フィロソフィアカジノオープン予選1回戦当日を迎える
泥のように深い眠りについた俺は、フィロソフィアカジノオープン予選1回戦当日を迎える。
フィロソフィアのカジノは、コインを使ったテーブルゲームやゲームマシンだけでなく、世界各地の賭博レースに量子ネットワークで繋がっていて、賭ける事ができる様になっている。
さらに地元開催のレースがある事で大きい盛り上がりを見せている。言ってしまえば、今このシーズンはエールダンジェ祭りとでも言うべきなのだろうか?
平行して木星で開催されているグレードS『プロクラブ選手権』が行なわれる為に、一層の盛り上がりを見せていた。
オレはリラと一緒にレース場の選手控え室のある方へとやって来ていた。
個室はあるのだが個室に辿り着く前には、大きなロビーで出場選手が寛いでいる。自由にジュースや食事なども取れる様になっているし、関係者が歓談している。
このフィロソフィアカジノオープンはINAAC傘下にあるムーン・エールダンジェ協会の管理の下で行われるツアーレースである。
今大会は俗にステップアップツアーというプロの登竜門的なツアーレースでグレードD~Eに位置する。1年半前にフィロソフィアから脱出した俺が、リラと共に出場しているツアーレースは全てこのステップアップツアーだ。ここでポイントをためるとメジャーツアーに出れるようになる。
ちなみに、俺は予選から出場だが、プロ資格を持たない選手でも予選までは参加可能である。予備予選というアマチュアが争う市民大会みたいなものがあり、その勝者は俺達が出場するこの大会の予選に出場出来るのだ。ただ、プロ資格を持たない選手は本選に出れないの決まり。
これらのツアーレースは1対1形式と1対1対1対1形式の2つが存在するが、今回のフィロソフィアオープンでは1対1形式で行なわれる。まあ、フィロソフィアのカジノは飛行技師が整備できない小さな入出場口はたくさんある。普段隠されているけど。しかし、飛行技師が整備できるような大きい控え室が隣接した入出場口は2つしかないので、1対1しかできないのは知っていた。2年もこのレース場で戦ってたからホームグラウンドのようによく知っている。
どちらの形式でも本選も予選も試合数が同じなので、1対1対1対1形式の方が出場人数が多く、しかも4人中2位までが勝ち抜けるので運よく勝ち抜けるケースがある。
例えば強い選手が片っ端からすべての対戦相手をKOする場合、最後に負けた選手は実力が低くても勝ち抜けるルールだからだ。運の要素が強いレースでもあり、実はこっちのほうが賭博は盛り上がる。
今回のレースは1対1なので強者と当たれば勝ち上がれない、運の要素が極めて少ないレースである。
とはいえ、幸運にも予選では、俺はあまり有名な選手と当たる予定はないので勝ちあがれる可能性は十分にある。
今度こそ世界ランキングのポイントが入手可能な本選1勝を果たしたい所だ。
「それにしても、昨日はなんか厄介事に巻き込まれたとか?ったく、出かけるにしてもレース前なんだから自重しなさいよね」
「ううう、滅相も無い」
相方に厳しく文句を言われながら、俺はこの控え室で両手でコップを持ちながら小さくなってジュースを飲んでいた。
リラはジトとオレを睨んでいた。
「しかもエールダンジェを装備した時のメンタルグラフ酷かったんだけど、何やらかしたのよ」
「ええと……レンタルエールダンジェに乗って移動してたんだけど、崩壊する…」
「はあ?私以外のエールダンジェに乗ったの?」
私以外の女に乗ったの?と聞き間違えたが、いやいや、俺はまだそんな大それたことは誰ともしてないよ?
まだ13歳ですから。そんな夢のある話があっても文句は言わないけど。
「何かあほなこと考えてそうだけど、アンタ、よく私のエールダンジェ以外に乗れたわね」
「そりゃ、緊急事態だったし」
「命も掛かれば乗れるのかな?」
「ん?どういう事?」
「アンタ、高所恐怖症の所為か、重力感を感じると気絶しそうになるじゃない。常に重力感が消えるように特殊な設定をしてるのよ。でないと高い所さえアンタは飛ぶ事さえできなかったんだから」
「……ど、どうりで怖かったと思ったら、そういう事か…」
まさか、リラの調整にそんな特別な仕様が入ってたとは思ってもいなかった。
リラは説明用の画像を空間に出して、オレの飛行用プログラムから可視化された力の方向を見せる。オレが飛んでる時に、体にどのような向きの力が動き、一般人と比べてどう違うかが明確にあらわされているのであった。
一般人は下の方に荷重が向いているが、俺には一切の荷重が掛かっていない。つまり俺だけ重力に常に逆らっている感じだ。
「一般的なエールダンジェは重力感を残すの。余計な出力を食わさない為にね。さらに言えば重力がないと本来は自分の位置や向きが分からなくなるから、こういう事は普通しないの」
「そ、そうだったの?」
「よく考えなさい、レン。レースは大体、皆が重力方向に足を向けているでしょう?」
「はっ、言われてみれば」
そういえば、レース映像を見ると常に地面の方向に足を向けている事が多い。高速飛行中も仰向けで飛ぶ人よりうつ伏せで飛ぶ人の方が多い。
「レースをして飛ぶとき、重力や遠心力を多少感じるほうが、位置関係を把握しやすいし、競技場の壁ギリギリの位置取りをする時も空気の圧力差や摩擦の違いで把握しやすいのよ。でも、レンの場合、体に加速度を感じると一気にストレスが溜まって、一定のストレス値を超えると気絶する。だから余計な調整の手間が出来るのよ」
「もしかして負けてる原因の1つになってる?」
「まあ、その余分な力を使ってるから近接の時に逃げれなかったりしてるんだけど」
「結局そこに戻るのかよ…」
リラの最後の指摘に凹む。結局、余分な力をあちこち使っているから、ここぞと言う時に強い加速が出来ず相手に捕まってしまうという事実が突きつけられてしまう。
そんな事を2人で話していると、1人の少年がぞろぞろと取り巻きを何人も引き連れてやってくる。黒い服を着た明らかにボディガードといった風体の男達が少年を囲んでいる。
「やあ、昨日は世話になったね」
女の子のように美しい容姿をした少年が、花が咲くような笑顔でオレに声を掛けてくる。
昨日、街中をお姫様だっこして逃避行ならぬ逃飛行した女装少年であった。
「誰?」
リラはモバイル端末から映し出していた空間映像から、やってきた少年を一瞥してから、俺へ視線を向けてくる。
「昨日、変な事件に俺を巻き込んだ悪の元凶だよ」
「酷いなぁ。君が勝手に巻き込まれたんだろう?まあ、私の女装姿に目が眩んで、綺麗な女の子に良い所を見せたくなってしまう男心は分からんでもないけどね」
「助けてくださいって行って来たの、君だよね!?普通に逃げようと思ったのに拳銃向けられて仕方なく助けたのに、酷い言われよう!?」
オレはこのとき心の底から人間を殴りたいって思った。いや、マジ、心から。
「大体、嘘吐きだし。この街には性別があやふやだったり、嘘吐きばかりで本当に嫌だ」
オレはこの女装少年に背を向ける。
「ん?オレは一切嘘を吐いてないぞ?そうそう、自己紹介をしておこう。俺の名前はシャルル・フィリニア・ルヴェリア。火星のルヴェリア連邦王国出身だ」
………
……
…
「「は?」」
オレとリラは同時に首を捻って目の前の見目麗しい少年を見る。
サラサラした美しい黄金の髪、全て金属で出来ていると見紛うような黄金の瞳は軍用遺伝子保持者の証。絶世の美女と見紛う絶世の美男子、すらりと細い体つきだが決して筋肉がないわけでも無さそうだ。
「えーと、もしかして……ルヴェリア連邦王国の王子様?」
リラはシャルルと自己紹介した少年に訊ねる。
するとシャルルと名乗った少年の隣に、俺と同年代ほどの背の高い少年が前に出る。スキンヘッドで褐色の肌を持つ少年は、鋭い銀光を放ち俺達を見る。
「本当だ。彼はシャルル・フィリニア殿下であらせられる。どうしようもないトラブルメーカーで、妹の土産と言いながら女装セットを購入し、それを着てボディガードの目を盗んだり、テロリストを壊滅させる為にテロリストの持っていた爆弾を起爆させて一網打尽にして、1つのビルを丸々ぶち壊すクソ野郎だが、こんなんでも一応ルヴェリア連邦王国国王の孫だ」
全くもって敬意の感じられない説明をする褐色の少年。
説明の中身が投げやりである。先日、俺が振り回されたが、よくよく考えれば黒服のボディガード達も振り回されていたのだ。彼もまた同様に振り回されているんだろうな、と感じさせるものがある。
「酷いなぁ、ジェロムは。俺は世の為、人の為、俺の為に、テロリストと戦っているというのに。まあ、さすがに殺すつもりもなかったからたくさんの人間には逃げられちゃったけどさ。大体、カジノに爆弾を運び込んで爆発する予定だったんだ。事前にこの俺が潰してなかったら大会だって潰れてたんだ。感謝して欲しいものだ」
シャルル少年は弁明するのだが、話のスケールがでかすぎてちょっと頭がついてこない。
あんなビルの上層を崩落させた爆弾が、このカジノで爆発する予定だったとしたら、運悪く現地で爆殺されていたかもしれない。急にやばい話になった。いや、まあ、最初からやばいけど。
確かに彼はかなり無茶苦茶な事をやったかもしれないが、彼の行動がなかったら最悪のケースでは俺やリラまで…
「アンタが出場するからそういう事を企まれたんじゃねーのか?」
「あはははははー」
褐色の少年の突っ込みによって、一気に台無しになるのだった。
なんだかこの王子がトラブルメーカーだという点については俺も心の中で合意するのであった。
「でも、ジェロムだってずっと俺を遠くから監視してたじゃん。俺が気付かないと思ったの?高層ビルの上からいつでも私がピンチになったら、相手を射撃で撃ち殺そうと構えてたでしょ。君がいるから俺は無茶が出来るんだよ」
「10キロの超長距離射撃をいつでもできるのは軍用遺伝子保持者でもかなり希少なんだから、いつでも大丈夫とかたかを括られても困る。たまにアンタを撃ちたくなる身としては尚更だ」
「何て酷い奴だ。戦場で拾ってやった恩を忘れるとは」
「ははははは、戦場で拾ってくれた恩がなければとっくに殺してるぜ、クソ殿下」
俺達をよそに、王子とその付き人の二人は勝手に笑顔のまま睨み合っていた。
何となくこの女装少年がどういう人間なのか、分かった気がした。王子様でなければ殴りたくなるのもよく分かる。褐色の少年の毒舌にどこか同意してしまう自分がいたからだ。
とんだトラブルメーカーだった。
「まあ、王子殿下の御守もレースが開催すれば他の連中に任せられるからな。今日という日がこれ程素晴らしく感じる事は無い」
「ジェロム。俺の代名詞に対して絶対にありえないルビをふられたような気がしたけど気のせい?」
ジトと従者を睨む王子の姿があるが、従者はシレッと無視をする。
「レナード・アスターね。順調に行けば本選2回戦か。あたるのを楽しみにしてるぜ。才能だけでレースを遊んでる王子殿下なんかに負けるなよ」
王子の従者はオレの肩を軽く叩いてから、自分の主たるシャルルの背を押して控え室へと向かわせる。
取り残された俺はリラの方を向く。
「?…どういう事?」
「私達が勝っていけば、1回戦の相手は王子殿下、そしてあの王子の従者がもしも勝ちあがれば二回戦の相手よ」
俺は首を捻って訊ねると、リラはそれに応える様にモバイル端末を操作して空中にウインドウパネルを開き、トーナメント表の名前を見せて説明してくれる。
「……ぬ、そういえば若い選手がたくさん参加しているとは聞いてたけど」
「まあ、彼らはワイルドカードじゃなく、普通に参戦してるけど。さらに言えば王子殿下はステップアップツアーに出て何度も途中で出場辞退しているけど優勝候補でも普通に1分以内にKO勝利しているわ。普通のメジャーツアーで優勝狙えるほど強いって評判よ」
「何、そのチートキャラ」
うんざりって感じだ。
そういえば火星の王族は世界最優遺伝子呼ばれているんだったっけ?火星の王子様なら当然、全ての業界で天才的な才能を発揮するのだろう。
噂には聞いていたがどうやら冗談じゃないらしい。他のスポーツでも世界的な活躍をしていたのは耳にしたことはあったけど、まさかエールダンジェでもそんなに強かったのか。
「ん?…………これは、ある意味で言えば……リラの本当の意味での目標の一つでもあるんだよな」
普通の人間であろうと、軍用遺伝子保持者に負けない事を示す。一般人である俺が世界最高の遺伝子に勝つというなh、ある意味でリラの目標の一つだ。
「ん?いや、それはそれ、これはこれよ?大目標としてはそれだけど、大好きなエールダンジェで自らが頂点に立ち続けるという目標はあって当然でしょう。私の目標や諸々はともかく、全てのレースで勝つってのは何も変わってないわ」
「そ、そうなんだ」
「まあ、過去最大級に燃えているのはあるけど、それ以前に私達はまだそれを成し遂げようって状況でも無いじゃない。勿論、勝ちに行くけど、たくさんの課題が山積みなのも一緒よ。そして、やらなきゃいけない事もたくさんある。だから、今回のレースだって長いレース生活の中の絶対に勝たないといけない1試合の1つでしかないわ」
静かな闘志を燃やすリラは分かりやすく鋭い視線でトーナメント表を睨む。
そう、この隣にいる女は昔から勝利に対して飽くなき執念を持つ。俺同様に能力が特別高いという訳ではないのに。
「あの王子の従者ジェロム・クレベルソンが予選第2グループの代表で固いと思うけど」
「え?あの人も強いの?」
「遠距離が恐ろしく強い。世界ランキングは低いけど、大体、王子と一緒の大会に出て、王子に早いうちに負けているから予選スタートだけど、火星のビッグクラブからとっくに将来の入団契約をしてるって話よ。生まれつき違法テロ集団に買われていたため、王子の下で保護プログラムをしていて数年は保護観察下に置かれて他所と契約はできないみたいよ」
「……な、なるほどね」
遊び感覚ででている王子と違い、彼の口調からするに本気なのだろう。王子の下から出れば、きっとこっちの世界で活躍しようと考えているのかもしれない。
「ちなみに、王子は私達より年下だけど、彼は私達と同じ年生まれよ」
「マジで?あんなに背が高いのに?確かに同年代くらいかなとは思ったけど」
「マジよ。っていうか、アンタが小さいだけよ。まあ、将来のライバルにもなりえるって事」
「………スペシャリストってのはちょっと嫌だね」
「まだ近接専門よりも相性は良いと思うけど、本物のスペシャリストは相性とか関係ないものね」
リラは深々と頷く。
「そ、そうなんだ」
「とんでもない距離から当ててくるから、対戦相手は息をつけないって評判だからね」
「遠距離系のスペシャリストってやつか」
飛行士は大別して、飛行で主導権をとる『飛行系』、遠距離狙撃の得意な『遠距離系』、直接攻撃の得意な『近接系』の3タイプに分かれる。
『飛行系』>『遠距離系』>『近接系』>『飛行系』というように3つ巴の相性関係にあり、俺は『飛行系』だから『遠距離系』には強い。
実際、これまでのレースでは近接戦闘で負けている。というか、俺の近接が弱すぎて、相手がどんなタイプだろうと苦し紛れの近接がはまってまけるという状況だった。
だが、あくまでも相性は相性だ。本当にレベルの高い相手は相性を越えてくる。
例えば近接の得意な世界王者は遠距離を苦手としても、それを掻い潜って近接に持ち込んで叩きつぶしてしまうのだ。
「そして私達の注意すべき相手はそれ以前なのよね」
リラは視線を移す。
ここの選手が集まっているロビーは多くの飛行士や飛行技師が集まって情報交換などをしている。何の伝も無い俺達は2人で話すだけである。だが、当然だが関係者やマスコミ、スポンサー等も集まっていて、選手達が話をしたりしている。
リラの視線の先は、マスコミがたくさん集まっていた。
たった1人の少年が立っている場所である。
「ベンジャミン・李」
リラがボソリと口にする。
その名前は俺も知っている。昨年の冬に行なわれた全月後期中学生大会の王者だ。
テレビでも何度も見た事のある、今最も注目を浴びている有名な飛行士。今はインターミドルの州予選真っ最中なのに、こんなレースに出る余裕があるのだろうか?まあ、桜さん同様にシードなのだろうけど。
13歳未満が対象となる前期中学校までの大会は時速200キロ制限が存在しているが、後期中学校は速度制限がなくなる。
中学レベルまでは攻撃時の出力制限はあるがスピードだけならプロと同じで飛ぶ事が許されている。その為、後期中学校になると一気に勢力図が変わってしまう。
そして同時にプロのスカウトの注目度も大きく変わってくる。
月の前期中等学校の王者だった桜さんも、後期中等学校に進学した後に大きい壁にぶつかり、全国レベルでは簡単に勝てなくなっている。
後期中学の全月大会のレベルはかなり高いようだ。
「タイプ的にはレンと同じだけど、レンが一番面倒くさいと感じる、スピードよりもテクニックを重視したタイプね」
「中学の全国大会はみたよ。なんだか曲芸飛行ばっかの選手だよね」
360度その場で回転する宙返りを筆頭に、航空技術から持ってきた捻りこみ、シャンデル、ハイ・ヨー・ヨーやインメルマンターン、他にもエールダンジェ独特の技能とがエアリアルレースに存在する。その手の曲芸飛行の天才といわれる。
例えば、「●●選手は宙返りが上手い」とか、「△△選手はシャンデルだけで飯が食える」とか、「全てのアマチュア選手は■■選手の捻りこみを教材にすべき」なんて話をよく聞く。
オレの場合、そういう技術がほとんどない。とにかくスピードで相手より良い位置を取る。それだけである。シンプル・イズ・ザ・ベスト、とは言わないけれど、そんな練習する位なら、もっと速く飛びたいのだ。
エールダンジェをつけた世界は周りが遅く見えて自分だけが速く動けるような気がして凄く楽しい。恐らく、これがオレの原点でもある。
「レンとは真逆のタイプね。勿論、だからってとろい訳じゃないわ。仮にも中学王者、桜よりも上だからね。予選突破の最も厄介な相手の1人である事は確かよ」
さらにリラの説明は続く。リラの説明を聞く限り、どうにも有名な若手ライダーが多くでているらしい。
リラは一通り説明を終えたところで、俺は首を捻る。
「そんなに若い選手がたくさんよく出てるね。俺はずっと気になってたんだけど世界ランキング最下位の俺らは何でレースにでれるんだろう?普通は足切りだと思うんだけど」
オレの問いに対してリラは目を細める。
「今までずっと何も言ってこなかったから、ある程度理解あってだと思ったんだけど、まさか全く何も考えないで私の登録したいレースに付き従ってたの?」
半ば呆れを感じさせる物言いに俺は流石に冷たいものを感じる。
もしかしてまずかった?
ダラダラと冷たい汗を流す俺に対して、リラは大きく溜息をつく。
「月はレベルが高くて国内リーグでも十分に賞金額が高いからステップアップツアーってそんなに出てこないのよ。ステップアップツアーの予選が全部埋まらないのは実はそのせいね。無理して賞金の貰い難いステップアップツアーには出ず、国内リーグに出たほうがスポンサー的にも宣伝になって良いのよ」
「……な、なるほど。そういえば今は月の国内個人リーグ戦の真っ最中だよね」
つまり、トップレーサーはメジャーツアーに出て、他のプロは国内リーグに出て、残り物がステップアップツアーに出るという事だろう。
「確実にランキングや賞金が稼げる算段のない選手は出ないからね。私達みたいな背伸びをするにはかなり無理のあるレースなのは事実よ」
「じゃあ、若い選手が出るってのは」
「招待されてるって事よ。私達だってチェリーさん経由で招待されてるでしょう?普通、自分から出ようって若い飛行士はいないのよ」
「そういう事だったのか」
「スポンサー探しに難航している理由はそこなんだけどね」
「チェリーさんにスポンサー頼んじゃダメなの?」
「プライドが許さない」
オレの問いに対して、リラはプイッとそっぽ向く。
「は?」
「チェリーさんは私の支援者だもの。多少の無茶を聞いてくれるでしょう?実力相応の評価と戦っていかないとダメよ。それに…」
「それに?」
コツンコツンと隣に座るリラは俺の肩に自分の肩をぶつけてくる。
「普通は飛行士がスポンサーを捕まえて飛行技師を雇うのよ」
「そういえば、そうだったね」
無所属の飛行士は、学生時代に実績を積み、メーカーやクラブチームと契約できなかった場合、実業団のクラブチームに入るか、個別でスポンサーの支援を受けて活動をし、飛行技師を雇うのが普通だ。
言われて見れば2人で1つのチームとしてやっていたからすっかり忘れていたが、普通は飛行士主導でチームを作るものだった。
すっかり忘れてたけど。
とはいえ、普通は実績があるから国内リーグに参加できて、スポンサーがつくのであり、俺は実績がないからリラと2人で企業周りをしてスポンサーを探すと言う全く逆の動きになっていた。でも、企業が俺たちを見る目からすると、そういう輩は結構多いっぽい。それくらい、夢を捨てきれない若いスポンサーを探すセミプロが多くいるのだろう。多くのレーサーは仕事をしながら、フリーでプロ活動のために企業回りをするはずだから。
「あら、仲良しさんですね」
そこにやって来たのは長い黒髪を持ち、スラリと背の高いオリエンタルな容姿の美しい女性が現れる。
「桜さん」
かつてフィロソフィアのアンダーカジノで何度となく戦い、負け続けた懐かしい知り合いの登場である。
「や、桜」
ヒラヒラとリラは手を振る。
「お2人は相変わらずで何よりです」
「桜さんも今回はワイルドカードで?」
「ええ。さすがにウチのクラブもこんなレベルの高いレースに私を送るほど、暇でも緩くも無いので。
「確か桜さんって今はベジェッサの育成に所属してるんですよね」
「ええ」
「凄いなぁ」
ベジェッサ電機工業、言わずと知れた月のエールダンジェメーカーの1社。お隣のテルヌーヴ州、その中でも大きいセレニティ市にある月でもトップ3に入る複合企業だ。エールダンジェメーカーとしても月で4番目の売り上げを誇る世界的有名企業でもある。
エアリアルレースにおいて月のビッグ3といえば『ジェネラルウイング』、『セレネー』、『アーセファ重工』と呼ばれるのだが、月のビッグ4と言う場合は『ベジェッサ電機工業』が入ってくる。勿論、エールダンジェメーカーでもあるし、エールダンジェクラブチームでもあるので、飛行士であろうと飛行技師であろうと育成部門が存在している。
そして、お隣テルヌーヴ州最大のエールダンジェ育成センターが存在している。
彼女はウエストガーデンから大型高速飛行車200キロ程の距離を20分くらいで通っている。
「ステップアップツアーで本選出場したレン君ほどではありませんよ」
「そうですか?俺はそういう場所から才能がないとしてスカウトも来ないですよ?」
俺は彼女との格の違いに肩を落とす。
「桜も私達と同じ予選第1グループだったよね」
「ええ。お互い当たれるように頑張りましょう」
「弱気ねぇ」
「さすがにレン君と当たる前に、中学の全国大会でストレート負けを喰らった相手に勝てる自信なんてありませんよ」
桜さんは首を横に振ってから、謙虚な物言いと同時に視線を。人の集まっている場所へ向ける。
「ベンジャミン・李?」
強いとは聞いてたけど、まさか桜さんをストレートで勝利するような相手だとは思って無かった。
「前期中学の頃は勝ってたんですけどね。スピード制限が消えた後期中学に入ってからと言うもの、全く勝てる気がしません。とにかく捕まらないですし、さすがに男の子とでは体格差で近接でも容易には勝てません。まあ、分かってはいたのですけど。中学になると男子は体力も上がりますし。あんなに小さいレン君が、リラと肩を並べている時点で」
「私より小さかったけど、今は同じくらいまで伸びてるもんね」
リラはオレの頭に手を載せてケラケラと笑う。
「くっ、今まで分かっていて一切触れようとしなかった事実に切り込んでくるとはさすが近接系も得意とする飛行士だ」
そう、今まではリラの方が背が高かった。まだちょっと向こうのほうが高いけど、ほとんど同じくらいの身長だ。
将来的には越える事が予測されている。健康診断でそういった数値が出ているから間違いないだろう。
「レンって結構天然でボケるし、気付きたくない事って素で本当に忘れるよね」
リラはグリグリと肩を寄せて文句を言ってくる。
「そ、そういえば、桃ちゃんは?応援に来て無いの?」
「いえ、さすがに学校がありますから。それに元気になって最近では友達とよく遊びに出かけてますね。ボーイフレンドが出来たとか」
「くっ…俺なんて女子に全くもてないのに」
「そうなの?もてそうなのに」
桜さんは不思議そうに首を傾げるが残念ながらそうではない。
何故か俺は女子にもてないのだ。リラがよく男子に告白されているのは知っている。だが俺が女子に告白されたことは無い。全く無いのだ。
普通、中学生にしてプロの飛行士ともなれば、イケメンじゃなくても周りにチヤホヤされていい筈だ。ちやほやなんてされた事が無い。まさか普通の顔だと信じて疑ってなかったけど、実はブ男だったってオチは無いよね?
「ふっ……世の中、エールダンジェが上手くても、もてるとは限らないのさ」
「露骨にスケベだから女から敬遠されてるんじゃ無いの?人の胸元ジロジロ見るのは辞めなさいよ」
「がふっ…べ、別に露骨に見てねーし」
「さり気無く視線を向けても結構ばれるものよ?まあ、それ以前にレンが回りに頓着なさ過ぎるってのはあるのかもねぇ。そもそも過去に友達が軍用遺伝子保持者で虐められていたという事実に気付いていなかった男だし」
「ぬう」
俺達のやり取りに桜さんはクスクスと楽しげに笑う。
「とりあえず、レン君が何で女子にちやほやされていないのかだけは分かりました」
「いや、セクハラとかしてないですからね?」
何故だろう、桜さんは何か理解したような顔でうんうんと頷く。
誤解は解いておきたいのだが……。
『第1予選2試合目のレース1時間前です。準備をお願いいたします』
放送が流れる。俺とリラは自分達の順番がまわってきた事を察してうなずきあう。
量子ネットワーク、それは量子テレポーテーションを利用したリアルタイムネットワークである。この時代においても高価な為に星間のやり取りのみで行われている。
そもそも太陽系の多く人がいる居住圏を持つ星と星の間は非常に遠い。光の速度で通信しても数分から数十分のタイムログが発生する。故に会話が成立しないのである。一度話したら、相手の返答を待つのに30分とかやってられないと思うだろう。
そこで量子ネットワークによって星間をリアルタイムな送受信をする事で、情報をリアルタイムでやり取りができ、普通に会話も可能になるのだった。まだ本作では触れてはいないが、VRシステムも存在しており、量子ネットワークを駆使する事で地球、月、火星、木星圏の人間が一つのネットワーク上でVRMMORPGをする事さえ可能なのである。