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高所恐怖症

今回はレンの訓練回。いわばエールダンジェの説明回でもある。

 一応、何度かスカイリンクというドーム状の巨大練習場に行って、家族で空を飛んだ事がある。

 エールダンジェはお金があればアンダーティーンの基礎学生だって交通講習を受ければ、公道で使う事が許されている交通手段の一つだ。外貨を得ている家と違って公務員のウチでは使えるお金が少なくて厳しいのだ。

 その分、両親が家にいる事が多くて嬉しいのだけれど。


 だから、完全な初心者という訳ではない。


 僕はチェリーさんの練習場で、リラの仕立てたエールダンジェを装着する。



 最初に重力制御翼本体(ウイングフレーム)を胸に取り付けて、胸の部分に半球型の電力供給装置(エネルギーパック)を胸に嵌め、その上に胸当て形状の外部装甲(アウターパネル)を装着する。

 親指が抜いてある手袋型操縦桿(コントローラ)を嵌めて、その上に操縦系装甲(アームプロテクタ)を取り付ける。


 さらに重力子の光弾を飛ばす重力光拳銃(ライトハンドガン)と、その重力子を遮断する障壁が展開可能な重力光盾(ライトシールド)が準備されていた。

 腰に巻くホルスターにはこれらの武装が取り付けてある。


 ヘッドギアには目元にグラスが付いており、目にゴミが入らないようのガードとハンドガンの照準補助や対戦相手の照準を可視化できる装置が付いている。

 更に高速で地面に着陸可能にするため、スムーズに滑空離着陸が可能な重力制御輪体付靴(グラビティローラ)


 つまりエアリアル・レースで使うエールダンジェの公式装備が全種存在していた。

 白銀色の美しい流線型フォルム。

 エールダンジェのシェア世界最高規模を誇るジェネラルウイング社の機体だ。モデルはスティンガー304、飛行技師(メカニック)が調整しやすいように設計された機体で、世界中のプロが最も使っている機体の304年9月から始まったシーズンで使っていたモデルだ。


 と、僕のエールダンジェマニア的知識披露はそこそこに置いておき、これからレースの為に練習をしなければならない。いくらエールダンジェを使った飛行経験があると行ってもエアリアル・レース競技は初めてだ。


「さてと、レースの時は入口から空間へダイブしなければならない。ここは高さ100メートル、50メートル四方の空間だけど、実際のカジノのレース場は高さ200メートル、直径200メートルの中空円柱状になっている」

 僕は機体を付けてウズウズしている中、リラは淡々と説明をする。


「この練習場はレース場の4分の1くらいって感じ?」

「それよりもっと狭いけど、飛行スペースはそんな感じだ」

「?」

「飛行時は直角に曲がれないだろ。だから円形だろうが直角形状だろうが、飛行スペースは角張ったレース場であっても、角に20メートル程度の丸みを持たせた形が飛行領域といわれてる。そもそも急に曲がれない場所にいたら、逃げ場も無いだろ?」

「あ、なるほど」

「接近戦が得意な選手は、接近戦の苦手な相手を飛行で誘導して隅の方へ誘導して追い詰めるって手法が取られるくらいだ。だから隅っこには行かないってのは鉄則だな。それともお前、格闘技が実は得意とかってあるのか?」

 そんな訳ないでしょ?先日もボコボコにされたばっかりだよ?

 知ってるくせに。


 僕は首を横に振ると、だろうなぁ、と呆れたようにリラは溜息をつく。

「とにかく攻撃には当たらない事。相手の光弾は殺傷能力があるからな。多少は抑えられていても、ボクサーにぶん殴られた位に痛いと思うし、当たり所が悪ければ骨折は当然、死ぬこともあるからな」

「……やっぱり無理だよぉ~」

「ええい、だからレース迄の間、鍛えてやろうってんじゃねえか。こっちだって死ぬ奴の飛行技師(メカニック)なんてしたくもねえよ、縁起が悪い」

「死ぬって言った、死ぬって言ったああああ」

 やっぱり僕は死ぬ運命なのか?

「ガキか、お前は!」

 自慢ではないが、ついぞ最近10歳になったばかりのピッチピチのガキだよ!同じ年の君にだけには言われたくないよ!

「とにかく、練習するぞ!飛んだ事はあるんだろ!それにエアリアルレースを見た事もあるんだろうが。だったら、レース場と同じ高さから飛ぶ所から始めるぞ!」


 リラは僕をずりずりと引き摺って、部屋の端にあるエレベータのある方へ向かう。エレベータははるか上まで繋がっているようだ。



 僕は無理やりエレベータに乗せられて、エレベータ表示でいう所の高さ50メートルの場所に連れて行かれる。ちょうどこの練習場の中央辺りだろうか。

 エレベータを出ると小さい作業場とエネルギーパックの充電装置、どうやらレース場と似た環境が存在しているらしい。テレビで見るレースのスタート台兼飛行技師(メカニック)の作業場に似ている。


「さ、スタート台に乗れ。そして空を飛ぶんだ。まずはそこからだな」

「はーい。………はい?」

 僕はスタート台へ行こうとする。スタート台、エレベータから歩いて直の場所にある。


 ひゅ~


 吹きぬける風が僕の背筋を冷たくさせる。何故か僕の足はカクカク震えだすのだった。

 おかしいな?僕って高い所、苦手だったっけ?小さい頃は高く飛ぶのが大好きだったんだけどな?


「ちょ、ちょっと高くない?」

「高いに決まってるだろ。そもそもエールダンジェは空を飛ぶものだし、自然環境を使ったレースだと2~3キロくらい平気で飛び上がるだろうが」

 地球の太平洋上で行なわれる世界最大のレース・グランドチャンピオンシップは雲の上まで駆け上がったりする。それは言い過ぎでも、普通のレース場も直径300メートル位のレース場の中を飛ぶので、高さ150メートルからスタートするのはスタンダードだ。それから比べたら50メートルなんて大した高さじゃない。


「っていうか、経験者だろ?」

 何馬鹿な事を言ってるんだと言わんばかりのリラ。


 俺はコテンと首をかしげる。

 全く持ってその通りなんだけど。最後にやったのは半年前、家族でスカイリンクに遊びに行ったのが最後だ。

「け、経験者だよ。スカイリンクでスタート台から何度も飛んだことあったし…あれ、おかしいな」

 スタート台にある手摺りから手が離れない。腰が引けて前に出れない。足が震えて動かない。

「お、おい、お前…まさか、高所恐怖症か!?」

「!?」

 僕はペタリとスタート台の上に腰を落としてしまう。

「そ、そんな、バカなー。も、元々飛んだことあるし、高い所はむしろ…得意と言うか…」

 僕はそう言って、前に出ようとするのだが、寒気を感じる。思い出されるのは、テロの攻撃で吹き飛ばされて空に投げ出されたこと。

 ぞっとするような恐怖が重なる。


「だったら、いい加減、冗談やってないで、飛べ!」


 僕はリラに蹴り落とされる。

 僕は機体を動かそうと手袋型操縦器(コントローラ)を動かそうとする。だけど恐怖で体が硬直して指一本動かない。必死に動かそうとするのだが頭がパニックになってそれどころではなかった。

 重力を受けて落下する感覚に背筋を冷たくさせ恐怖が体中を襲う。


「ふえ?…うあああああああああああああああああああっ」


 こうして僕はこの数日何度となく体感したように意識が途切れるのであった。



***



 僕はふと意識が覚醒したのを感じる。


 ああ、僕はまた気絶してしまったのか。何だかこっちでは酷い目に合ってばかりいるような気がする。

 いつもの薄暗い天井なのかと思って、僕はゆっくりと目を開けようとすると、女装のオッサンの顔のドアップが眼前に飛び込んでくる。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああっ」


 僕は慌てて起き上がって、体を仰向けのまま両手両脚を使って見事に逃亡に成功する。

 これはホラーだ。死ぬかと思った。


「あら、起きたようね。意識の方は大丈夫なの?」

 チェリーさんの問いに僕はコクコクと首を縦に振る。というかすっごい目が覚めた。危うく心臓麻痺で死ぬほどの寝起きだった。


「お前なぁ。スタートして気絶するなよ」

 すると呆れたようにリラが僕を見下ろす。

「だ、だってぇ」

「だってぇ、じゃねえよ!女々しい奴だな!」


 うううう、それを雄々しい女の子に言われると辛い。

 まさか高い所が苦手になっていたなんて僕も初めて知ったよ。最近、高い所から落下したり、怖い思いしたからかなぁ。


「まさか高所恐怖症の上に素人の飛行士(レーサー)と出会う日が来るとは」

「どうしよう…。何か、もう人生が詰んでるんだけど」


 友達は去り、エールダンジェは盗まれ、レースに勝手には登録させられて、そのレースから逃げれば死ぬほどの借金を背負わされるし、レースに出ればデスレースな上、対策を練りたいけど空を飛ぶ事が怖くなってレースで戦う以前という状況。

 レースに出ても高校時代にかなり強かったらしい飛行士(レーサー)という始末。

 何を如何すれば良いのだろう。


「良いか?フワリと上に飛ぶ分には恐らく怖さが感じない。重力制御装置ってのは体全体を無重力状態にさせるような代物だ。宇宙に浮かぶのと同じ、飛んでしまえば上も下も無いんだよ」

「な、なるほど」

 言われて見ればその通りだ。レースでも、重力があるので重力に従った向きで飛ぶことも多いが、重力関係なく真っ逆さまな状態で飛んでぶつかり合ったりする。


「スタートの仕方だが、普通のダイブと同時に重力制御装置を起動させるが、お前はスタートする前に重力制御装置を操作しよう」

「なるほど」

「それに、お前、自分がエールダンジェのお陰で高い所から落ちても2度も助かってんじゃねえかよ。エールダンジェつけてるんなら大丈夫だって。もっと信じてやれよ」

 リラがジロリと睨む。


 とは言っても、助かったのを僕は見たことがない。

 ゴミ山が崩れ落ちた時も、さっきリラに蹴り落された時も、どっちも気絶していた。

 だが、しかし、リラの言い分もよくわかる。お父さんから貰ったエールダンジェも、このエールダンジェも、どちらも僕の命を守ってくれた。

 信用できるものだ。


「取り敢えずスタート台に立たず、ここから飛んで始めた方がいいわね」

 チェリーさんの指摘に僕もリラも頷く。


 こうして飛行練習をする事になった。

 ちゃんと飛べたのだが、降下したり風を受けたりするとかなりヒヤッとする。結局、飛んでる途中に落下するような感覚に襲われて、気を失う羽目になったのだった。



***



「とりあえず、お前が高い所が苦手で落ちていく感覚を受けると駄目なのは分かった」

 物凄い失望したような声音でリラは僕に声を掛ける。4度目の気絶によって、リラは僕に失望したような目を向けていた。

「ううう」

「………高所恐怖症のレーサーなんて、聞いた事ねえけど。……取り敢えず高くても機体で浮遊している分には問題ないけど、落下するような感覚がだめって事だな。明日までにちょっと調整しておく」

「そんなのもできるの?」

「出来るは出来るけど、無駄な力を機体に使わせるから、対戦相手にハンデ与えるようなものだけどな」

「……ふふふふ、ハンデが欲しい立場なのに、ハンデを与えるなんて、僕はとんでもない大物だったんだな」

「だったら、今すぐその高所恐怖症を治しやがれ!そうだ、100回くらい飛び降りたら治るんじゃねえか?」

「僕をレースの前に殺す気!?」

 心臓麻痺で確実に死ねる自信があるよ。

 高所恐怖症の気持ちは高所恐怖症にしか分からないよ!怖いものは怖いんだい。



***



 結局、飛行練習は保留されて、最初にやるのは狙撃練習だった。戦うのであれば飛ぶのも大事だが、相手に攻撃が当たらなければ点数は取れない。


「現代の重力光拳銃(ライトハンドガン)のセミオートシステムは非常に簡単に当たりやすいシステムとなっている。取り敢えず、お前は取り敢えずあの的に向けて撃ってみろ」

 リラは僕に重力光拳銃(ライトハンドガン)を持たせて的の方を指さす。

 僕らのいる場所から練習場の中央付近に半透明の的が映像として現れる。距離にして20メートル位だろうか。


 僕はエールダンジェを装備したまま、宙に体を1メートルほど浮かせて慣性飛行状態にする。

 そして右手にライトハンドガンを持ち、前方にある的に銃口を向ける。


 するとヘッドギアについているグラスには銃口の射線が可視化される。

 さらに的がズームになって映し出され、銃口の先端がどこに当たるかを明確に示される。


「おおっ、何かズームになったよ。的もボヤッとした感じがクッキリハッキリした」

「そこでロックを掛けて見ろ。引き金を半分引くんだ。」

「うん」

 僕はトリガーに書けている右手の人差し指を少しだけ引く。

「その状態で右手を動かそうとしてみな」

「ん?あれ、銃口はロックされた場所に向けられたままだ」

 僕が手を動かしても、銃口の先端は的に向かったままになっていた。操縦系装甲(アームプロテクタ)で位置が固定されている感じだ。


「凄いね、これ。これなら百発百中だね。そうか、だから皆、あんなに当たるのか」

「だけど、強い力を加えると直に外れるからな?」

「……そ、そうなの?」

 僕は思い切りずらそうとするとガクンと何かが外れたかのような感じで銃口の位置がずれて、トリガを少しだけ引いてたのが戻されてしまう。

 どうも機体と重力光拳銃(ライトハンドガン)もリンクしているのか。


「更に言えば自分か相手の位置座標が加速したり減速したりすると位置がずれる。慣性飛行だとロックしたままなんだ」

「そうなんだ」

「だから、セミオートの場合、撃つ時は今みたいに慣性飛行モードに変えてからトリガーを引く。動きながら撃つのと慣性飛行状態で撃つってのを試してみろ」

 なるほど、プロの射撃が上手かったのもそういうからくりがあった訳だな。納得だ。




 という事で、ぼくは実際に試して見る事にする。


 横に加速と減速を繰り返して動きつつ、銃口を的に向けてる。

 ヘッドギアのグラス越しで見る的に焦点を合わせて、重力光拳銃(ライトハンドガン)の射線を合わせて、トリガを半分引いてロックをする。

 だけど、ロックされず、射線が固定されなかった。そして一瞬だけロックされるので、そのまま引き金を引くとやはり当たらなかった。


 そして今度は慣性飛行モードにしてするすると動いている中で銃の射線を的に合わせこむ。すると、今度は簡単にロックされて暫くはそのままだがさすがに銃を持つ手の角度が厳しくなると勝手にロックが外れるてしまう。

 でもロックされている時間は長く、そしてそのままトリガーを引くと簡単に狙った場所に当たる。


「すげー。こんな簡単に僕でも当たるんだ」

 これなら戦える気がする。

「やれる!とか思ってんじゃねえだろうな。レースってのは基本的に相手が加減速し続けてるから、そもそもロックできないし、あたらねえんだよ。セミオート同士で戦うってのは、つまり相手が攻撃に移る時に慣性飛行モードにする。その瞬間にロックして射撃する。つまり攻撃は防御が薄くなり、防御は攻撃が薄くなる。『自分のチャンスは相手のチャンスで、自分のピンチは自分のチャンスでもある』って事だ。分かるか?」

「あー、その格言ってそういう意味があったんだ」

 飛行士(レーサー)の誰かが言ったセリフだったと思うけど、そういう意味合いがあったのか。


「単純に言えば、ただ加速や減速ってのはあくまでも見た方向から二次元画像としての認識だからな。近付けばロックされた場所が外れにくくなるし、射線上から逃げる方向に加速しても射線上から外れないんだからロックされたまま当たるって寸法だ」

「だから相手の後ろを取ったり、相手が射撃しにくい近距離に移動するのか」


 エアリアルレースの戦闘は様々だ。

 一般的なのは4つのケースに分類される。


 主導権を握る為にポジションを奪い合う飛行戦(ドッグファイト)

 互いにぶつかり合うように飛び、すれ違い様の攻防をする馬上槍試合にも例えられる擦れ違い戦(ジョスト)

 互いに平行して飛び、互いに防御無視の殴り合いのような戦いになる併走戦(デュエル)

 それを更に遠距離から互いに撃ち合うのがファイアファイト。


 射撃の時の主導権争いで、どうして飛行戦(ドッグファイト)をしているのかと言えば、こういう事だったのか。


「で、お前のやる事は1つ。ドッグファイトだ」

「何で?」


「相手はお前が素人だと分かってる。当然、殺して機体を奪いたいから近づいてボコろうとするだろう?」

 そういえばそうでした。相手は普通のレースをご所望じゃなかったんだ。


「で、ヘタクソなフライトを見せるお前を見て、即座に攻撃の当たり難いポジション、つまりお前の背後から近づこうとしてくる。でもお前は近づかせたくないだろ?レースになれば、お前はずっと逃げ続けるレース展開になるって訳だ」


 言われてみればそんな感じだ。近接戦闘の得意なカルロス選手も、そういえばいつもそういうレース展開だった。僕は逆に逃げる側になる訳か。


「そもそも、こっちの持ってる武装は相手に当たってもポイントを奪う程度の弱い衝撃しか出ない。プロ仕様ならもう少し攻撃力があるんだが、これはスポーツ仕様だしな。でも、向こうの攻撃はエールダンジェの防御障壁で緩和されても一撃で大怪我させる。当たり所が悪ければ死ぬような威力の重力光拳銃(ライトハンドガン)を使ってくるだろう」

「…盾で守れば?」

 通常のエールダンジェのレースでは盾で防御する。大きさは40センチ四方程度の大きさが規定されていた筈だ。


「盾で守るのは、練習する必要があるんだよ。体を覆うような盾を作れば、空気に触れた盾の光エネルギーが乱れを作って飛行は不安定になるし、出力も落ちるし、空気抵抗が発生して、飛行速度はガタ落ちだ。振り回すとバランス崩して上手く飛べない。重力光剣(レイブレード)重力光盾(ライトシールド)ってのは素人の使える武器じゃねえんだよ」


 そういう事だったのか。僕はカルロス選手のように重力光剣(レイブレード)重力光盾(ライトシールド)という装備に憧れてたのに。


「でだ、お前の戦闘はこのスタイルだな」

 リラがノート型モバイル端末から映像を開いてみせるのは1つのレース。


『カルロス・デ・ソウザ(シュバルツハウゼン所属)VSディアナ・クナート(ジェネラルウイング所属)』 

 というタイトルと共に、レースのダイジェストが流される。


 レースはというと、ディアナ選手がカルロス選手から延々と逃げ続けるだけという退屈な試合展開。結果、1-0でディアナ選手が勝利した。


 何の見所も無い面白みのないレースだが、このレースは非常に有名だ。

 エアリアルレースの最高グレードの大会で、初めて女性が優勝したレースだからだ。

 ディアナ選手は背後から迫るカルロス選手にライトハンドガンを撃ち続け、とにかく高速で逃げ続ける。何度追い詰められようとヒラリヒラリ、というか無様に背を向けてとにかく逃げる。たった1点を当てて、そのまま逃げ切って優勝したという。

 そもそもこのディアナ選手は男らしくなく、というか女性だけど、とにかく逃げるタイプの飛行士(レーサー)だ。

 1対1のバトルだと無敗どころか無失点で引退した天才としても知られている。白銀の髪を振り乱し、赤い瞳を涙にぬらして本気で怯えて逃げている姿は肉食獣の中に放り込まれた兎のようで、ついた2つ名が白兎(ホワイトラビット)である。


「まさかとは思うけど、僕に彼女の真似をしろと?」

「まさかも何も、こういう展開になる。だからとにかく逃げるんだ。攻撃は背後に向けて撃つ。銃口を背後に向けても、ヘッドギアについたグラスで照準も合わせられるし、相手の状況も見える。そうやって自分を守るんだ。いいか、勝つ為のレースじゃなくて死なない為のレース、つまり一撃でも喰らわないように戦う必要があるんだよ」

「…そ、そうだよね」

「って、まさか、お前、勝つつもりだったのか!?」

「え?いや、ほら、やるからには……それに勝ったら、僕のエールダンジェが帰ってくるかもしれないし…」


 あれ、僕、変な事を言ったかな?

 リラもチェリーさんも驚いた顔をしていた。そりゃ、勝ち目は薄いし、攻撃を喰らったら死にそうな気がするから戦いたくないけど、レースに出るなら勝つつもりでやらないとダメじゃないの?


「だとしても、お前に戦う技術は無いだろ?そもそも飛べねえくせに」

「うぐ」

 それは痛い事を突きつけられた。確かに僕は高い所が苦手だ。


「通常のレースは10分ハーフで休憩が5分だけど、このカジノのレースはメカニックが入れる場所も無いし、賭博レース数が多いから10分間のみで試合が行なわれる。制限時間が終わるか、決着がつくかしない限り試合は終わらない。俺が調整できるのはレース前までだ。つまり試合が始まったら10分間、お前は猛獣のいる折の中に閉じ込められるようなものだ。お前の知るレースとは別物と考えていいだろう」

「…そ、そうなんだ」

「さらに、ポイントを先取して試合が終わっても、負けた相手が腹いせに相手に殴りかかって殺してしまうケースさえある」

「は?」

「つまり、試合がどうあれ、お前は10分以上、救助が来るまで逃げ続ける必要があるってことだ」

「んなっ」

 言葉にならないとはこのことだった。


 何そのルール?

 っていうかルールが無いよね?

 単純に賭博する為だけに、エールダンジェをつけて殺し合わせる。レースとさえ呼べないじゃないか。

 やっと、分かった。あれはエアリアルレースじゃなくて、殺し合いをただ見るだけの催しだったんだ。


「……前に上層で組んだ飛行士(レーサー)は、大金を稼ぐためにこの下層のレースに出て殺されている。そもそも俺が下層に落とされたのは、組んでいた飛行士(レーサー)が闇レースで殺されて、肩代わりさせられたせいだしな。犯罪者と破産した人間が下層に落とされる。ちなみにやばい犯罪者は最下層って場所に落ちるらしい。お前の場合、無断侵入罪だから罰金1万MRムーンルーブル位だろう。下層の賭博レースのレートは高いから、その程度なら勝てば一発で中層に登れる。勿論、犯罪者の場合は刑期を過ぎないと中層に戻れないけどな」

「……そうなんだ。意外と安いんだね」

「バカ。破産した奴らってのは借金100億U$(ユニバーサルドル)とかのレベルだぞ。下層でそれを稼ぐために胴元になったり、薬物や人身売買したり、マジでやばい連中ばっかりなんだって。インフレして、中層や上層よりも金のレートがおかしいんだよ。バカみたいな金が動くし、稼いだ奴から奪おうと犯罪が横行してんだよ。警察が監視していない牢獄みたいなもんだから、警察がまともに機能してないんだよ。殺人以外の事なら大体何でも起こる」

「…」


 恐怖以外何物でもない場所だという事実だけは理解した。

 のんびりしているウエストガーデンのお隣さんにこんな邪悪な都市があったなんて初耳である。

 上層にある煌びやかで多くの観光客を引き寄せるフィロソフィアカジノの裏側がこんなにドロドロだとは知らなかった。

 いや、むしろ、ドロドロを下層に押し込んでしまっているから、煌びやかなのかもしれない。


 そして、僕のエールダンジェが100万MR(ムーンルーブル)になると言った意味がわかった。つまり中層や上層よりも簡単に奪えるからお金の価値が低いんだ。


「お前じゃ、勝つのは無理だろ?俺は最低限生きる方法だけをお前に叩き込む。まあ、万が一にも生き残れたら、俺の助手として食べる為の給料くらいは出して使ってやるよ。どうせお前の場合、中層に行くだけならそこまで大変じゃないし。だから、取り敢えず死ぬな」

「う、うん」

 頷くしかなかった。

 この地下スラムは地獄だという事を思い知らされるのだった。


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