やっぱり、君は人間だったようだ
逃げる俺と追いかけるシャルル王子というレース展開となる。
俺は後方に向けて重力光拳銃を撃つが、やはり適当に撃ったのでは何の牽制にもならないらしい。
それどころか銃口を向けても指が引き金を引かない限り動こうとさえしない。こんな飛行士が存在するのかと驚くほどだ。必死に逃げるのだが全く持って厳しい。
向こうの攻撃が当たらないよう飛ぶ事に集中しつつ、かつて桜さんにやられたように逃げ場を塞がれないようにレース場全体を把握しながら逃げる。
問題なのはこっちが攻撃するチャンスが一向に無いことだ。もっとスピードがあれば引き離してポジションの取り合いが出来るのだが、俺にベンジャミンのような超絶テクニックとか存在していない。宙返りで後にいる相手の背後を綺麗に取るとか、近接戦闘を狙った接近をヒラリヒラリと避けて、逆に相手の後をとって一方的に攻撃する、そんな華麗なテクニックは持っていない。
もう自分の速度が何キロ出ているかさえ把握出来ない程、フルスロットルで逃げる。
悔しい事に相手は余裕で背後を追走して攻撃を仕掛けてくる。攻撃をするたびに上下左右に体をずらして重力光拳銃から打ち出される重力制御された光弾を避ける。
息をつく暇がない。
比喩ではなく物理的に、呼吸する余裕がない。
「くっ」
どんなに速く飛んでも、世界がゆっくりと動いて見えても、まるで自分の体は水中を動くかのように抵抗が掛かって動けない。対して、相手はまるで水を得た魚のように自在に動いてた。
次から次へとシャルル王子は有利なポジションを取ったまま重力光拳銃の銃口をこちらに向けて仕掛けてくる。
俺はただただ必死に逃げる。
だが、避けようと体を傾けたその先に、シャルル王子は既に銃口を移動させて引き金を引こうとしているのが見える。
慌てて避ける方向を変えようとして指先で機体をコントロールするが、機体の出力が低いせいで全く動いてくれない。
結果として右腿に重力弾が掠め、ポイントが落ちるブザーがなる。
それにしても全く息をする暇がない。酸欠で死ぬのではないのだろうかと思うほどに、戦いと言うよりは鬼ごっこ状態が続くレースとなる。ちなみに逃げているのが俺なので鬼はシャルル王子だ。
レースでも『あの選手は息継ぎが上手い』なんて話は聞いた事があったが、まさかこういう事だというのは初めて知った。常に姿勢を整えて力を入れて体を動かす為、ずっと腹筋に力を入れるような感覚と同じで、体に力を入れっぱなしだから息ができないのだ。
高いレベルのレースは息をつく暇も無いという話だったが、息をつく暇というよりも呼吸する暇も無いというのが正しい。
(これが…頂点のレベルのレースかよ!)
一方的に逃げ続ける。まるで1時間でも2時間でも経ったような感覚だが、時計は未だ5分を過ぎたところ。ポイントは1対0で負けている。
どうやって勝てっていうんだ、くそったれ
そんな思いを頭に過ぎらせながら、それでも背後から追いかけるシャルル王子に攻撃をしつつ、どうにか相手よりも良いポジションを取れるように必死に動く。振り切ろうと激しく蛇行や急旋回をしながら、相手の攻撃を避ける。
だがシャルル王子も仕留めに来ている。
俺は徐々に追い詰められつつあった。
競技場の円柱の端部、鋭角になっている場所へ飛び、引き返す必要が生じる。確実に近接戦闘が発生するポジショニングだ。
併行移動してきたら間違い無く、攻撃され放題になってKO負けは確定だ。むしろ自分から相手に向かって言って擦れ違ってポイントを抑えるというのが正しいやり方だ。
俺は決死の覚悟でターンをして袋小路に追い詰められる前に相手へと突進する。丁度正面からシャルル王子も襲ってくる。俺は右にフェイントを入れて左に急旋回という逃げる手段を考える。
刹那、シャルル王子が目の前から消えた。
「は?」
有り得ない。超高速で動いていてもスロー再生のように感じていた俺が、まさか自分の視覚から突然目の前の存在が消えたのだ。
理解が追い付かない。
だが、強烈な一撃を右肩と頭に重力弾を叩き込まれた事で理解する。右側を振り向こうとする前に強力な蹴りが右足のポイントに叩き込まれて、オレの視界は一気に回転する。
やばい!飛行制御が出来なくなっている。
俺はこのままとっ捕まって、KO負けまで叩かれるのが目に見えているので、緊急避難として思い切りアクセルを握る。自分がどこに向かうか分からない状況でアクセルを握りこむのは非常に危険だ。だが、それ以外に方法はなかった。
自分から壁方向へと突っ込むように飛んでしまったが、その場所で滅多打ちされるよりはよほどマシなアイデアだと思えた。
シャルル王子の攻撃から緊急離脱したのだが、自ら壁の前に張ってある重力障壁に背中を強く叩きつけてしまい、胸のポイントが落ちる。
だが、それでも即座に立て直して逃亡へと戻る。バランス感覚だけは得意だ。何せバランス感覚だけで飛ぶ練習、基礎飛行練習だけは人一番どころかエールダンジェの練習のほとんどがそれだった。
それにしても……何だ、今のは?
有り得ない。人が消える?魔法なんてこの世に無い筈だろう!?
くそっ……もうポイントが左肩と腰しか残ってねえ。
俺は必死に集中して逃亡する。だがシャルル王子は一切の容赦も無くさらに追い立てる。
かなりヤバイ状況だ。何がやばいって。相手の動きが分からない攻撃をもう一度受けたら負けだ。
まさか、今度はいきなり前に回り込んだりしないよな?
ワケが分からない。次にやられたら負けだ。
悔しすぎる。何が悔しいかと言えば、これまではどんな相手でも飛行勝負なら自分が主導権を取れていたのだ。相手が近接系だろうとスピードで振り切って好ポジションを取って攻撃していたのだ。それが、今日は一切ポジションを取れていない。
正直に言えば今日は過去最高なほど調子が良いと思ってた。いつもより世界がゆっくり見える。にも拘らず、相手はその更に上を行く。
「くそ、化物め!」
悔しい、腹が立つ、勝てる気がしない、息が苦しい、早くレースが終わって欲しい。このまま何もできずに負けるなんて嫌だ。
そう心の中で願う。
だが、何かが俺の心を沸き立たせ、自然と口元が緩んでしまう。
これは後でリラに折檻を食らうので堪えたい所だが、そんな違う事に集中を割く必要は無い。
この化物をどうやって引き離してポイントを奪えるポジションに行くかなのだ。必死に蛇行を繰り返し、相手を振り切ろうとフルスロットルで飛ぶ。
「ははっ…何てレベルだよ、こん畜生!」
攻撃をしても一切当たらないし、ポジションも取れない。攻撃的な飛行をしても、それを遮るような攻撃でオレに無駄なアクションをいれさせて止めてくる。
こんなタイミングで攻撃を差し込まれたら、ベンジャミンでも華麗なテクニックを見せられないだろう。出来ればこういうテクニックはもっと早く見せて欲しかった。飛行系を飛行系で封鎖する見本みたいな事をしてきやがるのだ。
時間は過ぎていく。苦しくて仕方ない悪夢にも似た時間を、俺は必死に逃げる。
リラは後半に勝負をかける、前半で疲れ果てても良いといったのだ。何か策があるのだろう。何としても後半へ望みを繋げたかった。
だが、前半もラスト10秒を切るところで、俺はついにシャルル王子に嫌なポジションを取られ競技場の端、円柱の曲面と平面の端部に追い詰められて、急旋回を強いられる。
そう、相手と擦れ違うシチュエーションが再び発生する。
この状況だけは避けたかったが、どうしたってレースをすれば前半に2~3度は存在する。真正面からシャルル王子が突っ込んでくる。
やばい!また消える奴だ!
どうすれば良い!?消えて横から攻撃されたら終わりだ。もう左肩と胸しかポイントが残っていない。次に消えられたら無防備にポイントを全部奪われるのは目に見えてる。
チェックメイトか?いや、前半で負ける訳には行かない。リラの元に帰ら無ければならないんだ!
俺は集中力を高め、今度こそは消えさせないようにジッとシャルル王子を見る。
シャルル王子は銃を撃ちながらこちらに突っ込んでくる。俺は蛇行で左右に移動してシャルル王子の攻撃を避けつつ近接距離の擦れ違い戦となる。
絶対に今度は見失わない。今度は何をやられても良いように、もっと集中して相手を見る。
シャルル王子は右から回り込もうと体を傾けた瞬間再びその場所から消える。
「!」
確かに消えた。
だが、視界の左端に一瞬だけ影がちらつくのを感じる。
「左か!」
俺は左に反応をし、ライトシールドで左肩を守り、シャルル王子を見つける。
「!」
シャルル王子の攻撃を避けるが、さらにシャルル王子はこちらに体を突っ込ませてくる。近接戦闘はどうやっても避けられない。一番の苦手分野だが、KOだけは避けなければならない。
(絶対に左肩のポイントだけは守る!それ以外ならいくらでもくれてやる!)
最初にシャルル王子の膝蹴りが俺の腹に入り、バランスを崩して体が回転する。
さらに最後の左肩のポイントを奪いに銃を撃って来る。刹那の間に重力光盾へ10発ほど光弾が叩き込まれる。
だが、ギリギリで防御が成功したようだ。
そのまま離脱して飛行に入るのだが、やっぱりシャルル王子は後を取ったまま追いかけてくる。数秒逃げた所で前半戦修了のブザーが鳴り響く。
どうにか俺は逃げ切れたようだ。
飛行士の出場口のすぐ奥にあるメカニックの作業場からリラが飛び出してくる。
「よく耐えたわ」
リラから珍しくお褒めの言葉を頂いたが、俺は疲れ果てていたのでそのまま座り込む。リラは俺に酸素マスクを渡して、早速オレの機体を取り外す。
そして電力供給装置にエネルギー充填のコードを刺して、エネルギー充填を開始させる。更にプログラムを未だに弄って、機体に新しい部品を取り付けようとしていた。
リラはバタバタと忙しそうである。
俺も疲れているので、何も言わずに息を整えるだけに集中する。
リラはチェリーさんから受け取った部品を機体に装着させる。俺が使った事も無い部品を使って本当にちゃんと飛べるのか不安だった。
俺は2分ほどである程度、息が整い、酸素マスクから口を離す。
リラは超特級で整備を行なっていた。右手でプログラム、左手で取り付け作業といった感じである。部品をつけるのでエールダンジェの重力翼制御装置をばらしているのだ。ここまでの大作業はさすがに初めて見た。
それだけでハーフタイムの5分掛かりそうな感じだが、リラの左手による取り付け作業の速さはハンパなかった。昔から油に塗れて工具を手足の様に扱っていただけあって、作業速度は普通に考えるよりも遥かに早い。
最近はプロっぽくスマートに、そしてチェリーさんに支給された制服も綺麗に着こなし、『鉄錆と油仕事なんてしません』みたいな振る舞いをしていた。
だが、元々はゴミに塗れて男か女かも判別しないような小汚い奴だったと思い出す。それくらいメカに関してはスペシャリストだった。
3分立った辺りで作業を終えて、そのまま俺に機体を背負わせて、スパナで機体を締めて体にフィットさせる。
「レン。回復した?」
「……あんまり、疲れて嫌になる」
これは本音だ。レースでこんなに疲れたのは初めてだ。エールダンジェ初心者の頃、慣れない機体で慣れない戦い、しかも当たり所が悪ければ死ぬ可能性のあるレースに出ていた頃よりも精神的に疲れている。
「それに……シャルル王子の魔法みたいな飛行が分からん。あと1ポイント、次に来たら守りきれる自信がない」
「……流石にあれは私も想定外だったわ」
「アレを何か知ってるの?」
「レンも聞けば理解すると思うわよ。『瞬間移動』よ」
「……オーガスティン・マキンワが使う、擦れ違い戦の時に、一瞬で相手の真横に移動して無防備な相手の真横から擦れ違い戦を仕掛けるって言う、あの移動技?」
「ええ」
でも、それって世界最高峰のメカニックとグレードS覇者クラスの飛行士だからできる事だった聞いた事がある。そしてそれをサポートするのが超一流の飛行技師でなければできないとも。
実際、真似をしても出来ない事はよく言われている。
他に出来る飛行士はほとんどいない筈だ。近年頭角を現した天才ゴスタ・ホンカネンが使ったくらいか。2人の飛行士の共通点は、担当飛行技師が三大巨匠だという事くらいだ。
それ程の技巧を見せたのか?シャルル王子が?
「言いたい事は分かるわ。つまり戦っている飛行士は世界最強クラスの飛行士であり、世界最高峰の飛行技師と同等の技術があるのよ」
「……チートって王子の事を言うんだと思う」
「気持ちは分かるわ」
リラは引き攣ったように苦笑を見せる。
リラも飛行技師として相対している相手がまさか世界クラスの飛行技師だったとは予想外だろう。
「ところで、リラは何を仕込んだの?」
「補助エネルギパックよ」
「……あまり聞かないパ-ツ名だけど」
「単純に言えば、今のエネルギパックの出力を向上するような追加パックよ。今より1.5倍の出力が出る様になるわ」
簡単に言えばモバイル端末で言えば追加メモリとかそういう感じだろうか?エールダンジェの出力を司るエネルギパックの増設なんて普通はしないのだが。
プロではしないが、確かに素人レースではそういうものも見られる。主に普段の家庭用エールダンジェに積み込んで、スポーツのレースに出るという奴だ。
「……お高いんでしょう?」
どこかのテレビショッピングみたいな振りをしてしまったが、リラはどこか遠くを見て哀愁を漂わせる顔で
「10着の結構露出の多めな服を来て、愛想振り撒いて、カメラの前でポーズするだけの簡単なお仕事よ」
その画像データは、後でチェリーさんと交渉して買おう。
「こちとらプライドを売ってパーツを貰って来たんだから、勝たなかったら殺すからね」
「い、イエス、マム。……でも、だ、大丈夫かな?いきなり出力が上がって」
「大丈夫よ前半どおりやりなさい。多分、前半でもどかしかったものが、少しだけマシになるわ」
「分かった」
俺は競技場の方へ向き、カウントダウンが10秒を切ると即座に飛べるように起動準備をする。
相手のシャルル王子も準備をして既に出発準備をしていた。
体は死ぬほど重かったが、カウントダウンが0に近付くと同時に俺の集中力も自然と増してくる。
周りの雑音がゆっくりと聞こえだし、やがて歓声の声さえも聞こえなくなる。周りの色が消え、世界はレース場の外形と対戦相手だけしか見えなくなる。
カウントダウンが0になると同時に俺と王子はスタートを切る。
セオリー通りの右側飛行だ。
遠距離での撃ち合いとなる。向こうは俺の左肩だけを狙って攻撃を仕掛けてくる。俺は重力光盾で防御をしながら、相手の精密射撃から逃げる。
リラが言うように、確かに出力が上がっているように感じる。水の中で抵抗を感じて動けないという印象が少しだけ早く動けるようになった。
しかし、それでもプロ仕様の機体を装備しているシャルル王子相手では、出力負けして直に後を取られてしまう。
後に付かれ、早速、王子は銃口をこちらへ向けようと手を動かす。この人の場合、銃口を相手に向けてから引き金を引くという作業をしない。引き金を引きながら相手に合わせるのだ。正直、ありえないが、指の動きと銃口の動きを読んで逃げるしかない。
グンッと機体が回避行動をする。
これが出力向上の恩恵かと俺も少しだけ驚く。自分の理想に近い形での回避が出来た。俺も遅いが、王子の腕の動きも速くは無い。機体の方が僅かに速いので回避がかなり楽になった。
そうか、あの撃ち方は俺達みたいにセミオートによるパワーアシストをつけた射撃でなく、完全なマニュアルだから手の速度とパワーアシストだけで動かしているんだ。だからセミオートが無い分、自力で自分の腕をコントロールするからどうしても遅くなる。
その腕より速く動けるようになった今、攻撃が当たる気が全くしない。
これなら、思う存分攻められる。
機体性能で負けている為に、レース展開はただただ逃げるだけになる。相手の攻撃が当たらないようになったのなら、こっちは余裕を持って攻撃を可能になった。
いける。
後へ銃口を向けてとにかく撃つ。
照準を合わせて撃つ。
照準を合わせて撃つ。
いつもと違う展開だ。だけど、負ける気がしない。
今ならいけると左側へターンをして王子の左肩を狙うように見せかけ、一瞬だけタイミングをずらして引き金を引く。左腿のポイントを奪う。
ブザーと共に俺に得点がつき、王子の左腿のポイントが落ちる。追いかけられる前に右ターンで今度は右側から攻撃をする。
「!?」
俺の引き金とほぼ同時に王子は同じく引き金を引く。
パアンと派手な音をして俺と王子の間で光が跳ねる。重力弾同士がぶつかりあって反発したのだ。
まさか、わざと当てたのか?あの王子、本当に人類なのか怪しくなってくる。まったく、これだから天才って奴は嫌になる。
だけど、アレは俺がリラと越えなければならない壁なのだ。世界ランクを得るとかそういう小さい壁じゃない。軍用遺伝子保持者という才能を恐れる常人達が、彼らを蔑視している理由そのものをぶち壊す。それがリラの夢であり、そして俺が進んだ道だ。
だから今日、目の前のこの天才を俺は破らねばならないのだ。
後半、俺は背後から追い立てるシャルル王子を飛行で振り回す。逃げているようで主導権を完全に握っていた。相手の射撃よりも速い回避行動が可能なターンが取れる時点で、後半だけなら俺の勝利は決定していた。
問題は前半に奪われた得点差がつまるかだ。それにこっちは残り1点で負ける。逆に言えば後半だけで6点以上取り、1点でも奪われたら敗退するのだ。これはかなり無理難題である。
でも、リラが勝てるといったのだ。ならばやってやるしかないじゃないか。
こちらの攻撃が中々あたらないのも確かだ。ここまで完璧な相手が果たしていただろうか?それでも1点は取れたんだ。どうにか…
必死に攻撃していると、今度は時間が恐ろしく速く進むようにさえ感じる。地獄の様に長い10分が、追いかける立場になるとどんどん時間が進んでいく。
息苦しいとか泣き言さえ言えなくなる。
だが、勝利以外に何の興味も無い。後半よく頑張ったとかそういうのはどうだって良い。こんな愉快な能力を持った相手に勝ててこそだ。
「!」
だが、シャルル王子も攻撃が出来ないならと手を打ってくる。俺も守備に余裕が出来て飛行でゆっくりと競技場の底の端部へと追い込まれていた事に気付く。
俺はターンで逃げ切るしかないと覚悟をする。少なくともこの王子様は形振り構わずくっついて点を取って勝とうと言う人では無い。但し、間違い無く擦れ違い戦へと持って行き、俺にとどめをさしにきたのは分かった。
横に逃げると併行して飛行し、近接の殴り合いに発展しかねなく、そしてそうなったら間違い無く俺は勝てない。
だから、最適手段として擦れ違い戦を選ぶ。
だが、必ず瞬間移動を使うとは限らないのが嫌な所だ。擦れ違い戦の最高難度のテクニックが使えると言う事は、それよりも下の技術を使ってきてもおかしくない。何が来ても相手から逃れるように見極めようとする。
そして近接射程範囲に入りそうになる手前で、再びシャルル王子は視界から消える。
だが、今度は視界の右端でチラッと何かが動くのを感じた。
「次は……負けない!」
俺は右側に左手で持ったライトシールドを突き出す。
シャルル王子は『瞬間移動』で右にずれてから攻撃を狙っていたようで、オレのシールドバッシュによって思い切り叩きつけられて、バランスを崩していた。それでも防御してポイントを奪わせなかったのはさすがとしか良いようがない。
だが、バランスを崩してからの立て直しが遅い。
俺は即座にシャルル王子のポイントを奪いに、右手に持つ重力光拳銃でポイントを照準にあわせる。
右腿を当てて更にバランスを崩させ、反撃されそうになる前に右肩を撃ち右肩を弾いて攻撃手段を一時低下させる。その段階でかなり距離が遠くなってしまったが、それでも腹と胸のポイントを奪う。
6対5で1点差まで追いつく。
あともう1点取れば同点だが、逆転を狙うなら左肩を最後に残したくない。バランスを崩して立て直す余裕がない今の内に左肩を撃ち抜いておきたい。
だが、欲張りすぎたかもしれない。シャルル王子は左肩への攻撃を読んだのだろう、プロのように華麗な飛行をしていたにも関わらず、ポイントを守る為に亀みたいに左肩の守りを固めたのだ。
「ちっ」
自分の迂闊さを呪う。
勝利がちらつき、まずポイントを優先して無防備だった頭を狙うべきだった。
やばい、もう時間が少ないのにまだ負けたままの状況だ。5対6で向こうが有利と言う状況は非常によくない。俺は一度距離を取ろうとするシャルル王子の後を取って攻撃を開始する。
だが、流石に出力が違いすぎる。一気に距離を取られて、シャルル王子は再び遠距離戦を経てから俺の後へと回り込んでくる。
後方へ攻撃をしていると、シャルル王子は場所を変えてくる。
さすがにシャルル王子もポイント自体が勝っているので、無理に狙いに来る様子は無かった。これはこのまま逃げ切られる感じだ。
それは冗談でも許さない。急旋回で相手の背後を狙いに行く。スピードで負けても攻撃を避けられる余裕が出来た以上、追いかけっこをするつもりはない。
飛行の華麗さとは全く別次元で、暴れ馬が人間を振り落とそうとするかのごとく、背後から俺を狙う王子を、その背後からあぶりだすように上下左右に急旋回の連続で誘い出す。
向こうはそんな中でも攻撃を仕掛けてくるのだが俺はそれを急旋回の中に急旋回を入れて回避行動を取る。
これだけこっちが振り回そうとしても、全く離れないどころか、しっかりポジションを取れる辺りが恐ろしい。
これは間違い無く時間内に隙を作るのは困難だ。
だが、隙を作ったのは一度だけだった。まさかあんなに飛行の立て直しが下手だとは思って無かった。
突破口は多分そこにある。だがどうやってバランスを崩す?
体当たりが最も良いのだが、それは即ち近接を挑むという事、少なくともグレードS覇者に勝っているならば近接戦闘は得意な筈だ。
最近のトップ飛行士は万能型、近接が苦手なタイプと言っても俺ほど能力に偏りは無い。
どうすれば良い?
そんなもの無理やり崩すしかない。
時間がないからこそ、俺はわざと追い込まれに行く。再びの擦れ違い戦へと持って行く展開をつくる。
わざと苦手な展開を持っていくとはバカの極みのような策だが、これしか崩す可能性はないだろう。相手が攻めるチャンスと言うのは、こっちの攻めるチャンスでもあるのだ。
向こうが瞬間移動を仕掛けた擦れ違い戦に再び持って行けば、何かが起こる、そんな気がした。
俺は敢えて苦手な近接戦を挑みに行く。
そこで初めてシャルル王子は重力光剣を手に取る。銃から剣へと切り替えた。
一番不味いシチュエーションかもしれない。だが何となく読めていた。この王子は最初から腰に重力光剣を下げていたし、火星の英雄は重力光剣使いとして有名だったのだ。
火星の王子様が使えるのは当然だ。俺は左肩の防御を捨てて盾を構えて体当たりへと行こうとする。
「やっぱり、君は人間だったようだな!」
どんなに優れた天才でも、たった数分の失敗を即座に実践で直せる自信なんてあるはずがない。いや、自信があったとしても、少なくとも余裕があるときではなく、次の失敗は敗退を意味する状態なら、態々それを選ぶ筈も無い。
重力光盾による体当たりでバランスを崩して4点も取られたという最悪な記憶はついさっきの事だ。
俺が盾を構えるのを見て、即座に盾を迂回する飛行、俺の左側から抜けるフェイントを入れて、バックロールで盾の持たない右側からすり抜けつつ、裏側から重力光剣で俺の残ったポイントである左肩を狙いに来る。
バックロール、バスケットボールから出てきた呼称で、その由来の通り、相手に背を向けて回転するように相手を抜き、抜いた後で背後から攻撃を入れるというスピンを入れた曲芸飛行だ。
優秀な飛行技師、優秀な飛行士が必要とされる技巧でもあるが、そもそも彼は最高級技術『瞬間移動』を使えるのだから、この手の技は出来て当然、想定内だ。
そもそもバックロールは対近接用の技で、相手の近接間合いを避けつつ、高速で相手の裏を取ってから攻撃をする技。
どうやら意外にも天才は俺に盾で崩された事で瞬間移動を避ける所や、近接の苦手な俺に対しては余り意味の無いバックロールを仕掛けてきた。
だが、裏なんてとらせる前に狙うに決まっている。俺は擦れ違い様に右側へ重力光拳銃を向けて、バックロールで無防備に後ろをさらしたタイミングで射撃する。
ブザーが鳴る。俺から放たれた光弾が、シャルル王子の頭を掠め、ポイントとなったのだ。
「!」
シャルル王子は慌てて引き返してオレを追う。形振り構わず背後をとって攻撃を仕掛けてくる。俺は回転しながら背後をとらせないようにしつつ急ターンを連発して射撃をかわす。
ビーッ
そして終了のブザーが鳴り響く。
『6対6、シャルル・フィリニア・ルヴェリアVSレナード・アスターの勝敗は引き分け。延長戦に入りますので、5分の休憩に入ります』
放送が響き、俺は慌てて入退場口へと飛びリラの待つ場所へとかえる。
俺は自分の入退場口に入ると、俺はそのままうつ伏せでグッタリと倒れこむ。
リラはエールダンジェの重力翼制御装置のメインフレームを外して調整準備をしつつ、オレを引っ繰り返して胸の外部装甲をスパナで開けて、電力供給装置の充填を開始する。
そして俺の口に酸素マスクを捻じ込むのだ。
死ぬほど疲れた。このまま寝てしまいたい。だがレースはまだ終わってないのも事実。
折角面白くなって来たのだ。疲れたから辞めますって言うのは勿体無い。
トッププロが毎日こんな試合をしているなら、疲れるのもよく分かる。これが頂点の領域なのかと実感する。
3分ほどして、どうにか俺も回復をして起き上がる。
「いけそう?」
「やばいくらい疲れてるけど、折角面白くなって来たんだ。ここで引いて負けるのはつまらない」
「……ええ。延長で勝たせてやるわ」
リラは口角と吊り上げて自信を持った言葉を俺に掛ける。
頼もしい相方だ。
俺は相棒に対して心の中で畏敬を抱くとともに、この面白い試合を作ってくれた事に感謝する。
「勝ってやるさ。あと1点、俺が取って…」
ピンポンパンポーン
気合を入れている俺達に対して、軽い調子のニュースだか呼び出しだかの音が競技場に鳴り響く。なんだろうと俺は放送の音を聞こうとすると…
『シャルル・フィリニア・ルヴェリア選手は棄権を申告。レナード・アスター選手の勝利です』
シーンとレース場が静まり返る。
そしてどこからか我に返ったように、悲鳴にも近い怒号のような声が降り注ぐ。
「何故?」
俺もリラも延長に備えて行動をとっていただけに驚きだった。2人で顔を見合わせてしまう。
だが、リラの動きは速かった。機体整備を切りやめて、荷物をメカニックとして持ち歩くケースの中に詰め込んで、帰る準備をする。
「それよりも、さっさと帰るわよ」
「え?」
「オッズ見なさい。今日も悪役なんだから」
「げ」
シャルル王子と俺の予想オッズは俺の負け一辺倒になっていた。ベンジャミンの時もそうだったが、競馬でいう所の万馬券というか、大穴が思い切り空いたらしい。
別の暴動がおこる事もないし、ものを投げ込まれて俺に届くこともありえないが、ちょっと騒ぎが凄くなるので、俺達は準備を切りやめてそそくさと撤退する。
「全然、勝った実感がないんですけど!」
「世の中そういうものなのよ」
俺の嘆きに呼応するようにリラもぼやく。2人で喜び合う暇も無かった。何故か、勝者が逃げるように競技場から去るのだった。