レンちゃんは明らかに失敗作
今回、あの人が再出します。苦手な方は頭の中でお姉言葉のダンディな小父様か、美貌の小母様だとでも思ってください。
新暦319年2月27日木曜日、俺達はフィロソフィアにやって来ていた。
フィロソフィア上層は非常に美しく綺麗な土地である。
巨大なカジノを中心に八方向へ広がる巨大街道とそれらを繋ぐ環状道路は地に空にと流れており、交通網そのものが一種のテーマパークに見える。
ニョキニョキと生える巨大なビルディングは全て何かしらのテーマパークやスポーツの競技場、娯楽施設、ショーや舞台の為の劇場、ホテルなどによって構築されている。
テレビで見たことのあるようなセレブが堂々と歩いているし、黒服にサングラスといったボディガードでなければその筋の人としか思えない一団がいたりする。
俺達はフィロソフィアで2年以上も過ごしたが、この綺麗なフィロソフィアにはあまり愛着がない。
それも当然で、フィロソフィアにはいくつかの階層があり、2年以上過ごしたのはフィロソフィアの中層、この一般的に知られている娯楽都市として名高い美しいフィロソフィアは上層だからだ。
フィロソフィアの中層も似たような地形だがもう少し雑然とした住宅街の様相を示していた。
ちなみに、最近知ったのだが、このフィロソフィアという名前の由来はこの居住区がアリストテレスクレーターの上に出来たからだそうだ。アリストテレスという哲学者を由来にフィロソフィアという居住区の名称にしたのに、売りが賭博場というのはあまりにも酷いと思ったは多分俺だけじゃないだろう。
今回も俺達に一時的な住む場所と作業場を提供してくれたのはチェリーさんだった。
チェリーさんの保有している高層ビルは中層だけでなく観光地にある上層であっても天蓋まで連なっていた。最上層の住人とは聞いていたが、建物がそのまま最上層にまで繋がっている。
上層にあるビルも中層と同様に有名なブランドショップやブティックが入っていて、その中に自分のブティックも一際大きく存在している。彼は一応、ファッションデザイナーなのだが、フィロソフィアでは有名らしい。ただし、チェリーなるファッションデザイナーがいるのは知っているが、その人物が誰なのかはほとんど知らないらしい。
勿論、知らない方が良いと思うので、俺は口にした事が無い。
俺とリラは2人でチェリーさんの所有するビルディングの受付を通ってエレベータに乗る。
最上層の直下にある天蓋付近へとエレベータで向かう。さすがにここまで高い所に来ていると分かるだけで怖くなってくる。
俺達はエレベータを下りて社長室に辿り着く。
そこにはピンクのフリフリのフリルがたくさんついたワンピースドレスという格好をし、ピンク髪をツインテールにした『ごっつくてむさいオッサン』がいた。
ピンク色なグッズが置いてある背景となっている謎な社長室より、家主の方がインパクトが強いのだから恐ろしい。
「久し振りねえ、リーちゃん。もう、見ない間にグッと可愛くなっちゃって。これなんかどうかしら?今度のレースに映えると思うんだけど」
そして、チェリーさんは出会って早々に、薄いピンク色ながらもシックな雰囲気を持つドレスを手にして、リラに勧めて来る。
そんなチェリーさんをみてリラは思い切り溜息を吐く。俺の相棒はいつもクールである。
「相変わらずですね、チェリーさん」
「強かになってきたわねぇ。まあ、だからこそそういう面も気をつけなさいって言い続けてきたわけだけど、昔の嫌がってた頃のリーちゃんが懐かしいわ。リーちゃんてば、男の子にもてるんじゃないの?」
「というよりも、もて過ぎて面倒くさいんですよ。レンみたいに女にもてないと気楽だと思うんですけど。500人くらい振ったかな。私と付き合いたいなら、まずエールダンジェで世界王者になってからにしろって言ったら皆逃げるんですよね。何故でしょう?私が好きなら死に物狂いで私の夢に付き合ってくれても良いのに」
リラは『最近の男は意気地がない』と呆れるような口振りだ。いや、普通に無理だろ?世界王者経験者、この世に何人いると思ってんの?
「その残念な部分がやっぱりリーちゃんよねぇ」
そんなリラを見るチェリーさんはどこか安心したように口元をほころばせる。チェリーさんは3年近くリラの面倒を見ていたからなのか、どことなく父親(母親?)的な感じで見ている気がする。
とはいえ、今までずっと女らしくさせようとしても反抗してきたリラが、ここまで見た目だけは女性的になっているのを見て、少し気が抜けたのかもしれない。
だが、やっぱり中身が変わっておらず、嬉しかったようだ。
「レンちゃんも大きくなったわね。今、身長何センチ?」
「ひゃ、160せんち……です」
「嘘よ。158センチね。2センチもサバ読むな」
リラが酷い事を口にする。
良いではないか、サバを読んでも。2センチなんて些細な差だ。それだけで男の自尊心が満たせるなら安いサバである。四捨五入すれば160センチで問題ない。
「でもウチにいた頃はリーちゃんより明らかに小さかったけど、今は同じくらいだものね。大きくなったわよ。レースも見てたわよ。相変わらずって感じだけど、随分上手になったわね。ちゃんと基礎を続けているようね」
「むしろ、相変わらずのスピード狂で、いかに速く飛ぶかばかり考えてるから、未だに基礎練オンリーで、テク無しだけど。まあ、基礎練はトッププロでも欠かせない練習だって言うし、好きで面倒くさい基礎練にいそしんでもらえるのは気楽っちゃあ気楽だけど」
リラはあきれる様に俺を見る。それは誉めてるのか貶しているのか。
すると呆れるようにチェリーさんが口にする。
「エールダンジェの基礎練はバスケで言えばフットワークと同じだからね。プロ選手でもこれが苦手で伸び悩む選手も多いわ。基礎練が大好きってのはある意味で才能よね」
「その才能を持つはずの俺が、トッププロクラブからスカウトを受けないのは何故でしょう?」
オレは思い出して訊ねてみる。
そう、地元にも月の一部リーグのユースチームがある。有名選手は皆スカウトを受けるものだ。ウチの後期中等部で一番飛ぶのが上手い第5エアリアルレース部のエースをしている先輩もスカウトを受けていた。ぶっちゃけ大会を見た感じでは俺より明らかに弱いと思ったものだ。
すると不思議そうにチェリーさんは首を傾げる。
「それはリーちゃんと離れて、ビッグクラブへ行きたいって事?」
「そうでは無いのです。分からないかなぁ」
「妻がいても、女の子からチヤホヤされたいという男のメンツみたいなものかしら?」
「それっす!さすが男心と女心を知り尽くした人だ!」
オレはチェリーさんを指差してウンウンと頷く。そんな俺にチェリーさんは苦笑をする。
「レンは確かにへっぽこだけど、仮にも月の現役最年少プロ活動中の飛行士ですよね。実際、インターハイ出場経験者もステップアップツアーの予選で倒してます。普通、これだけあれば大きいクラブから声が掛かってもおかしくないと思うんですけど」
リラはオレの言葉を補強してくれる。
「昔、若手のスカウティング活動のサポートをした事があったけど、やっぱりレンちゃんは条件として外れるでしょうね。レンちゃんは決定的な弱点が3つあるわ。本職がそれを見逃すとは思えないもの」
「け、決定的な弱点…ですか。しかも3つも」
「リーちゃんから見ると2つね。勿論、分かってるわよね?」
チェリーさんはチラリとリラを見る。俺も愕然として、リラの方へ視線を向ける。当のリラは少し困った様子で首を捻る。
「決定的な弱点かどうかは分からないですけど、レンは武器が無い事。それと……殴られそうになると体が硬直する部分…ですか?」
「ご名答。身の危険を感じると守りに入る本能は女性に良くありがちで、これはかなりのマイナスね。とはいえ、女性だって活躍する選手はいるし、それを使って守備的なレーサーとして育てる事もあるし、防衛本能が強いレンちゃんだからこそ激しいフィロソフィアカジノを生き残れたと思うわ。だからプロから見れば致命的でも、私は致命的とは言い難いと思うわ。もっと致命的なのは高所恐怖症」
「えー、あんまり問題ないと思うんですけど。つか、もう3年以上もこの体質で飛んでますよ」
俺は高所恐怖症が致命的な弱点とは思えなかった。3年以上もリラと一緒に戦ってきている。そのせいで負ける事も多かったが、どちらかといえば精神面だ。
気負っていたり、飛ぶ気満々になってたりすると、うっかりスタート早々に機体を出力上げないでダイブしてしまうのだ。
「いや、過去に高所恐怖症の選手なんて聞いた事ないでしょう?」
「そりゃ、高い場所が苦手な飛行士なんているわけないじゃん。……あれ?」
オレは自分で言ってて、おかしな事に気付く。
何で、俺、飛べてるんだっけ?
「レンちゃん。私は前期中学生時代から飛行士になる為にジェネラル市に渡って多くの飛行士候補生を見て来たわ。過去の多くの飛行士達はむしろ、事故によって高所恐怖症になって辞めていったわ。無論、リーちゃんの調整でそこが隠れているから、スカウトを受けない原因はそこでは無いと思うけど。でも、高所恐怖症なんて、そもそもプロになれる時点で変なのよね」
まあ、確かに言われてみればそうなのだろう。
「勿論、一番の致命的なスカウトの目に入らない原因は、戦闘用に一切調整されていない遺伝子しかない所かしら。レンちゃんは、そもそも戦闘に向いていないのよ。コンマ数秒の駆け引きでの身体の躍動感がどう考えても無いもの」
チェリーさんの言葉にオレは目を丸くして、そしてリラの方へ視線を向ける。リラは溜息を吐いてその言葉に同意する。
「まあ、レンの運動神経の悪さは目に余るわね」
「くう、俺には才能が無かったとでも言うのか!?学校では何の問題も無いのに!ミスター平均点と言われたこの俺が!」
確かに体育成績は悪いけれど。学校の成績も悪いけれど。だが長いブランクを越えてちゃんと年齢相応の学力と運動能力をキープしている、ミスター平均点なのに!
「いや、平均点はエールダンジェのプロの世界じゃ最低点よ?」
「おおう、相棒のツッコミが心に応える」
リラはブンブンと手を横に振ってオレの言葉を否定する。っていうか、心の中を読まないでください。
「まあ、高所恐怖症については有能な人間が見ないと気付かないし、一番のスカウトに引っ掛からない原因は武器がない事でしょうけどね。この飛行士はこれを伸ばせばプロで通用するって思える選手がスカウトを受けるのは基本なのよ。その武器がないから今後伸びるとは思えないのよね。つまり、レンちゃんは完全に飛行士として失敗作なのよ。最初から失敗作の子供をスカウトするほど一流クラブは甘くないわ」
「でも、チェリーさんはそれを私がレンと本格的に組む前から知ってた事ですよね?レンに武器がつけられる程、器用じゃないと知っていて、レンと組ませたのは何でです?」
リラは不満げにチェリーさんを睨む。
そう言えば俺とリラを取り持ったのはそもそもチェリーさんだ。俺の高所恐怖症は本格的なコンビを組む前から露呈していた。
「リーちゃんは私の前で言ったでしょう?飛行技師王を超えると。だから敢えて教えなかったのよ。レンちゃんが失敗作と断じているのは、飛行技師王本人が作った理論そのものなのよ。つまり、リーちゃんがレンちゃんと組んで上の世界に挑戦し続ける事そのものが、常に飛行技師王が作った壁を越えて行く事になるのよ」
「む」
「私が学生時代、やはり高所恐怖症でも強い選手がいたわ。その選手は飛行技師王に否定されて追い出されたわ。当然だけど、皆が反対した。彼は高所恐怖症でもできると。他の育成に移籍した彼は、結局プロになっても世界ランキングのポイントさえ手に入れることが出来なかったわ。中学時代までは私より強かったのにね」
飛行技師王の言葉は絶対、作り出したセオリーに嘘はない。これはある意味でエアリアルレース界の常識である。
「チェリーさんってどの程度強かったの?」
俺は首をかしげると、何故かチェリーさんはエッ?という顔をする。リラは何か諦めたように首を横に振り
「グレードSに出るような超一流選手だったよ。ただ、誰だったかは聞くな。お前は多分、壊れるから」
「お、おお。よく分からないけど、そうしておこう」
リラはこれまでにない程に真剣な顔で語るので、俺はうなずいて肯定する。凄く気になるが、何故か、聞いてはダメだという声が聞こえたような気がした。
「でも、グレードSに出るような選手より強かったのに、高所恐怖症ってだけでプロで躓くの?っていうか、思い切り俺と同じ場所で躓いてるよね?俺もまさか同じ道をたどると?」
それではまるでこれ以上、俺に伸びしろが無いと言っているみたいじゃないか。
チェリーさんの言葉にリラはギュッと唇を噛み締めて頷く。確かに似たような事を聞いた事はあったが、そこまで実績と信頼のダメ才能だとは思ってなかったのだ。
「でも、だったら最初に言ってくれても」
「リーちゃんが越えようとする壁はたくさんある。レンちゃんで勝たせるというのもそう。それに、飛行技師の立場として見ればレンちゃんは明らかに失敗作なのだけれど、もし私が飛行士として対峙すると考えた時、戦いたくないと思ったのも事実なのよ。直感的にレンちゃんは面白い素材だと思ったのは本当よ。矛盾しているとは思うのだけれど」
そして、チェリーさんはウインク1つで軽くかわす。リラは納得いかない様子だがそれ以上文句をいう積もりもないようだ。
「かの2つ名持ちがねぇ。レン如きを」
「おい、相方。何、その蔑む視線は。そういう趣味は無いよ?」
「だってレンってすごいポンコツなんだもん」
ポンコツって言わないでほしい。好きでポンコツしてる訳じゃない。実際、中学の大会では頭一つ抜けていたし、実力が低すぎるという訳じゃないのだから。
「レンちゃんにスカウトを呼ぶのは致命的かもしれないけど、スポンサーを集めるにはこの大会を利用するのは良い筈よ」
「え?」
「今回の大会で私の推薦が通ったのも、実はフィロソフィアカジノオープンの新しいスポンサーが若い選手に興味があるらしいのよね。実は去年推薦してたけど通らなかった訳だし」
「な、なるほど。若手の育成に熱心なスポンサーって事ですね」
「え?」
不思議そうに首を捻るチェリーさん。
オレの問いが間違っていたのだろうか?
「若い男の子が好きな趣味の男性よ。私は渋い小父様が好きなのだけれど、私達はとある飲み屋で知り合ったのよ」
「だ・か・ら・なんなんだよ、この都市は~!」
オレは頭を掻き毟って心のあらん限り絶叫する。
このフィロソフィアという都市は下層が犯罪者で借金持ちの掃き溜めだ。中層と呼ばれる住宅街は稼げないと上層に上がる事さえ許されない都市である。主にカジノの裏方や雑用、或いは賭博対象として稼げば、上層への居住権利が与えられるらしい。
序列のある最悪の都市で、場所によっては人権という考え方そのものが怪しげなのに、上層に住む人間はおかしな人が多すぎる。
大会を開催する程の金と権力を持つ人が、同性趣味の変態ってのは勘弁して欲しい。
「ルナグラード州はそもそも階層別に人を分けているし、フィロソフィアは違法カジノがVIPの中では公然と存在しているから、中で起こる事に関しては機密性が高いのよ。じゃなかったら、こんな所で私は素を出したりしないわ」
チェリーさんはキャピッとしなを作る。
でも、全然可愛くないから。オッサンだから、アンタ。
だがそこで恐ろしい事実が判明する。今回俺らがレースに出れた理由と言うのは…
「じゃあ、この大会のスポンサーってのは…」
「中層では男の子を堂々と愛でているわね。レンちゃんみたいなタイプが好みみたいよ。本当に上層に行きたいだけなら、レンちゃんなら体を売れば3日くらいで余裕だったんじゃないかしら。でも、リーちゃんのために、私はレンちゃんの貞操を守ってあげてたのよ」
リーちゃんの(思い人であるレンちゃんの)為に、なら嬉しいのだが、この言葉の真意はリーちゃんの(担当する飛行士としてうってつけの存在が勝手に体を売って上層に行かない)為に、俺の貞操を守っていたのだ。
うん、ありがたいけど全然嬉しくない。
「何ていうか、ぶれませんね」
基本的にチェリーさんは渋いダンディな小父様が好きなのだが、リラに関してはメチャクチャ甘い。自分の娘だとでも思っているかのように、彼は彼女を溺愛している。
「でも、ずっと気になってたんですけど、チェリーさんって私をサポートしてくれてたけど、何でですか?別に私はチェリーさん好みのダンディな小父様でもない。服のモデルだって言うならもっと私に服を着せさせようとしていただろうけど、レンと組んでた間はほとんど私にそれを持ち出さなかった。むしろ私が金に困っていた時の取引には使ってたくらいで。だからと言って、貴方が言う常識の枠組みから言えばければ、飛行技師としての才能だって凡庸だったと思います」
リラは不思議そうに訊ねる。
そう、俺もその点に関しては不思議だった。確かにチェリーさんは問答無用にリラのファンだ。だが、話を聞けば聞くほど、リラは才能がない部類だと思われる。子供の戯言をまともに受け取るような甘い世界に生きてはいなかった筈だ。
「貴女の野心に燃える意志の強い瞳が、私の愛したロドリゴ・ペレイラを強く思い出させたからかもしれないわね。好意とは別に敬意と言って良いのでしょうね」
チェリーさんは懐かしそうに遠くを見る。
***
俺はチェリーさんと別れて1人でフィロソフィアの町に出る。
リラはチェリーさんと残ってメカニック服の選択やサイズの確認するらしい。勝ち進めば進むほど異なるメカニック服を着て出るとかで、決勝までの服を選ぶらしい。
女ってのは大変だ。まあ、可愛い服を着るリラを見るのはオレの楽しみでもあるからそれはそれでOKだ。
街並は観光都市でもあるように、非常に人通りが多く、エンターテーメントに富んでいる。
ローカルアイドルが公園の一角で当たり前の様に歌って踊っているし、巨大な映画館、劇場や舞台なども存在している。ストリートバンド等がまるでフリーマーケットでもやっているかのように公園で競い合い、ファッション街では見た事のない服装のモデルの映像があちこちのショッピングビルで映し出されていた。
ウエストガーデンのような労働者の拠点となる町とは全く異なるのは当然である。実際、この街は、街を盛り上げて観光都市として機能させる事で権力を手に入れるので、権力者たちこそがこの街の株主でもある。
故にこそ、いらない商売、稼げない者を中層に落としてしまうのだ。
街並には様々なものがある。例えばレンタル自転車、レンタルエールダンジェ、レンタル飛行車、大衆大型飛行車、この街でなら無料で自由に使える様々なものが往来にあり、多くの人が移動に使っていた。
そんな街道をフラフラと見ながら歩いていたので、周りへの注意が散漫だった。突然、曲がり角から赤いドレスを着た女性が飛び出して来る。
ぶつかる、と思って咄嗟に避けようとするのだが、相手もそれを避けようとしたらしく、同じ方向に避けてしまう。
そして互いにぶつかって互いに倒れこんでしまう。
「いったー」
オレは尻餅をついて腰を擦りながらぶつかった何かを見てみると、相手も同じように尻餅をついて腰を擦っていた。お姫様のような上品な雰囲気の赤いドレスを着た女の子だった。フワフワとした金髪、クリッとした金色の瞳、間違い無く美少女である。
少なくとも、人生の中でリラ・ミハイロワに匹敵すると感じた美女は目の前の女性が初めてだった。リラと違って好みではないが。
年齢も俺より年下には見えるし、胸元も薄い。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか」
「ううう、腰を打ちました」
涙目で可愛らしくオレを上目遣いで見る女の子にときめいたとしても罰は無い筈だ。ちょっと相方に悪い気もするが。
すると黒いスーツの一団が彼女を追ってやってくる。
3人の黒服の男達はいずれも大柄で鍛えているのか分厚い体をしていた。
「そこの少年、その子をこっちに差し出してくれないか?」
「勝手に出歩いては困りますよ」
「まさかそんな格好で逃げ出すとはやってくれますね」
殺気だった黒服の3人組。
女の子は怯えるようにオレにしがみついてくる。俺は何だろうと驚いて目を回す。
「た、助けてください!あの人達に追われていて!」
「た、助けてって言われても…」
俺にそんなレスキュー能力はない。この華奢な体を見て分からないのだろうか。困ってしまい周りを見渡すが多くの人が目を合わせてくれない。ここの住人や観光客は鬼かと。
だが、そこで、レンタルエールダンジェ置き場が目に入る。
「戯れはいい加減に…」
「あまりにも過ぎるなら、麻酔銃で捉えろとご命令だ」
男達は苛立った姿で、胸元から黒光りする鉄の拳銃を取り出す。
麻酔銃、麻酔薬の入った殺傷性の低い小さな弾丸を、重力制御装置によって超高速で撃ちだす銃だ。犯罪者などに使われ、稀に当たり所が悪いと死亡する可能性もあるという、現代において極めて危険な装備である。
男達は少女へ拳銃を向ける。
オレはテロの時のヒリつくような雰囲気を察して、思わず彼女の手を取って駆け出していた。
目の前にレンタルエールダンジェが置いてある。走りながらそれを取り、リュックを背負うようにして簡易的に着る。
「ちょっとごめんよ」
オレは彼女をお姫様だっこをすると、一気にエールダンジェの出力を上げて空へと舞う。女の子を追いかけていた男達は、不思議な事に後から撃ったりはして来なかった。
そこで俺はゾワッと凄まじい恐怖感と気持ち悪さを感じる。
(なんだ、こりゃ。気持ち悪い。やばいやばいやばいやばい、この機体、変な感じだ!)
オレは恐怖によって体中に鳥肌が立つのを感じる。地面を見ると凄まじく遠く感じ、落ちたら死ぬ幻視さえ過ぎる。気が遠くなりそうだった。
俺は慌てて高度を下げて人込みを縫うようにして飛ぶ。黒服の連中も追い駆けようにも、さすがに人混みに紛れてしまえば、こちらが分からなくなったようだ。
彼らを振り切ると、気持ち悪さを気力で我慢して小高いビルの上に着地する。
「はあ、はあ、はあ、何だ、この違和感。まるで初めてエールダンジェに乗った時みたいな………」
そういえば飛行士を始めたばかりの頃はこの気持ち悪い感覚で何度も気絶したものだ。まるで初心者に戻ったかのような感覚である。まさか、レースを明日に控えて、変なスランプに陥ったのでは無いかと思ってしまう。
「た、助かりました」
女の子地面に降りると、俺に礼をするや否や周りを見渡す。
「多分、振り切ったと思うけど。一体、何だったんでしょうか、あれは」
見たところ年齢は自分よりも年下だろうか。細身であるが圧倒的な存在感を持つ美少女に、自然と敬語になってしまう。
「ごめんなさい。実は私、追われていまして」
「追われてるって……」
「あの連中はこの町に来ているとある権力者の部下のようで、どうも私を捕まえて自由を奪い、あまつさえ私の望まない事を強要しようと………。それが嫌で逃げたのですが…」
な、何ていうか犯罪の臭いがするな。このお嬢さんももしかして権力者の娘か何かなのだろうか?
「ええと、何でまた…」
「父が亡くなったので、父が果たせなかった義務を私が変わりに果たせと…。しかも、体で」
「なっ」
見たところ、どこかのご令嬢と言う感じだ。
もしかしたら父親が借金をして、売り飛ばされてしまったのだろうか。
ウエストガーデンではありえない事だが、この街ではこういう事が当たり前にある。そういう下衆なVIPがやってくるのをよく知っていた。オレはその下衆の見世物として戦った事もあるのだから。
「そこで、どうにか父との付き合いがあったとされる違法組織の存在を突き止めたいのです。これを公にすれば…」
ギュッと少女は唇を嚙んで悔しさを滲ませる。
だが、厄介事のにおいしかしない。
正直に言おう。それはオレの分野外だ。
自慢ではないがこの都市で散々騙されて死に掛けた身である。危うきに近寄らず、これこそがこの街の掟であると身をもって知っている。
「ま、まあ、後はご自由に…」
俺は危険のにおいを感じ取り、さっさと逃げようと心に決める。どんな美人に頼まれようと、明日はレースで、それをサボタージュする羽目になる訳にはいかないのだ。ウチの相方は美人なだけでなく、暴力的でオレを飴と鞭を駆使して支配するのだ。どんな条件を出されようと決して惑わされたりは…
「見つけたぞ!」
「あのビルの上だ!」
「応援を寄越せ!」
「見知らぬ男が一緒だがどうする?」
「ええい、構わぬ。纏めて撃ってしまえ!」
追いかけてきた連中は物騒な事を口にする。
「って、もう一緒に絡まれてるし!」
俺は頭を抱えて嘆くしかなかった。麻酔銃でオレまで撃たれたらどうなってしまうんだ!?レースどころでは無いじゃないか。今すぐ1人で逃げるか!?こんな自分より年下の可憐な少女を置き去りに?
「あら、どうしましょう」
「だあああああああああっ!しゃあねえ、捕まってろ!」
俺は泣きたい気持ちを堪えつつ、彼女を再びお姫様だっこで抱えて、地面へとゆっくり下降しつつエールダンジェを装備したまま逃げるのだった。