対策なんていらなかった
俺達は本選トーナメント1回戦へと駒を進めるのが決まった。次の対戦相手はシャルル・フィリニア・ルヴェリア王子である。つまり、ルヴェリア連邦王国の王子様である。
シャルル王子は最初から本線出場を決めている世界ランカーだ。
その為、これまでの様に、相手のレースを前日に見てから対策を練って戦うわけにも行かない。
だから対策の為に過去のレースデータを見ておきたい所なのだが、彼は俺達が出場しているステップアップツアーと呼ばれるINAAC(国際エールダンジェ委員会)に所属している地域団体のレースに出た事が無かったのだ。彼が出ているのは主にチャレンジツアーと呼ばれる、世界ランキングポイントだけを付与されるINAAC外の独立機関で開催されている大会に参加してポイントを得ているのである。
つまり、それなりに世界ランキングは持っているが、公のレースに出るのは初めてなのである。
そして、AARP(エアリアル・レースプロ協会)の公式レースであるステップアップツアーやメジャーツアーはAARPのホームページに行けばいくらでも過去のレース映像を見ることが出来るのだが、非公式なチャレンジツアーのレース映像は見ることが出来ない。
AARPやINAACが主催をしていないからだ。
***
俺達は暇になったので、2人で街をぶらつくことにする。
本来であれば予選決勝戦の日だったのだが、対戦相手が棄権したのでぽっかり予定が空いてしまった。次の対戦相手の分析もできない状況にある。
折角だからとフィロソフィアの綺麗な街並を見て回っていた。
これは言わずもがなデートである。ひゃっほい。
まあ、色っぽい話なんて無いけど。俺とリラにそんなものを期待している人間もいないだろう。どちらかと言うと子分と親分といった感じだ。どっちが親分かは察してくれ。
そんな俺達はフィロソフィアのファーストフードで食事を取る事にする。
さすがに観光でグルメをする程の経済力は無かった。そのような金があるなら、そもそも有料サイトを使って次の対戦相手の分析をしているだろう。
「で、対策は如何すれば良いのだろう?」
ファーストフードは色んな人が来ている。ゲームをしている人や、時間潰しをしている人、モバイル端末で何か調べモノをしている人などがいて、店内は比較的騒がしい。
西暦と呼ばれる古くから、この手の店はこんな感じったらしい。人間は文化や技術が進化しても基本的な中身は何も進化していないようだ。
俺はコーヒーを啜りつつ、いつものように明日のレースの事をリラにたずねてみる。事前対策を練っているものと考えていた。いつもの事だが、彼女はその点に関しては全く隙がない。
「無いわ」
バッサリとリラは切り捨てる。対策がないときた。珍しいと言うか初めての返しにちょっと驚いた。
「マジで?やっぱり過去の対戦結果を見ることが敵わなかった、とか?」
「いや、確かに有料だからチャレンジツアーの公式レースを見る事はできなかったけど、彼は火星王族、有名人だからね。普通に無料サイトでレース映像の断片を見る事はできたのよ」
「あー、なるほど。……ん?それじゃあ、何で対策がないの?」
レースを見る事が出来ているなら、当然対策があってしかるべきだ。
「……ハッキリ言っていやらしいの一言だもの。普通、試合を見れば相手がどういう飛行士が分かるのよ。それがサッパリ分からない」
「サッパリ分からない?」
「ハッキリ言えば、ベンジャミン以上にこの業界を舐めているのかも知れないわね。でもだからって手抜きなんてしてない。至って真摯にレースをしている。だから隙も無い」
「……意味が分からない」
俺はリラの言葉の意味を理解できずに首を傾げる。
そんな時、俺とリラの近くに1人の黒人男性が現れる。ヒョロッと細長い体躯をした、銀色に輝く瞳をした男だったが、何故かニコヤカに知り合いっぽく近付いてくるのだった。
「よう、お二人さん。久し振りだな」
いきなりやってきて、いきなり会話に混ざってくる男を見て俺はしばし考える。そこで頭を捻ってどうにか思い出す。
「確かシャルル殿下と一緒にいた…」
「ジェロム・クレベルソンだ。よろしくな、レナード・アスターだろう?……もしかしてデート中?邪魔した?」
そう、彼はあの王子様と一緒にいた護衛とか言ってた人だ。大会参加者でもある。まさか俺とリラの様子を見てデートと判断するとは、とってもいい奴である。俺の中で彼の好感度が1上がった。
「いや、単に街を見てただけよ。バカを1人放置すると、変なのに巻き込まれるから監視してただけよ」
「うぐ、未だに根に持っていたか」
ジトとリラはクレベルソンを睨む。
「私はリラ・ミハイロワ。そっちの飛行士は…」
「知ってるよ。さっき訊ねただろ?飛行士は知ってるさ。戦う可能性はあるからな。オレと同年代のプロなんて珍しいし」
ニッとクレベルソンは人懐っこい笑みを見せて、手を差し出す。俺達は彼の握手に応えるように手を握り返す。
ともあれ、対戦する可能性があるが友好的な人でよかった。強い割にはあのベンジャミンみたいに高くとまった感じでは無さそうで何よりだ。
だが、そういえばこの人はあの王子様の護衛か何かだったはず。まさかあの王子様も今日はここにいて、またオレを引っ掻き回したりしないだろうか?ちょっと怖くなってきた。
俺は周りを見渡していると
「殿下ならいねーよ。アイツ、ちょっと政治家との会談でバカやらかして、国王様にVR会議で説教されてるから」
「何しでかしたの?」
「ん?フィロソフィアのお偉いさんと生放送で会談があったんだけど、巧みな話術で、そのお偉いさんが黒鳥網っていう団体の人間だって自白させたんだよ。フィロソフィアの最上層は慌てて王国に謝る羽目になるわで社会系メディアは大賑わい」
ケラケラ笑うジェロムだが、その手の話題は鈍いのでよくわからない。
「どういう事?カラスネットってなんぞや」
「ああ、知らないのか。黒鳥網ってのは文字通り、俺達軍用遺伝子保持者を弾圧する団体さ。テロ組織じゃないが、世論操作みたいな事をするお世辞にも公の政治家にいる事が許されないような団体さ。そんな団体の構成員が、軍用遺伝子保持者が建国王の国『ルヴェリア連邦王国』の王子を迎えるなんて国際問題に発展するだろ、普通に」
フィロソフィアでそんな事があったのか。そういえばあの人は王子様だったな。
「で、予選決勝をさっき勝利して、暇になった俺は1人で外を歩いていたら、同年代のエアリアル・レースの選手を見つけて、ちょっと挨拶しようかなと思って」
クレベルソンは俺達の席の隣にコーヒーを置いて横に座ってくる。
「王子様の護衛の仕事は?」
「一応な。つってもそれはあくまでも、俺がルヴェリア連邦の更生プログラムを受けて、保護観察されている状況だからだな。本来は俺が観察受けるんだ。俺はガキの頃、傭兵業をしてたんだけど、所属してた傭兵団が潰されて、俺はあの王子に保護されるっていう形で、飼われる事になったんだ。で、俺は更生プログラムを終えるまで護衛を仕事にしながら、次の仕事の準備をしているって訳。次の仕事ってのはエールダンジェの飛行士って訳だが」
「た、大変だな。つまり王子様の護衛をしながら、護衛が終わった後の就職活動をしている訳なんだ。でも、プロの飛行士って、就職活動の範囲に入るの、それ?」
プロスポーツ選手を就職活動の延長線で考えている人をオレは初めて見た気がする。目の前の男がどれだけ規格外なのかは分かったような気がする。
「ホンカネンさんも傭兵辞めて次の就職先としてこの業界を選んだし、そういうモノじゃないのか?」
「あの人もそういえば傭兵上がりだっけ」
ホンカネンさんとは、本名をゴスタ・ホンカネンと言い、火星のプロ飛行士だ。彼はあの『血の五月テロ事件』において、ウエストガーデンに来訪していたシャルル王子とメリッサ王女を救った功績で、一介の傭兵ながら騎士爵の称号を賜った人物でもある。そして騎士が傭兵を続けるわけにも行かなくなり、新しい仕事先を探したのだが、その新しい仕事がエールダンジェのプロ飛行士だったらしい。
そういう意味では、このホンカネンという選手は、年齢こそ10歳近く違うのだが、エアリアル・レースの道に進んだのはオレと同じキャリアだった。
だが、既に世界最高峰のレースに出場しているトッププロの彼と、プロになって未だに世界ランキングさえ手に入れられない俺とでは雲泥の差がある。そういえば、ホンカネン選手はこの大会と同時期にやっている世界四大大会の1つ『プロ選手権』に出場している筈だ。しかも優勝候補である。
「俺もホンカネンさんと似たような境遇だからな。そういう意味じゃ憧れるけどな。俺達みたいな軍用遺伝子保持者にとって、あの人は希望の星なんだよ。すげーじゃん。クソみたいな場所で、人の役に立たない事をする為だけに生み出されたのに、皆が褒め称えてくれる場所にいるんだぜ」
クレベルソンは目を輝かせて先人の偉大さを語る。
リラはこの軍用遺伝子保持者差別に打ち勝つ為に、一般人ながらも世界王者を目指しているが、その逆で軍用遺伝子保持者は軍用遺伝子保持者で別の憧れを持つのだろう。
そういう意味では彼らと俺達は向いている方向は同じでも、全く違う事をしている。
するとリラはクレベルソンに訊ねる。
「って事はあのシャルル殿下とはエールダンジェでも一緒に飛んだりしているの?戦うとしたら対策は練れる?」
「そうだ、一番近い場所にいる人がいた」
言われて見て、俺も気付いた。
シャルル対策ならば、目の前の飛行士が一番詳しいに違いない。オレとリラは期待を胸にクレベルソンに視線を向ける。
だが、一拍してクレベルソンは首を小さく振って諦めるように口を開く。
「無理だよ」
「え?」
「あの男はパーフェクトだ。最高の知能と最高の運動性能を最初からその身に宿して来た存在だ。人類という枠組の中で最高の遺伝子設計をされて生み出されたのが、シャルル・フィリニア・ルヴェリアという男なんだ。勝てる人類がいるなら教えて欲しい」
「い、いやいや、でも得意なものとか苦手なものとかあるでしょ?」
「全て得意だ。例えば、俺は射撃だけをする為に生み出されて、生まれてからあの王子様に飼われるまで、延々と射撃の訓練と実践だけをさせられて生きてきた。宇宙中にいる数多の軍用遺伝子保持者の中でも恐らく俺は射撃で頂点に立つ為に生み出され、限りなくその頂点の近い場所にいる」
「…そ、そうなんだ…」
「あの殿下は、人生で初めて触ったスナイパーライフルを手にして、俺とどちらがより高い射撃能力があるか、勝負をして、鼻歌交じりで俺に勝つような奴だ」
「………マジ?」
え?自称世界の頂点が何で年下の男の子に簡単に負けてるの?自分がへたくそな訳でなくて?
「火星最強の若手、遠距離射撃なら世界に通用すると言われた火星のホープでさえその分野で勝てないっての?」
俺が彼に疑念を持っていると、横にいたリラは驚いたように口にする。どうやら彼の言う自称世界の頂点に近い狙撃技術というのは冗談じゃなく本当だったらしい。っていうか、王子様はそれよりも上なのか?
「俺は違法遺伝子工場で生み出された身だが、自分の生み出された理由が何だったのかさえ考えさせられたぜ。アイデンティティが崩壊した気分だった。ハッキリ言ってアレは化物だ」
クレベルソンが断言し、リラは絶句する。
「何でその殿下はエールダンジェでトップを目指したりしないの?」
というか、エールダンジェなら身体能力が低くてもトップに立てる成長過程の彼でも直ぐにプロのトップに立てるんじゃないか?
勿体ない。俺だったらグレードSを優勝してリラにプロポーズの一つくらいしている所だ。
「あの殿下は傲慢だけど、節度は弁えてるからな。そもそも他人の領域を土足で踏み荒らしたいとは思ってないんだよ。別にエールダンジェじゃなくても全ての競技で同じように世界王者を狙える才能が同じだけ詰まってる。だから何も目指したりはしない。あの殿下が物事に対して熱を持って接するのを俺は見たことがないな」
「熱を持って…ねぇ」
ウチの相方のような熱量を持った飛行技師は簡単にはいないだろう。
「あの殿下が本気になって熱中できるようなものがあれば、そんな相手と巡り合えたならば、その場所に堂々と行くだろう。そうでも無い限り、いつも暇つぶしに適当な競技に参加して、簡単に勝利をして、いつものように退屈そうな顔をしているのだろうさ」
クレベルソンはどこか呆れたようにぼやく。何だかんだと言ってその殿下を案じているのが分かる。とはいえ、才能があるから退屈で本気になれないとは贅沢な悩みだ。
「……一般人には理解しがたい感覚だなぁ」
そしてそんな化物と俺は明日戦うのか。折角の世界ランキングゲットのチャンスが遠のくなぁ。
「なるほどね。………対策が少しは見えてきたわ」
半ば諦めかけている俺の前で、リラが唇を吊り上げて笑う。俺とクレベルソンは同時に引き攣ったようにリラを見る。
「対策なんて練れるの?」
「ええ。むしろ私とレンだからこそ勝てる可能性があるわね」
「………?意味が分からん」
自慢ではないが俺には才能と言う才能がないぞ?才能がないからプロクラブのスカウトから、クラブに誘われたりしないんだから。
「やっぱり対策なんていらなかったという訳よ。勿論、専用の調整は必要でしょうけど」
「更に意味が分からん」
俺だけじゃなくクレベルソンも分かっていないようで呆れたようにリラを見ていた。
「大体、いつもそうじゃない。まあ、見てなさい。世界ランキング取りに行くわよ」
「お前らコンビは、飛行技師の方が強そうだな」
何だかとっても頼もしい相棒に俺は崇敬の念を抱いていると、クレベルソンの言葉に俺は思い切り肩を落とす。
「戦うのは一応俺なんだよ?」
「一応も何も飛行士がメインだろうが、エアリアル・レースは。1つの大会で飛行技師の交代は許されるけど、飛行士の交代は許されないんだからな?」
苦笑気味にクレベルソンが突っ込む。
そういえばそういうレースだったと思い出す。俺の場合、俺が交代しても良いんじゃないかって思うことがある位、相方が主導権を握っているから忘れてしまいそうだった。
「まあ、応援してるよ」
「殿下ではなくて?」
「あの男は負けたがってるのさ。自分に勝てる存在を探してるのさ。どうせあの男に勝つのなら、同年代のライバル候補の方が設定的に燃えるだろ?」
クレベルソンは楽しげに笑う。
俺はそんな同年代の選手を見てつくづく痛感させられる。この人は職業としてエールダンジェを選んだと言っていたが、単にこの競技が大好きなだけの同志なんだなぁって事を。
こうして俺達は明日のレースに備えて再び準備を開始するのであった。