表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光輝くぼくらの未来  作者: 阿野真一
夏休み零日目
4/27

午前

 私が初めてあの人を見かけたのは、今から五年ほど前。今日と同じくらいに日差しの強い、ある夏の日の午後のことでした。


 いつものように暇を持て余していた私は、いつもの交差点をいつもの車が走るのを、いつもの公園でいつもの母子が遊ぶのを、いつものベンチでいつものカップルがおしゃべりしているのを、いつものように、ただなんとなく眺めていました。


 そんなとき、いつもなら誰もいないはずの場所に、一人の少年が立っているのに気がついたのです。その少年は滅多に人が近寄ることのないあの柵の近くで、町の外を瞬きもせずに見つめていました。手放してしまった風船が、だんだんと空へ消えていくのをじっと見守る幼子のように。


 私は少年の気持ちがわかったような気がしました。彼は閉じられたこの場所から、広大な世界へと飛び立って行きたいのです。


 私は少年の望みを叶えてあげることにしました。次にこの場所に来たときに、そう思っていたのですが……あれから少年は、一度もこの場所に来ていません。


 ずっと……ずっと待ってたんですけど……五年間も無駄にしてしまいました。やっぱり待っているだけではダメですね。もっと積極的に行動を起こさないと。五年費やして、それを学ぶことができたとでも思って――いやいや、やっぱり五年は長すぎですよねえ?


 ともあれ、思い立ったが吉日、今こそがその好機です!




       ♢♢♢




 俺たちが教室にたどり着いたのは、本鈴が鳴る二分ほど前だった。


「あ、お嬢、オハヨー!」


「ゆき、オハヨー!」


「ねえ、昨日のドラマ、見た? 九時からの――」


「――あっ! 恋するO・E・DO!〈新米おみつのマル秘捕物帖〉でしょ? 見た見た見た! 最後ビックリよねー、結局はまさかの弥八親分が、全部かっさらっちゃうなんて!」


「でっしょー? 三次親分の方がいい男なのに!」


「「ねーーーっ!」」


 ……毎日、恥ずかしげもなく繰り広げられる、朝の挨拶を交わす光景だ。なぁにが、ねーーーっ! だよ。まったく、みっともない。


 一方、男子の方はというと、


「おい、あきらぁ」


「おう、佐々木ぃ。どうした、ニヤニヤして。なんかいいことでもあったのかよ」


「さっき俺、大崎真由美のスカートの中、見たぞ」


「うっそだろ! マジでか!」


「そこの階段でさ、あいつが先に上ってたんだよ。でさ、俺がちょっと屈んだらさ」


「マジでか! で、どうなんだよ、何色だったんだ?」


「それがさ……短パン履いてやがった!」


「「くっそ、ふっざけんなよーーーっ!」」


 これだ。どっちがマシか、なんて俺に聞くなよ? どっちもどっちだろ!


 けどまあ、こんなものなのかもな、俺たちの年頃のやつなんて。きっと、俺が大人になるのが、周りより少し早かったってだけなんだろう。仕方ないな。みんなが俺に追いつくまで、生あたたかい目で見守ってやるとするか。


 それからすぐに、セーフかアウトかを決定付けるチャイムが鳴った。と同時に、教室の前側の入り口から笑顔の担任が姿を現す。これだけガヤガヤ騒いでいれば普段ならすぐに機嫌を悪くするんだけどな。どうやら教師にとっても夏休みは嬉しいものであるらしく、浮かべた笑みは崩さない。あれ? でも、お盆以外は仕事あるんじゃなかったっけ? ……ああ、しばらく俺たちの顔を見ずにすむのが嬉しいのか。


 担任はそのままの顔で手短に朝礼を終えると、全員体育館に移動するようにと指示を出しどこかに消えた。俺たちはメガネ委員長に優しく促され、しぶしぶ動き始めた。


 体育館に入るとすぐに、地下の食肉工場で飼育されているニワトリのように整列させられた。ザワザワと私語が止まないのもそれに似ている。やがて絞められて静かになるところまで、そっくりだ。みんな、最後は誰に食われるんだろうな?


 この終業式っていうのも意味が分からない。昨日の夜、ネットで調べてみたんだけどさ、納得できる答えは見つからなかった。学期の終了日に行われる式典? そのまんまじゃん。俺が知りたいのは、貧血でバタバタ倒れるやつがいるのに続けなきゃいけない程の価値があるのかってこと。毎回、校長の武勇伝や自慢話を聞かされるだけじゃん。


 そんなわけで、俺は式の間に夏休みの目標について考えをまとめておくことにした。


 ――んー、幽霊屋敷はなー……咲紅は門限があるからなあ。ちょっと難しいかな? でも、夕方の六時って、まだまだ全然明るいぞ? 親父っさん、もうちょっとなんとかしてやんなよ。


 ――黒服のアジトは、なんか一昨年のとかぶってるよなあ? どっちも宇宙人がらみで。できればなんか、もうちょっと目新しいことがしたいなあ。


 ――魔女さんは……そうか、魔女さんはわがままボディーなのか。なるほどねー、わがままボディーねー、うーん、わがままボディーかぁ……ひどく気になるなあ。


 ――西村クリニックは、うーん……俺、べつに河童好きじゃないしなあ。


 ――川島さんは……ちょっとかわいそうかなあ。


 ということは、やっぱわがままボディーか。今年はわがままボディーで決定かな? と、目標の最終候補の考察を一通り終えたところで、終業式はその幕を下ろした。


 体育教師の号令で解散すると、みんなバラバラにそれぞれの教室に戻り始めた。このあとは、今学期最後となるHR(ホームルーム)だ。夏休みの注意事項の説明を聞いて、何枚かのプリントと宿題の配布が終われば今学期も終わる。言わば、夏休みが始まるというわけだ。


 ずっと昔、三百年以上前の学校では、このときに通知証? ――いや、通知表か。俺たち一人一人に、そのような紙が配られていたと聞いたことがある。それにはなんと、各々、各教科ごとの学力ランクが記されていたのだそうだ。当然、学校や教師の対応はそのランクによって変わるし、なかにはそれによって給食のメニューを決めていた学校もあったらしい。残酷だよな、昔の人たちって。俺、その時代に生まれなくて心から良かったと思うよ。因みに最低ランクの給食は、麦粥にタクアンが二切れのみ! ブルブルッ、想像するだけで、全身に震えがくる。


「――もう少しで終わるから寝るなよー、じゃあ、次の項目に行くぞー。休み中の登校日についてだが、みんなが大好きな給食は無い。なぜなら、その日は午前中で家に――」


 担任が夏休みの注意事項を読み上げている。早く終わってくんないかなあ。もう、うんざりだよ。聞き飽きた。毎年聞いてるし。と、心の中でボヤいて窓の外に目をやる。こんなときは窓際の席でよかったと思うよ。遠方凝視はいい気分転換になる。


 そうしてしばらく校庭と、その向こうにある町並みを眺めていると――ん? なんだろう? 不意に視界の中のどこかが光ったような気がした。そして次の瞬間、その光は俺の視界いっぱいにまで膨れ上がり、それまで見えていた風景を全て塗りつぶしてしまったんだ。


 突然のことに取り乱しそうになったが、必死に心を落ち着かせた。だって、HR中に突然一人で騒ぎ出すとか、恥ずかしすぎるだろ。


 だから周りに怪しまれないよう、こっそり瞬きしたり目を擦ったりしてみたんだけど、さっきまでの見慣れた景色が戻ってくることはなかった。どうしたものかとほんの数秒考えていると、視界に別の変化が現れ始めた。ここではない、どこか違う場所の風景が、徐々に浮かび上がってきたんだ。


 え? 夢でも見てんじゃないかって? いやいや、それは違うだろうな。俺の耳には教室のざわめきや、担任が話す夏休みの注意事項がしっかり届いている。耳だけ起きて目は眠ってる、なんて器用なマネ、俺にはできないよ。正直、怖いと思った。挙手するなりして誰かに助けを請うことも考えた。でもさあ、このとき俺の心を支配していたのは、恐怖心ではなく好奇心の方だったんだ。だから俺は、この景色がどこのものなのかを看破すべく、目の前に意識を集中した。


 ――柵が見えるなあ。で、その向こうは草原。これ、あの柵で間違いないよなあ。問題はどのあたりかなんだけど、うーん、特徴的なものといえば木くらいのもんか。この木、なんか見覚えがあるような、無いような。いや、確かに見た気がするんだけど、どこだったっけなあ…………………………あっ! あそこじゃん!


 叫び声をあげそうになるのを必死にこらえ、景色を睨みつけるように凝視する。間違いない、俺は過去に一度だけ、この場所を訪れたことがある! ここは、あのときの……。


 だけど、それがわかったところで俺になすすべはない。原因が――何故、いま俺の目に、あの時のあの場所が映っているのかを突き止めないことには、この状況から抜け出すことはできないだろう。うーーーん……。


 そうして五分くらいは考え込んでいただろうか。


「――あっ!」


 何の前触れもなく、目の前がさっきと同じように白い光に塗りつぶされ、そして徐々にいつもの見慣れた風景が戻ってきたんだ。閑散とした、俺が毎日見てる校庭……だな。


「おい永穂、どうした。たった今、夢から覚めたような顔してるなあ。夏休みの夢でも見てたのか? 相変わらず気が早いヤツだな。あと三十分もすれば現実世界の夏休みなんだから、それまで辛抱しろ、な?」


 教室のあちこちから、クスクスという笑い声が聞こえてくる。どうやら俺は知らずに声をあげていたらしい。ふと咲紅の方を見ると、大仰にため息をつくふりをしている。その隣では、翠が口に手をやりわざとらしく吹き出すような仕草。くそう、担任め。あと三十分で夏休みなんだから、このくらいのこと見て見ぬ振りをすればいいものを。


 そのあとHRは滞りなく進められ三十分後には予定どおりお開きとなった。多少気分は良く無いものの、学校は待望の夏休みに突入した。


「――と、いうわけなんだよ」


 普段とはまるで雰囲気の違う放課後。開放感からなのか、みんなの雑談を交わす声が大きい。いつもの三倍くらいだろうか? 正直やかましい。


 そんな中で俺は、咲紅と翠を呼んでさっきまでの不可思議な現象のことを話し、たった今終えたところだ。


「病気なんじゃないの?」


「夢だ、夢」


 身も蓋もないな。


「ほら、脳に異常があると幻覚を見ることがあるっていうじゃない? それよ、きっと。蒼志、あんた最近、頭に強い衝撃を受けたりしなかった? なにか事故とか、どこかで転んで頭打ったりとか――」


「――毎日、おまえにカバンで叩かれてるよ」


「あ……」


 咲紅が黙り込むと、今度は翠が、


「あれだ、明晰夢ってのがあるだろ。やたらハッキリしてて、現実と同じように感じるらしいぜ? たぶん、それだろ」


「いや、そんなんじゃないと思うんだよ。明晰夢ってあれだろ? 夢だって自覚があって、自由にコントロールできるやつ。俺、自覚なんてなかったし、コントロールもできなかった。あれはきっと、なにか別のものだ」


「ていってもなあ。まあ、仮にそうだとしてだ。蒼志、それでおまえどうすんだ? それが夢じゃなかったとしても、だからどうしたって話だぜ?」


「うーーーん、確かにその通りなんだけどさ……あの場所に行ってみれば、なにかわかるような気がすんだよなあ」


 それを聞いて、仏頂面で黙り込んでいた咲紅が口を挟んでくる。


「あー、それで夏休みの目標をその夢の調査にしようって言ったのね? 一人で行くのが不安だから、あたしたちも巻き込んでやろうって……嫌よ。そんな地味なことより、あたしは河童のミイラのほうが気になるわ」


「いやいや魔女さんだろ。そこは譲れないぜ?」


 意見がわかれてしまった。っていうか咲紅おまえ、なんでもいいって言ってなかったか? 実は河童好きだったのかよ。じゃあ、川島さんのこともけっこう好きだったりしてな。まあ、とにかくここは妥協案を出して、いったんは退いとくか。


「なら、こうしておこう。しばらくは、俺の夢の調査を含む全ての候補を同時進行する。で、成果や進捗具合によって、最終的にはどれか一つに絞る。ってことで、どう?」


「……まあ、いいんじゃない?」


「……僕もそれでいいぜ?」


 ふう、とりあえずこれでいいかな。あとは、ちょっとずつ説得を重ねていこう。あの場所、立ち入り禁止だから、実は一人で行くのちょっと不安なんだよね。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ