せめて下着くらい
フィロソフィアの中層から抜け出してから実に1年ちょっとの歳月が過ぎる。
俺、レナード・アスターは13歳、後期中等学校1年生になっていた。
3年前に世界的なニュースとなった数百万人と言う死者を出した大規模テロによって両親をうしない、現在はイアンナ・ミハイロワさんが管理する通称ミハイル養護施設でお世話になっている。
13歳と言う年齢であるが、エールダンジェの操作に年齢はあまり関係ない事もあり、俺はエールダンジェのプロ資格を取ってプロの飛行士として活動をしている。
その為、学校に通いながらもトレーニングとアルバイトに勤しんでいた。
今日も今日とてウエストガーデン第2スカイリンクという直径200メートルの半球状の飛行練習場でハードな楽しい練習を終えると、ミハイロワ養護施設へと帰る。
養護施設へ帰るなり、俺はシャワーを浴びる為にお風呂場へ向かう。
「あー、疲れたー」
「レンお兄ちゃん、シャワーはまだ…」
養護施設にいる妹達の1人が声をかけようとするが、俺はそんな声は聞いたりしない。とにかく今すぐお風呂場に入りたいのだ。
「レンお兄ちゃん。お風呂はまだリラ姉ちゃんが…」
だが、それでも俺に何かを伝えようとする養護施設に住まう弟の1人がいた。
それは知っている。しかし、誰かから耳にしてしまえば俺は風呂場に女子がいるのに入ってきた変質者になってしまう。だから聞いてはいけない。
「マルコ!今、オレはその話を聞いていない。何も聞いて無かった。だからこれから起こる事はちょっとした偶然の事故だ!いざ行かん!魅惑のバスタイム!ビバ、ラッキースケベ!」
オレの専属飛行技師たる相方が先に帰って風呂場に行ったのは知っている。片付けを押し付けられたが、それを超高速で終わらせて全力ダッシュで彼女がまだ風呂から出る前に戻ってきたのだ。
オレは満を持して風呂場の更衣室に繋がるドアを開けて中に入る。
刹那、鈍色の閃きがオレに襲い掛かる。
激しい音が更衣室に響き渡る。
オレの脳天にエールダンジェ専用の凶悪なスパナが見事にクリーンヒットする。オレは真っ先に足に来て、そのまま膝をつき、前に突っ伏す。
「あ、レン。もう着替え終わったけど更衣室にいきなり入ってこないでよ。ビックリするじゃない」
薄れゆく意識の中で、凶行に及んだ相手を見上げる。
癖っ気1つなく背中まで伸ばした赤みの差した茶色い髪は湯上りでしっとりとぬれており、ぱっちりと大きなダークブラウンの瞳が俺を見つめていた。そして、形の良い口から優しい口調で俺に話しかける。形容するならば絶世の美女としか言いようがない。
Tシャツにデニムのハーフパンツというラフな格好だが、Tシャツを押し上げる胸元は13歳とは思えない大きなふくらみを持ち、ハーフパンツからすらりと綺麗な足がしなやかに伸びる。
グラビアアイドル真っ青のスタイル、画像データでさえ作れないような理想的な美少女が、右手に大きなスパナを持ってそこに降臨した。
彼女こそがオレの天使、じゃなくて専属飛行技師のリラ・ミハイロワである。
「せめて下着姿くらいおがませろ…」
今際の際に遺せた言葉はこの程度だった。ラッキースケベの神様は俺に厳しいようだ。
***
オレはどうにか復活してシャワーを浴びる。
養護施設のリビングに戻ると既に夕飯の準備が出来ていた。養護施設の人数は15人。
オレとリラは年長の類だ。
「レンお兄ちゃん遅いよ」
「お風呂場の脱衣所で寝てちゃダメだよ」
弟や妹達に囃される。
「いや、俺は好きで寝てたんじゃないぞ。大体、何で風呂場にスパナを持って行くんだ!あれは絶対に間違ってる!」
「週に1度くらいは私が更衣室にいるのに堂々と間違えちゃったーって入ってこようとするバカがいるから仕方ないのよ」
リラはニッコリと笑顔で返す。
くそう、可愛いなぁ。
もう3年以上もの付き合いだ。容姿だけなら初恋の相手なのだが、リラ・ミハイロワ当人がその初恋の女性だったとは2年も知らずに過ごしていたし、そもそも最初は男だとさえ勘違いしていた。
だが、ウエストガーデンに戻って、一緒に養護施設で暮らしてから1年、彼女は女性らしい格好で暮らしており、成長期もあいまって日増しに魅力的な女性へと変貌を遂げていた。
本人は着飾ったりしないのだが、妹達はその美貌を輝かせて遊ぶのが趣味で、着せ替え人形代わりにしてたりする。俺には厳しいのに、妹達には甘いのだ。
リラの性格は基本的に男らしい。飛行士と飛行技師と言う関係は喧嘩も多いと聞くが、基本的に俺が従順なので喧嘩はない。
さらに言えば異性として俺と接する事もほとんど無い。正直色っぽい話は皆無なのだが、こんな美少女とほぼ四六時中一緒にいて意識するなと言うのは不可能に近い。
「せめてビンタとかにしてくれると助かるんだけど」
「いやよ。手が腫れて、作業に支障をきたしたらどうするの?」
「貴女の大事な飛行士に支障をきたすと思います」
「その時は桜の飛行技師になろうかな」
「浮気だ!」
本当に酷い女だ。オレと言う男がいながら。
「安心して、レン。無能だったらとっくに捨ててるから」
リラはウインクしてグッとサムズアップする。
「全然安心できないよ。ねえねえ、イアンナさん。酷いよね、おたくの娘さんどういう教育してきたの?」
「家出するような娘に育てたつもりも無いから、対応に困る娘なのよねぇ」
食事をしながらも、本当に困ったわとイアンナさんは頬に手を当てて小首を傾げる。
イアンナさんはこのミハイル養護施設の院長先生。細い目をさらに細めて苦笑を見せる。
彼女はリラが唯一頭の上がらない相手といえるだろう。小さい頃からこの養護施設にいる子供達はイアンナさんをイアンナお母さんと呼ぶが、俺はどうしてもお母さんとは呼べない。亡くなった母以外を母と呼ぶ気は起こらないからだ。
イアンナさんもそれに対しては肯定してくれた。ここに来る子供の多くが母親を求めてここに来ているが、俺は立派な両親に育てられたが、両親の死により仕方なくここに来ているのだから、私を母と呼べなくて当然なのだと。
養護施設は騒がしいが、家族がいた頃を思い出すような暖かさがあった。
何だかんだと言ってはいるが、オレはこの養護施設にすっかり馴染んで、自分の家として暮らしていた。
だが、子供達は容赦ない。
「レン兄ちゃん、今度はレースに勝ってよね。また勝ち試合逃してさ」
「その前のレースはダメダメだった。飛行の効率が悪かったよね」
「っていうか、高所恐怖症でスタートに躓いて気絶とかギャグじゃないんだから」
「本戦でついに初勝利できそうな相手と当たったのにあれは無いよね」
「何であれだけ余裕だったのに組み付かれちゃうかなぁ」
今の時代、空飛ぶ装置であるエールダンジェはどこでもあって、誰でも使える。
そのエールダンジェを使って戦うスポーツ『エアリアル・レース』は月で最も人気があり、そこらのお婆ちゃんを捕まえてエールダンジェを語らせてもいっぱしの評論家のように語られるのだ。その位、月で愛されたスポーツともいえる。
弟妹達もオレのレースを見ては酷評する。口に食べ物を入れながらも会話に加わって文句を言う弟妹達に激しく引きつってしまう。
「うぐ。お、おう。勝つよ。べ、別に負ける気でレースなんてしてないし」
プイッとそっぽ向く。
プイッとそっぽ向いた先は、厄介な事にテレビが放送されていて、そこではスポーツニュースが流れていた。主にエアリアル・レースのニュースであった。
次々と今週のメインレースが流される。年始早々にメジャーツアーと呼ばれるグレードB~Cのレースが行なわれており、多くのスター選手が各地に散らばって戦っている。
どうやらオレがスパナで殴られて倒れている間に中継が終わっていたらしい。メジャーツアーのレースでもあるグレードB~Cの大会はグレードS優勝経験者も多く参加する。
「あーあ、俺も速くメジャーツアーに出れるようになりたいなぁ」
「何故、グレードEの予選で転ぶ奴が出れるのよ。その前、冗談でメジャーツアーに登録したら、予備予選さえふるい落とされたじゃない」
「ぐう」
ぐうの音しかでない。
「12月でスポンサー契約切られちゃったし、ホント、レースに出るのが辛いわ。またピンクスポンサー枠でもお願いする積もり?」
リラは半眼でオレを睨んで訊ねてくる。
「いーやーだー。それは嫌だ!どうするんだよ。お前のレン君が、ピンクのオッサンにお尻狙われたら!」
「大丈夫じゃない?チェリーさんの趣味ってロドリゴ・ペレイラみたいな渋い小父様みたいだし」
「ま、まー、それは置いておいて。16ヶ月の活動で実に6度もスポンサーから切られるとはなぁ」
「プロの世界は予想以上に厳しかったわね。レンはとにかく近接戦闘系の飛行士と相性が悪すぎるのよ。弱点バレバレだし、対戦相手も1点だけを死守して、何とか組み付いてKO勝利とか、もうエアリアル・レース独特の緊張感とか全くないんだもん」
「うぐ、確かにそれな。格闘練習でもしようかなぁ。でもバイトの時間をとらないと練習予算も出せないじゃん。スポンサーもいなくなっちゃったし。さすがに時間が無いよ」
「そうよねぇ」
「「世知辛いなぁ」」
オレ達は同じように溜息をつく。弟妹達も真面目な話をする俺達に茶々を入れるのはやめていた。というか、俺1人だと茶々を入れるのだが、リラに茶々を入れる猛者がこの養護施設には皆無なのだ。
『続きましてエアリアル・レースのニュースですが、不幸な事故が起こりました。先日行なわれたチャレンジツアーのグレードCレース、ソードマスターズの1回戦で敗退したルチアーノ・デ・ルカス選手ですが、昨日未明に息を引き取ったとの事です』
『非常に有望な選手だっただけに非常に悲しい結果となってしまいました。彼はシルフィードケレスの大統領サルバトーレ・デ・ルカス氏の息子でもあり若い頃からその名を轟かせていました。多くのファンから嘆き悲しむ声が聞こえて来ていることでしょう。ご冥福をお祈りしたいと思います』
『対戦相手エリアス・金選手はショックのあまり次のレースは棄権してますね』
『それはそうでしょう。まさかレイブレードで頭を狙いに行った時に首に当たり、しかもその攻撃で首に致命的なダメージが入るとは思ってもいなかったでしょうし。やはりコンバットルールでは非常に危険性が…』
放送が流れているのは有望な飛行士の事故死について。
フィロソフィアでやっていたコンバットルールならばよくある展開だ。この事故のきっかけとなった『ソードマスターズ』というレースは特殊なレース場と指定の武装でレースが行なわれる非公式ルールである。コンバットレギュレーションではあるが、基本的には公式ルールとほぼ同じ規程で行なわれており、首が切れるような出力のあるレイブレードを認めていない筈だった。
多分、余程運が悪かったのだろう。
だが、事故と言われているが不自然だとも言われていた。出力が多少高くてもレイブレードで人がきれるはずがないからだ。本来、重力光剣はエネルギーで破壊しながら切断する武器ではあるが、それは軍用の高出力でなければ不可能なのだ。
エアリアル・レースで用いられる重力光剣はエールダンジェからエネルギー供給を受ける。だが、人を斬るには十分な最大出力が確保されておらず、反発力のある棒としてしか使えないので、ブレードと呼ぶことさえおこがましいものだった。
そんな中、エリアス・金選手の後にいる専属飛行技師の姿が画面の見切りの部分に映し出されていた。
「!?」
俺はその姿を見てテレビに近付く。勿論、空間に浮いている画像なので近付くとむしろぼやけてしまうのだが。
だが、目を細めて再びその姿を見る。
その飛行技師はあまりにも、3年前に分かれた親友にソックリな風貌だったからだ。
背は当時よりもずっと伸びている。色のついたグラスを掛けて目元が見えないが、右頬に間違い無く古傷が残っていた。あれは親友のものと全く同じ場所に同じ形をしたものだった。
「まさか……カイト?」
3年前に生き別れた親友にソックリな少年の姿がそこにいた。
この回を最後に週1ベースの投稿に変わります。ストックの最終修正作業をする時間があまりとれないからです。それでも結構、書き間違い等々がありますが…。