スパナは飛んでこなかった
中層にそびえる巨大なカジノは上層まで連なっている。
俺達はそこの建物に入って、エレベータで上に行き、上層の人間たちの見世物として働くのである。
フィロソフィアカジノフェスティバルで行われるエアリアル・レースも中層出身者や上層からやってきた観光客や傭兵、元プロなども参加して行われている。
今回、どちらも前期中学生同士が勝ち上がったという事で大きく盛り上がりを見せていた。
ギラギラと輝く建物の中はまさにショーの為に作られた娯楽の宮殿である。当然だが、観光客も多くみられる。
中層の俺達は上層の人間が入れる場所に入れないので、関係者限定の場所しか移動できないのだが。
俺とリラがレースの為にカジノの関係者限定の通路を歩いていると、関係者と観光客の共用区画で何やら揉め事が起きていた。
1人の男が泣きながら黒服の男達に捕まって引き摺られているのが見える。
「辞めてくれ!オレには妻と息子が!」
「だったら、借金してまでカジノに入り浸るな!」
「このクズが!」
「嫌だ!下層は嫌だー!」
フィロソフィアカジノにあるエレベータに男は放り込まれてしまう。
実は、フィロソフィアカジノには一定の借金を作り破産した者をそのまま下層に送るエレベータが存在するらしい。噂には聞いていたがその決定的瞬間を見る事になるとは思わなかった。
そもそもフィロソフィアカジノは客席や利用箇所は隔てられていても、上層の観光用カジノと中層の関係者控室、そして下層のアンダーカジノは全て同じ建物で、最上層から最下層まで貫くように続いているらしい。
フィロソフィアカジノのレース場が、下層で飛んだレース場と同じつくりだったのはそれが理由だったらしい。
下衆な富裕層はアンダーカジノの下層にいる人間たちのデスレースを見世物にして楽しんでいるとか。これこそがこの街の暗部なのだろう。
まあ、俺はそのデスレース参加経験者ですけど。
「下層かぁ。トラウマしかないんだけど」
俺はぽつんと呟くと、隣にいるリラは苦笑を見せる。
「あそこは犯罪者や破産した奴等しかいないからな。まあ、最下層よりましじゃない?」
「最下層ってどういう人がいるの?」
「テロリストとか殺人鬼とかジャンキーとか、終身刑になった連中が野放しにされてるらしい」
そんな恐ろしい場所行きたくない。死んでも行きたくない。
下層だってあんなに酷いのに?
最下層?
冗談ではない。アレを見て思った。俺は悪い事は死んでもいたしませんと。
「まー、もっと酷い場所なんて腐るほどあるからね。地球にある紛争地帯とか、火星の辺境区とか、アステロイド帯の独裁国家とか、カジノハビタットのスラムとか」
「カジノハビタット?あの有名な観光地?」
「管理者がそもそもテロリストを支援しているって話で、傭兵達が金を稼ぎに色んな賭博にかけたりかけられたりして稼ぎに来てる。フィロソフィアはそもそもそこを真似て作ったんだとさ」
「最悪だ…。行きたくない。俺は安全な場所でのうのうと生きていたいのだ」
「だったらさっさとここを出るしかないな。まあ、元より世界一まで一直線だ。くだらねえ負け方をしたらぶち殺す」
「言葉が男言葉に戻ってますよー」
リラは脅しかける時はどうしても男言葉に戻るのだ。
今現在、超絶美少女でもやっぱり中身がリラなのだと思わせる。そして、リラは周りから物凄く注目を浴びていて、当人も煩わしそうにしていた。
というか、あの汚れた格好をしていたのはこのあまりに人の目を引きすぎる美貌を隠す為だったのかとちょっとだけ理解する。こんな美少女が下層に居たら翌日には慰め者にされるだろう。
「ああ、そうね。世界一まで一直線よ。くだらない負け方したらぶち殺すわよ」
リラは女っぽい言葉に変えて言い直すのだが、全然変わって無かった。
「変わってねえし。つか、………下層にいなくても隣に地獄のような女がいるんですけど…」
地獄からおさらばした筈なのに、未だ変わらず。
俺の相棒はマジで恐ろしかった。
「何言ってんのよ。あと一勝でノルマなんだし」
「え」
リラのノルマはとんでもなく高かった。
「ゆ、優勝がノルマっだったの?」
「はあ?やるからには勝つに決まってんでしょ?全てに勝つ!世界一とはそういうものよ!」
「……そりゃ、……そうだけど…」
世界一になる。
リラが目指そうとする場所は果てしなく高い。そして世界一まで付き合うと約束してしまった以上付き合うのは当然なのだが……ちょっと目指す場所が高すぎやしませんか?
すると車椅子の少女が正面から逆方向へ向かって進む。
桜さんだった。いつもの白い長着に赤いロングスカートのようなオリエンタルな感じのズボンを穿いている。
いつもの凜とした雰囲気にどこか険しさを感じさせる顔つきだった。
「桜、ついに決着の時が来たわよ。首を洗って待ってなさい」
「え、ええ」
「何よ、覇気がないわね」
「ああ、ごめんなさい。言い訳をするつもりはないけれど、妹の病気がちょっとね。今日は正々堂々戦いましょう」
少し気弱になった表情で桜さんは無理に笑顔を作る。そんな様子が痛々しかった。
「桃ちゃん、何かあったんですか?」
桜さんの様子に、俺はちょっと怖くなって訊ねてしまう。
まさか桃ちゃんに何かあったのだろうか?
知り合ってしまっただけに不安になる。俺のファンだと言ってくれた、桜さんにソックリな可愛らしい少女だ。
「ええ。………まあ、少々予定より早く手術する必要性が生じてしまって。問題はありませんよ。どうせお金はレースが終わったら手に入りますし」
桜さんは人のいい顔でニコリと俺に微笑む。
「何それ、宣戦布告って事?」
どうやらそれがリラの癇に障ったらしい。
今日、お金が手に入る。つまり優勝賞金は自分が貰うと断じたのだ。
その勝利宣言とも取れる言葉に、リラはジロリと桜さんを睨む。
「まさか。そんな大それた事では。ただ、本当は今度のレン君との試合は妹にも見せたかったのですが、そういう状況でも無くなってしまって少し残念です。まあ、レン君も……もう少し私を楽しませてくださいね。貴方はもっとできる子ですから。それではレースで会いましょう」
桜さんは車椅子を進ませて俺達に背を向けて去っていく。
「もう勝った気でいやがるし。上から目線か!」
そんな桜さんを見送るリラは地団太を踏む。
逆に……俺が勝ったら、桃ちゃんはどうなっちゃうの?
薄ら寒いもの感じる。
「行くよ、レン!打倒桜だからな!」
リラはプライドに触れたのか凄く燃えていた。だけど、俺はその逆で、闘志の火はどんどん消えていくのだった。
***
試合前1時間となる。
控室では、ヘッドギアと手袋型操縦器を付けて脳波やバイオリズムを計測し、調整前の準備をしていた。
何でこんな計測をするかと言うとそれに合わせた反応調整をしないと機体反応速度が異なり非常に操作が厳しくなるのだそうだ。
俺の感覚からすると高速度領域に入っても普段と変わらない感じなのだが、どうも相手は俺が超高速で動いているように見えるらしい。この調整が上手く行ってないと、俺でも超高速で動くのは難しいのだとか。
だが、今日はさすがに精神面が乱れに乱れており、俺のモチベーションが極端に下がっている事が、はっきりと目の見える形で出てしまう。
「レン、どういう事よ。レース前だって言うのに」
ズイッと俺の前に顔を近づけて可愛い顔で睨んでくる。いつもなら鬱陶しいのだが、超絶美少女がキスする程近い距離に飛び込んできて心臓が跳ね上がる。
「え?な、何が?」
「あのね、何が?じゃないの。そのやる気の無い脳波はどういう事?」
脳波は嘘をつかない。現代ではヘッドギアみたいな精密な計測機器でなくても、メンタル異常は解析によって簡単に判明してしまう。
特にこういった計測数値を出す事に関しては、エールダンジェのヘッドギアは優れていた。そもそもマイクロ秒単位の時間軸で反応時間を調整するものなので、数値化する事に関しては病院の機材のように優れていた。
するとチェリーさんものぞき込んでくる。
「あら、これ酷いわね…。いくら上層行きが決まっていてもこれは無いわ。体調が悪くてもここまでやる気ないのは見たことないわね」
そんなにはっきり分かるものなのか、俺もちょっとビックリしていた。リラはムッとした表情を見せる。そんな様子に俺はちょっと引きつってしまう。
「レンちゃん、もしかして桜ちゃんの事情に気を遣ってる?」
「……」
チェリーさんは一発で俺の本音を抉り取る。この人はこういう機微に敏い。
俺は気まずさに2人から視線をそらす。
すると予想外にもリラからとんでもない言葉が降って来る。
「勝てるチャンスじゃない。そんなプレッシャーを持った相手なら上手く立ち回れば有利にレースが進められるわ!」
俺の相方はポジティブを通り越して血も涙も無い奴だった。
「なっ……で、でも、……リラ、俺達はもう中層脱出の資金は準優勝で十分じゃないか。桜さんは手術費用が必要なんだろ!?俺達がここで彼女の邪魔をする必要なんてないじゃないか」
そうだ、リラは優勝をノルマ設定していたが、本当のノルマは中層脱出だった筈だ。
ここで負けても何も痛まない。何で死に物狂いで勝ちにいく必要があるんだ。
「つまり、……アンタは八百長しようっての?私に八百長の片棒を担げって言うの?」
リラの声は過去に聞いた事ない位、底冷えしたものだった。俺も背筋がぞっとするようなものを感じる。
「そ、そうじゃ……ないけど……。でも……俺達はもうここを脱出できる。ここで俺が負けたほうが……誰も傷つかないし…」
「ざっけんな!」
リラの怒声が控え室に響き渡る。
「良いか!?俺達は世界一になるって約束したじゃねえか!世界一ってのは誰にも負けない奴なんだよ!一度でも負ける事を許容しちゃいけないんだよ!他人の事情なんて知ったことか!誰よりも早く頂きを目指して進んでいるのに、お先にどうぞなんて先を譲る奴がどこにいる!俺達は誰よりも才能がないんだぞ!才能ない奴が違う武器で他人を出し抜こうってのに、勝つ気持ちさえ無かったら先になんて進めないだろうが!」
「それは………だ、だからって知ってる人間が生きるか死ぬかの瀬戸際なのに、それを見捨てていけってのかよ!お前は本当に人間か!お前だって桜さんには世話になってたんじゃないか!お前には血も涙も無いのかよ!」
「そりゃ、桜の事情であって、俺達の事情じゃねえ!桜が勝って、手にすれば良い事だろう!俺達には俺達の目標がある。んなもんに気を遣う余裕があるか!そんなもんをレースに持ち込むバカがいけないんだろ!」
「そういう話じゃないだろ!俺達は人を殺してまで勝つ必要があるのかって事だ!」
リラは俺の言葉を聞くと強くスパナを握り締めて振り上げる。
やばい、いつものスパナが飛んでくる。俺は両手で体を頭を守るようにして身を丸くする。
だけど、何時まで経ってもスパナは飛んでこなかった。
どうしたものかと思って手と手の間からそっとリラの方を覗き込む。
すると…リラは泣いていた。
「一緒に世界一になるって約束したじゃない……」
リラはポロポロと涙を流し、ジャケットの袖で涙を拭く。
「嘘吐き。レンの嘘吐き!」
リラは俺に文句を吐きつけて、走って控え室から出て行ってしまう。
まさか泣き出すとは思わなかった。
いつも強気でそんな姿を見た事も無かったからだ。
昔までの姿ならあまり感じなかったかもしれないが、今の美少女然とした姿で言われてしまうと、何だかとんでもない事をしでかしたように落ち着かなくなる。
でも、だからって、どうしようもないじゃないか。
桃ゃんを見捨てろと?
あの子が苦しそうにしていたのを俺は見ちゃったんだ。俺達が世界一になりたいという理由で勝つ必要も無いレースを勝利して、桃ちゃんを見殺しになんて出来ない。あの子は俺のファンだって言ってくれたんだぞ?それを見殺しになんて出来ない。
俺が悪いのか?
でも、仕方ない事じゃないか。人の命が懸かってるレース、しかも勝ったら相手の妹が助からないんだ。そんな事あってはならないじゃないか。
俺はベンチに座ったまま手を組んで俯いてしまう。そこでずっと黙ってたチェリーさんが俺の隣に座る。
何も口にせず隣に座るだけだ。
何も喋らない時間、外から聞えてくるカジノの見世物による歓声だけが漏れ聞こえる。そんな微妙な間に耐えられなくなり、俺から口を開いてしまう。
「俺、間違ってますか?」
聞く必要の無い事を聞いてしまう。リラを泣かせてしまった事に対して、俺に対する肯定が欲しかったのかもしれない。
「間違ってはいないわね。人間としては」
チェリーさんは優しい声音で俺を肯定してくれる。
「でも、競技者としては失格ね。私情をレースに持ち込むべきではないわ」
「そりゃ……正論ではそうでも、実際に俺達は人間だし…」
「レンちゃんが初めて中層で勝った対戦相手。彼は借金をしていてレース後に破産して下層に落ちたわ。122試合目の対戦相手は娘さんが病気だったけど治療費を稼げず娘さんは息を引き取ったそうよ。327試合目の対戦相手は脳に遺伝子欠陥があって、友人に自分に賭けてもらって治療費を稼ごうとした所、結局敗退して彼は廃人になって物言わぬようになったわ」
「え」
「長く戦えば多くの事情を抱えた人と戦う。レンちゃん、優秀な遺伝子ほど、遺伝子欠陥の可能性は高くなる。トップレーサーやトップメカニックは多かれ少なかれそういう事情を抱えて上を目指す事も多い。そんな事情を考慮して戦ってたら、とてもじゃないけど世界一なんて到達出来ないわ。私だって遺伝子欠陥持ちで、エールダンジェで稼いで命を永らえたもの」
チェリーさんから紡がれる言葉はあまりにも残酷な事実だった。
エアリアルレースで命を繋げる、そんな世界だったなんて俺には知る由も無い事だった。あの華やかな世界で輝く事がどれほど血塗られた道だったかなんて聞きたくも無かった。
「だったら、俺は……そんな世界……」
「リーちゃんにも背負ってるものがある。あの子の目指そうとするものはもっと壮大で、そして社会へも影響を与える事かもしれない。その為にこんな地獄のような場所へ戦いに来たわ。見て見ぬ振りをすれば穏やかな環境で、普通の女の子としての幸せを手にして生きていけるのにね」
チェリーさんはリラの事を口にする。まるで同情するかのように。
「あの子は常に飛行技師としてこの2年間、貴方が死なないように気を配っていたわ。見落としがないように毎日のように寝不足になりながらも、相方が万一にも死なないように。フィロソフィアカジノの競技者の大半は元手を稼ぐ為で、そこで全金額を稼ごうって子は少ない。手に入れた元手から商売を始めたり、カジノにつぎ込んだり、別の事でお金を稼ぐの。レースだけで稼ぐ人は少ないわ。何でかっていうとね、コンバットルールの死傷率は高いからレースだけで稼ごうとすると大体途中で死んだり、死なないまでも戦えない体になる」
「………それは……分かってます。1日に1人は大怪我して退場して行くのを見てます。俺がそうならなかったのは強かったり運が良かっただけじゃないって。リラは俺が寝てても1人で黙々と作業をしてた。でも……」
分かってる。
リラの世界一への思いは本物だ。レースに対して一切の妥協がない。そして俺の為に毎日命を燃やすように作業をして仕上げてくれている。本当に飛行技師の王の名を覆すような偉業を成し遂げようと燃えているのが分かる。俺はその一助になりたいって思った。その為なら世界一になって助けたいって思った。
でも、簡単に割り切れる問題じゃない。
桃ちゃんと出会って、ファンなんだって言われて、凄くうれしかったから。その子の命が掛かってるのに本気で戦えっていうモチベーションをあげるのは無理だ。
「勿論、私はレンちゃんの気持ちも分かるわ。リーちゃんがどうしてそこまで頂点へ拘るのか、それを聞いてから、コンビ解消するにしてもレースを棄権するにしても遅くないんじゃないかしら?もし、戦えないというなら、補償金は私が払うから棄権しなさい。そしてここから出て行って何も無かった事にすれば良い。私はリーちゃんの情熱も、レンちゃんの優しさも、どちらも尊いモノだと思うからね」
チェリーさんは俺の頭を撫でて諭す。
「分かりました」
リラに会いに行こう。
***
暫く探し回ると、出場者のみが移動できる廊下の途中、レース場が見える休憩所みたいな場所のベンチに座っていた。レース場を眺めているようだ。まだレース開始50分前くらいなのに人は満員になっており盛り上がりを見せていた。
彼らは俺達のレースを見に集まってきているのだろう。凄まじい罪悪感が俺の胸を去来する。
俺は何も言わずにリラの隣に座る。
「何しに来たのよ」
すると隣から苦言を呈される。
「別に。まだコンビ解消って訳じゃないし」
「やる気の無いやつの飛行技師なんて出来る訳ないでしょ」
「……チェリーさんは棄権しても良いってさ。保証金は払うって」
「はあ!?ちょ、本気?フェスティバル決勝の補償金なんていくらチェリーさんでも払えるわけ無いでしょ!?下手すると最下層行きじゃない!?」
リラは驚いたように俺を見る。
そんなに掛かるの?普通のレースなら1000万MR位だったからチェリーさんの資産からすれば余裕なのかと思ってたけど。
すると、リラは大きい溜息をついて頭を抱える。
「その前に、リラが何でそんなに頂点を目指しているのか聞いて来い……って言われた。コンビ解消はそれからでも遅くないって」
「これから関係ない道を歩く奴に、どうして人の事情を話す必要があるのよ」
とにかくすっごい怒ってるのはよく分かる。
「ま、まだコンビ解消した訳じゃないし」
「……ただの個人的な事情よ。つまらない理由だわ」
リラはポツリと口にする。大した事では無いと言う。そしておもむろに話を始めるのだった。
「私には歳の離れた姉がいた。勿論、血は繋がってないわ。養護施設の先輩ね。彼女の名前はレティシャ・アマリージャ。白兎のような飛行士を目指してたわ」
リラの言葉に俺はふと思い出す。
確か地元に後期中等部で凄く強い女性飛行士がいると聞いた事があった。確か後期中学生ながらも飛行士兼飛行技師で出場して、グレードEのレースに上位進出して話題になった期待の女性飛行士だった。
でも確か彼女は…
「私のノウハウは全部レティシャに教わった事よ。レティシャは私みたいなバカにも分かるように懇切丁寧に教えてくれたわ。軍用遺伝子保持者って頭が良すぎるから途中の理論が抜けてて教師には向いてないって言うけど、レティシャはそんな事無かった。そして、レティシャは約束してくれた。いつか私が立派な飛行技師になれたら、専属で雇ってあげるって。そして女性だけのコンビでグレードSのレースを世界で初めて優勝しようって。当時の私の夢はそれだった」
まるで、かつての楽しかった思い出を懐かしむようにリラは遠い目をして笑ってみせる。
「でも、確か……レティシャさんって…」
俺も記憶にある。たしか彼女は…
「そう、自殺したのよ。私達の前では笑顔を見せてたけど、何となく思い悩む姿を見る様になってた。それが、大怪我をして、飛行士として再起不能になってしまって、それからはもうレティシャはおかしくなってしまった。最期はストッパーを外したエールダンジェで天蓋に体を打ち付けて死んでしまった。遺書が残されていて自殺だった事がわかった。その遺書には世界に対して恨み辛みが書かれてた。端的に言えば彼女は軍用遺伝子保持者だったが故に、差別され、蔑まれ、勝っても負けても嫌われて、たくさん応援している声があった筈なのに、それを掻き消すような大きい罵声や蔑む声に潰れて、世界が嫌になってしまった。もう戦えないから文句さえ覆せないと絶望していた。結局、レティシャは私との約束を破って死んだのよ」
約束を破って…その言葉に俺は心に刃を突きつけられた気がした。
俺もまたリラと約束して、その約束を破ろうとしていたからだ。
「何でそんな事になったか私には分からない。でも1つ分かるのは、軍用遺伝子保持者は特別、勝って当然、負ければバカにされる。そういう現実が確かに存在している。彼らは才能があるかもしれない。でも、違うじゃない。確かにエールダンジェの世界は軍用遺伝子保持者ばかりかもしれない。より高い才能の人が勝つ世界なのかもしれない。でも私はずっと見てた。レティシャがずっと必死に頑張ってたのを。レティシャが凄く夢中になってた世界に憧れて、私はこの世界に行きたいって思った。レティシャみたいに頭の良いお姉ちゃんが死に物狂いで頑張ってる世界に私も一緒に戦いたいって思った。レティシャの努力は嘘なんかじゃない。才能だけで勝ってた訳じゃない」
リラは思いのたけを吐き出すように口にする。好きだったお姉ちゃんを否定させたくない。その純粋な思いが彼女にはあった。
「だから私は頂点に立つって決めた。軍用遺伝子保持者じゃない私が飛行技師王を超えれば、誰もが軍用遺伝子保持者を特別視なんてしなくなる。私が軍用遺伝子保持者じゃない飛行士を勝たせる事が出来れば、軍用遺伝子保持者は特別なんかじゃないんだって思われる。私がこの世界を変えてやるって!」
とんでもない大望を抱いているのは知っていた。その夢の先は世界一とかそういうレベルじゃない。長らく行われていた戦争やテロ、そういったものを根底から覆すような野望だ。
俺も地下スラムに来るまで、軍用遺伝子保持者がカラスなんて呼ばれて嫌われている現実を理解してなった。
だが、それを知って周りを見てみれば、やはり彼らは蔑視されている。
俺に妙な人気が偏るのは俺が軍用遺伝子保持者じゃない部分がある。
俺みたいなへっぽこな負け方をしても批判が飛ばず、のうのうとフィロソフィアカジノで飛行士を続けられたのも、俺が軍用遺伝子保持者じゃない事が大きい。
それに、カイトは軍用遺伝子保持者だと周りから蔑視されて浮いていた。その事実に俺は全く気付いていなかった。
俺は理解していなかったが、同級生に『カラスの友達』だからと言って虐められていたのも事実だ。何故、カイトがカラスと呼ばれていたのか、その理由も理解していなかった。
でも、だから、カイトは俺から背を向けてテロリスト達に付いて行ってしまった。
もしもリラが言う様に世界を変える事が出来るなら、何かが変わったのかもしれない。カイトはあんな連中に付いて行かなかったかもしれない。あんな事件も起こらなかったかもしれない。
「はい、話はここまで。コンビ解消でしょ。さあ、行った行った。レースは1人で出て八百長でも何でもしたら?さすがにチェリーさんに補償金とか、ありえないから」
投げやりなリラは俺にそっぽ向く。
「まだ解消してないだろ。一緒に戻ろう」
俺はリラの手を取って引っ張ろうとする。
「ああ?何、お前、私が桜の妹を殺す片棒を担ぐつもりかよ」
リラはわざと嫌な事を言う。
「わかんない」
「はあ?」
「わかんないけど………俺の友達は血の五月事件のあったあの日、テロリストについて行ってしまった。軍用遺伝子保持者だから周りに差別を受けてた事を俺は知らなかったんだ。俺が虐められてたのも軍用遺伝子保持者の友達だったからって事も気付いて無かった。カイトはずっと俺に申し訳ない思いを抱えていたのかもしれない。でも、リラが言うように……俺みたいな軍用遺伝子保持者じゃない人間が勝つ事で、世界が変わるなら、俺はその手助けをしたい。それに、あの事件が無ければ………父さんや母さんだって…」
リラのやりたい事は、俺のやりたい事でもある。
あの日、カイトに声を掛ける事も引きとめる事も出来なかった自分の情けなさと向き合わないといけない。スラムで忙しく過ごして、都合よく忘れようとしていた過去だ。
「そんなんで桜に…」
「俺も分からない。この独りよがりな感情で桃ちゃんを失う事になって良いのかなんて分からない。だけど、世界一に辿り着くには誰にも負けちゃいけないんだろ。だったら、レースで判断すればいい」
「………そうね。飛行士なんだからレースで示しなさい」
リラはコツンと俺の胸を拳で叩く。
まだ、正しいかなんてわからない。本気で戦える自信もない。
それでも、俺は戦場へと向かうと決心をした。