ライトエッジ
俺が飛行技師の作業場所に戻ると、リラは即座に俺から外部装甲を外してエネルギー充填を開始し、更にはプログラムの修正を行っていた。
とはいってもレース中にプログラム修正は終わっていたようでデータ輸送だけでノート型モバイル端末にキーボード画面を出して、修正まではしてないようだった。
「リラ、どうだった?」
「問題ないわね。今日は調子が良いってのもあるけど、全くこっちに隙も無いし、何事もなくこのまま逃げ切れそう」
「だよね」
「ただ、相手の飛行技師は誉めたくないけど、技術は高いからね。飛行士の状態を変えて来ると思うし、その変化がどこまで対応できるか、かな」
リラの言葉からしても、やはりカイトは飛行技師として難敵のようだ。
「確かに向こうの飛行士の方がスペックは全て高いけど、才能だけよ。機体速度は向こうが上だし、向こうの方が戦闘能力も高い。でもエアリアルレースは私達の方が強い」
リラは自信をもってはっきりと言い切る。
そう、俺が感じたのはおそらくそれだった。向こうの方が何もかも上には感じるのだが負ける気がしない。エアリアルレースは俺の方が上、その言葉が一番しっくりきた。
「但し、気は抜かない事。向こうの方が能力が上なのは分かってるし、あの飛行士は切れる癖がある。レースのルールを簡単にはみ出して暴力で潰しにかかる事がある。さすがに次の試合での暗殺を企んでいるんだから、その前に反則負けなんてないとは思うけど……、平気でレースをやめる奴だからね。エアリアルレースをしなければ何を起きるか分からない相手なのは確かよ」
「そうだね。最後まで油断せず、しっかりと終わらせて来るよ」
リラはエネルギー充填とデータ転送を終えると、俺の外部装甲をスパナで締める。
レース準備完了、そう思った時、カイト達の控え場で何かが起こった。
ヘッドギアについているグラスを使ってズームで見てみると、エリアスがカイトを殴ったようで、カイトのカラーグラスが地面に落ちて、カイトも倒れていた。
何が起こった?
カイトは何か道具を手にしたままエリアスの手に取られないようにしているのだが、エリアスは更にカイトの胸ぐらを掴んで振り下ろしの右拳でカイトを叩きのめす。
そして、カイトの握りしめていた何かを奪い取る。
エリアスがカイトから奪い取ったものが何かを見ると、それは重力光剣の柄だった。
何が起こっているのか、よくわからなかったが、仲間割れなのだろうか?
カイトは倒れたままだが必死に起き上がってエリアスから重力光剣を奪い返そうとするが、エリアスはしがみつこうとするカイトの顔面を蹴り倒して昏倒させる。
あまりにひどい状況に言葉を失っていた。そして、これはスルーなのか?セコンド内で乱闘があったら反則とかになりそうだけど。
「レン。嫌な予感がする。絶対に油断しないでよ?」
「…………何ていうか、想定していた切れて暴力に踏み切る状態に既になっているようにも感じる」
とはいえ、俺も別にそういうレースに慣れていない訳じゃない。
元々、俺はフィロソフィアカジノのコンバットクラスのレースでずっと戦っていた。反則気味に攻撃してくる事に関して、あるいは頭に血に登らせて暴れる相手であれば慣れている。
ただし、エリアス程強力な飛行士との対戦経験はない。その懸念だけは潰しようがなかった。
カイトの事も心配だがそんなやわじゃないので、俺はレースに集中しようと競技場の方をしっかりと見る。
やがて、カウントダウンが切られる。
カウントがゼロになり、後半戦開始となる。
俺はアクセルの握りしめ、背中に光の翼を放出させる。
互いに距離を取って飛び合おうと思うのだが、相手はサラサラそんな気はないらしい。エリアスはショートカットをして一気に俺の方へと距離を詰めに来る。
重力光拳銃も持たず、重力光剣を両手にして俺を追い立てる。二刀流なんて初めて見るが……。今まで使っていた重力光剣が左手、そして右手に前半使わなかった黒い柄の重力光剣を思っていた。
これが本来のスタイルか?
エリアスは恐ろしい程の殺気を俺に向けていた。
プロになって二年半になるが、レースでこれほどの殺気を纏った相手と戦ったことは無い。フィロソフィアでもここまで肌で感じたことは一度もなかった。
俺は徐々にエリアスに競技場のスペースを削られていき、併走戦へと持ち込まれそうになる。無論、そうなれば逃げられない近接戦闘となるから絶対に拒絶するしかない。
そうなる前に、急旋回で切り返し、エリアスへと向かって擦れ違い戦を経て逃げるしかない。前半はこれで全て逃げられたのだ。
後半もそれで逃げ、そしてあわよくばカウンターで相手からポイントを奪う。盾を外して攻撃特化になるという事は、逆に言えば左肩の防御はない。
このまま俺がKO勝利もあり得る。長くやるよりよほど速く蹴りが付く。
さあ、行くぞ、
切り返してエリアスへと向かって行く。ずっと左手は盾を持っていたんだ。だからこそ左に逃げるように見えるのだろうが、向こうもそう考えていたのか左側から通さないような動きを見せる。そして右腕が振り下ろされる。
俺はそのタイミングに合わせて右の脇をすり抜けようと、アクセルをさらに強く握りしめて、一気に加速してエリアスの左脇をすり抜ける。
だが、これまでの重力光剣の速度とは段違いに早かった。レイブレードは3倍速にも達しているのではないかというようなスピードど俺の頭をかすめた。
「!!???」
そしてポイントが落ちるブザー音と同時に、俺の右の視界が赤く染まる。
何が起こった!?
俺は飛びながらエリアスと距離を取りつつ、自分の状態を確認する。違和感が感じたのは頭だ。俺のヘッドギアが地面へと落ちて行くのが左側の視界に入る。
右側の視界が赤くてよく見えない。
レース場が物凄いどよめきに溢れていた。
俺はそこで気付く。ヘッドギアが切れて落ちていた。
切られたのだ。
ハーフタイムでエリアスがカイトを殴って黒い重力光剣を手にしたのを思い出す。カイトはその重力光剣を使わせまいとしていた。
幼い頃にカイトに教わった事がある。エリアスの持つ重力光剣は、……ライトエッジと呼ばれる『切れる』武器だ。
俺は頭を切られたのか?
痛みはほとんどない。チリチリするのは右の瞼だけ。血が流れて右目が赤く染まったんだ。
くそっ
切れ癖があって、想定外で相手を叩きのめして反則負けになった事もあるとは聞いてたけど……よほどエリアスは俺にご立腹だったらしい。
エリアスはそのまま俺を追いかける。ポイント差は4対1、相手は完全に俺を追い詰めてきていた。
右手の二の腕の部分で右目の上を拭く。インナースーツがべっとりと真っ赤に染まっていた。
予想以上に血が出ている。
再び追い詰められて、俺は急旋回で切り返してエリアスとの擦れ違い戦になる。
エリアスはニヤリと笑って俺を見る。
人を切れる重力光剣を見せてしまった以上、ここで俺が棄権しても、もしかしたら彼らは終わりかも知れない。
俺はもう一定の成果を上げたのかもしれない。レースは負けても彼らの暗殺活動は阻止したことになるのかもしれない。だが、
糞喰らえだ。
ここで引く訳にはいかない。こんな奴に負けるなんて、冗談じゃない。
ちょっと痛めつけて調子に乗るなよ。これで怖がるとでも思ったか?自慢じゃないがこちとら人生初のレースで、いきなり命のやり取りをしてんだよ。
ビビるとでも思ったか?
これで引くと思ったか?
俺はお前なんざ怖くない。
お前みたいな糞みたいな理由で、俺の領域で戦う奴なんぞに1mmたりとも引くなんて絶対に考えない。
飛行士をバカにするんじゃない!
俺はさらに加速して相手の右腕へと向かって飛ぶ。既に相手のレイブレードの振る速度は分かっている。
相手が重力光拳銃での攻撃でなくて良かった。
ヘッドギアについているグラスには重力光拳銃の軌跡を把握する装置が搭載されている。相手が重力光剣主体で助かったともいえる。もしも、重力光拳銃ならヘッドギア無しで銃口から放たれる重力子の光弾を避ける軌道を1cm単位で把握するのは不可能だ。
今の、ヘッドギア無い状態で、銃口を向けられていたら致命的だった。
エリアスの振る重力光剣を紙一重でかわす。そして擦れ違い様に銃口をエリアスへと向けてトリガーを引き絞る。
さすがに、こちらもヘッドギアがないと銃口のアシスト機能も上手く使えず、相手には光弾は当たらない。
これでは勝ちきれない。もっと速く、もっと相手に近づいて、ダイレクトに銃口を押し当てるくらい近付かないと。
いくぞ、エリアス・金!
エリアスがこっちを追いかけるより早く、今度はこっちから擦れ違い戦へと向かって飛ぶ。
エリアスは今度は驚いたように俺を見る。
逃げるとでも思っていたのだろう。
ハッキリ言って俺は凄く腹が立った。この程度で俺が引くとでも思われた事実が。
こんな接近戦よりも重力を感じて空を飛ぶ事が一番怖いのだ。何よりこれまで歩いてきた足跡を嘘にするのが怖いのだ。相方に愛想をつかされるのが一番怖いのだ。
近接は確かに苦手だし、攻撃が来ればひるんでしまう。だが、別に目の前の拳が来ても怖いなんて思ったことは無い。殴られて無防備になって、負けるのが怖いんだ。
俺を舐めるな!
エリアスは慌てて重力光剣を振ろうと構えているが、手遅れだ。俺は加速してエリアスの左へ向かう振りをして右側に擦れ違いつつ重力光拳銃を連射しながら通り過ぎる。
ビビーッ
左肩と腰のポイントが落ちる。
ポイントは6対1となる。完全に優位な状況に立つ。だが、向こうの方が機体速度は上だ。怒りのままに俺を追ってくるが、俺はさらに加速して簡単に距離を詰めさせない。
エリアスは左手の重力光剣をホルスターにしまい、ホルスターに掛かっていた重力光盾を取り出す。
最終手段、恐らくは…ファントムだろう。切れる重力光剣に加えて幻影攻撃のダブルコンボ。
一撃必殺の危険な技を仕掛けるようだ。
俺が逃げる中でもきっちりと俺をレース場の端へと追い詰めるように考えた追い方で逃げ道を徐々に徐々にと塞ごうとしていた。
再び一定の距離に狭まり、これ以上近づけば併走戦による近接から逃げれない距離感へとやって来ていた。その前に急旋回による切り返しで擦れ違い戦に行くしかない。
元より、こちらもある程度近づかないと勝てる可能性はないのだから。
自分から相手へと向かいに行く。エリアスは体を半身にして左手に持つ重力光盾を前に突き出し、幻影攻撃を仕掛ける。
体がぶれて幾人もの人間に見えるようになる。
右手には黒い重力光剣。
殺意に彩られたエリアスに対して、俺は堂々と迎え撃つ。
さらに集中力を増すように、相手が何をしても対応できるように、全ての動きを予測して、極限まで集中して相手の攻撃を推測する。
そして、擦れ違う手前の一瞬で、エリアスはファントムを解いて、攻撃へと切り返す。俺の右手側、相手の右手に持つ切断能力を持つ重力光剣が俺の首をめがけて鋭く閃く。
俺はその閃きを首の皮一枚でかわして、相手の胸に重力光拳銃を押し付ける。
終わりだ。
重力光拳銃のトリガーを引く。
ビーッ
『7対1、勝者レナード・アスター!KO勝利です』
その瞬間、歓声が爆発したようにレース場を響かせる。
メジャーツアーで勝候補相手に、俺は完全に実力で押し切った結果を残した。誰もが想定しなかっただろう。だけど、俺とリラは今までの積み重ねがちゃんと出せた結果、決して番狂わせじゃなかったと感じる一戦となった。
***
俺はそのままレース場からリラの待つ調整所のある入出場口へと着陸する。
「心配させるな、バカ」
少し涙目のリラは走って俺を迎えてくれる。
「ちゃんと勝てただろ」
俺はハイタッチを準備していたが、リラは白いタオルを俺の右目に押し付けてくる。
「まあ、良いわ。医務室行こう、医務室。くそ、折角の勝利だってのに」
リラは白いタオルを俺の右目に押し付けながら、右手に持つスパナで器用に機体を取り外す作業に入る。
「ほえ?」
「右の瞼、ばっさりやってる。医療ポッド使わないと直せないけど、眼球に近すぎる。ウイングフレームについている予備身体スキャナでNGが出てたから」
「うげ」
それはやばい。そういえばヘッドギア以外にも体の調子を調べる装置がウイングフレームにも搭載されていた筈。NGが出るって事は飛行不能状態だった筈。俺にエラーが伝わって、勝手に敗北にされると思っていたが。
「機体が落下しなかったけど?」
「最悪、殺されかねない相手だから、そこら辺のエラーは全部オフにしたのよ。止まって逃げられない所を追撃されたらまずいでしょ」
「あー」
「機体が鈍いのも、怪我で感度が悪くなった時を考慮してたの。本来であればそこまで差のある機体じゃないから」
「向こうが上の機体って訳じゃないのか…」
向こうの方が早いという印象があったのだが、そもそもリラは機体の出力を下げて、怪我をしても普通に飛べるようなトリックを仕掛けていたと。
「普段よりもレンの飛行速度が遅くなっていても、機体の感度さえ変わらなければ、怪我をしてもレンなら勝てるって信じてたのよ。目の影響で感度が悪くなっても、そこを機体でサポートできるようにしてね。普通に調整してたらポイント無視の斬れる重力光剣で即試合終了よ」
「……それは助かったよ」
慧眼ともいえるだろう。確かに、ライトエッジの攻撃は想定外で、抜刀速度が速く初撃は避けられないだろう。
一撃は喰らう覚悟が必要だった。一撃喰らっても負けないトリックだったという訳か。
「まあ、先生なら機体を遅くしなくても、今の調整が出来たかもしれないけど」
とはリラが悔し気にぼやく。
ただ、リラはいつも思うが、レースで勝利に絶対的に必要だったポイントを外した記憶がない。
機体が遅い事によるイラつきを感じても、勝てるかどうか、点が取れるか取れないかというポイントだけは、リラは不思議とそこを外したことがなかった。もしかしたら、これがロドリゴ・ペレイラがリラを買った理由かもしれない。
「瞼周りの筋肉のバランスが崩れて、これじゃ確実に視力バランスが崩れる。明日に調整が間に合ないし、それ以前にヘッドギアもない。ああ、あの糞王子をギャフンと言わせてやろうと思ってたのに!」
リラは自分の右瞼の上の方を耳の近くまで指で差し示しながら、俺からエールダンジェを取り外す。
「そんなにやばかったの?」
俺は不安に思ってタオルを見ると、白いタオルが物凄く真っ赤になっていた。痛みは大して無かったが、予想以上の大惨事だった事に気付く。
恐らく切れ味のいい刃でスパッと切れた感じだったからだろう。
「失明しかねないくらいやばい場所よ。……ビックリさせないでよね、本当に。しかもヘッドギア壊れるし、うち等あんな上等の部品を買う金がないっての。今回の賞金、確実にヘッドギア代金だから」
「言われてみれば……ここはシャルルと要交渉だな」
「そうね」
二人で大きく溜息を吐く。勝利は勝利で嬉しいけど、飛行士生活にとって、この損失は大きい痛手だった。
とにかく、俺達はやるべき事を全てやったのだ。エリアスに勝利するという大前提を達成した。
後は彼らの仕事だ。それは彼らに任せるしかない。