レオン・シーフォ
俺達は昼食を食べつつも、午後はディアナさんが仕事に出るのでその間に対策を練って夕方からまたレースをしようと約束をして別れる。
「にしても、ディアナさん、強すぎ。何なんですか、あの人。体力バカ過ぎませんか?やればやるほど強くなるとか鬼ですか?」
「どう説明すればいいかなぁ。そうだ、お前がシャルル王子に勝った、フィロソフィアカジノオープンがあっただろう?」
「はい」
「あのレースの次の日は惨憺たる結果だったじゃないか。あれは疲れたせいだろう?」
「ええ。まあ。何ていうか全然集中できないっていうか…」
強く集中すると、翌日はまったく集中力が散漫になる事がある。
精神が摩耗しているとでも言った方が良いのかもしれない。
「グレードSレベルだと、毎試合がそれだから飛行士もトーナメント組み合わせの妙とか、どれだけ休ませられて、調整でカバーできるかとか、そういうレベルなんだよ」
「シャルル王子とのレースが毎試合」
鳥肌がゾワッと浮き立つ。
だが、逆に凄く楽しそうだとも感じる。毎日、あの戦いが出来るのか?
だとしたら一生楽しめてしまうじゃないか。
「そこで嬉しそうな顔を出来る辺り、レナードはメンタル面で言えば間違いなくトップ飛行士になれる資格があるなぁ」
「そ、そうですか?」
「そりゃ、そうだ。極限の世界のレースを楽しめる才能が無ければ、やっぱり上へ行くのは厳しい。上に行っても、やっぱり最後の一歩で届かない奴は楽しめない奴だ。死ぬほど疲れて、翌日も地獄のようなレースがあると思ってしまったら、勝てるものも勝てない。対戦相手以前に、レースという存在に負けてるんだから。苦しいレースや苦しい練習を楽しめるってのは才能だと思ってる。その点、苦しいレースをや面倒な基礎飛行を楽しめるのは一種の才能だろうよ」
ロドリゴさんは苦笑気味に俺を見る。
そこで、俺も思い出す。そう言えばチェリーさんはそれが楽しめなかったと言っていた。故にこそその世界で壁を破れなかったとも。
「まあ、確かに精神摩耗は自分の事だし。自分に勝てないと話にならないって事かな?」
そう言われると当然と言えば当然な話だ。俺はうんうんと頷き自己流に解釈する。
「で、ディアナはそもそも自分に勝てる勝てない以前に、疲れない体質なんだよ」
「規格外すぎる」
ロドリゴさんの説明に俺が思い切りへこむ。
「ディアナは体調が万全な練習ではレオンに一度も勝った事が無い。だけど、トーナメントで他の飛行士と戦い消耗した状態で当たると100%勝つ。だから、レナードがやればやる程きつくなるってのは強ち正しい意見だ。まあ、そこはリラに頑張ってもらおうか。疲れてもサポート可能な方法ってのもいくらかある。今回はそれもきっちり教えてやる」
ロドリゴさんは俺の肩を叩いて笑う。
「ディアナさんって無敵だって言われてたけどジェネラルウイング代表は常にレオン・シーフォだったのはそういう事なんですね。さすがは二つ名が完全無欠な事はある」
それにしても、あの化物よりも上がいるのか……。
「レオンはディアナやカルロスほど天才肌じゃないが、とにかく練習大好きで、趣味が基礎練、小さい頃からウチの英才教育を受けて一番であり続けたからな。頭脳系の軍用遺伝子保持者だったから、身体的な才能はレナードと大差ないと思うぞ。それでもアイツは鍛えてカルロスとガチで戦えたが」
「うそだー」
それはないだろう。自慢じゃないが、俺の運動神経の悪さは筋金入りですよ?レオンが俺程運動神経が悪い筈がない。
「格闘が弱くて仕方ないレオンだが体術講師が泣きを入れるくらい食らいついてたからな。レオンがエールダンジェを始めた頃の子供教室のコーチをやってたから、覚えてるよ。才能は低いと思ったが、学ぶ才能、努力する才能はピカ一だった。俺も飛行士への未練を、レオンのお陰で捨てられた」
「へー……って、飛行士?ロドリゴさんって元飛行士だったんですか?」
「ああ、若い子は知らないか。レオンがU15の最高峰ボーイズリーグを9歳で優勝するまで、俺の10歳での優勝が最年少記録だったんだぜ」
目の前にとんでもない元飛行士がいた。
「え、何で飛行技師になっちゃったんですか?」
「レースで落下して高所恐怖症になっちまったんだよ。それでも復活しようとやっている中、師匠がウチに来て俺に飛行士失格の烙印をおしたんだ。で、元々、飛行技師ってのは、俺が飛行技師兼飛行士として世界最強になって、師匠が間違っているというのを示す為に始めたんだ。結局、俺は自費でプロのレースに出ても全然勝てず、必死に飛行技師として研鑽したよ。結局、俺はそれを覆せず終わった。まあ、だから、お前らを個人的に応援してやりたいって気持ちも強いかもな。何せ、師匠が否定して、俺が辿り着けなかった場所に、お前らは既に居る訳じゃないか」
「あ」
多くの飛行士は落下によって精神に傷を負い、高所がダメになって飛行士生命が終わるケースは少なくない。養護施設にいたリラの姉貴分でさえ、それが原因で再起不能となり自殺したのだ。
だが、俺は高所恐怖症の状況から飛行士を始めていた。そして、今、既にプロでメジャーツアーにも勝利をした経験がある。
「お前らのやってる事って本当に凄い事なんだよ。だが、誰もそれに気づかない。だから、もっと強くなって、結果を示せ。万人が見なければ、誰もそれを認めない」
「結果かぁ」
どの程度の結果を残せば良いのだろう。
「俺がお前たちに注文したい事は、二人でグレードSの本選に到達する事」
「!」
俺は言葉を失う。
隣で作業をしていたリラも手を止めてロドリゴさんを見上げる。
「ジェネラルウイングにはリラの求めるものはたくさんある。師匠を超える事を目指すのであれば、最終的に辿り着くべき場所だろう。だが、今のお前が来たら、きっと何もできずただの下っ端で終わってしまう。ウチの標準から見ると、色々と足りなさすぎるんだよ。だが、その標準をぶち壊してから来れば、話は変わる。むしろ高校受験でムーンレイク工科大学を目指していると言うが、下手にウチに来て下の方に置かれる位なら、ウエストガーデンで通信教育を受けながら今のプロ活動を続けた方が良い」
ロドリゴさんは俺達の進路に関して、途方もない提案をしてくる。
だが、グレードSは4レースあるが、いずれも厳しい。
「フリーでやるとなるとスーパースターズカップかグラチャンね」
リラはしばし考えて口にする。
新人王大会の優勝者が翌年同日に行われるスーパースターズカップへの優先参加権が手に入る。スーパースターズカップの出場は人気投票なので厳しいが、新人王の優勝は割と可能性があると思う。
グランドチャンピオンシップは昨年度の各グレードS1~2位と星間大会の1~2位が参加できる。その余剰枠を4000人級巨大トーナメントで勝ち上がれば出場が可能だ。プロ資格があれば誰でも参加可能なので、そのトーナメントで負けなければ俺でも可能性はあるだろう。
他のはプロランキングだったり、所属がトッププロクラブだったりする必要があるので現時点ではどんなに頑張っても不可能だ。
俺達が考え込んでいると、ピンポーンと音が鳴る。
そこで丁度、思考が途切れる。
誰だろう、お客さんだろうか?
するとAIが搭載されている露骨にロボチックなキャタピラー付のロボットがウインウイン音を立ててやって来る。
『旦那様、お客様がやって来ております』
「誰が来てるんだ?」
『レオン様ですが』
「?……何故に?ウチに来るなんて珍しいな」
『奥様がお呼びしたそうです』
「分かった。通してくれ」
***
暫くしてロボが一人の男を連れて来る。
そこにやって来たのはかつて月の英雄として名を轟かせたレオン・シーフォだった。
かつて月で最も有名だった飛行士である。若干16歳で世界一になったという最年少グレードS制覇者でもある。亡き父が大ファンだった彼がどうしてここに?
ロドリゴさんは笑顔で迎え入れる。
「よう、久し振りだな。どうしたんだ、一体」
「いえ、今日は偶然、飛行教室の帰りにディアナに会って、色々と話して、取り敢えずよく分からなかったから通訳に聞こうかと」
「通訳なのかよ、俺は」
ロドリゴさんは頭を抱える。
「違います?」
「多分違ってない」
何かを諦めるように溜息と一緒にロドリゴさんは口にする。
「丁度、ロドリゴさんも会社を休んでいたようなので、二人で休まないのも珍しいと思って。」
「ああ、ちょっと客が来ていてな」
ロドリゴさんが俺達に視線を送る。
「こちらが?初めまして、ジェネラル市営エールダンジェ教室の34区画ホワイトホークスの飛行士コーチをしているレオン・シーフォです。よろしく」
「は、はい。り、リラ・ミハイロワ、ウエストガーデンでフリーの飛行技師をやってます。ロドリゴ先生には色々と教わっていて…」
リラはさすがに緊張気味に自己紹介をする。そりゃ、月で一番有名な飛行士だった人だ。
「あれ、弟子はとらない主義じゃないんですか?」
「とらないよ。ウチのスカウトに引っ掛かりそうにないフリーな子だから、分からない事なら何でも聞いてくれって言っていただけだ」
なんてロドリゴさんはぼやく。
「えと、俺はレナード・アスターです。同じくウエストガーデン出身で飛行士をやってます」
俺は次いで自己紹介をするのだが、言葉がそれ以上出てこない。予想以上に緊張していた。父ほどの大ファンではないのだが、やはり偉大な飛行士で、月の英雄を前にして、俺もまた上がっていた。
「知ってるよ。INAACのホームページで僕の隣に載ってたからね」
レオンさんは俺を知っていた。
なんてこった。超有名人に覚えられていたとは。お父さんが血の涙を流して羨みそうな事実である。よし、墓前に報告だ。
「レナード君に会えたら一度聞いてみたかったんだよね。アスターって珍しい苗字でしょ。もしかしてお父さんってジェイソン・アスター君?」
ブフォッ
さすがに俺も驚いて吹き出してしまう。ジェイソン・アスター。ウチの父の名前である。さわやかな顔をしているが、古典ホラー映画の名前と一緒で、ごつい感じのその名前。
だが、どうしてかの有名なレオンが父を知っているのだ。
「はえ?え、ええと、そうですけど。ど、どうして父を?」
「あははは。僕は記憶力だけが取り柄でね」
レオンは恥ずかしそうに後頭部を掻く。
しかし、俺は非常に引っ掛かる。
世界最高の飛行士で、人柄、実力、知能、容姿、全てがそろっていると言われた男から出た言葉が「記憶力だけが取り柄」だと!?
謙虚さって罪だと思う。
「前期中学3年生の頃に全月大会で1点取られたんだよ。ジェネラル市以外で、年下の子に点数取られたのなんて、基礎学生以来だったから特に印象残ってたなぁ。レナード君の顔がそっくりだったからもしかしてって思ってたんだ。いやー、懐かしいなぁ」
「へー。そりゃ凄いな。親子で飛行士だったのか?」
「いえ、父は学生までです。大学卒業前にプロ試験を受けるか迷ってたそうですけど、結婚するんで諦めたそうです。プロは厳しいからと」
「まあ、そうだろうな」
ロドリゴさんは納得するように頷く。
「まあ、何十回も『俺はあのレオンから1点を取った事がある』と聞かされて自慢してましたけど。息子にレナードなんて付けちゃう大ファンだし。まさか当人に覚えて貰っていたと知ったら、父もあの世で喜んでるんじゃないでしょうか」
アハハハと俺は苦笑する。
レオンさんは一瞬驚いたような表情をして、ああと思い出したように頷く。彼は非常に頭が良く、一つ言えば十個覚えると聞いた事がある。きっと俺がウエストガーデン出身という話をした事で、どういう境遇でここにいるか理解したのだろう。
「それなら光栄な話だね。という事は、ディアナは僕に彼と飛んで欲しいって事なのかな?」
「そういう事なんだろうなぁ。自分が子供の相手をしている間に相手をしてろって事じゃないか?」
「「レオンさんと?」」
俺とリラはギョッとして目を丸くする。
「いやー、現役の選手と戦って勝てる自信はないよ。ディアナみたいに若くないからさ」
レオンさんは確か40歳を超えていた筈。流石に衰えている。30歳のディアナさんと違って衰えているなら、勝てるかも?
「つまり、『レン君じゃ、まだ私相手だと話にならないから、レオンさんがちょっと一緒に飛んで教えてやって』みたいな事を言われたと?」
「うん、そんな感じです」
ロドリゴさんの言葉にレオンさんがうなずく。
「でも精々3レース位ですよ。さすがにもう若くないですから疲れやすくて」
「まあ、プロ形式でも1レース限定なら、最強のレオンとレースが出来るなんて良い経験になるんじゃないか?」
「は?え、さすがに衰えているでしょ?」
「昨日のフランコ・ドス・サントス対策の為に、一昨日だかに一人で団体戦メンバー3人を相手取って普通に3人KO勝利してたぞ」
「でも、さすがに疲れて昨日は飛べませんでしたよ。さすがに年ですね」
何で引退した選手の方が現役より強いんでしょうか?
俺の思いを同意したようにリラも引きつっていた。
「っていうか、ディアナさんと良い、レオンさんと良い、何で引退して未だに強さを残せるんですか?普通、衰えますよね?」
「身体能力や反射神経なんかに任せた選手は衰えるけど、ディアナもレオンも基礎飛行をベースにしてるからな。体で飛行を調整する奴は、基礎飛行練習を日課としてやっていれば衰えにくい」
「それに音速を越えて飛ぶのって楽しいからね。引退しても暇があれば飛んでるから、あんまり衰えないね。そもそも僕もディアナも子供達に飛行を教える仕事をしてるし。まあ、僕はディアナみたいなタフじゃないから」
「アイツは特殊だろ。多分、続けてたら10年くらい無敗でいたと思うぞ。むしろ、戦うのが嫌いという理由で辞めてよかったかもな。エアリアル・レースが嫌いな飛行士が世界最強ってなんだよって話だ」
「そうですね」
クスクスと笑うレオンさん。
***
俺とリラはレオンさんとロドリゴさんと4人で、ロドリゴ邸の飛行場へと向かう。
「いやー、ロドリゴさんの調整なんて何年ぶりでしょう」
「レオンの要望に合わせられるかなぁ」
「大丈夫ですよ。速く飛べれば」
「レオンは全てが普通だけど、そのスピード狂って部分だけはいかれてると思うな」
「そうですか?全てが止まって見えて、自分だけが自由な世界。そこで生きるのが大好きなんです。集中力が持続できず戦いの世界に身を置けなくても、あの世界に居続けたいのだから仕方ないでしょう?」
俺はゾワッと腕が総毛立つ感覚を持つ。
この人の言葉は、まるで俺の口から出た台詞のように感じたからだ。
そう、俺も自分だけが自由な世界に憧れていた。そこで生きて戦うからこそ、俺はこのレースに憧れだけでなく、魅入られて、そしてどっぷりと浸かってしまった。
いや、気付いていた。
父が憧れたレオン・シーフォを、俺は別段意識したことは無かった。だが、レオンの名から付いた俺は、才能こそ全くないが、レオンに似たタイプだと感じていた。それに反発しようとは思わなかった。近接を学ぼうともしたし、何でも取り組もうと考えたが、やればやる程、俺はただレオンと似たタイプへと進む事で強くなっていた。
ずっと疑問だった。だが、やっとわかった。レースに対する基本的な考え方が、恐らく同じなのだろう。
そもそも、スピードを求めていた俺に対して、レオンさんは世界中のレース場の最速記録を自分の名前で埋め尽くしている。彼はディアナさんと違って逃げ続けている訳でもなくである。つまり俺みたくとにかく早く飛びたい人種なのだ。
「レンってレオンと同じタイプだったのね。とにかくスピードをベースにした飛行系タイプだったから、もしかしてと思ったけど、考え方が同じよね」
「う、うん」
リラも同じように感じたのかもしれない。おれはうなずくしかできなかった。
***
そして練習試合を始めようとする。互いにスタート台に向かい合うように立って、カウントダウンが0へと近づく。
胸を借りようとは思わない。とにかく速度で負けたくない。良い機体を使わせてもらっているんだ。それなりの結果が欲しい。
俺はカウントダウンが0になると同時に機体を起動させて右側へと飛ぶ。
一気にフルスロットルで加速して時計の逆回りに飛ぶ。
だが、レオンさんはもっと早い。加速がハンパじゃない。同レベルの機体で、最高速設定だったにもかかわらずだ。何がまずい?機体か?
ディアナさんのように高出力でごり押すように跳ぶのと異なり、この人の飛行はまるで音もたてずに風に逆らわないように美しく、音を小さくして飛んでくる。
俺は父にさんざんレオンさnの飛行を見せられていた。だが間近で見て、鳥肌を立たせる。飛行の究極系がここにあった。
「負けられない」
どうにか引き離そうとするのだが、それでもレオンさんは徐々に詰めて来る。そして背後から銃口を俺へと向ける。俺はそれに対して蛇行でかわそうとうごくのだが、レオンさんは銃口を俺に向けず、スナップを利かせて一瞬だけ俺に銃口を合わせながら引き金を引く。
ビーッ
ポイントの堕ちたブザー音が聞こえる。
恐ろしいクイックドロウだった。銃口を向けられればヘッドギアについているグラスが、射撃の照準をレーザーが出ているように教えてくれるのだが、あまりに早くて避ける事さえできなかった。
蛇行じゃだめだ。蛇行をしている途中で狙われたらにげられない。
追いかけっこになってしまうディアナさんとは全く違う。この人は本物の飛行士だ。相手の手首を読んで、しっかりとかわす必要がある。
必死に俺は飛んで逃げるのだがレオンさんはぴったりとその後ろをキープして、俺が背面に射撃をしてもディアナさん同様にほとんど体を動かさない。いや、それどころかディアナさんが最小限でかわすのならば、レオンさんはかわすという過程さえ必要ない程、見事に自然な形で射撃の射程から体をスライドして避ける。避けてないとか見えてないという訳でもなく、1センチでも当たりそうになければ真っ直ぐ飛んでくる。
もはや、これは芸術の域に達している。
それでも俺は負けじと飛ぶ。しかし、レオンさんはあっという間に俺からポイントを奪っていく。
ハーフ10分の戦いで、俺は6対0で負けた状態で折り返す羽目になり、飛行技師の居る中央の方へと着陸することになるのだった。
「ぜーぜーぜーぜー」
「はいはい。酸素マスクね」
ぐったりしながらリラの方へと向かう俺、リラは酸素マスクを俺の口持ちに突っ込み、機体整備へと入る。
あんな完璧な飛行があったうえで、レオンさんは遠距離狙撃も曲芸飛行も近接格闘も出来ると来た。
疲れが無ければディアナさんより強いと言う触れ込みは、今現在でも冗談じゃなくそうなのだと理解させられる。
ロドリゴさんは少し驚いたように結果を眺める。
「10分で7点取れなかったか」
「いや、レナード君、飛行が上手だよ。クイックドロウに直ぐに対応できたし、僕が全力で飛んでも追い抜けなかったからね」
「確かに。レオンはいつも相手が遅いと追い抜いてもう一度裏を取りに行くのに、追い抜けなかったな。それに、レナードはずっと音速に近い速度で飛んでたのに、バランスを崩してなかったな」
「ええ。だからこそ、KOに行かなかったと言えますね。大体、僕のスピードに張り合おうとしてバランスを崩して一網打尽になるケースが一番多かったですし」
ロドリゴさんとレオンさんは和気藹々と話している。ここで会話に混ざるには、本格的に息継ぎを覚えないといけないようだ。俺は酸素マスクで必死に酸素を取り込みながら漠然とそんな事を考える。
「先生。どうやってあそこまで速くしてるんですか?」
リラはレオンさんのスピードに対して疑問を持ったようで純粋に訊ねる。俺もそれには疑問を持った。
「ん?まあ、レナードみたいな余計なエネルギーを使ってない部分はあるが、多分大差はないぞ。ぶっちゃければレオンはスピードを出す為だけにフォームを追及しているからな」
「え、飛び方だけなんですか?」
呼吸を整えた俺は驚きの声を漏らしてしまう。
「ああ。というか、レナードもスピードだけならかなりのものだ。感心したよ」
ロドリゴさんは手放しに誉めてくれる。
「そうですね。この狭いレース場で、時速1100キロで10分飛び続けて、飛行ミスがないなんて、現役時代を数えてもディアナくらいじゃないかな。レナード君の基礎飛行技術は僕の人生の中でも上から数えて一桁に入るよ。今の子供はあんまり握らない子が多いけど、レナード君は握って来るね」
確かに最近は曲芸飛行で相手の裏を取り返すのが流行りだし、スピードを出し過ぎないで上手く相手の裏を取るのが主流だから、プロでもこのくらいの狭いレース場なら時速500キロくらいだろうか。1000キロまでフルスロットルで握りこんで飛びあう事は俺も見た事が無い。
以前は80年前の主流なんて言われたが、80年前は亜音速で飛ぶ事も少なかった筈だ。
「レナード君はバランスを取れてるけど、空気より機体に寄り添い過ぎてる。こう、集中するとね、僕は対戦相手が凄くゆっくりになって見えるけど、その状態になると空気の一つ一つの流れさえ肌で感じられるんだ。その一つ一つの風に逆らわず、寄り添うように体を横たえれば、自然と早くなるよ。って、まあ、コーチ歴は長いのに、あまり誰も理解してくれないんだけどね」
レオンさんは自分の漠然とした感覚を俺に説明する。
つまり、俺がレオンさんより遅いのは風に逆らっているからって事なのだろうか?
「風に寄り添う……?」
「うん。風も遅い場所と速い場所とかあって、スロットルを握り切るんじゃなくて場所によっては風を切るだけじゃなく、風を避けたり、引いて乗ったり、風の違いを微妙な緩急で体を添わせてやるともっと速くなる。何ていうのかなぁ、風の声を聴くっていうか」
理論的な天才かと思いきや、いきなり不思議ちゃんの発言をするレオンさん。
「レオンは全ての技術に関しては凄く理論的なのに、どうしてスピードに関しては感覚的なんだろう」
ロドリゴさんの呆れるような突っ込みに、レオンさんは困った表情を見せる。
「ふむ、風に体を添わせる…」
俺はその感覚を頭で考える。何となく飛んでみたらわかるような気がする。そう、もっと速く飛べそうなのになぜか行かないという印象がある。
「おい、レナード。そこの飛行バカのアドバイスとか真に受けるなよ。大体、真似しようとして誰も出来ないから、それは天才と呼ばれ、未だに世界最速記録を持ってるんだからな」
ロドリゴさんが何か言っていたが、俺の頭にはレオンさんの言葉が残っていた。そうだ、レオンさんと飛んでいて何か掴めそうな気がしていたんだ。超音速の世界の手掛かりが言葉の中で何となく腹に落ちていく感じがする。
「よーし、次は追い抜く!」
「追い抜く方向性なの?勝ちなさいよ」
俺はギュッと口を閉めて、レオンさんを見る。だが、リラは思い切り引きつって突っ込んでくるのだった。
「あのスピードを見て、スピード勝負しようって思った奴は歴代でいねえよ」
ロドリゴさんは呆れたように口にする。
そういえばレオンさんはレース場の世界最速記録を悉く塗り替えてるスピードスター。月のレース場の最速記録はレオンさんとディアナさんで半分以上塗りつぶしていた。
「あ、でも、レナード君、ランキング低いから3レース位行けると思ってたけど、結構きついから、次の10分で終わりにしてくれない?」
「えー」
折角、感覚がつかめそうな感じなのに。あと10分だけっすか?
「その代わり、点差を戻してやろう。あと1点じゃ面白くないしさ」
「そりゃ、まあ」
そしてレオンさんはリラの横に座り、俺のエールダンジェのプログラム調整を眺める。するといきなりプログラム調整に指摘を始める。
「リラさん。そこはこのツールを使って、こっちに組み込むと簡素化するよ。あと、下の方にある音速プログラムはまるっとオルマンド君の公開しているプログラムに切り替えよう」
レオンさんはピピピピッとリラの弄っているプログラムに勝手に付け加える。
リラは目を丸くしてレオンさんを見上げる。
「スピードを出すのに高度な知識は必要ない。他人の物を引っ張ってくればいい。オルマンド君は優秀でね、これは元々僕が教えたんだけど、万人に使えるプログラムへ変換させたんだ。まあ、音速域で飛べる飛行士が万人もいないからダウンロード頻度が低いんだけどね。でも、レナード君なら使いこなせるよ」
レオンさんはそう言って楽しげに笑う。
「リラ。レオンは並の飛行技師よりも遥かに飛行技師知識と技術が高いぞ。師匠が引退して、タイトルから離れていた頃、オルマンドに飛行技師の技術を叩きこんだのはそいつだからな」
「は?」
「レオンはそのまま飛行技師に転向して、トップを争えるだけの技能と知識を持っていた。公でメカを弄った事が無いから知られてないが、そいつも師匠の弟子の1人だ。しかも俺らに並んでいたかも知れないほどに優秀だ」
マジですか?
ここに来て思った事はただ一つ。この業界、天才が多すぎる。しかも才能を自分の好きに使い過ぎていて、あまりにも勿体ない。
「何で飛行技師に転向しなかったんですか?」
「速く飛びたいから覚えたんだ。師匠が引退したら、僕が本気で飛びたくても、それを引き出せる機体を調整してくれる飛行技師も居なくなるからね。前半と後半で切り替えたくても作業時間が足りない。だから、自分で飛ぶときは自分で、レースでは専属が必要だから、オルマンド君を徹底して育てたんだ」
「引退したら飛行技師をやろうとは思わなかったんですか?」
「飛ぶのが好きなだけだからね。飛べないのにレースに出ようとは思わないよ」
「そういうものですか?」
「逆に、レナード君はどう?もしも『君はエリック・シルベストルに匹敵する飛行技師の才能がある。引退したら飛行技師にならないか?』って言われて、飛行技師になろうと思う?」
レオンさんは俺に対して逆に聞いてくる。
言われてみれば俺も才能が合ったとしても飛行技師になろうと思うかは怪しい。そもそも飛ぶのが楽しいから飛行士をしているのだ。それに、……飛行技師になるという事はリラのライバルになるという事だ。このバカみたいな熱量を持つ飛行技師の敵になるなんて考えたくもない。
「俺はリラのファンだから、リラのライバルとかになりたくないし、それにこんな熱量をもって飛行技師として取り込めないと思います。もし勝てる才能があったとしても…使おうとは思わないかなぁ」
「そうだね。そう。ジェネラルウイングの飛行技師は凄い熱量を持ってる。ロドリゴさんもオルマンド君もね。彼らのようにはなれないと思ったんだ。確かに僕は頭が良いから才能はあったと思う。飛行士としてグレードSで何度も戦った経験は恐らく彼らの持ちえないものだからね。でも僕があの聖域に踏み込むのは違うって思ったんだ」
レオンさんは俺に言い聞かせるように語る。
「よし、じゃあ、調整終了」
リラは調整を終えると俺の外部装甲をボルトで重力翼制御装置に取り付ける。
「レオンさんより早く飛べる?」
「機体レベルは同じはずよ。アンタの腕次第ね」
「そっちは負けるつもりはない!」
「いや、レースに勝てよ」
リラは勝利にしか興味がないのだ。そして、こういう部分を、ロドリゴさんやチェリーさんは評価しているのだろう。そして、俺は彼女の熱に当てられてこの世界で飛んでいる。