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ある死刑囚の最後

作者: 藤原 水樹

 また日がのぼった。


 ここ最近、やたらと気分が良い。


 独房に設けられた小さな隙間から微かに青空が見える。

 俺はそれを眺めながら思うのだ。


 近々俺の死刑は執行される。そんな予感がする。

 だから、こんなにも清々しい気分なのだろう。


 死ぬことに抵抗はなかった。


 覚悟などずいぶん前からできている。まあ、死ぬことに対して覚悟、などという高尚な言葉を使ってよいのかどうかは意見の分かれることだろうが。


 そもそも、俺のような者がまだ生きていることのほうがよほど異常なのだ。


 俺に死刑が言い渡されてから五年の月日がたった。


 五年も、生きながらえた。


 その間俺に面会に来たのは、何とかという弁護士が一人ばかり。当然だ。面会に来そうな奴は全員、俺が殺したのだから。


 退屈だった。


 別に、誰かと話がしたかったわけでも何でもない。生きることそのものが、退屈だ。


 早く殺してくれと、何度かあの看守どもに向かって言ってやったのだが、奴らは聞く耳すら持たなかった。


 とにかく退屈だった。


 しかし、それももうすぐ終わる。

 しかも、ただ死ぬわけではない。


 死刑だ。こんな劇的な最期があるか。


 そう思うと、激しい高揚感に駆られた。

 もう間もなく訪れる最後の瞬間が、俺に待ち遠しくて、待ち遠しくて、たまらなかった。



 また日がのぼった。


 今日は昨日にもまして気分がいい。どうやらいよいよ、俺の順番が間近らしい。


 相変わらず空が青い。


「おい、ちょっと聞きたいんだがな」


 ほんの気まぐれだった。看守に向かって話しかけたのはいつ以来だろうか。どうせ返事は返ってこないのだが、しかし、そうせずにはいられなかった。とにかく今日は、気分がいい。


「こんなうわさを聞いたことがある。死刑ってのは実のところ、首を絞めるのとは違うんだってな」


 看守は何も答えない。なに、いつものことだ。


「いいさ。答えてくれなくても。あんたの顔を見てりゃ大体わかるさ。なあ、そうなんだろ?」


 根も葉もない噂だった。


 死刑は今でも斬首で行われている、なんてのは、どこから降ってわいたのかも知らない、都市伝説みたいなものだ。


 ただ俺には、どうにもそれが本当に思えて仕方がなかった。理由はと聞かれると、ただ勘、としか答えられない。確信めいた勘、ただそれだけだ。


 現に、今の看守の反応を見てもあながち間違いではなさそうだ。


「なあ、俺をそいつと会わせてくれよ。いるんだろう? 執行人てやつが」


「だまれ。何も答えることはない」


「そうか。まあ、最初から分かっていたことだがな。しかし、残念だなぁ」


 毛頭、期待などしていなかった。だが、俺にはまだチャンスが残されている。

 死刑が待ち遠しくて仕方がない。



 また日がのぼった。


 今日は特に空が青い。ふと、この空は偽物かもしれないと思った。だが、俺には関係のないことだ。


 ガチャリと、背後で錠の外れる音が響いた。

 俺はただ、音のした方へ耳を傾ける。


「今からお前の死刑を執行する。出ろ」


 待ち望んでいた瞬間は、意外にあっさりと訪れた。

 不思議と気持ちは落ち着いていて、ついこの間までの高揚感は嘘のように静まり返っていた。


 ただ、俺を迎えに来たのが天使でも死神でもなくて、やたらとむさくるしい男達だったのが残念だ。


「今日はまたずいぶんと天気がいいな」


「無駄口をたたくな。とっとと出なさい」


 気まぐれの言葉はにべもなくあしらわれた。それも仕方ないとあきらめて立ち上がり、独房の入り口へと向かう。


 すぐさま一層むさくるしい男共に両脇を固められ、引きずられるように連行される。


 わかってるよ。そんなに心配しなくたって、逃げも隠れもしない。


 背後では再び独房が閉じられる音が聞こえた。


 次にあの独房に誰かが入るのはいつだろうか。どのくらいの時間、あそこで過ごすのだろうか。


 そんなことがふと、頭の中に浮かんで、すぐに消えた。俺には関係のないことだ。



 看守共に連れてこられたのは、思いのほか小奇麗な部屋だった。


 部屋の中にはすでに何人かいて、この施設のお偉い方が何人かと、あとは神父、だろうか。白い衣に身を包んだ男が一人、簡素に設けられた祭壇の前に腰かけている。


 俺が部屋の中に入ると、すぐさま背後の扉が閉じられた。直後、中でも一番偉そうな男が立ち上がり、俺に向かって何やら紙を突きつける。


「本日、この執行命令書に従って君を処刑する」


 シンプルだった。実に単純明快。非の打ち所がない。しいて言うならば、少し軽すぎる。いや、そんなことはどうでもいい。


「これから君にはここで、最後の時を過ごしてもらう」


 お偉いさんの言葉が終わると同時に、神父と思しき男が祈りを始める。


「神よ、谷川を慕い――」


「やめてくれ。聖書なんて俺にはもったいない。俺の罪なんて背負った日には、十字架も折れちまうに違いない。このまま地獄にでも持っていくさ。なに、心配しなくたって、誰も呪いやしねぇよ」


 神父は祈りをやめ、ただアーメンとばかりに十字を切った。実に滑稽だ。


「すまねぇな。ずいぶん手続きを端折っちまったみたいだが」


「別に構わない。最後の時の過ごし方は自由だ。なにか、言い残したいことは?」


 意外にも、このお偉いさんは動じていない様子だった。ありがたい。ここで水を差されてはせっかくのひと時が台無しだ。


「言い残したいことはないが、一つ頼みたいことがある」


「なんだ。と言っても、応えられることはほとんどない。期待はするな」


 期待していないと言えば嘘になる。事実俺は、この瞬間を待ち望んでいた。


「執行人に合わせてくれ。いるんだろ? すぐそこに。そいつと話がしたいんだ」


 お偉いさんがあからさまに顔をしかめる。いよいよ俺の予感は当たっているらしかった。


「それはできない相談だな。そもそも執行人は――」


 お偉いさんの声に重なり、さらりと、絹のすれるような音がかすかに聞こえる。


「隠さなくてもいいじゃないですか。わたしは別に構いません」


 冷たい声が、お偉いさんの言葉を切り裂いた。


 部屋を仕切ってあるカーテンが揺れる。


 今日初めて、俺の心が躍った。



 カーテンで仕切られた向こうの部屋から現れたのは、純白の着物に身を包み、漆黒の刀を帯刀した少女だ。


 整った顔立ちと凛と透き通った表情が相まって、恐ろしいまでの神々しささえ放っているように感じられる。


「ほう、こりゃ驚いた。まさかこんなお嬢ちゃんが執行人とはね。俺はてっきり、厳つい爺さんが出てくるものとばかり思っていたが」


 見たところ十代半ば。だがその目や表情、纏う雰囲気は、同年代のそれをはるかに凌駕している。


「期待に沿えなくて残念ね」


「いいや、むしろありがたい限りだな」


「おい、あまり勝手なことはするなと言っただろう」


 彼女の登場には、あのお偉いさんも困惑している様子だった。まあ、俺には関係がないことだ。


「大目に見てください。今回は遺族に会えなかったし、その代わりです」


「まったく、お前は……」


 彼女はお偉いさんの言葉にはほとんど耳を傾けず、俺の目の前に静かに座した。

 見ているこちらが気持ちいいくらいに、姿勢がよい。


「とっとと話したらどう? 時間はそんなにないんだから」


「ご心配ありがとう。それで、お嬢ちゃんは何だって俺の話を聞いてくれる気になったんだ?」


「別に。ただ、あなたみたいな人じゃないと、まともに話もできそうにないから。少し興味があっただけ」


 まともに話せない、か。


「ははは、頭の、可笑しなやつでなければ、くく、まともに話ができないとは」


 笑いが止まらなかった。だめだ。このまま終わってしまっては、それこそ滑稽。少し落ち着かなくては。


「いや、悪いな。あまりに面白かったんで、つい」


 こみ上げる笑いを何とかこらえる。


「それで、今まで何人殺した? まだ数え切れないほどってわけじゃないだろう」


「あなたで五人目」


 少女は声の調子も変えずに、淡々と答える。長い黒髪をわずかに掻き上げる様がたまらずに美しい。


「ずいぶんと新米の執行人だな。最初に殺したのはどんな奴だった、殺した時の感覚はどうだ?」


「おい、あまり調子に乗るな」


 お偉いさんが忌々しそうに表情を歪めるのが目に見て取れる。


 何だ、大事にされてるじゃねぇか。


 しかし目の前の少女はというと、全く意に介さないとばかりに涼しい表情のままだ。


「大丈夫です。気にしてませんから」


「ははは、いいぞ。そうこなくっちゃな。それで、どうだった?」


「別に。とても騒がしかったから、少しやりづらかったけど、あとはみんな同じ」


 なるほど。どうやら想像以上にぶっ壊れているらしい。もはや人間ではない。ただ、化け物でもない。


「そうか、そりゃつまんねぇな。お嬢ちゃん、あんたなんで、こんなことやってんだ」


「さあ。たぶん、そうするしかなかったから」


「そうかい、そりゃ災難だな」


「そうね。ところで、わたしからも聞いていいかしら」


 面白い女だった。見た目が幼いものだからとどこか見くびっていたが、ずいぶんと肝が据わっているらしい。いや、それも当然と言えば当然か。何せ、人殺しだ。

 彼女が一体俺に何を問うのか。楽しみでならない。


「かまわねぇぜ。お相子様だ」


「あなたは、死ぬのが怖い?」


「はは、死ぬのが怖いかだって? そりゃまた野暮な質問だな。そんなもん、怖いに決まってるだろ」


 少女は微かに表情を変える。なるほど、一応人間らしいところもあるようだ。


「意外ね。そんな風には見えなかったから」


「あのなぁ、死への恐怖ってのは、先行きの見えない不安なんだよ。それはつまり、希望の裏返しだ。俺にとってはその希望に対する期待のほうが大きいもんでね。むしろ待ち望んでいるとこういうわけだ」


「やっぱり、あなたは壊れているのね」


「そりゃどうも。ま、あんたも似たようなもんだろうよ」


 言葉が少し、過ぎてしまったらしい。お偉いさんがあからさまに顔をしかめる。

 しかし俺は、少女が「そうね」と零したのを聞き漏らさなかった。


「おい、そろそろ時間だ。君も、もう戻りなさい」


 お偉いさんは少女を諭し、少女も無言でそれに従って席を立つ。


「野暮ったいもんだな。おいお嬢ちゃん、せいぜいうまくやってくれよ」


 少女は一瞬立ち止まったものの、返事はなかった。どうやら聞き届けてくれたらしい。


 少女の姿が再びカーテンの向こうへと消えていった。あの向こう側が、処刑場なのだろう。


「さあ、もうあまり時間はない。ここにあるものをどれでも好きなだけ食べてもかまわない。煙草もある」


 お偉いさんが祭壇に祭られている菓子を指さす。


「なるほど、最後の晩餐てやつか。いや、あの世に片足を突っ込んでいる俺にとっちゃヨモツヘグイみたいなもんだな。それにしても、甘ったるいもんばっかりじゃねぇか。もっと気をきかせてワインの一杯でも置いてくれりゃいいものを」


「すべこべ言うな。お前に神の子の血はもったいない」


「ちがいねぇ」


 手近にあった饅頭を口の中へ放り込む。十字架の前で饅頭を食うなんてのは、どうにも可笑しな気分だった。


 饅頭を噛み締めると、口の中にはいつまでもあんの甘みが残って気持ち悪い。やはり、食べるんじゃなかった。


「煙草はいいのか」


「ご親切にどうも。こればっかりはどうも苦手でな」


「そうか。本当に、言い残したいことはないのか」


「あんたもしつこいな。そうだな。お先に、とでも言っておこうか。いや、それだと切腹か。なんでもいい。どうせ俺の言葉なんぞ、何の役にも立ちゃしねぇ。さあ、ちゃっちゃと始めてくれ」


「いいだろう。これでお前の最後の時間は終わった。今から死刑を執行する」


 お偉いさんが合図を出すとともに、俺をここに引き連れてきた看守共が再び俺の脇を固めた。


 手錠をかけられ、さらに目隠しを当てられる。


 カーテンの開く音、数人が席を立つ音、かすかな話声。いろんな音がいっぺんに混じり合う。


 乱暴に立たされたかと思うと、すぐさま地に伏せられる。どうやらそんなに広い部屋ではなかったようだ。


 頭を押さえつけられ、そのまま固定される。

 同時に、足や腰も固定されているようだった。


 そんなに心配しなくたって、暴れやしねぇよ。


 声に出す前に、看守共は去ってしまった。ずいぶんと慣れてやがる。


 看守共の足音が遠のいていく。


 入れ替わるように、すぐ近くで、微かに絹の擦れる音が聞こえた。



 足音も鞘鳴りも何もない。しかし、彼女は間違いなくそこにいる。あの腰の刀も、今やその刀身を露わにし、俺の首を切断する時を、淡々と待ち焦がれているに違いない。


「おいお嬢ちゃん、あんた酒を飲んだな。黙ってても無駄だぜ。俺にはにおいでわかる。なるほど、お神酒ってやつだな。羨ましいなぁ」


 少女は何も答えない。また、微かに絹の擦れる音が聞こえる。刀が振りかぶられた、ような気がした。


 心臓が高鳴った。


 怖い。確かに俺は今恐怖している。


 さっき食べた饅頭がまだ少し口の中に残っていて、それが気持ち悪い。吐きそうだった。


「残念だなぁ。最後にお嬢ちゃんの姿を見たかったんだが」


 少女は何も答えない。不思議と感覚が研ぎ澄まされていて、少女の息づかい、鼓動、すべてが聞こえてくる気がする。彼女は恐ろしいくらいに平静だった。


 対して、俺の心臓は高鳴るばかりだった。これでもかというほど早鐘を打ち、全身を血が駆け巡るのを、直に感じる。吐き気が増した気がした。


「残念だなぁ。ところで――」


 突然、声が出なくなった。ごつんと頭が地面にぶつかる。


 冷たい床の温度とともに鈍い痛みが頭頂部を覆った。


 急速に思考が衰え頭がぼーっとする。


 さっきまであった体の感覚がない。


 突如痛みを感じなくなった。


 あの吐き気もなくなった。


 それから、音がきえた。


 ひかりがきえた。


 おれは――


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― 新着の感想 ―
[良い点] 死刑執行人との会話とか、最後に無造作に饅頭を食べるところとか、奇妙で生々しい印象があります。生きることの実感に肉薄した意欲作だと思います。
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