101.第1話 三年間の喪
昨日まで降っていた雨でしっとりと濡れた土がそよ風に潤いを与えていた。友加里は髪をかき上げて広いおでこで風を感じる。
「風が気持ちいいですね」
「え、はい」
友加里の少し後ろを歩いているモサモサの金髪が返事をした。この少年はゲイツ君という。あのビル・ゲイツと容姿の面において共通面は少ない。しかし、あるときの反応が漫画のゲイツちゃんにそっくりだったから、友加里にそう呼ばれるようになったらしい。ただ少なくとも普通のお嬢様はゲイツちゃんとか読まないのではないかという疑問は残る。
「うわー。見てよ! 森の中にお店がたくさんあるよー」
ロリポが飛び跳ねる度に左右で結んだ長い髪が激しく揺れる。森の中に作られた小道の先にはロリポが目を輝かせるに足るブランドショップが並んでいた。
いわゆるアウトレット・ショッピングモールだ。森の中にあることで普段の買い物とは違う開放的な雰囲気を醸し出している。ここにいる人たちは誰もかしこまった格好をしておらず、それぞれがバカンスの最中のように砕けたファッションをしていた。
「ねぇねぇ、何でも買って良いの?」
「はい。何でも」
にっこりと笑った友加里は、細めた目の奥からロリポを観察する。
ロリポは低すぎる身長にふりふりのファッションで幼く見えるが、片手には缶ビールを持っている。友加里が大丈夫なのか気になって聞いたことがあるが、もうお酒が飲める歳だと言ったらしい。一般的と言っていいかわからないが、その方面では『ロリ婆』と呼ばれる存在なのだ。
「じゃあ、戦に備えて腹をくちくしよう! あそこにクレープ屋さんがあるし!」
ロリポを先頭に友加里たちがクレープ屋のワゴンに近づくと色々なメニューが貼ってあった。友加里は正直、クレープに詳しい訳じゃない。しかも甘い物はそんなに好きではない。
少し悩んだが、『知らなければ聞けばいいじゃない』と思いついたようだ。
「何がお薦めかしら?」
店長らしきおじさんはポップなクレープ屋の屋台に似つかわしくないねじりはちまきをしている。
「半熟卵ツナとかどうだい?」
「それにするわ。支払いはカードでお願い」
友加里が財布からカードを取り出そうとすると、おじさんはごつい手のひらでそれを制止した。
「おっと、『いつもニコニコ現金払い』 うちはそれでやってんだ」
友加里は少し困った。実は現金は持ち歩いていないのだ。今はコンビニや自動販売機ですらおさいふケータイで事足りる。現金が必要になる機会の方が少ない。
「ん」
ゲイツがぶっきらぼうに友加里に千円札を差し出す。友加里は『私じゃなくてクレープ屋に渡せばいいのに』と思ったようだが、お礼を言って受け取った。
「ほい。カード使えなかったお詫びに三つで千円にしてやるよ。あと二つ選びな!」
「じゃあ、一番高いスペクレ二つ!」
ロリポがゲイツの肩によじ登って叫んだ。
「おい、そいつは一つ千円じゃねーか。ちったー遠慮ってもんを……」
「あら? 江戸っ子気取ってる割に、一度吐いた言葉を引っ込めるのかい? 小さいねぇ」
ロリポの声が低くなる。
こういうときのロリポは実際の年齢を感じさせる。いや、本当の年齢なんて知らない……ということにしておかなければならないが。
「まぁ、お嬢ちゃん達、かわいいからおまけしてやるよ!」
おじさんにはロリポが持っている缶ビールがソーダにでも見えているようで、でも本当は見えないふりをしているようだった。
「ありがとっ! おじさん、大好き!」
急に高い声で満面の笑顔。友加里はそれを見て『コンプレックスってなんだろう?』と再考せざるを得なかった。
「お腹もいっぱいになったことだし、そろそろここに呼んだ理由を教えてくれてもいいんじゃない?」
ロリポはゲイツの分のクレープも平らげながら、まだ友加里の持っている食べかけのクレープを熱い視線で見た。
「召し上がります?」
「うん!」
ロリポはクレープを受け取る。すぐに『がぶり』と効果音でも出てきそうな大きな口でかぶりついた。お腹いっぱいってなんのことだろうか。
「食べながらでいいので聞いてください」
友加里はハンカチで手を拭きながらゲイツとロリポに向けて話し始める。
「この近くに私の叔父の別荘があるのです。本日、泊めていただくところになります」
ガブリと二口目。
「そこでは今、叔父の投資先であるベンチャー企業と打ち合せをしているのです」
「ふーん」
ロリポは三口で半分以上残っていたクレープを食べきったようで、細い指を順番に舐めていた。
「叔父さんねぇ。あんまり関係あるように聞こえないけど?」
トーンが冷たい。興味は全然無いようだ。
「それが関係のある話でしたの。叔父の口から『インターネット・ドミニオン』という言葉が……」
その単語を口にしたとき、一瞬、本当に一瞬、ロリポ達の目が友加里の全身をスキャンした。たぶん彼らを知らない人だったら気がつかない程度の僅かな仕草だが、友加里はそれだけですべてさらけ出してしまったかのような居心地の悪さを感じる。
「しかも叔父が投資しているベンチャー企業の若い社長がおっしゃていたとかで、叔父はそれが何か知りたがっているのと同時に、ベンチャー企業が何か法や倫理を犯すようなことをしていないか調べて欲しいようなのです」
「ふーん。それで、そのべんちゃー企業様は何をしてるの?」
「なんでもヘッドマウントディスプレイ型の拡張現実装置を使ったリアル空間FPSと言っていました」
「簡単に言えばARサバゲーか」
ロリポは何か考え始めたようだ。
友加里はゲイツを見た。ゲイツはもさもさした金髪の毛先をなんとか纏めようといじっていた。
ゲイツは興味がなさそうに見える。しかし、この少年は友加里と同じような年齢でありながら、どこか世を達観している気がする。いや、諦観と言い換えた方がいいのかもしれない。
「ま、いっか。受けるよ、その仕事」
友加里は少し首をひねった。
「今さ、FPSに嵌っていてさ。ARサバゲーとか興味あんだよねー。バン! バン!」
そう言いながら手で作った銃で友加里を撃った。
友加里は一瞬身体を引いたが、ロリポらしい理由にすぐににっこりと笑う。
「では、今夜のパーティ用に正装していただきましょうか」
そして、何事もなかったかのように、ここに来た目的を告げた。
「なるほど」
ロリポは髪の毛をいじるゲイツを見た。
「?」
ゲイツは何が起こっているのか理解できないようだ。
ロリポは深窓のお姫様のように化けた。白いドレスに感情の薄い表情。うつろな目がフランス人形を思わせる。
本物のお嬢様である友加里をして「……悔しいですね」と言わしめたほどの変わりようだった。
「それにしても……」
ゲイツはもさもさした金髪をヘアサロンで整え、光沢を押さえた白のサテンのスーツを身につけた。特に何かをしたわけではなかった。普段と変わらないゲイツがそこに立っているはずだった。
しかし、友加里はときめく胸を押さえきれない。
「か、格好良くなりましたね」
もう少し言いようがあるだろうと思ったが、友加里はそう言わざるを得なかった。
「惚れたか」
ロリポが友加里の側でニヤリとつぶやく。
友加里は返事の代わりに生唾を飲み込んだ。惚れたなんてレベルではなかった。この姿のままゲイツを自分の部屋に連れ込み……いや、はしたない。ゲイツと二人きりで話をしたかった。
「今日の主題が終わったら好きにしてくれ」
ロリポは部屋の入り口に向き直ってにっこりと笑った。
「よく来てくれたね。友加里ちゃん」
友加里の叔父は音もなく部屋の入り口に立っていた。ロリポは笑顔のまま、友加里の叔父に近づいていく。
「おや、かわいいお嬢さん。いらっしゃい」
「こんにちは!」
ロリポは甲高い声で元気よく挨拶をする。こうやって演技をすると小学生と見分けがつかない。
「友加里のお友達かい?」
「うん! 友加里お姉ちゃんと友達だよ!」
その言葉に友加里は苦笑いする。
「そうかい」
友加里の叔父はロリポの頭を撫でながら友加里に向き直った。
「この子達が友加里ちゃんの言っていた技術者かい?」
「えぇ、叔父様。ロリ……えっと……」
二人を紹介しようとして口ごもる。実は本当の名前はロリポのもゲイツのも知らないのだ。ゲイツはまだしもロリポはそのまま言うのは気が進まない。適当な名前でもでっち上げようと思案したところだった。
「ローリー、ちゃんと挨拶しなさい」
ゲイツが友加里の前に進み出た。
友加里は驚きを隠せない。『しゃべれたんだ!』と心の中で叫んでしまっている。しかも優しいハスキーボイスでこれまた友加里の好みだった。
「はーい、スティーブお兄ちゃん! 叔父様、ローリー・ゲイツです。今日はお世話になります」
「スティーブ・ゲイツです。日頃から友加里さんにはお世話になっています」
腰から折れる綺麗な日本式のお辞儀だ。友加里はこういう仕草を見るとゲイツたちが本当は日本人なんじゃないかと疑いたくなる。
「これはご丁寧に。私は友加里の叔父の清華芳重だ。こう見えてもエンジェルなんだ」
三人とも真顔になる。
ロリポははっと我に返った。コレは親父ギャグだ。
「えー、おじさんは天使に見えないよー」
「はっはっはっ。エンジェルと言うのは投資家のことなんだ。驚かせて悪かったね」
ロリポの反応の気をよくした芳重は、懐から名刺を取り出すと二人に渡した。
「君たちも何か事業を興したくなったら私のところに来なさい。必ず相談にのるよ」
もらった名刺を見ると、金のエンジェルの箔押しがしてあった。ロリポは何かに気がつくと、ゲイツの名刺も観察する。あっちには銀のエンジェルが箔押ししてある。
「ま、まさか……」
何枚か集めると夢がある缶詰をもらえそうな雰囲気であった。
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