また会いましょう
俺達はフィロソフィアカジノフェスティバルのエアリアル・レースの大会を優勝してから10日が経過する。
結局、あれから桜さんは一度も姿を見なかった。彼女がどうなったかはチェリーさんも知らないようだ。
実は、あの後だが、慌てて桜さんを探したのだ。
リラ曰く、勝った後に金だけ渡して、妹の治療費に使ってもらえばいいだろうとの事だった。
言われてみれば元々優勝賞金間際の金額を持っていたのだから、2人合わせてかなりの金額を持っていたのは事実だ。
俺達は上層に上がって慌てて桜さんを探すことにしたのだが、彼女を見つけることが出来なかった。
チェリーさんなら知ってるかと思ったが、チェリーさんも桜さんの住所や連絡先を知らないらしい。基本的に中層の飛行場兼作業場やモデル専用撮影所で会うだけの関係だそうだ。
結局、俺達は桜さんと会えず終いで、愕然とした心持ちのままフィロソフィアを後にすることになる。
行方不明の手続きやウエストガーデンへの申請など多くの書類が必要となっており、それらの事務処理などを待つ時間がちょうど10日だったのだ。
その間は、チェリーさんの持っている家に泊めさせてもらっていた。
チェリーさんがフィロソフィアで有名なブティックを経営していたというのは本当だった。
フィロソフィア有数のファッションビルのオーナーらしく、自分のテナントは相も変わらずピンク色なのだが、フィロソフィア中のファッションを集めたような巨大なタワービルの持ち主でもあるらしい。
フィロソフィア上層の町並みは凄く美しく、観光地であることを理解するには数日の滞在する必要もなく1日で十分だった。
***
そして、俺たちはフィロソフィアから出る事となった。
「いやーん、寂しくなるわね」
チェリーさんは上層でもやっぱりパステルピンクのフリフリなワンピース姿であった。オカマならもう少し男らしさを消すなり、あるいは男らしい格好をするなりしてほしいものだ。
今の時代、男でも完全に女と同じ容姿どころか性別にさえなれるのだから。
「今までありがとうございました」
「良いのよぉ、私が好きでやってたんだから」
俺とリラは感謝を述べると、チェリーさんはニコリと笑う。
「レンちゃんはプロ資格を取りなさい。受験すれば十分に取れると思うわよ。試験自体はそれほど難しいものじゃないから」
結局、フィロソフィアで受験する予定だったのだが、桜さんを探すのに忙しくて、そんな余裕が存在しなかった。
彼女たちはどこに行ってしまったのだろうか?心配だ。まさか世を儚んで……なんてないよね?
実のところ、俺もリラもかなり気が重かった。
「リーちゃんはちゃんと綺麗な格好しなさいよ」
「めんどくさいんだけど」
「前にも言ったけど、飛行技師は技術だけじゃないわ。女としての能力は絶対にこの世界でも役に立つ。レンちゃんなんてそもそも性格は合わなくても見た目だけは完全にリーちゃんにベタボレだから、上手く掌で転がしてやれば良いのよ」
「なるほど、そういうテクニックがあるのか」
リラは参考になるなあと言わんばかりに大きく頷く。
「それ、本人の前でいう事ですか!?」
俺はチェリーさんの恐ろしい発言に激しく引き攣る。確かに俺は、己の相棒と知らずにリラの写真を収集していたと言う過去がある。こっ恥ずかしくて仕方ないんだけど、時間は元に戻らない。
「かつて白兎なんかも、臆病でレースでもまともに戦おうとしなくても、ロドリゴの壁ドン一発で目をハートにして対戦相手を軽々と撃滅したりしてたからねぇ。大体、レンちゃんも白兎も面倒くささに関しては五分五分だから、リーちゃんが上手く操ってあげなさい。飛行技師王も言ってたわ。『俺がエールダンジェの勝負で勝ってるのであって、飛行士なんて面倒くさい部品の1つでしかない』ってね。あれは飛行技師としての比喩ではあるけど、本質的に飛行士ってのは面倒くさい連中ばっかりだから」
「肝に銘じます。勿論、私は私のやり方でやって行きますけど」
「ええ、貴女が貴女のやり方で、頂点に立つ日が来る事を楽しみにしてる。それが…貴女の野望、私達軍用遺伝子保持者にとって良い方向になる事を祈ってるから」
2人はギュッと抱き合う。
暫くするとウエストガーデン行きの客用大型飛行車がやってくる。
「それじゃあ、チェリーさん、さよなら!またいつか会いましょう」
「ええ、また会えるのを楽しみにしてるわ!」
飛行バスに乗る際に別れの言葉を交わして、俺達は別れるのであった。
こうして、俺のフィロソフィアでの冒険は幕を閉じた。そして、新しい戦いが始まろうとしていた。
***
ムーンランド州ウエストガーデン市ロブソン地区にあるミハイロワ養護施設に、俺は引き取られた。以前住んでいた場所より少しだけ南西側にあり、よく見知った場所だ。
「まったく、貴女って子はどうしてそんなに奔放なの!レティシャが寄宿舎で亡くなって、貴女は突然家出するし、どこまで迷惑掛けるのよ!」
リラはミハイロワ養護施設の院長さんであるイアンナ・ミハイロワさんに烈火のごとく怒られていた。
「レン君は大変だったでしょう。このバカ娘に振り回されて」
養護施設の院長さんはさすがにリラの育ての親だ。オレの苦労をよく理解してくれていた。
結局、オレはこの養護施設の院長さんの下で暮らす事となった。
共同墓地には両親の名前が書かれていた。分かっていた事だが、改めて両親の死を形として教え込まれた気がして物悲しくなる。
とはいえ、足を止める暇を与えてくれないのがウチの相方だった。
毎月行なわれるプロ試験では、リラに無理やり登録されて受験する事になった。勿論、チェリーさんが言っていたように俺は本当に受かってしまった。
試験というのは実技試験として300キロ以上の飛行とバランス制御の2点、それに筆記試験としてエールダンジェの最低限の仕組みや知識、エアリアルレースのルールに関する課題が出される。
無論、後者に関してはエールダンジェオタクでもある俺が間違える筈も無く、前者に関しては散々チェリーさんの工房でやった基礎練集とフィロソフィアでの実戦経験の賜物で無失点で合格した。
話を聞けばそもそもプロ資格と言うのはプロのレースにでた時に、反則をしないこと、勝手に自爆して事故ら無い事、他人に迷惑をかけない事という点のみが焦点になっているらしい。また、プロ仕様は時速300キロを超えるので、最低限でも300キロ以上で飛べないと論外だとか。
俺はもっと難易度が高くても行けると思ったけど、ウエストガーデン市で受験した16人の中で、合格者が俺1人だった事から、何も言うことは無かった。ウエストガーデンの高校大会優勝者とかいたらしいけど、落ちたらしい。
こんな簡単な試験、しっかり基礎飛行練習をしてれば余裕なのに信じられん。
ウエストガーデンに戻って一番大変だったのは学校だ。
現在、俺の学年は前期中等部3年へ編入しなければならないのだが、勉強のレベルがついていけて無かった。リラ共々、イアンナさんの厳しい監視の下で毎日VR授業による勉強を受け、どうにか編入試験を受かる事ができた。
月の学生は休みが長い。9月に始業して、年末に短期の休みが入り、5~6月ごろには単位認定シーズンが取り終わり、7月は受験シーズンになっている。その為、8月は年度末の切り替え時期で、大きな休暇となっている。
その休暇の間に、編入試験の勉強でつぶれたのは悲しい出来事だった。
地下スラムという地獄から帰ってきたら、もっと地獄だった。毎日レースの方が良かった。
「やっと、やっとエールダンジェに触れる」
「辛い厳しい戦いだった」
俺とリラはグッタリした様子で8月のウエストガーデンを歩いていた。
俺はエールダンジェの入った手提げ袋を背負って歩く。隣のリラはチェリーさんから貰った女性メカニック用の服を着ていた。養護施設に戻ったらまた前のようにボサボサ頭に戻るのかと思ったら、リラの姉や妹達が好んでリラの髪を梳いたり、毎日一緒にお風呂に入っている事もあり、容姿を放りっぱなしにさせてはくれなかった。新しい家族達はいい仕事をしている。
なのでリラは毎日美少女モードなのだが、こんな美少女と一緒に並んで歩いていると、ちょっと誇らしげな反面で落ち着かなかった。
ふと俺は東側の町並みを眺めると、未だに復興真っ只中といった様子だった。
俺の住んでいた辺りは復興特区としてウエストガーデン市を挙げての工事を行なわれていたのだった。
「そういえば、レンの実家ってどうなったの?」
リラも東側に広がる広大な復興工事現場を眺めて訊ねてくる。
「ぶっつぶれてたみたい。っていうか区画自体に大穴が開いて何もない状況だった。俺が行方不明だったから、親戚が自分名義に変えてたみたい」
「最悪だな。取り返せないの?」
「すでに他の人に土地を売り払った後だったよ。元々、うちの父さんは家族と折り合いが悪くてウエストガーデンに来てるからさ。俺が有名なプロになっても絶対に親族だなんて認めてやるものか」
「ははは。まあ、私も今更両親が見つかっても知らぬ存ぜぬで通す積もりだけどね」
結局のところ、俺は養護施設にふさわしい子供になっている事実だけが胸に突き刺さる。養護施設の新しい家族達も、紆余曲折あってたどり着いているので、それなりに仲良くやっている。
オレとリラはウエストガーデン第二スカイリンクというエールダンジェの飛ばせる施設へと向かうのだが、そこは大きな運動公園の中に存在している。
他にもフットボール場や陸上競技場を含む様々なスポーツ施設、公民館や病院、展望台などがある大きな運動公園だ。
俺達はそんな運動公園を歩いていると、巨大なドーム型の施設が見えてくる。
ここはエールダンジェのレンタルは無いが、に200キロ半球のエールダンジェ専用競技場が公園同様に解放されている。昔はレンタルエールダンジェをやっていて、家族できた場所なのだが、今はなくなっていた。時間の流れを痛感する事実である。
運動公園を歩いてスカイリンクへ向かっていると……
「あー、レン君だー」
背後から幼い子供の声が聞こえてくる。
「?」
オレとリラが振り向くと、そこには黒髪を肩当たりで切り揃え、銀色に光る瞳をした可愛らしい少女がいた。
その少女に付き添っているのは同じく黒髪で、後で長い髪を束ねた美しい女の子だった。2人揃って白い長着に赤いロングスカートのようなズボンをはいて『立って』いた。
俺もリラもそれが誰なのか一瞬分からなかった。よく知ってる似た女性はいつも車椅子に座っていたからだ。
「お久し振りですね。リラ。それにレン君も。その内、会えるかもと思ってましたが、まさか夏休み最終日に会えるとは」
「……えええっ!?あ、あれ、桃ちゃん、体は大丈夫なの!?」
オレは驚いた二人に駆け寄る。リラも同様にである。
「うん!」
桃ちゃんはピョコタンと飛び跳ねながら元気をアピールする。
「で、でも、お、俺、勝っちゃったから、手術費が足りなくなるんじゃないかって…、凄く…心配してて…」
オレはかなりうろたえていた。夢でも見ているのでは無いかと思ってしまう。
「え?あれ、手術費は問題ないって言ってませんでしたっけ」
そんな挙動不審な俺達を見て、小首を傾げる桜さん。
「言ってないわよ。その所為でコンビ解消の危機に陥るくらいの大喧嘩したし、大会の後、ずーっとアンタら探してたのよ!大体、どうやって稼いだの?まさか体でも売ったの!?」
リラはものすごく心配したように桜さんの両肩を掴んで振り回すように尋ねる。
だが、この女、どさくさに紛れて、とんでもない発想をしやがった。
「おかしいですね。私、ちゃんとレースが終わったら手術を受けるから大丈夫だって言いましたよね?」
桜さんは不思議そうに問う。
……………。
「あ、あれって、『貴方達に勝って金が入るから大丈夫です』っていう挑発か何かじゃなかったの?」
「リラ、私、そんないけ好かない女じゃないですよ?お金は既にありました。病院に言ったら付きっ切りになるから大会が抜け出せないし、別に数日位の余裕は桃にあったので、レースが終わったら手術するって意味だったんですけど。まさか、勝敗一つで命が決まるようなどん底にいる筈ないじゃないですか。私、そんな無計画じゃないですよ?そんな切羽詰まってたら、毎日レースに出てますって」
桜さんが凄く複雑そうな表情でリラを見る。
その答えを聞いて俺もリラも同時にへたり込む。
「それ、早く言ってよ!」
「貴女が勝手に勘違いしたんじゃないですか?」
呆れた様子の桜さん。2人は顔を見合わせて言い合いをする。
とはいえ、声を荒げてるのはリラで、落ち着いて返答するのが桜さんではあるが。
「そっかぁ。良かった。本当に良かったぁ…」
俺は心から安堵する。桃ちゃんが俺の所為で死んでいたらどうしようってずっと思ってた。
「私は残念だった。レン君がお姉ちゃんに勝つところ見たかったのに。フィロソフィアカジノフェスティバルはフィロソフィアネットじゃないとデータが無いから、見れなかったんだもん」
姉より俺を応援していたらしい桃ちゃんが頬を膨らませる。
ごめんよ、オレなんて君の手術費が掛かっていると思っていたのに、それでも本気で勝ちにいってた最低野郎だよ。
罪悪感で凄く胸が痛む。
「ウエストガーデンは治療後のサポートする病院の保険は利くので、手術後は直ぐにこちらに居を移してたんです。私もレースが終わったら、足を治して桃と一緒にこっちに引っ越してたので」
だから向こうでも会えなかったのかと知る。
勿論、気まずくて仕方なかった面はあるが、上層では桜さんを探し回っていたのだ。俺達は優勝賞金で上層に上がれたので、これまで溜めた170万MRはあまっている。それをサクラさんに都合すれば良いというのがリラの言葉だった。
「ところで、サクラさん、車椅子辞めたんですね」
「話を戻せば、そもそも桃の手術費は足りていましたから。ただ…桃が手術を受けたがらなくて」
チラリと桜さんは桃ちゃんを見る。すると桃ちゃんは慌てて首を横に振る。
「ち、ちがうもん。お姉ちゃん、自分の足が病気なのに、私の事を優先してずっと自分の足を治さないんだもん。治る時は一緒だよって言ってたのに」
桃ちゃんは悔しそうに頬を膨らませる。
「という理由で、そもそも手術自体は足が治ってしまうと調整が大変だからフェスティバル後ってのはとっくに決めてたんですよ。さすがに私もそんな切羽詰った状況になる前にどうにかしますよ。レン君みたいに毎日飛んだって良かったんですから」
桜さんはネタバラシをする。
「何だろう、この徒労感」
「一ヶ月ほど抱え続けていた罪悪感を返して欲しい」
オレとリラは互いに頭と肩を付き合わせえ思いっきり溜息をつく。
「そう?おかげで随分と2人が仲良くなったようですし。まるで恋人同士のように」
「いや、それはないから。このヘタレのスケベとかありえないから」
リラはキッパリと否定する。
「えええええ、そこは照れる位して欲しいんですけど。『も、もう、何言ってるのよ、桜ったら』みたいな反応をして欲しいんですけど」
「そんな気持ち悪い反応する私が見たいの?」
「言われてみれば、確かに見たくないかも」
露骨に嫌そうな顔をするリラ。オレはガックリと肩を落とす。
まあ、確かに本音をぶつけ合える程度に仲良くなったのは確かだ。
「これから2人はスカイリンクですか?」
「ええ。近所のウエストガーデン第二スカイリンクは無料だからね。チェリーさんから選別に貰ったスポーツ仕様のスティンガーでしばらくは近所のレースを狙ってみようかと思ってる。金が溜まったら機体をグレードアップかな。スポンサー巡りしてプロレース出場も視野に入れてる」
今後の方針をさらっと説明するのだが、それは聞いてないんですけど?貴女の計画は私の計画なんですけど!?
亭主関白な夫を持った嫁の心境だよ。
「私達はまた病院です。それじゃ、お2人とも。私もここで自主練習すると思いますから、また会いましょう」
そう言ってサクラさんは腕時計型モバイル端末をタップして画面を出して俺達に連絡先を送信してくる。モモちゃんも私も私もとデータを送ってくる。
俺はそれを受け入れて、その連絡先に自分の連絡先を送信する。リラも同様に操作を行なっていた。
「それじゃあ、また」
「ええ。次は負けませんから。……まだ14戦1敗ですし」
そう言ってサクラさんはモモちゃんと手を繋いで運動公園の中にある大きな病院の方角へと歩いていく。
「意外と桜って負けず嫌いなんだよね」
「そりゃ、負けず嫌いじゃない人がインタージュニアミドルで優勝する筈無いじゃん」
「あんな大会興味ないし」
大体、サクラさんだって、こんなに傲慢で負けず嫌いな女にだけには言われたく無いだろう。
こうして、俺達はウエストガーデンに戻り、新しい戦いを始めようとしていた。