藤宮桃
チャンスは突然やってきた。
『フィロソフィア・カジノ・フェスティバル317』
その話を聞いたのはチェリーさんの工房で飛行練習の基礎をやっていたときであった。なんだかよく分からないが『祭り』である。
「出場権利が回ってきたわ」
というのがリラの言葉である。
よほど嬉しいのだろう。モバイル端末から映し出された画面がめっちゃでかい。普通は30センチ四方程度なのに、30メートル四方くらいで映し出していた。当社比10000倍。お陰で飛んでいる俺からでも1文字1文字がハッキリと分かる。
「出場権利ー?これに出ると何か良い事あるのー?」
俺は基礎飛行練習をしながら、リラに質問をする。
「というよりもね。優勝者は200万MRの賞金が手に入るの!私達の場合山分けだから100万かもしれないけど、ってそれはどうでも良いとして、つまりこれに優勝すれば上層へいけるって訳!」
「マジで!?」
リラさん、なんだか女性的な言葉が上達していますね?まあ、それはそれとして、ついに上層へ、ウエストガーデンに戻れるチャンスがやってきた。
ついにこんな不便な生活からはおさらばだ。
住めば都とは言うし、居心地が悪い訳ではないけれど、やはり地元が恋しい。相方もここでやる事が少なくなって来ているので最近ではそろそろ戻りたいと愚痴っていたくらいだ。
「その祭りはいつ?」
オレは飛行練習を終えると、地面に着陸して、タオルを拾う。そして、いつものツナギ姿のリラの方へと歩いて向かう。
「大会は7月5日から開催、トーナメントはベスト32から始まって5日で5連戦。まあ、プロのトーナメントと一緒ね」
「つまりやっと上層に戻れる目処がついたって事だね」
「去年、バカがバカしなければ出場権をえられたのだけど。バカがバカしなければ」
そんなバカがバカしたとか言わないで欲しい。
確かに去年の今ぐらいの時期だっただろうか。相手に油断してレースで大怪我をしていた。ウエストガーデンなら病院で即座に治して明日にはレースに復帰できるところだが、ここはフィロソフィアの中層。
その手の最新技術がないので治るまで大変だった。あばらが5本折れて、肺に突き刺さり医療ポッドに運ばれたのだ。医療費はチェリーさんが出してくれたが、全治2週間の大怪我となった。ちなみに手当てしないで放置したら死んでいたそうだ。
恐ろしい。
「ま、まあ、あの頃はともかく、つまり1週間後にはレース開始という事か」
今は新暦317年6月27日、現在の戦歴は497勝141敗55分、俺達の飛行士と飛行技師としての共通残高は170.2MRとなっており、2人が外に出れるまで目標200万MRまで、残り29.8万MRを溜めれば2人で上層に上がれる。
金額を見れば今年中に上がれるだろうという見通しだったが、早めに戻れるチャンスがやってきたようだ。
「何より、戦える相手は、レンが実力で負けた事ある相手ばかりだし、これは私達にとってもスキルアップのチャンスだからね」
「い、今なら負けないよ?」
先日、うっかり空を飛ばずに飛び出して、気絶で敗戦したという恥ずかしい過去もあるが、それは横に置いておく。
「更に言えば、出場費用は必要ないし、勝利金額は倍、ベスト4で20万MR、準優勝でも50万MR!最悪、準優勝でも出れるだろうが、世界一を目指す以上、優勝狙いは必須!」
「お、おおー」
ボサボサ髪の奥から濃い茶色の瞳がギラギラしていた。軍用クローンの末裔じゃないのに目が輝いているように見える。
オレはリラのあまりの熱に押されていた。
「決勝で桜にも勝つぞ!」
「そ、そうだね。桜さんには一度も勝ててないし、今度こそ勝ちたいな」
和気藹々と気合を入れる俺達。
2年の歳月は確実に俺達を変えていた。
***
翌日、オレはチェリーさんと一緒に食事に出かけていた。
リラは別用があって機械ショップに行っているらしい。一緒に買い物に付き合うと酷く長くなるので間違っても一緒に付いていくよとは言わなかった。
リラは相棒であり、このフィロソフィアにおいては唯一信用できる人間、俺にとっては親友だ。本人が男らしい部分がある所為で、あまり異性として見る事は無いが、買い物の長さを見るとやはり女なのだと思ってしまう。
チェリーさんと入った店はセルフサービスの大衆食堂だった。
「意外に美味しいのよね」
とはチェリーさんの言葉である。
俺もフィロソフィア中層の町並みに随分と慣れたものだ。だが、このピンク色の女装のおっさんと一緒にいる事に慣れている自分が怖かった。
店の中に入ると意外に広く、たくさんの食事が並べられて、自由に取れる仕組みになっていた。食事を取って、マネーカードを入れてから、通路を通れば勝手に会計が行われると言う寸法だ。こういう店なら食い逃げにはならないよね、たしかに。
トレーをもってセルフサービスの食事を取りに行っている中、車椅子で移動する女性が目に入る。
「あら、チェリーさん。それにレン君も。こんにちは」
その少女は振り向くとペコリとお辞儀をして挨拶をする。
「こんにちは。桜さんもこちらに?」
「はい。今日は中層の方に買い物があって…」
「ああー、レン君だー」
俺と桜さんが話していると、そこに桜さんの背後の方から声が聞こえてくる。
桜さんの後ろにいた黒髪の幼い少女がクリッとした銀色の瞳を丸くして俺を見上げてくる。
一目でわかったのは彼女が桜さんの妹である事だ。瞳の色は異なるが顔立ちや真っ黒くて癖っ気ひとつ無い綺麗な髪がよく似ていた。軍用遺伝子保持者としての瞳の色彩が強いので、もしかしたらの才能を強く引き継いでいるかもしれない。
彼女は姉の車椅子の裏に隠れつつ、顔だけこちらに出して見上げて来る。
「妹の藤宮桃です」
桜さんは自分の妹を紹介する。
「桃?可愛いらしい響きですけど、聞かない名前ですね」
「私と一緒で環太平洋連邦の名前ですよ。ピーチの意味です」
「ああ、なるほど」
「どちらもピンク色の綺麗な花を咲かせるのよ」
姉妹でピンク色の花の名前なのか。そういえば月ではあまり見ないな。
「いい名前ですね。でも、俺の名前も、もっとひねりのある名前が良かったな。父さんがレオン・シーフォのファンで、そこから名前を貰ったとかありきたりすぎる」
「あら、良いじゃない、レオンは良い男よ。飛行士は傲慢な男ばかりだったけど、レオンほどの人格者は少ないと思うわ。学生時代も丁寧に色々と教えてくれたし、基礎学校1年で全月大会で戦って以来の知り合いなのよ?」
うんうんと頷くチェリーさん。
なるほど、チェリーさんは元プロ飛行士だったからレオンも知り合いなのか。全国大会で戦った事があるのかな?
そんな事を話しながら、俺達はそれぞれ料理を取って4人用テーブルに置く。
オレは基本的にチェリーさんのおごりだから好きに食べる……とは行かず、食事までリラにコントロールされている。
体重の変化は成長に合わせてとの事だとか。
「レン君、鶏肉が好きなんですか?」
桜さんがオレの蛋白源を見て訊ねてくる。今日の食事はサラダと鶏肉のアスパラのクリーム煮。
「いえ、ウチの相方に食事を管理されてまして……ふふふ、少ないお小遣いでポテチでも喰おうものなら翌日には速攻にばれてスパナで殴られます」
「リラは本当に勝利に対して貪欲ですからねぇ。実際、どうなんですか?ここまでガッツリ勝利に拘る飛行技師っているんですか?」
桜さんは不思議そうにチェリーさんを見る。
「そうねぇ、飛行士に口出すする飛行技師は聞かないわねぇ」
思いっきり口出しされている俺を目の前にして、それを言うんですか?仕事分担として、おかしいのではないかい?
「ただ、飛行士に注文を出すのは飛行技師にはある事よ。それを成す為に練習まで口出しする存在がいないだけで。リーちゃんのやろうとしてる事は常識を無視しているから面白いと思うわ」
「チェリーさんがリラを気に入ってるだけで、非常識だから辞めろと言うべきですよ。っていうか僕が虐められないように助けてくださいよぉ」
俺はプンスカと怒ってチェリーさんにも協力を要請する。
「まあ、リラの技術では体調や想定した体重を越えたりすると、微妙な調整は難しいでしょうし。特にレン君は…大体負けているのは本人の実力もそうですけど、2人でこけた時に負けてますからね」
クスクスと笑うのは桜さん。
は?今、何て言いました?俺が負ける時は二人でこけた時?
「あれ、いつも負けると俺はリラにボロカスに言われるんですけど!?」
「それ以上に私と後で反省会していたんだけどね」
チェリーさんがボソッとつぶやく。
つまり、リラの奴は俺を責めるだけ責めてたけど、実は自分の責任もある事を重々知っている上で俺に隠してやがったのか?
何て酷い奴だ。この2年、ずっと騙されていたのか!?
「あのアマ~。よもや、俺が全て悪いような、酷い言葉を叩きつけておきながら、実は自分も悪かったんじゃないか!」
「まあ、ですけど…対戦相手は飛行技師がいませんし、飛行技師で能力割り増し状態なのに負けているのですから、責められても文句は言えませんよ」
「うぐ」
「まあ、本来、飛行技師が必要になるような飛行士は、ここでは簡単に負けたりしませんから。リラも悔しいのでしょうね。八つ当たりもあるでしょうけど」
桜さんは食事をしながら、俺に先輩らしいメンタル面の助言を与えてくれる。なるほど、そもそも俺一人で勝てるのに、リラに頼ってる時点でダメだって事か。確かにプロのレースでも、飛行士が飛行技師に文句を言うのは、ちょっと格好悪い。そこをどうにかするのがお前の腕だろうって言いたくなるもんね。
「でも、そこら辺は疎いんだけど、そもそも飛行技師が付くとどう違うかとか、よく分からないんだよね」
俺は首を横に振って訴える。
プロのエアリアル・レースは飛行技師がついているのが常識だ。でも、中学や高校までなら、居なくてもやっている。
良い飛行技師が付かないと世界一になれないともいわれている世界だが、戦うのは飛行士だし、専属飛行技師が変わるからって、序列が大きく変わる事もない。
具体的にどのように違うのだろうか?
「飛行技師の仕事は飛行士の能力を十全に引き出す事。メジャーツアーに出るようなプロには必要ね。それより低いレベルだと、能力は割り増しになるけど、そこまで必要じゃないわね」
チェリーさんはざっくりと説明してくれる。
「強くなるんだから必要なんじゃないの?」
「違うのよ。メジャーツアーに出るレベルは切実に必要なのよ。時速400キロを軽く超える飛行で、センチ単位で飛行コースや飛行で僅かに揺れている状況で数百メートルもある位置に銃で相手に当てることは、日々のリズムや体調の違いがある人間が自力で調整するのは不可能なのよ。例えば野球で調子が良くても打てない時があるように、微妙な違いで変わるのよ。手袋型操縦器を握る手の皮の厚みがすこし違うだけで、数センチ飛行コースをずらし、その数センチが勝敗を分ける。そういう世界なのよ」
チェリーさんの言葉に俺は唖然とする。そんな精密な仕事を要する世界なの?そもそも、その感覚がよく分からないのだ。
「レンちゃんは初めてのレースなのに『飛行技師を必要とする程の速度耐性』を持っていた。飛行技能は素人同然なのに、元プロが素人相手にレース中の体内時間で完全に置いて行かれていた。私もこの業界には長いけど、初めて見たわ」
「まあ、僕は天才だからね」
「いや、まあ、大体、最初から速度耐性を持ってる子は素人とは思えない飛行を見せるんだけどね。レンちゃんみたいに速度耐性があるのに素人みたいな飛行をしたのは人生初だったけど」
「ぜ、前例はあるんだ。そして俺よりうまいんだ…」
俺の才能は稀であっても、凄いわけじゃないらしい。
「そういう子がメジャーツアーに辿り着くのよ。レンちゃんは………厳しいわね。頑張りましょう」
「厳しいんだ…」
「例えば……桜ちゃんは8歳の時点でその位やってのけていたわ」
「ぐ」
「レンちゃんの才能は結構ありふれたものよ。でも…」
そうか、俺の才能はありふれていたのか。がっかり。
「でも、軍用遺伝子保持者でない普通の人間が最初からそういう才能を持っている例は聞いた事がないわ。実際、レンちゃんは速度感覚以外は凡人そのもの。一般人でも飛行士としての才能がある方じゃないと思うもの」
才能まで否定されてしまった。
速く飛べるだけっすか、俺?
「でも……リーちゃんの野望とレンちゃんの才能は恐ろしい程にぴったり合ってしまった。どこまで行くか見てみたい。年甲斐なく心が躍ったのよ」
「ああ、なるほど。確かにあの子はそういう目標を持ってましたね」
チェリーさんの言葉に桜さんは思い出すように頷く。
「リラの野望?」
飛行技師王の名前を俺に塗り替える。
そんなとんでもない事を口にしていたような気がする。それと俺がどう合うんだ?
「常識を超えなければ、飛行技師王を超えることは出来ないでしょう?今のエアリアル・レースの常識は、飛行技師王の作った常識よ。つまり飛行技師がいなければ勝てない。飛行技師は高い技術がないと勝たせられない。飛行士も飛行技師も軍用遺伝子保持者でないと世界一に立てない。この常識を超えた人は未だいない。リーちゃんの野望っていうのは、飛行技師王が作った常識を壊していかないとどうしようもないのよ。その為にやれることを何でもする。最初にここに来て、あの子を見て思ったわ。どこに辿り着くかは分からないけど、飛行技師王の常識の一つや二つくらい壊す可能性のある子だって」
チェリーさんはリラの事を思い出しながら口にする。チェリーさんはリラをかなり高い評価をしているようだ。
「もしかして、俺の才能が合うってのは、つまり俺が軍用遺伝子保持者じゃないから?」
「ええ。軍用遺伝子保持者じゃない飛行士を世界一にする。これは師匠でもなしえなかった事だもの。勿論、師匠によるエアリアルレースの革命がおこったからこそ、軍用遺伝子保持者じゃない限り世界一にはなれない業界になってしまったのだけれど。だからこそ、あの子がレンちゃんとどこまで行けるか見てみたいのよ」
なるほど、リラが世界一になる、それそのものが常識外、そして飛行技師王の理論を破壊する事と言える。リラは野心家だとは知っていたけど、そんな遥かな高い頂を目指しているという事実には気づいていなかった。
2年も一緒にいたのに…。
「まあ、私の大好きだったあの人は目に見えない形で成し遂げてはいるのだけれど」
「あの人?ああ、『錬金術師』、ロドリゴ・ペレイラですね?」
桜さんはジェネラルウイングに所属する有名な飛行技師の二つ名を口にする。
ロドリゴ・ペレイラというどこにでもありふれた名前を持つ飛行技師だが、彼は現役でもトップ3に入る名匠である。二つ名は『錬金術師』、他にも三大巨匠なんて呼ばれている。
さらっとピンクのフリフリを着た怪しげなおっさんの好きだった男が発覚する。
うん、勘弁してほしい。
「錬金術師って、ジェネラルウイングの飛行技師ですよね。でも、確か白兎と結婚した…」
「くっ……あれは兎じゃないわ、女狐よ!飛行士の立場を利用して私のロドリゴを手篭めにして、しかも妊娠して引退!?飛行士の風上にも置けないわ!」
チェリーさんはピンクのツインテールを振り回してイヤイヤと体を振る。どうやら、チェリーさんが好きだったのは錬金術師だったようだ。でも、その身振り手振りは気持ち悪いから辞めて下さい。
そして、ロドリゴ氏はこんなおっさんに惚れられていたのか。
可哀そうに。
「あれ、でも、錬金術師って軍用遺伝子保持者でしたよね?」
「ええ。錬金術師は身体能力に特化した飛行士の才能を持っていて、知能指数的な飛行技師の才能を持っていない飛行技師だったのよ」
「は?」
「彼、元々飛行士志望だったのよ。私も詳しい話は知らないけれど、決定的な弱点があったんだって。飛行士としても飛行技師としても師匠に否定されていたらしいわ。でも、師匠の理論を超えて飛行技師として師匠の弟子の中で一番優れていた」
確かに軍用遺伝子保持者とは全て一括りにされているけど、向き不向き、それぞれに与えられる才能は多種多様だ。大体、頭が良いか、人間離れした運動能力を持っているかのどちらかだが、後者が頭脳職で大成するという話は聞いた事がない。
大体世界最高峰の舞台に立つ人間は才能が元々あるのは耳にするけれど、まさか向いていない才能で世界最高の領域に辿り着く人がいるとは初耳だった。
「リーちゃんは錬金術師によく似てるわ。そういう所が、私があの子に入れ込んでいるせいかもしれないけれど」
「なるほど」
出会った当初、リラを復活させるために、俺は危うくチェリーさんの策略に嵌って殺されかけたし。
でも、確かに飛行技師は自分の勝敗には興味があるけど、リラは自分の勝敗ではなくオレの勝敗に興味があるようだ。
飛行技師は自分の技術で飛行士の能力を上に持ち上げる仕事であって、勝たせるための仕事ではないのは昔から言われている事なのに。
「私がリーちゃんに女らしくしろと言うのは別に可愛くしろとかそういう意味じゃないのよ。勿論、デザイナーとしてあの子の美のポテンシャルが勿体ないというのはあるけれど。飛行技師王は使えるものなら何でも使う人よ。リーちゃんは女を捨ててるじゃない?何でも使うような相手に、女を捨てたような人間が勝てるとは思えないのよ」
なるほど、女として生まれたんだから女らしくしようとか、もう少し見映えをよくして可愛くしろと言うのは別に趣味とかじゃなかったのか。
言われてみれば確かにその通りだ。自分の持っているかもしれない才能を捨てて、何でも使えるものを使うような相手を超えるなんて考えられない。
「まあ、俺としてもスパナでド突かれるのは嫌なので大歓迎ですけど」
「それ以前に、あの子はそこまで辿り着けるチャンスがあるでしょうか?努力や覚悟は認めます。でも飛行技師業界は飛行士業界以上に厳しいのは事実です。私やチェリーさんみたいな稀有な才能も持たないあの子は、正直に言えばその頂を見上げる場所に辿り着く事さえ困難ですよ」
桜さんは首をかしげる。桜さんもまた飛行技師を兼務しているだけにその厳しさは重々把握しているようだ。
「難しいと思うわ。でも道なき荒野を向かう彼女の姿に畏敬しか感じる事が出来ない。一人の女として敬意を持っているわ」
……そりゃ、女装でピンクのフリフリを着ているオッサンは、ある意味で道なき荒野を1人独走しているだろう。
「ん、って事は錬金術師もそういうタイプだったと?」
オレはふと感じて訊ねる。
「ええ。彼は私達の師匠である飛行技師の王と対立する事も多かったわ。錬金術師は飛行技師王に何度も否定されていた。でもそれを彼は何度も覆した。飛行技師王が唯一自分を越えた男と認めたのが錬金術師なのよ」
「飛行技師王と言っても、全てトップだったって訳じゃないんですね」
「桜ちゃんの言う、リーちゃんが望む場所に辿り着けるかという問いに関しては分からないと答えるわ。論理的にも不可能だと思う。でも常識を超えた男を見たからこそ、応援したくなるの。分かるかしら?」
「まあ、多分チェリーさんがリラの一番のファンでしょうから」
クスクスと桜さんが笑う。
確かにそれはそうだろう。ファンという面で言うなら、俺も立派なリラのファンだ。
リラは確かにちょっとおっかない部分があるけど、真面目で芯が強いし、何でも手に入れようと貪欲で、決して妥協しないし、死ぬほど負けず嫌いだ。
あれは俺にないモノだ。
「ねえねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃん、レン君のお友達なの?」
すると桜さんの裾を揺すって妹の桃ちゃんが訊ねてくる。ずっと話に加われずに暇そうにしていたので、ちょっと気にはなってたけど。
「どうかしら?桃が聞いてみたらどう?」
「良いのかな」
オズオズといった感じで桃ちゃんはオレを上目遣いで見上げる。
「えと、桜さんは対戦相手っていうか、ライバルっていうよりも俺が下って言うか」
「そーなんだー」
桃ちゃんは目をキラキラさせる。
「本当はあまり中層に連れてきたくは無かったんですけど見てみたいって付いて来てしまって」
「だって、珍しいお店がたくさんあって楽しそうなんだもん」
桃ちゃんは楽し気に答える。
珍しいというよりは、宇宙に飛び出した現代にあって、どこか西暦のような不便さが残っているフィロソフィアの中層は確かに珍しい土地だ。
「偶に私のレースを見に来るのですが、その時に別の試合で見たレン君のファンになってしまって」
「うーん、俺にファンがいたとは」
「あら、当人は気付いていないでしょうけど、結構レンちゃんのファンは多いわよぉ?」
オレを応援するとはまた変わった人がいたものだと思っていると、チェリーさんが指摘してくる。
「そうなんですか?」
「そーだよ。レン君の事たくさん応援してるお客さんいたよー」
桃ちゃんは目をきらきらさせて俺を見上げて、小さな拳を強く握り締めて熱弁する。
でも、桃ちゃん。多分、そのお客さんは俺に賭けてただけで、ファンでは無いと思う。
「桃もレン君のファンだもんね」
「うん!レン君の飛ぶの楽しそうなの」
「楽しそう?」
「うん。空飛ぶのが大好きなんだなーって思うの。私もね、レン君みたいにピューンって速く飛んで見たい」
桃ちゃんは羨ましそうにオレを見る。確かにフィロソフィアカジノで俺より速く飛ぶ選手はほとんどいない。元プロや桜さんくらいだろうか?
「桃ちゃんは飛行士志望?」
「ううん、お姉ちゃんみたいに戦うのはやだー。見るだけでいーや」
桃ちゃんはブンブンと首を横に振る。
確かに戦うのはちょっと怖い。飛ぶのは楽しい。それは俺も分かる気がする。
「まあ、気持ちは分かる」
「えへへー。今度、大会があるんだよね?レン君、おーえんしてるから」
嬉しそうに語る桃ちゃん。
オレはありがとうと桃ちゃんの頭をなでると、桃ちゃんはさらに嬉しそうにしていた。
「とは言っても、……一番厄介な相手が目の前にいるんですけど」
「まあ、レン君と私では相性が良いですから。多分強さ的には大きい差はないと思いますよ」
「相性ですか?」
オレは首を傾げると
「飛行士は大別して、飛行系、近接系、遠距離系の3タイプがありますが、レン君みたいな飛行特化は、私のような近接もできるオールラウンダーに弱いですから」
「勿論、桜ちゃんは遠距離も飛行技能もレンちゃんより上手だけどね」
桜さんとチェリーさんが畳み掛けるように俺に説明する。
むぅ。チェリーさん、それではオレは勝てなくて当然となってしまうじゃないですか。
「レン君は駆け引きとか技術が低いのですが、そういうのを無視できる逃げ場も広い、戦闘領域の大きなレース場ならレン君の長所を活かせると思いますよ。例えばグランドチャンピオンシップみたいに広ければ私でもかなり厳しいでしょうね。速度耐性だけはレン君の方が上だと思います」
「つまり、フィロソフィアカジノでは負ける要素皆無って事ですか。うぐう」
「うぐー」
オレを真似て桃ちゃんが悔しそうに姉を見上げる。
「逆に……チェリーさんが本気でレン君のメカニックについたら、案外、このレース場でも私に勝てる方策がいくつかあるんじゃないんですか?」
「そうねぇ。まあ、無い訳じゃないけど……機体が貧弱かしら。レンちゃんは今の内に駆け引きとか基礎技能を身につけるだけ身につけるべきなのよ。基礎技能がないとプロになれない訳だし。そして……レンちゃんは多分プロになった方が断然強くなる。どこまで強くなれるか分からないけど、レンちゃんが将来メジャーツアーに出れるような飛行士になったと聞いても、驚かないと思うわ。今は一番下のステップアップツアーに出ても予選すら通れないでしょうけど」
「そ、そんなにオレって才能あります?」
ぶっちゃければ、将来はプロの3部リーグとか地方リーグとかに上がれて、プロとして人並みに稼いで、最後はコーチとかになれたら嬉しいな程度のイメージだったんだけど。
「スピード感覚は恐らく太陽系を見渡しても、軍用遺伝子保持者を除けばトップクラスね」
「っていうか、軍用遺伝子保持者以外のトップ飛行士ってほとんどいないから!全然、嬉しくないですよ!それ、全然、誉められて無いから!」
オレの嘆きの声に全員がクスクスと笑う。ちなみに目の前にいる3人共軍用遺伝子保持者である。
そう、俺もこっちにきてエアリアルレースにおける軍用遺伝子保持者の活躍がどの程度か知ったが、メジャーツアーと呼ばれているグレードC~Bに出場する飛行士のほとんどが軍用遺伝子保持者である。稀に遺伝子改造していない人間が優勝したらビッグニュースになるほどだ。
ちなみに、俺が生まれてからメジャーツアーで優勝した遺伝子改造していない人間は皆無だった。
それほど差がある。
リラとは世界一になると誓ったけれど、俺とリラが世界一になるというのはそれこそ歴史に名を残す事になるだろう。俺はそもそも自分の才能に自信を持ってないのだ。
「でも、私やレン君はカジノでやるには少々スピード耐性が違いすぎてレースにならないのは確かなんですよ。結局、私達からすると対戦相手は遅い。彼らの動きがスローに見えます」
「あ、やっぱり桜さんもそう感じるんだ」
「ただ、私もここの飛行士に対してスピード耐性で勝るから勝てますが、同じ速度で飛んで駆け引き勝負をさせられたら多分勝てません。ここの飛行士はそういう喧嘩とか殺し合いとかそういうのが得意な人達なので」
「……つまり同じ速度でレースをしたら勝てないと?」
「ええ。逆に……レン君と私の力量差もそんな感じです。レン君が私に勝つには、駆け引きや技術、色々なものが足りてません。基礎だけでねじ伏せる能力が利くのは速度耐性が圧倒できる相手までです」
そんな厳しい指摘を俺に突きつける。
「むー、お姉ちゃんの意地悪」
俺が冷たい汗を流して言葉を失っていると、プウと頬を膨らまして桃ちゃんが文句を言う。
「え、あ、いや、別に私はレン君を虐めているわけじゃ」
桜さんは桃ちゃんに対してオロオロと慌て出す。
さっきまでオレに厳しく指摘してくれている表情とは別に、妹の膨れっ面に慌てていた。凜とした美しい人という印象があったが妹には甘いらしい。
オレの中では、今現では最大の目標であり、フィロソフィアカジノのアイドルでもある人の意外な姿を見て微笑ましく感じるのであった。