104.第4話 最初の支配地域
「インターネットって良く『海』に例えられるけど、実際は『ダンジョン』だよねー」
ロリポは、棒付きの飴をなめながら、|ダンジョン探索型RPGをプレイしている。ワイヤーフレームで描かれた簡素な壁、文字情報だけで表されるキャラクター、宿屋に止まっただけで一年寿命が減る時間的制限、そのどれもがロリポは最高だと言って憚らない。
友加里には理解できない世界であった。
「インターネットは、ネットワークというぐらいですから、網なのでは?」
友加里のイメージは網である。網を情報が伝達される。そして、情報は人間と包み込んで離さなくなる。一度、自分の都合のよい情報にとらえられてしまうと抜け出れない。まさに網そのものだと思った。
「いやー、だってさ。ネットワークの中はゲートウェイで仕切られてるじゃん? ゲートウェイにある謎を解くと次の階層に進めるから、完全にダンジョンだよね。同じ階層じゃ、次の部屋に進むための道を確かめながら行くわけ。ほら、完全にダンジョンだよね?」
大事なことなのか二回言ったロリポにゲイツも頷いている。
「なるほど。では、ダンジョンへ潜るための準備をしていただけますか?」
ロリポの手の中には柚木のノートパソコンからデータを吸い出してきたUSBメモリの基盤があった。上下反対でも刺さるようになった基盤はロリポの手の中で出番を待っている。
ロリポは基盤を小さな機械に刺した。USBハブのような外見をしているが、どうやらこれもパソコンのようだ。
「さて、まずは反撃受けないようによく確かめないとね」
ネットワークにつながっているパソコンにつなげると、万が一、脆弱性をついた攻撃が成功してしまった時に居場所がばれてしまう。ロリポなりの用心だった。
安全を確かめるとロリポは自分の端末にデータを読み込んでいく。ロリポの持っているパソコンはどう見てもハローキティのオモチャだったが、中身は入れ換えてあるらしい。
「あー、外れかも」
ロリポの端末には「インターネット・ドミニオン」に関係する単語を検索する黒い画面が並ぶ。
しかし、どれも結果は表示されていない。
「柚木さんはインターネット・ドミニオンとは関係ないということですか?」
「関係ないとことはないんじゃない? でも、持ち歩いているパソコンにそれを入れておくほどバカじゃないということだね」
ロリポは舌打ちする。せっかく友加里に頑張って貰ったのに成果が出なかったのだ。ロリポは友加里の初陣で成果を出してあげたかったと思っていた。
「もしかして、これでリスクを侵す必要が出てしまいましたか?」
ロリポにとって、リスクらしいリスクではなかったが、友加里の気遣いを思うと、これからする作業はちょっと言い出しにくかった。
「まあ、用心深いようで抜けてるところもあるから、TAOじゃないと思うんだよね。ちっさい新参の勢力の可能性が高いから余裕だと思うけど」
インターネットはかつて「|Junior Uncle House」と呼ばれる勢力が最大であった。しかし、その中心人物が飛行機事故で死ぬと、「JU」は凋落。ついで勢力の大きかった|Total Associate Organizationと呼ばれる勢力がその支配範囲を伸ばした。
JUの中心人物とは他でもない友加里の祖父であった。三年前のあの日、友加里は生き残った。死に際の祖父から三年隠れ堪え忍ぶように言い渡され、祖父の築いたインターネット・ドミニオンにハイエナたちがたかろうとも友加里は耐えていたのだ。
そして、長かった三年間の喪があけ、友加里はインターネット・ドミニオンに足を踏み入れた。今は何の支配地域もない。
インターネット・ドミニオンにおいて、支配地域とは、信用をどれぐらい獲得したかである。信用は金では買えない力を与えてくれる。そういう点では一般的に意味するところの信用と同じだった。
「でも」
友加里はロリポとゲイツが支配地域を必要としている理由をよく理解していた。支配地域がなければ、何をするにも友加里にお願いする必要がある。クレジットカードは元より通信販売すらできないのだ。
だからこそ、ロリポははやく支配地域が欲しいと考えていると。
「安心してよ。あたしもゲイツも伊達にJUのメンバーじゃなかったわけだし、ほら『子曰く、虎穴に入らずんば虎児を得ず』といってるじゃない」
友加里は『孔子ってそんなこと言ってました?』と思ったが心のうちに留めておいた。
「まあ、見ててよ。多分、三時間もあれば、こいつらの支配地域全部を完全に実行支配してみせるから」
そういうと、ゲイツがタイミングよく椅子を勧めた。友加里の目の前には大画面の8Kモニタが三枚広がる。そこにはロリポの端末に開かれた三枚の黒い画面が連動していた。
『見てもわからないのですが』とは思ったが、友加里はおとなしくロリポとゲイツがキーボードを操る様子を見ていた。
今まで色々するのを見てきたが、これが初めての国盗りだった。
キーボードを嘗めるように操作すると、黒い画面には何かのログが流れ始める。友加里には見ても意味が分からないが、なぜかダンジョンの門番を倒すための呪文の詠唱に見えた。
「おっと、みっけ」
「踏み台を十台ほど」
ロリポが呟くと同時にゲイツが報告する。他のシステムに侵入する場合、そのシステムに近いところに踏み台と呼ばれるプロキシを構築するのが都合がいい。
今回の支配地域はローカルのケーブルテレビ局が構築したネットワークだと思われた。それゆえに、こんな山の中まで赴いたのであり、適当な別荘を借りて作戦基地に仕立て上げたのだ。
インターネットはすべてのネットワークが平等に繋がっていると思われ勝ちだが、実際は『閉域網』と呼ばれる単位で分けられる。
閉域網の種類としては、地域光ファイバー網が有名であるが、それ以外にも電話線を使った銅線網、同軸ケーブルを使ったケーブルテレビ、そして、携帯電話基地局の無線電波網。
そのどれもが『インターネット』と呼ばれるエリアに出るための閉域網であった。これらはインターネット・ドミニオンにおける基本的な支配地域だ。特に地図と紐づいているので覚えやすい。
「じゃあ、とりあえず、認証装置からいただきますか」
閉域網からインターネットに抜けるには認証装置へアクセスし、認証を得る必要がある。それで初めてインターネットに接続できるようになるのだ。実行支配するためにはまず認証装置を手中に収めなければならない。
認証装置は閉域網の中にあるとは限らない。しかし、このゲーブルテレビ局の場合、認証装置はケーブルテレビ局が運営するデータセンターに置かれており、閉域網と直接つながっていた。
「じゃ、認証装置をいただきましょうか!」
ロリポはこの認証装置に対して攻撃を試みる。黒い画面に何か打ち込んだと思ったら、すぐにログインプロンプトの前の文字が変わった。
「およ? もう入れちゃったよ」
ロリポが予想するよりも早く認証装置に入りこめたようだ。
「じゃあ、あたし色に染めちゃいましょう」
早速、認証装置を実行支配におくためのスクリプトは走らせ始めた。本当に短時間でネットワークをものにしていくロリポ。
「あー、これじゃん?」
書き換えていく最中に吐き出されるIPアドレスを見て、ロリポとゲイツはニヤリと笑う。このIPアドレスは日本のもので、しかもケーブルテレビ局のものではない。かといって日本の主要なベンダーが管理しているIPアドレスでもない。それはこのIPアドレスが今までこの支配領域を実行支配していたもののアクセス元であることを示していた。
「おやおや。悪いことをするのにIPアドレス直書きしちゃうなんて、油断しすぎだよねぇ」
ロリポの声が低くなる。
「ゲイツ、このIPアドレスを調べるのは任せた」
ゲイツは頷いて自分の目の前にある端末にIPアドレスがどこへ向けてルーティングされているか調べ始める。それはさながら犯罪者が事件現場に残した手掛かりを調べる捜査官のようだ。
たった一つの手がかりからわかることは多い。どの国のどの会社が管理するものなのか。何に使われているのか。何よりどの閉域網へ向けて情報が流れるのか。プロキシーを使っていない限り、情報は丸裸である。
「さて、次は権威サーバーイっちゃおうか」
閉域網にあるサーバーは通常同じネットワークで管理され、そのネットワークに入るためには管理者が用意する踏台からアクセスするのが常である。このケーブルテレビ局も同じ管理方法のようだ。
そして、踏台を超えた先にあるネットワーク同士では、それほど厳しいセキュリティは使われていない。もちろん、厳格なアクセス制限を施すのが理想的ではあるが、セキュリティ設定を間違うとどこからもアクセスできない事象が発生し、データセンターに行かなければならなくなるので、同じネットワークからのアクセスは裏口として開けられている。
「もうイージーモードだね」
ロリポは権威サーバーを落としたらあとはMXレコードと呼ばれるメールの配送先情報をいじり始める。裏コンフィグファイルが用意され、ロリポが書いた裏ファイルは表コンフィグファイルにより隠蔽される。
一度、内部に侵入されたネットワークはスポンジケーキにメープルシロップがしみるように攻略されていく。
ロリポがお腹減ったと感じた頃にはすべての管理サーバーが手中に落ちていた。しかも、堅牢性が強化された上で。
「小さいながらもいい砦ができたんじゃない?」
ロリポは満足そうにうなづいた。
「ゲイツ、そっちはどう?」
ゲイツは頷いた。
「そう。じゃあ、ご飯食べに行こうよ」
友加里にはそれが何を意味するかわかっていなかったが、ロリポにはわかったようだ。席から立ち上がると、友加里を誘った。
◆◆◆
三人はまたアウトレットに来ると、地元の乳製品を使っているという自然食品を取り扱うレストランへ入る。
「結局、どうなったんですか?」
黒い画面を見ていただけではいまいちわかりにくい。友加里はロリポに先ほどの電脳戦の解説を求めた。
「この八ヶ岳一体のケーブルテレビネットワークはあたしたちのものになったよ。これで安心してここで買い物できるね」
このアウトレットが今落とした閉域網につながっているとは限らないのだが、ロリポが言うからにはそこは調べてあるのだろう。
「あたしたちの勢力値を数値で表すとこんな感じ」
ロリポは注文したパスタが来るまでの間、ナプキンにステータスを書き始める。
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Junior Uncle House (ルゥーヂィア)
信用度: 65,536
支配地域:
・八ヶ岳ケーブルテレビネットワーク
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「ちなみにTAOはこの四千倍はあるからね」
気の遠くなるような話であるが、友加里にはあまり不安はなかった。ロリポやゲイツが味方でいる限り友加里はこの先も不安に思うことはないであろう。
「心配していませんわ」
友加里が微笑むと、注文したパスタが運ばれてくる。
「うわぁ、おいそそう。これには赤ワインがよく合いそうね! おねえちゃん、ワインボトルお願い!」
がっつり飲もうとするロリポを尻目に、ゲイツは自分の前に置かれたステーキを小さく切り分けて食べ始めた。友加里は優雅な所作に思わず見とれる。
いつか、ロリポやゲイツの過去を聞く日が来るのかな?と思いながら、友加里は自分の前に置かれたホットケーキを食べ始めた。
現実では「閉域網」を「ワイヤード」と呼びません。
これからも変なルビがたくさん出てきますが、あくまでもインターネット・ドミニオンの中の用語ということでお願いします。