色気に釣られて地獄のツアー
新暦320年が終わりを告げる。
月で最も人気のあるスポーツ『エアリアルレース』のファンにとって年末イベントは見逃せないものである。
まず最初のイベントは10月から始まったスーパー・ムーン・リーグという月のプロ飛行士達が競い合う団体リーグ戦が12月初旬に終わる。
優勝したのは首都ムーンレイク市にある月最大の複合企業『セレネー』で、ロドリゴさん率いるジェネラルウイングは2位に終わった。バランスよく強いチームだったのだが、新人が経験不足が露呈した結果と言えるだろう。
次に始まるイベントは高校飛行士達の祭典、グランドタワーである。優勝したのはムーンレイク工科大付属高校の2年生ベンジャミン・李だった。腹が立つくらい相手をおちょくるようなテクニックでかわして点数を取っていた。桜さんは決勝まで進んでいた。1年生女子が決勝まで勝ち残った事で大きく注目された。オリエンタルな雰囲気の美人なのも後押ししたような気がする。ただ、2シーズン前の中学時代に戦ったベンジャミンと桜さんのレベル差は確実に縮まっていた。桜さん曰く、高速域に慣れる為に基礎練習を重点的にやってきたお陰で地力が上がったとの事。
来年は勝てると意気込んでいた。
そして年末最後に行なわれるのが世界最大のイベント、グランドチャンピオンシップ、通称グラチャンである。
昨年度で活躍した選手16人が出場して1対1対1対1形式のレースが行なわれる。このレースは太平洋中央を貸しきって海の上で何キロもの距離をレース場とする世界最大規模のレースである。そして各国の首相や国王や大統領、大企業の社長みたいなVIPが個人所有や国家所有の巨大客船や巨大飛行船に乗ってそのレースを観戦するので、レースだけでなく誰が来るのかも注目されたりする。
今年の優勝者は俺のファンだったカルロス・デ・ソウザ選手。大ベテランながらも、昨年度の年間グレードS全制覇したゴスタ・ホンカネン選手を下しての優勝という事で凄く盛り上がる結果となった。彼が年間グレードS全制覇したのは15年前だった筈だが未だに最高の舞台で優勝する辺りが、怪物たる由縁かもしれない。
そして、年が開けて、新暦321年1月になる。
9月から始まった3週間おきに行なわれるツアーレースは年末年始の1週間の休みを経て第7節が始まる。
俺達は第7節のアグリコラオープンレースに予選から参加する。世界ランキングポイントが90点たまったが、本選出場のボーダーラインが150点ほどだったので遠く険しい。
リーグ戦期間だと大半の選手がリーグ戦に出ているので、本線のボーダーラインが下がって俺でも予選免除になるのだが、さすがにリーグシーズンが終わり、ツアーシーズンに入ると厳しいようだ。
さて、俺達はウエストガーデンからかなり遠い場所にあるアグリコラ市へとやって来ていた。
基本的に同じ国なのだが、州や居住区が違うと政策がまるっきり異なる。アグリコラ市はテンペスタス州にあり、アグリコラ山脈を越えると南にランヤン州のある地域で主に農耕や酪農をしている。
市街地を出れば長閑な景色が一望できるのだが、市街地の中はニョキニョキとビルに埋めつくされている。アグリコラ山脈の上に、山のように高い建物が城壁のように建ち並んでいるのだ。どこからどこまでが山で、どこからどこまでが建物かが分からないような感じだ。
アグリコラ市に農業を作るとか、西暦時代の人達も洒落た発想である。
というか、本気なのか冗談なのか当時の人間の頭の出来を疑いそうだ。
アグリコラ自然公園でレースは行なわれる。有名な観光地でもある為、多くのイベントが行なわれるらしく、足元の競技場は非常に自然的だ。巨大な建物に囲まれている直径1キロはありそうな盆地の下には芝生が広がり、多くの人間が集まっていた。青いビニールシートを敷いてお祭り見学みたいな感じだ。というか実際に屋台がたくさん出ていてお祭りって感じだ。
俺達レーサーはその盆地の上空10メートルより下には重力制御装置による半透明な遮断フィールドによって通行禁止になっている。それ以外、この盆地が巨大なステージとなっていた。
「シーランドの方は海の上だからグラチャンに近いって聞いてたけど、こっちはこっちで広いレース場だね」
俺達は人の集まる盆地を一望しながらぼやく。
盆地を囲む4つの建物の内、東にある砦みたいな建物の入出場口に俺とリラは立っていた。対戦相手は西側のようだが、遠すぎて見えない。
ヘッドギアについているグラスでズームにして初めて見えるのだが、対戦相手は予選だが、2部のプロリーグに所属する選手だ。年齢は20代前半で、大学リーグで活躍していた選手だ。20代前半とは思えない老けた顔だが、腕が太く、見た目どおりの近接系。この広大なレース場では近接にもって行くのも大変そうだ。
「見た目やルールはシーランドの方が似てるけど広さはこっちの方が近いのよ。まずは1対1で慣れていくわ。初めて出る野外レースだけど、レンは野外レースの広い競技場の方が逃げ場があるしスピードも飛ばせるから得意だと思う。副賞が私の趣味的に良かったからシーランドじゃなくてアグリコラにしたわけじゃないわよ?」
副賞に惹かれたのか……。まあ、俺も今回のリラから貰える副賞に強く惹かれてるから文句も言えないが。
巨大な映像が空に広がる。空一杯にカウントダウンの数字が映るのだ。花火のように映像で開くので美しい。
カウントダウンが10を切ると、俺は装着した純白の機体から、重力制御装置によって放射される白銀の六翼を放出する。
「さあ、行くぜ」
カウントが0になると同時にブザーが鳴る。俺は一気に加速して相手の方角へと飛ぶ。相手も近接狙いだったようでこちらに一直線に飛んでくる。競技場が広いから近付きたいだけかもしれないが、相手のタイプにも寄るだろう。
相手は早速攻撃を仕掛けてくる。銃口の向きや筋肉の動きをヘッドギアについたグラスで性格に読み取って、次々と放ってくる射撃を体の向きをちょっとだけ変えてかわす。
レオンさんやディアナさんがやっていた事で、あれから散々練習して来た事だ。
近接が得意な選手の銃の撃ち方など、かわすのは容易い。
相手の近接攻撃を飛行でかわして背面を取り重力光拳銃を右手で構えて連射する。
左肩と胸に当たる。
左手に盾を持つ相手から左肩を取れるのはおいしい。相手が右側から振り向こうとするので即座に左側から回りこむ。
次は左足、腰、頭。
回転が遅い。あの引退した元世界王者達なら相手に後を取られてこんなノロノロ動かない。というか後をとられるという事がほとんどない。
あの人達は化物の類だ。それでも何度もレースをやって勝てたのだ。
今の俺に怖い物などない。
さらに相手が振り向こうとしている方向に高速で回転して相手の右側に回り込み重力光拳銃のトリガーを絞る。
ビビーッと甲高いブザーが鳴る。
『7-0、勝者レナード・アスター。試合時間8秒22、本レース場で歴代最短勝利時間で2位になる好記録です』
放送によってドヨドヨドヨと盆地の下がどよめく。まあ、あんまり注目されて無かったから盛り上がる事も無かっただろう。
「どうよ、リラ。この手際の良さ!」
リラのいる入出場口に降り立つ。リラは手をあげて迎えてくれるのでハイタッチで返す。
「ほとんど近接でかわして銃で勝つという所は無駄だったけど、あの相手ならいけるとは思ってたわ」
「右回りで安全に行った方がよかった?」
「いや、何やっても勝てる自信はあったからね。早速、近接対策やディアナさんとの練習で身につけた技術を試せたのはありだと思う」
いつも俺の勝敗に不安そうなリラにしては珍しく強気な発言だ。
それだけ力がついて来ている事を実感しているのだろう。お互いに。
「俺をスカウトして来なかった有象無象どもよ!1年もの間、俺を獲得しなかった事を後悔するが良い」
俺は腰に手を当ててヌハハハハと笑ってみせる。
「予選1回戦を勝っただけでそれか」
「試合勘がなくなっていて不安だったけど、これなら明日も大丈夫そうだ」
「明日もじゃなくて…決勝までよ」
「ふははははは、全てはオッパ……ケフンケフン。レジェンド達との特訓の成果だな」
「…」
リラが呆れる様に俺を見ていたような気がするが、これは見なかった事にしよう。
***
大会は恙なく続く。
レースは快調だった。レナード様のジツリキをみたか!と言いたいくらいに。
特に素晴らしいのは、この広い競技場を思う存分堪能できるのが素晴らしい。次から次へと敵を打ちのめす。1対1対1対1形式ならば7点×3人=21点取る事も可能ではなかろうか?
至福である。
レースを楽しんでいたらいつのまにか次は本選決勝戦だった。
「解せぬ。気持ちよく飛んでいたらもう終わりか」
「既に過去最高順位なのに、何で複雑そうな表情をしている?」
俺が複雑そうな表情をしていると、リラは呆れたように俺を見ていた。
「これがご褒美効果なのか」
「ご褒美よりレースが楽しそうよね」
「広い場所を飛ぶのは楽しい。ああ、グラチャンってどんなに気持ち良いんだろう。太平洋を自由気ままに飛べるなんて。ディアナさんが飛ぶのに夢中でレースで点数を取れ無かったのが分かった気がする」
「いや、あの人は逃げるのに夢中で点を取るような距離に相手がいなかっただけだし。あの人グラチャンに何度も出てるけど、一度も勝った事無いから」
出なければ良いのにとも思うのだが、その節はメジャーツアーは無いし、勝たなければポイントはつかないけど、出場するだけで100万U$くらいの参加費用がゲットできるので、嫌々出ていたらしい。彼女がプロで無敗でなく1対1で無敗と呼ばれている理由は、グランドチャンピオンシップに出場して負けているからだ。
グラチャンは世界中の飛行士達が出場する為に必死なのに、嫌々出るとかどれだけ贅沢なのだろう、あの人は。
ロドリゴさんが面倒くさがっていた一端を理解する。でも結婚している辺り愛はあったのだろう。
「ちなみにリラさんや。約束は忘れてはいませんな?」
「約束?何の話?」
リラは笑顔で首を傾げる。すっごい可愛いのだが、そこは違う。というか、まさか本当に忘れてはいないな?いないよね?
だがリラの作り笑顔は基本的に『誤魔化す』為に存在している。だが、俺が誤魔化されると思うなよ!
「ぬあああああああっ!知らない振りするな!」
「冗談よ。忘れるわけないでしょ。ちゃんと覚えてるわよ。今日のレースで勝てたら、ちゃんと時間とってあるから、帰る前に……ね?」
色っぽくしなを作って俺に熱い視線を送ってくる。
「ま、マジですよね」
「ええ。たっぷり楽しめる時間を取ってあるわよ」
そしていつものようにカラッと何気なく言うが、それってかなり凄い事なのでは無いだろうか?
「お父さん、お母さん、今日、俺は大人になります」
いや、最後までして良いとか許可はもらってないけど。
長かった俺の物語はついに完結してしまうのかもしれない。いや、世界一になるまでだったような気がする。だが、もうどうでも良い。今日の俺も無敵だ!
まさか対戦相手も、あと1分後にはレース開始なのに、こんな色ボケた会話をしているとは夢にも思わないだろう。
カウントが0になるのが待ち遠しい。
決勝戦の相手は誰だっただろうか?
名門アーセファ重工の選手だったのは覚えている。だが、今の俺の前に敵はなし。どうせステップアップツアーに出ているのだから名門クラブと言えど4~6番手程度の選手だろう。
今日の俺に勝ちたいならばエースのフランコ・ドス・サントスくらい連れて来い!
レースが始まると俺の一方的な攻勢が始まる。相手の攻撃を最小限で避ける。それこそ体の重心をそのままに体の角度を数度回転させるだけで相手の光の弾丸をかわすには十分だ。特に強い相手じゃないからと言っていつも通りにやるのではなく、息を止めて集中すれば相手の隙が丸見えだ。
近付いて攻撃。
相手の近接狙いも高速機動でさらりと距離を取って、ライトハンドガンで攻撃。
相手が反撃しようとライトハンドガンをこちらに向けようとするが、向ける前に射程を潜って逆方向に回り込み攻撃。
俺の方を振り返ろうとするのだが、もっと早く速度で回って後ろを取って攻撃。
一方的な展開だ。
相手の攻撃が当たるなんて微塵にも感じない。
実際、プロリーグには出れてないが名門クラブと契約をして、ステップアップツアーで決勝戦まで来るような、有望な選手だが、もはや掌の上で踊っている相手にしか見えない。
次にやろうとする事さえ分かってしまう。強い選手が相手を次々と追い込むように戦うのが分かる。
レオンさんはもしかしたらいつもこんな感覚だったのか?
早く飛ぶのが楽しい筈だ。あの人はディアナさんと違って俺と同じタイプの人だった。今、俺は父の大ファンだったレオンさんと同じ領域にいる。
相手は必死になけなしの左肩のポイントを盾で隠しながら、俺に射撃をしつつ起死回生の近接を狙ってくる。
だったら乗ってあげましょう。
俺は急旋回して相手へと向かう。近接になると感じて相手はニュートラルモードに移行して近接準備をする。
だが、その動きが遅すぎる。読み読みだった。
ニュートラルモードに入った瞬間、相手の右側に加速してそのまま背後に回りこんで、ラスト1ポイントとばかりに左肩を撃ちぬく。
『7-0、勝者レナード・アスター!予選1回戦から本選決勝まで全て前半KO決着、しかも無傷の優勝です!』
気付けば大会も物凄い人数の観客が集まっていた。さすが決勝戦だ。
そういえば大会が終わったら優勝者は表彰があるんだった。同時に勝利者インタビューも。
***
ステップアップツアーの賞金は5万U$にもなる。これだけあればそもそもスポンサーさえ要らないくらいだ。機体だって買えちゃう。
どんなにバイトしても溜まらなさそうな金額がポンである。恐ろしい。リラがうれしそうに副賞のデータを受け取っていた。一応1頭5000U$相当の牛らしいが。
優勝カップみたいなものはないが、盾とメダルを手に入れた。
話によるとスバル杯とかそういうレースじゃないと優勝カップは手に入らないらしい。月のステップアップツアーは全てオープンと名がつくので、手に入れるまでにはメジャーツアーに出ないとダメらしい。
まあ、養護施設には置く場所が少ないかr、あ邪魔になるので別に欲しくは無いんだけど。
そしてついにやってきたのはお楽しみタイムである。
もう一度言おう。お楽しみタイムである。
待ちくたびれて死にそうだった。溜め込んで溜め込んで仕方ないほど我慢した。今日の為にだ。
何を溜めたのかは内緒だ。
「ほら、レン。もっと優しく。大きくて手に収まらないかもしれないけど…。ちゃんと…良いわよ、レン。もっと強く握っても。ギュッと…ね?」
なんて耳元で囁かれている俺。
それはそれで嬉しい。嬉しいんだけど。
俺は強く乳を掴む。
誰の?
モー
と啼く牛である。
ここは俺達が勝ち取った副賞の乳牛がいる厩舎の前だ。
「な、何が悲しくて、牛の乳を揉まないといけないんだーっ!」
「五月蝿くしないの。私の牛が驚くでしょ」
俺の後でそんな事を言うリラ。
「こんなん詐欺だ!」
俺は立ち上がり、リラに向き合って断固抗議をする。
俺が揉みたいのはこっちのオッパイでは無い!牛のオッパイを揉んで何が楽しいというのだ!
「あら、私のおっぱいよ、この牛のおっぱいは。イアンナお母さんが言うには私の体は私だけの体じゃない、皆に大事にされてる皆の体なんだから、無茶しちゃダメよってフィロソフィアから帰ってきた時に言われたけど。ほら、こっちの牛のおっぱいは優勝したお陰で100%私のオッパイになってるから、好きなだけ揉んでも良いのよ」
「そんなん屁理屈だーっ!」
どうせこんな事だろうと思ったよ!
最初からそのつもりだったな!だから今回だけと言ったんだな!?アグリコラオープンの副賞が牛だったから!搾乳して良い乳牛だったから!
「こっちの方が大きいでしょ?」
「でかすぎるわ!何カップだと思ってんだ!」
「牛にカップないでしょ、ブラつけないし」
「真面目か!ええい、もはや関係ない!貴様の乳を揉ませやがれ!」
古典コミックの主人公よろしくリラの胸元に飛び込む。
刹那、リラは腰の後に手を掛けて銀の鈍器を取り出し、上から振り抜く。
何故、その鈍器を私服で牧場に来ている今現在も持っているのですか?
硬い何かが砕けるような音と、鈍痛と一緒に目の中に星が飛ぶ。最後に見たのはいつもの飛行技師用スパナだった。
ああ、これはアカン奴や。
獣臭い臭いと牛の鳴き声の聞こえる長閑な牧場で、俺は意識を手放すのだった。
***
それから3日後、俺達はヴァーチャル世界であるヴァーチャルリアルのネット上で桜さんと会っていた。
酒場風のカウンターに3人並んでいる。オレ、桜さん、リラの順番だ。勿論、俺は俺のまま、桜さんは男装風、リラはロボット姿である。
丸っこいイスの上にロボットが乗ってるだけって感じなので、俺と桜さんが2人で飲んでるだけにしか見えないが。
「って事があったんですよ。酷いですよね?酷いですよね?」
俺はリラがいかに横暴かを必死に訴える。
男装の桜さんは笑っているだけだった。予想通りだったらしい。あの意味深なご愁傷様とはそういう事だったのか。
恐るべしリラ・ミハイロワ。
「リラの事だからそんなんだと思ってましたよ?意外と貞操硬いって言うか、本気でスポンサーとか取ろうと思ったら多少露出の多いモデルでもやれば一発なのに、やろうとしないじゃないですか。折角こんなに美人なのに。意外と恥ずかしがり屋さんなんですよ」
桜さんはネット上のアバタではロボットになってるリラの方に視線を向けて溜息を吐く。
「大体、本気にするほうが頭おかしいのよ」
ウィンウィンとロボットのリラは俺を嘲るように言う。
「くう、こんなんだったらキスにまけておけばよかった。そうすれば言い逃れできなかったのに」
「キッス?」
桜さんは小首を傾げる。
「そ、そう。きききききき、キッシュだ」
何てこった。ネット上なのに照れすぎて口が回らなかった。
おそろしや。
だが、かなりこれはハードルが高いのだ。それにオッパイならばだめでもこのくらいならチュッとやってくれそうじゃないか?じゃないか?
「分かったわ。私の…ファースト…き、き、キッシュを今度の大会で優勝できたらあげようじゃない」
リラまで照れて嚙み嚙みになって口にする。
なんと初々しいのだろう。そうか、あの唇はまだ誰も触れた事が無かったのか。そりゃ10才の頃から一緒に過ごしているのだ。
ついにあの小さくて可愛い桃色の唇を俺が………
そう考えてリラに視線を移すが、今日のネット上で使っているアバタはロボット。唇なんて存在しないのだ。
だが、リアルで許可をもらえたのだ。
「マジか!?夢ではなかろうか?いたくない。やはりこれは夢?いやいや、ここはヴァーチャル世界だから痛くないだけ、決して夢じゃない!」
「そのネタ、3週間前にもやってましたよね?」
桜さんが若干冷たい視線で俺を見る。
「にゅ、にゅふふふふふふ。貰ったーっ!後で後悔するなよ。にゅおほほほほほ。2週間後は祭りだー!」
俺のテンションはさらに振り切れる。
「レン君、多分、騙されてますよ?」
おっぱいの時は騙されたけど、今回は騙されない!絶対に騙されないのだ!ちゃんとネット上の話なので、データとして保存させて貰った。言い逃れは許さない!
***
それから3週間後。
同じように俺達はネット上の酒場風な店で、同じように3人並んで飲んでいた。まあ、ネット上なので酔っ払ったりはしないけど。まるで3週間前と全く同じようにそこにいた。
「酷いんですよ、リラの奴!何がファーストキッシュだ!『私の人生で初めて作ったキッシュよ』って、モジモジしながら、すっげーまずいキッシュ喰わせるんですよ!」
「スッゲー不味いとは何よ!折角手作りしてやったのに!あんたがどうしてもキッシュ欲しいって言うから」
リラはロボット姿のままウインウイン言いながら
「確かに嚙んで、キッシュって言っちゃったけど、キッスって文脈とかで色々分かるだろ!キスするって言ったでしょ!?キッシュするなんていわねえよ!ねえ、卑怯でしょ!?卑怯ですよね?桜さん、この女、悪魔か何かの化身ですよ」
俺は隣にいる桜さんに涙目で訴える。
さすがヴァーチャル世界、滂沱の様に涙が溢れる。
「ふふふふ。絶対に騙されてるって私言いませんでした?」
「ネット上の記録を見なさい。ちゃんと私『キッシュ』って言ったでしょ?」
「確かに残しておいたさ。キッシュって言ってたよ。くそう、てれていえない振りして、言質を取るとか卑怯なり!この悪魔!魔女!」
俺はガンガンと机を叩く。酔っ払いが暴れてしまう気分がよく分かる。
「勝った時、我が天使とか言ってたくせに」
リラは不満そうにぼやく。
「堕天使ですからね、その子。主にフィロソフィアでも堕ちましたし」
「くっ、何故気付かなかった、俺」
頭をカウンターに打ちつけて、自分のうっかりさに後悔する。
すると桜さんは話題を変えるようにリラに尋ねる。
「で、今節はどうするんですか?」
「勉強がやばいから1節は休んで、次節はコロニーツアーね」
レースがどちらも予選からやって、決勝戦まで、合計9日。移動日を含めると10日も地元にいないし、学校の勉強も1週間まるっといなくなる。さすがに3週間置きにそんな事は出来無い。
だが、
「いーやーだー。コロニーツアーは確かに新人の登竜門的な場所かもしれない。だけど、あんな疲れるレースはやりたくない!」
俺は駄々をこねる。
というか、オレの意見があるべきだ。騙されすぎて気付かなかったが、リラの出たいレースに出されていて、俺の意見が全く通ってないのだ。
「火星にも木星にもいけるのに、どうして今度は学校を4週間以上もサボってまでコロニーツアーに出る必要がある」
「むしろ、学校を1ヶ月もサボるから、今節は休みなんだってば。無理やり詰め込むから覚悟しなさい」
リラはチラリと俺を見る。
「うん、だったら、コロニーツアーなんて行かなくて良いよぉ」
そこまでしてやる価値がない。疲れるだけだ。
何ていうか世間で言われている仕事で疲れたお父さんが偶の休日に子供を遊園地へ連れて行く心境だ。まあ、俺の父さんはいつも元気そうなのでそういう姿を見たことがなかったけど。
「レン君、そんなにコロニーツアーが嫌なんですか?」
桜さんは不思議そうに尋ねる。
「嫌というか、ハードスケジュール過ぎる。今回のステップアップツアーみたいに短時間でレースが終わってくれるならともかく、1日に3レースなんて過酷すぎる」
「そこまで過酷ですかねぇ…練習でその位しますよ?」
するとロボット姿のリラは何かのグラフを空中に映し出す。何故、普通に空中に映し出す機能があるのに、ロボットから映像が出ているような感じなのか?古代の映写機のようだ。
そのグラフを見て目を細めるのは桜さん。
「え、レン君って、レースでこんなに消耗してるんですか?」
驚いたように目を丸くする桜さん。
だが、俺は逆に聞きたい。他の飛行士ってそんなに消耗しないんですか?
「強くなればなる程、ね。レンの場合、フィロソフィアにいた頃からムラはあったけどこんな感じだったのよ」
「確かにフィロソフィアにいた頃から、レン君は下手だったけど、簡単に勝てる相手じゃなくて苦手意識はありましたね。実力差を集中力で埋めてたという事ですか。それは確かに疲れそうですね」
訳知り顔で2人が議論するのは構わないんだけど、俺を追いて行かないで欲しい。
「だから、集中力をコントロールする訓練と、そんなレンを支える私の練習も兼ねて、やるなら徹底的にやるつもりよ」
「良いんじゃない?ちゃんとチェリーさんに協力してもらえるように連絡してあげるから」
すると桜さんがニマニマと珍しく悪巧みでもするように笑う。
「は?」
リラはウインウインと音を立ててロボットの体を動かす。
「忘れたの、リラ。コロニーツアーはバカンスの合間に試合って感じのレースだって事を」
「それが何か?」
「その場所場所で色々と着る服も違うでしょう?きっとスキーウェアや避暑地のお嬢様風な服装、それに水着も用意してくれるでしょう」
「は?」
一瞬何のことか理解できず、ロボットの形をしたリラは機動を止める。フリーズしたロボットのようだ。キュウウンと本当にフリーズする。
「レン君、コロニーツアー第2週はマリンレーサーズカップ、南国バカンスで普段はビーチで遊びながら、時々レースって感じで移動用ドローンが迎えに来てくれる仕様なんですけど」
桜さんはレースの説明をしてくれる。
南国バカンス?そういえば2リーグ目は海上のレースだ。そこでは水着のお姉ちゃんがいっぱい?
俺はゴクリと息を飲む。
「それってつまり…」
「勿論、徹底的にやるリラの事ですから、TPOにあった服装をすると思いますよ。だってリラはチェリーさんとの契約でレースに出る服を提供してもらっているんですもの。南国バカンス風なマリンレーサーズカップの服装が楽しみね」
「……くははははっ滾って来たーっ!リラ、任せろ!俺はやるぞ!コロニーツアー上等!」
狂喜乱舞する俺にリラはロボット姿だが頭を上手い感じで抱えており、桜さんもケラケラと笑っていた。
こうして俺は三度、色気に釣られて地獄のツアーに足を踏み入れる事となったのだった。