セクハラが酷いってのは知られてない筈
中学での団体戦が終わると、俺達は日常へと戻っていた。
俺は朝からバイトでバーミリオン運輸さんへとやって来ていた。
「いつも悪いわね、レンちゃん」
「いえいえ、こちらもお世話になってますから」
迎えてくれたのはバーミリオン運輸ウエストガーデンロブソン支部の支部長さん。40代ほどの女性で、仕事のできる支部長というよりは、近所の小母さんって感じの人だ。
そもそも、支部とは言いながらも、ちょっとした倉庫みたいな場所で、俺達はそこで作業をするのである。
この倉庫の中でお仕事している支部長さんは、支部がそのまま家になっているようで、そのお手伝いをするのが俺の仕事だ。
そもそも、ウエストガーデンでは25.4センチ四方の大きさに納まる荷物は、市が運営している地下に張り巡らされた『輸送路』を使って各家に送られる。通信回線や電気、水道と同様に、荷物も小さければ輸送路で直接家に送られるので、運賃も税金で管理されていているので無料だ。
高度なAIと輸送路によるインフラ設備の賜物なのだそうだ。
とはいえ、25.4センチ四方の規格よりも大きい荷物だって送られる。
そういった大きい荷物をAI搭載型無人輸送飛行車に詰めるのがオレの作業。モバイル端末も個人IDとGPSが付いているので、輸送開始となったら相手にいつ着くか連絡が行く。
仕分けは俺達によってされても、運ぶ事自体は自動なので、受け取り先の客もいついつ届けてほしいという無茶な要求をしてもAIは従順なので、好きなだけ要求可能だ。
勿論、無茶な要求を言う分、高くなるので、無駄に要求する人は少ない。
仕事は朝の5時から1時間ちょっと、大体その日によって異なるが仕事が終わるまでといった感じだ。
俺はせっせせっせと荷物を運んで仕分けを行なう。
最近では、運動も兼ねてランニングで職場へ向かっている。職場まで3キロほどなので、ランニングとしては往復を考慮すれば丁度いい距離とも言える。
荷物運びに加えて運動もする事で随分と筋量が上がって来た……ような気がする。
「それにしても俺が来る前はどうしてたんです、この量」
俺は不思議に思って、格納庫に広がる巨大な荷物の数々を見渡す。
大型のものは自動フォークリフトが動き回って運び、中途に大きいものや軽いものを俺達が運んで仕分けをする。
「まあ、この手の荷物って即日配達を目的としてないから、短期のバイトを雇ったり、私が時間掛けてやったり、近所の子にお小遣い上げてとか、色々よ」
「ああ、なるほど。でもこの手の仕事って今の時代はとんと無いじゃないですか」
「そこは仕方ないのよ。3年前のテロ事件があったでしょう?アレ以来、輸送網のいくつかが破壊されたのよ。だから態々出張してここに来てるのよ?」
「僕は当事者なので悲惨だったのはよく知ってますけど、こうして未だに傷跡が残ってるのを知ると、複雑な思いですね」
俺1人でこれだけ大変だったのだ。この都市は多かれ少なかれ、ウエストガーデンに住む皆があの事件で被害を被ったという事だろう。
思えば、カイトはその責任を感じている可能性は十分にある。ならば帰って来難くても仕方ないのかもしれない。
***
俺はバイトから帰ると学校の準備をする。
学校では大体リラと一緒にいる。エールダンジェをやるにはもっと流体力学や機械工学、物理学といったものを知るほうが有利なので飛行士であっても知るべきというのがリラの主張である。
なので四六時中一緒だ。
俺的には美女が常に学校でも隣にいると言うのはご褒美なのだが、講義についていけないとかなり厳しく勉強をさせられるのだけは嫌だった。
二人で各時間割りに則した講義室を一通り周り、最後の講義が終わると、俺達はそのまま帰途へと着く。
騒がしい学校の廊下を歩いている中、唐突にリラがボソリと口にする。
「レースの誘いが来てるのよ。出てみない?」
「レース?スポンサー抜きで?」
俺達は今、スポンサーがいない状況でレースに出場する資金が足りていない状況にある。何でいきなり、という疑問を持つのは当然だろう。
「招待枠で出れそうなレースがあるのよ。とある人から連絡があってね。急だけど、出てみたらどうかと」
「招待?俺らなんかを?どこの物好きが?」
招待されるというのはレース主催者自体がスポンサーだったり、高校や中学チャンプみたいなランキングを持たないけど将来有望な選手が受けるものだ。
何の実績も無い後期中学生に出てくる話ではない。
無論、後期中学1年生でプロ資格を持っているというのは結構売りなのだ。そもそも、これまで俺達がスポンサーを呼び込めたのは、その部分が非常に大きい。
「レース場所はフィロソフィアのカジノよ」
「また?」
確かに3月初め辺りにフィロソフィアカジノでグレードDという格付けのステップアップツアーが行われるのは記憶にある。だがグレードDは簡単に出場が出来ないのだ。まだ世界ランキングを持たない身としては、上手くスポンサーを捕まえないと確実にグレードDには出れない。
グレードEなら出れる可能性もあるがグレードDの方が加算されるプロランキングポイントが高いので、すでにランキングを持っている人たちがこぞって参加するからだ。
「私達がフィロソフィアカジノに出ていたのはフィロソフィア内限定で言えば周知でしょ。彼らがプロ最年少でレースをさせてみたい…って話が出てるみたいで、もしも私達が出る予定があるなら予選のワイルドカードを使うようにチェリーさんが動いてくれるって」
「良いじゃん。あれ、でも結構、締め切り期間が過ぎてない?あれって3週間前切ってたような?」
オレの記憶では2月末から3月初旬にかけて『フィロソフィアカジノオープン』というレースが行なわれた筈だ。この手のツアーレースは決勝戦の行なわれる日から逆算して4週間前に登録が締め切られる。
中1週間の移動時間に加えて2週間掛けてレースが行なわれる。この予選の前に市民大会的な予備予選と言うレースが存在し、この時間をプロは移動時間に費やすのだ。
何で、1週間も移動時間が必要だって?それは火星や木星から月や地球までレースしに来る人もいるからだ。
いくら亜光速航行が可能な現代と言えども、木星から火星まで移動するのに公転周期が最悪状態であれば1週間の移動時間が掛かる。その為にすべてのレースに余裕を持って出れるようにと1週間の移動距離を含めた日程がプロのエアリアル・レースでは敷かれている。
それが為に、俺は既に3週間後に開幕予定のレースの話が来ているので不思議に思っていた。
「主催者がワイルドカードを使った推薦枠を増やして選手を呼ぶみたいなの。そこでお鉢が回ってきたって訳。今日の昼に連絡が飛んできたんだけど、返答は明日までだってさ。どうする?出場費用が無料ってのは魅力よね」
「じゃ、でる」
「じゃあ、返信しておくわね」
リラは歩きながらレース登録を始める。歩ききモバイル端末は禁止されているのに、まったくもって気が早い。
そして案の定余所見をして歩いているから、校舎の中をすれ違い様に人にぶつかりそうになる。俺はリラの手を引っ張ってぶつからないようにフォローする。
エールダンジェの事になると夢中になってしまうのはウチの相方の悪い癖だ。
これこそが変人美女と呼ばれる所以でもある。
見た目は学校でぶっちぎりの1番と断言できる容姿をしているのだが、脳みその中はエールダンジェが詰まっていると言われている。噂では告白する男子がことごとく振られているらしい。
何せ『エールダンジェのプロでないと時間は取れないし、取るつもりも無い』というハードルを設けるのだ。中学生には途轍もなく高いハードルだ。
月において俺は最年少のプロ飛行士だ。つまり前期中学生はプロがおらず、後期中学生は俺を含めて5人しかいない位のハードルである。
リラはモバイル端末での登録を終えると、即座に鞄にしまい、俺に捕まえられていた手を払う。俺はご主人様の目が見える様になった途端に捨てられた盲導犬の気分だった。
「久し振りのフィロソフィアかぁ」
リラは少し感慨深そうにぼやく。
「俺としては、あまりチェリーさんには会いたくないんだけど」
「失礼ね。今現状の私達の状況を鑑みて、過去にあれほどサポートしてくれた人は皆無なのに」
「そりゃ分かってるけどさ」
あのごっついオッサンがピンクのフリフリを着ている状況が、どうしても生理的に受け付けないだけだ。
最初は酷い騙され方をしたものだけれど、彼はリラのファンという意味では恐らく俺と同じ立場にある。だから、騙されたというしこりはほとんどない。
何よりあの鉄錆と油まみれで汚れた男か女か分からないような格好のリラよりも、今の超絶美少女なリラの方が俺は嬉しく、そうする様に説得したのは誰よりもチェリーさんなのだから。
待てよ?天使を遣わせているから、もうあれは神かもしれない。
うん、嫌な神だ。
「まあ、それはそれとして、今度こそ世界ランキングゲットね」
「世界ランキングって本当に凄い壁なんだね。アンダーカジノにいた頃は勝ちまくってたから、『俺って凄いんじゃね?』『プロでも行けるんじゃね?』って思ってたけどさ、実際には世界ランキングの為のポイントを手に入れる事が出来ていないしさ。桜さんも名門クラブの育成入りしたけど、俺と同じくプロの大会ではランキングポイントを獲得には至ってないし。まあ、俺達ほど試合に出てないけどさ」
プロのレベルの高さを思い知らされる。前期中等部の|インタージュニアミドル《全月前期中等学校大会》の優勝者であるサクラさんでさえも全く話しにならない。いや、桜さんは後期中等学校の大会でも全国までは進んでいるが、優勝は厳しく、上位選手に完封負けをしていた。
スピード制限の消えた後期中等部以降のレースはとてつもなくレベルが高いことがわかる。
「まあ、アンダーカジノはレベルの高さよりも激しさだからね。実際、1日に1試合は怪我人が出るし1月に1試合は死人も出るし。サクラやレンが死ななかったのは運が良かったのもあるわよね」
「今思うとぞっとしてくるんだけど…」
そういえばそういう場所だったなぁと思い知る。
ただ、運とは言っているが、人をケガさせた事のある危険な飛行士と対戦する時、リラは夜中まで作業をして念入りに機体整備をして抜け漏れがないかも確認していた。少なくとも彼女の献身と努力は運の一言で済ませるものではないと思ってる。
「ちなみに、桜も出るらしいよ。ライバル再びね」
「桜さん、インターミドルがあるでしょ?俺らが出て見事に一回戦負けしたあの市予選の勝ちあがった先、ちょうど州予選のやる日程じゃなかったっけ?」
「残念ながら、桜は団体個人共にテルヌーヴ州予選のシードだから1週遅れで、こっちの試合に出れるのよ」
「……うぐう、格が違いすぎる」
俺はガックリと肩を落とすしか出来なかった。
「今回、レースでは火星最年少レーサーも参戦するんですって。それでプロ活動を頻繁にしていた月の最年少飛行士に声が掛かったって訳」
「っていうか、1年前から活動してこのしょっぱい知名度と、月リーグのトップチームから一切スカウトを受けていないオレの状況はどうしてなのか説明がつかないのだが」
「チェリーさんにでも聞いてみたら?」
俺は過去の例にも少ない12歳からプロレースに出場している。勝利もしている。
そもそも12歳でプロの資格を取るものはかなり珍しく、有名どころを挙げれば、最近では木星のニュースターと呼ばれるヨーン・クロルドルップ選手くらいだろう。
さらに遡ればカルロスさんやレオン・シーフォといった往年の名選手に行き着く。
彼らと比べれば、確かに俺のキャリアはパッとしないかもしれないが(彼らはユース年代の大会で勝ちまくって、そこで世界ランキングを手にしている)、年齢を考慮して貰えるならばレアケースな筈だ。
一応、俺もスカウトくらいは受けた事があるが、声を掛けてくれるのは素人さんが聞いた事も無いチームばかり。
「……レンの評判が悪いのかしら?でも、セクハラが酷いってのは知られてない筈なんだけどね」
「そっち!?っていうか、酷くないよね?セクハラあんまりしてないよね?」
「あんまりって言ってる時点で、心当たり有るんじゃない」
「うぐう」
痛いところを突かれた。いやいや、でもセクハラはしていない。確かにリラが作業している時にチラッと見えそうな胸元とか、スカートの中とか、後から見ると僅かに透ける下着のラインとか凄く気になる年頃だけど、そんなにばれるほど露骨では無い筈だ。
「変態の相方を持つと大変よねぇ」
彼女は俺を呆れる様に見て、どこか楽しげにぼやくのだった。