102.第2話 エンジェルの招待
簡単な挨拶を終えた三人は芳重に夕食に招待された。目の前には懐石料理だろうか。椀と膳が一つずつ並べられていた。
「日本料理は好きかね?」
じゅるりと音が聞こえてきそうな程、ロリポは舌なめずりしている。以前に懐石料理を食べたことがあるようだ。
「えぇ、以前に銀座でいただきましたけど、大変おいしゅうございました」
ロリポもゲイツも芳重に勧められるまま席に着く。
最後に友加里が席に着いた。
和やかに会食は行われていた。
友加里の叔父は、久我!晴彦と名乗った。友加里によれば久我はインターネット・ドミニオンとは何の関係もなく、友加里との血のつながりも「母の兄」に過ぎないという。
両親と祖父を失った友加里を実の娘のようにかわいがっていた。これから先も結婚をする気はないようだ。
会話は若い秘書の趣味が理解できないとか、投資しても感謝されることが少なくなってきたとか、日本の起業家はガッツが足りないとか、当たり障りのない話しかしていない。
「そういえば、叔父様はどれぐらいの金額を投資できるんですか?」
「うん? それはあの会社にかい?」
ロリポは頷いた。久我は少し考える振りをしたあとに「難しい問題なんだよ。私は彼らがやっている事業がどれぐらいの価値を持っているかわからないからね」と言った。
ロリポは即座に嘘だと見抜いていた。価値を認め、具体的な投資に入るからこそ、ロリポたちに素性調査を依頼しているのだから。
「百億ぐらいですか?」
今の世の中、ゲームを作るとなると百億円以上かかるのは当たり前だ。だからこそ、ゲーム会社は規模を大きくし、成功する確率よりも失敗する確率を重視した経営を続けている。
「いや、三億ぐらいだね」
ロリポは目を丸くした。そして、「ケチだなー」と誰にも聞こえないようにつぶやいた。
「彼らがね、それぐらいで作れそうだと言ったんだ」
ロリポのつぶやきが聞こえていたのか、久我が補足する。
「なんでもARなら作成するリソースが少なくて済むのだそうだ」
その理由を聞いて、ロリポは納得した。普通のFPSに必要なマップやテクスチャなんかは作らずに済み、モデルは半分ぐらいになるだろうし、パーティクルなんかは減らないだろうが既存のFPSのアセットが使えると考えられる。
「でも、AR独自の技術開発にお金が必要なんじゃないですか?」
スマホに搭載されたセンサーは、ARをするには圧倒的に不足している。カメラで撮影された画像から人物は判別できても、それがゲームに参加している人か判断できない。
一部では専用のセンサーを外付けしたり、Bluetooth Low EnergyとWiFiの電波強度で座標を確定する取り組みもされているが、目立った成果は上がっていない。
「その辺が全然わからないんだよ。我々のようなおじさん世代はお金を持っていても新しい技術には疎いからね」
お道化ながら久我は酒をちびりと飲んだ。ロリポも欲しそうな顔をしていたが、友加里が止めた。せっかく、いい感じに化けたのに、ここで正体を現さなくてもいいだろう。
「私たちに依頼したいこととはなんでしょうか?」
ゲイツが食後に出されたお茶を飲みながら答えた。甘い和菓子を食べた後にちょうど良い清涼感をもたらしてくれる。
「君たちは『信用』を計る技術を持っていると友加里から聞いている。おじさんはね、はっきり言ってしまえば、君たちを信用しているわけではない。しかし、投資先を判断する材料は多いことにこしたことはない。娘同然の姪の友達に仕事を振りたいという親心もある。だから、柚木西治君の信用を計って三億円の投資に値するか私に報告してほしい」
柚木というのは、件のARサバゲーを開発しているベンチャー企業の社長の名前だ。
「社長だけ……? 会社の方は調査しなくてもいいんですか?」
「柚木くんはコア技術を誰にも渡していない。一人親方みたいな企業だからね。プロモーションや事務なんかを任せている仲間はいるみたいだが」
久我の言い回しからは「普通ならこんな企業には投資なんかしないんだが」と言っているように聞こえた。ゲイツはその点に気が付いたようだが、浮いた疑問をそのまま流してしまうようだ。
「承りました」
ゲイツの返事を聞くと、友加里が身を乗り出す。
「それでは、報酬のことなんですが」
「ああ、友加里の言う金額を用意したよ。半分は前金でということだったので、現金を用意してある」
ロリポやゲイツをはじめとするインターネット・ドミニオンに参加しているメンバーは、基本的にクレジットカードや銀行小切手、仮想電子通貨などは好まない。なぜなら、基本的に攻めの姿勢を貫いているため、敵地では使えないからだ。
「ありがとう。おじさま、ステキ!」
ロリポが現金を見て投げキスをする。久我はそれを見て苦笑した。
「うちの娘もそれぐらい愛想があればいいのだがね」
友加理は苦笑した。
「さて、柚木のお兄ちゃんのパソコンに潜ってみますか?」
インターネットは基本的に「海」に例えられることが多い。ネットサーフィンという言葉は表面的なインターネットを見るときに使われ、インターネットの深いところに侵入することは潜水と言われることが多い。
「そんなに簡単にできるものなんですか?」
友加里は疑問に思う。いくらセキュリティ面が甘い若い企業だといっても、相手は同じ企業の人にも自分の開発しているものを秘密にしているのだ。それに個人のパソコンには大抵侵入対策ソフトが入っている。おじいさんのパソコンでもない限り、OSの穴をついたりすることは難しいと思われた。
「あー、柚木のお兄ちゃんは、どうやらあたしの作ったプラグインを愛用してくれているようなんだよね」
その説明で友加里にも分かった。ロリポは幸運にも柚木のパソコンにトロイの木馬を通じてバックドアを設置できていたようだ。
トロイの木馬は、まったく接触のない人のパソコンにネットを通じて入れるのは至難の業だが、ソーシャルハックを使うことでその障壁を突破できる。
有名な手段としては街角で配られる自称アーティストのCDや同人誌即売会で配布されるコスプレイヤーのDVD、そして、今回のブラウザのプラグイン。
ソーシャルハックの手口は多く、一企業の努力ではすべてを防ぎきれないというのが本当のところだ。特に、ダウンロードが許可されたアプリやプラグインは事実上対策は不可能だ。
「ということで、キーは持っているけど、どうする?」
友加里はロリポの質問の意味がわからなかった。どうしたらいいのだろうか。
「手段としては二つある。ひとつは柚木のパソコンやそこで通信される情報を見て判断する方法。もうひとつは柚木の|弱み《ARサバゲーのコアソース》を握って柚木を脅して真相を聞く方法。どっちがいい?」
友加里としては後者の選択肢はないと思ったが、前者のリスクが気になった。
「パソコンに侵入されたことは気が付かないんですか?」
「柚木のお兄ちゃんが気が付くことはないと思うよ。でも、もし柚木のお兄ちゃんがインターネット・ドミニオンに参加している組織とつながりがあったら、バレるかもしれない」
誰が何をしているかバレるだけなら問題ないだろう。しかし、どこでやっているかばれる可能性がある。なんと言っても、ここは敵地なのだ。ロリポとゲイツはバレてしまうことが命の危険につながる。
「では、ふたつの選択肢以外の方法はないんですか? 結局どちらもバレてしまうのでしたら、お二人にとってかなり危険でしょう」
「なるほど、友加里はあたしたちの身を案じてくれるんだ」
「それは当たり前でしょう。おじい様から預かった大事なお二人なんですから」
友加里は祖父からインターネット・ドミニオンに関する資料を受け継いでいた。飛行機事故の際に、死の間際の祖父から三年間は活動するなと言われ、資料を読むだけにとどめていた。
資料の中でゲイツとやり取りしているメールがあり、友加理はゲイツの存在は知っていた。
友加理の祖父はゲイツのことをかなり信頼していたようで、ゲイツが何か困っていたら必ず助けるようにと書き残していた。
今思えば祖父は自分の命が狙われていることを知っていたのかも知れないと友加理は思った。
「友加里がなんでそこまで心配してくれるか分からないけど、あたしたちは所詮使い捨ての弾なんだから思い入れなんて作らない方がいいよ」
ロリポは達観しているようだが、友加里はそうは思っていなかった。客観的に見ても今の友加里にとって、「使い捨て」できるものなんて何もないからだ。
「まあ、ひとつだけ方法がないこともないよ」
「それはどんな方法なんです?」
「友加里が接触すればいいんだよ。寝技でも使って柚木のお兄ちゃんのパソコンからデータを吸い出してくれば任務完了。簡単でしょ?」
友加里には簡単には思えなかったが、ロリポやゲイツを危険にさらすよりもマシな案に思えた。
少し逡巡した後、友加里は覚悟を決めた。
「寝技は使えませんが、やってみます。私もそろそろ役に立たねばと思っていた頃ですから」
そのセリフを聞いてロリポはにやりと笑った。
「友加里はやる気だけはあるよね」
ロリポは友加里を茶化しながら今回の作戦の概要を語り始めた。