僕の視界の中に青髪の大男が“ムーンライト311”を右手に持って歩いている姿が見える。
僕の持っていたエールダンジェと全く同じものだった。そしてそのエールダンジェのアームプロテクタの部分に傷がついていた。
僕が家で落として、テーブルにぶつけて作ってしまった傷跡だ。
「あった!ぼくのーっ!」
僕はダッシュでエールダンジェを持つ青髪の男の方へと駆けつける。
「すいません!そのエールダンジェを見せてください!」
僕は青髪の男の前に立って、エールダンジェを手に取ろうと問いかける。
「ああ?」
男は青い髪の奥に見える青銀に輝く険しい瞳をこちらへと向ける。
「このエールダンジェ、どこで拾いました。それ、ぼくので…」
「あれー、兄貴じゃないっすか。どうしたんですか、血相変えて」
僕が声をかけた相手の横には、褐色の小柄な少年がいた。銀行の前で僕のエールダンジェを持ってくれていたペドロだ。
「ペドロ!……ど、どうしたじゃないよ。どこに行ってたの!?僕のエールダンジェだよね、これ」
僕は青髪の男の持っているエールダンジェを指差して訊ねる。
「何言ってんすか?それは自分が銀行の前で拾ったものですよ」
ペドロはしれっと言ってのける。
「は?」
ナニヲイッテルノ?
「はっ…大体、兄貴のものだったとして、それが何か問題なんですか~?」
ペドロはニヤニヤと笑いながら半眼で僕をみる。
「何がって……」
「ろくに知りもしない相手に貴重品を渡すなんて盗まれたって文句が言えないっすよ。ああ、むしろ授業料としてカネ欲しいくらいっすね」
ペドロは僕を鼻で笑い飛ばす。
「そ、そんな馬鹿な話ないよ!返して!僕のエールダンジェ、返してよ!」
僕は青髪の男の持っているエールダンジェに手を伸ばそうとする。
すると青髪の男の拳が僕の顔面に襲いかかってくる。
激しい衝撃に僕は地面に転がされる。
「人の持ってるものに手をつける盗人が。ダメじゃないか。親の顔を見てみたいぜ」
青髪の男はゲラゲラと僕を見下して笑う。
誰が盗人だ!それに……親の顔なんて……
その時、確かに僕の中で何かが切れる音を感じた。
「うあああああああああああああっ!返せ!返せええええええええええええ!」
気付けば拳を握り人生で初めて本気で人間に殴りかかっていた。
だけど青髪の男は僕に向けて鋭く蹴りを放ってくる。頭に強い衝撃を受けたと思うと世界が回転していた。
頭がグラグラする。それでも必死に青髪の男に反撃しようと足にしがみつく。
「返せ…返せよぉ。それは僕のなんだぁ」
「ふざけんなよ、テメエ」
すると、お腹に強力な衝撃が入り、僕は痛みで悶絶する。喉の奥から酸っぱいものがこみ上げ、口から胃の中にあったものが吐き出される。
「何が返せっすか。アホですねぇ」
さらにペドロは硬質なブーツを僕の頭へ向けて振り下ろす。
頭に強い鈍痛を覚えるとともに視界が真っ赤に染まる。
そしてさらに何度も何度も体中を痛めつけられる。僕の視界は赤く染まって見えなくなっていく。
「返せよぉ」
僕は必死になって青髪の男の足にしがみつく。痛くてたくさん涙が出てくる。目の前がよく見えない。それでも離したら2度と帰ってこないような気がした。
すると青髪の男はサッカーボールでも蹴るかのように僕の頭に足を振り下ろしてくる。
来るのが分かっていて、避けたくても体が全く動かない。次の瞬間、強烈な衝撃が頭に走り、目の前がぐるぐると回転する。
僕はもう指の一本も動かせなかった。
「返してやっても良いぜ、小僧」
「え、何を言ってるんですか、親分」
青髪の男の言葉にペドロが驚いたような声を上げる。
「でも、これは俺が手に入れたモノだ。ただでは返せねえなぁ。ちょっと試合に付き合ってもらうぜ。俺に試合で勝てたら返してやるよ」
僕は何かを言い返したいけど、もう頭がグラグラして視界も真っ赤に染まっていて、口を動かす力も出なかった。
何でこんな目に合わないといけないんだよ…。あれは僕のエールダンジェなのに。
朦朧とする中、青髪の男が僕の手を取り何かに触れさせる。
『指紋承認確認しました。本日より2週間後のAN315.05.15にてレナード・アスターとマリウス・カルマンのレースを開催いたします』
消えゆく意識の中で、電子音声がどこからか聞こえてくる。
「へっ、アンタみたいな何も知らないガキがこんな場所でヘラヘラしているのが悪いっすよ」
ペドロは僕に何かを言うと、ペッと音がして、僕の頭に何か生暖かい水みたいな何かの感触が当たる。
「はっ。まあ、俺にレースで勝てたら返してやっても良いぜ。ま、一生無理だろうがな」
「レースの前まで生きているかも怪しいっすけどね。行きましょう、親分」
ゲラゲラ笑って声が遠ざかっていく。その声を最後に僕の意識はどこか遠くへと消えていくのだった。
くそう、くそう、くそう……悔しいよう。
そんな思いだけを残して。