午後Ⅰ
まさか、あのときのお二人が蒼志君のご両親だったとは……。もちろん、その可能性も一度は考えましたが、あのとき蒼志君がいた場所とお寺とは二キロくらい離れていたんですよ? まさか、ご両親のお葬式を抜け出した子供が、一人でそんなに離れた場所まで歩いて行くなんて……驚きです。
それに彼は、お葬式にでるような格好をしていませんでしたからね。まあいま思えば、ただ黒いネクタイを外してシャツの前を開けていただけだとわかるのですが。
「おい、未来?」
私、こう見えてけっこう長く生きていますけど、なにしろ人と接する機会が少なかったものですから、あんな場面――亡くなった二人が蒼志君のご両親だと告げられた場面――でどうすればいいかなんて、全然わからないんですよ。
「おい!」
一般的には、やはりお悔やみを言うべきだったのでしょうか? でも、もう五年も前のことですし、それになんと言えば良いのかもわかりませんし。
「おーい!」
ご愁傷様です? あのタイミングで、ご愁傷様です? いえいえ、それは違うでしょう。それだと蒼志君を挑発しているようにも聞こえ――。
「おーい。未来ちゃーん!」
――ハッ!
「お、気づいたか。なあ、自転車。自転車どこにあるんだよ、自転車。裏か?」
急に蝉の鳴き声が大きくなり、みなさんの心配そうな顔が目に留まりました。いけません。私としたことが、つい考え込んでしまいました。
「大丈夫? 未来ちゃん具合悪いの?」
「あ、いえ、ぜんぜん。全然そんなことないです。ちょっと考え事をしていただけです。えっとー、自転車は裏です。さっき登った道の、もうちょっと先に置いてあります」
あわててそう返事をすると、蒼志君と翠君は先を争うようにして研究所の裏のほうへと駆けていきました。咲紅ちゃんがヤレヤレといったふうに微笑んだので、私も同じように笑い、そして辺りを見回します。
夏らしい目映い日差しを浴びて、木も、草も、土も、空気でさえもキラキラと輝いるようです。そう見えるのにはきっと、この太陽の他にも理由があるのでしょう。見慣れているはずの玄関からの眺めも、まるで初めて見る風景のように目に映ります。
それから咲紅ちゃんと一緒に蒼志君たちのあとを追いかけると、二人はすでに自転車のそばにいて、被せてあった青いビニールシートを捲ろうとしているところでした。そして三台の真新しい自転車がその姿を現すと、
「「うおーーーっ! おっ?」」
「えへへ、どうですか。おとといネットで調べて取り寄せておいた、いま一番人気の最新型MTBですよ? 自転車とは思えない、とんでもないお値段が付いていましたからね。きっとどんな険しい山道でも、スイスイと登っていってしまいますよ」
私が胸を張ってそう言うと、
「ああ、いや、そっちはいいんだけどさあ……」
蒼志君が訝しげな様子でこちらを振り返りました。それから翠君が、
「一台だけママチャリだぜ? しかも、すっげえ重そうなやつ」
「……ああ、そうか! ママチャリには咲紅が乗るんだよな? 男子がMTBで女子がママチャリか。そうだよなあ、ママチャリはやっぱ女子のほうが似合うよなあ。なあんだ、そうかあ。はっはっはっ――」
「嫌よ。あたしもMTBのほうがいいに決まってるじゃない。ママチャリにはあんたが乗りなさいよ」
もめています。まあ、そうなると思っていましたけどね。
「そのママチャリには蒼志君が乗るんです。ほら、後ろの荷台にちゃんと私用の座布団をセットしてあるんですよ。お尻が痛くならないように」
私のお尻は、あまり肉付きがよいほうではないですからね。堅い荷台にそのまま座ったのでは、痛くて五分と耐えられないでしょう。
「えー!? 俺、MTBがいいんだけど! 翠、代わってくんない?」
「はぁ? 嫌に決まってんだろ。ぜってーに、嫌だ!」
「そうですよ、絶対に駄目ですよ。翠君と不用意に接触して、私が妊娠しちゃったらどうするんですか。私、子供を育てていく自信なんて無いですよ?」
「いやいや、僕の遺伝子は接触感染とか空気感染とかしないから」
「……確かに、それもそうだな。子供できちゃったら大変だもんな。うーん……ま、仕方ないか、俺はママチャリで我慢するよ」
「おい! それで納得するなよ!」
ふう。危うく望まない形でお母さんになってしまうところでした。くわばら、くわばら。
「おい未来! 蒼志の後ろに隠れんな! お嬢も嫌そうな顔してジワジワ遠ざかんな!」
それから私たちは翠君と一定の距離を保ちつつ、おのおの自転車を押して研究所の正面に回りました。そして、私がママチャリの荷台に横座りすると、
「ようし、それじゃあ出発するぞ! 未来、しっかり掴まってろよ? とばすからな!」
蒼志君と私を乗せたママチャリが、カラカラに乾いたデコボコ道を走りだします。私は蒼志君の背中にしがみついたまま研究所を振り返り、心の中で、行ってき――、
「え? いや、ちょ、まっ、そんなに急がな、あぶっ! あばばばばば!」
か、斯くして私たちは緊張感のかけらもないままに、町の将来を決定づける大仕事へと出発したのです。
そして、早くも私は身の危険を感じています。できることなら「いやーっ! 止めてーっ!」と叫びたいのですが、いま口を開けるときっと舌をかみます。なので蒼志君の腰に回した手で、どうにかしてその意志を伝えようとしているのですが、叩いても引っ張っても、強烈な振動のせいで気づいてはくれません。
結局、蒼志君がママチャリを止めてくれたのは、それから二十分もあとのことです。そうして彼は振り向きざまにこう言いました。
「いやー、けっこう道が悪いなあ。もう少しゆっくり走ったほうがいいか」
「――ハァ、ハァ、是非! ハァ、ハァ、そうしてください! ハァ、ハァ――」
もう少し早く気づいてくださいよ!
そのあと蒼志君の背中にもたれかかって呼吸を整えていると、少し後ろからついてきていた二人が、ザザッ! とタイヤを鳴らし、ママチャリを挟み込むようにMTBを止めました。そして咲紅ちゃんは、
「フッ、大変そうねえ、ママチャリ。ま、せいぜい頑張ることね」
と同情するような目で私たちを見やり、翠君は、
「無理すんなって。たまに止まって待っててやるから、な?」
諭すようにそう言って中途半端なウィリーを披露し、それから二人は勝ち誇った笑みを浮かべ、さっさと先に行ってしまいました。あ、いや、駄目ですよ蒼志君。挑発に乗ってしまっては。
「……まったく、しょうがねえなあ、あいつらは。ようし、そこまで言うなら見せてやろうじゃないか。この俺の、本気ってやつをな! どぅおりゃっ!」
「だ、駄目ですよ、蒼志君! 私もう、これ以上は――」
ひいっ! だ、誰もそこまで言ってませんから! だからっ、そんなものを見せないでくださ、さ、さ、いいいいいーっ!
くっ! さ、さすがに本気だと言い張るだけのことはあります。さっきまでと比較すると速度も、そして振動の大きさも桁違いです。
よ、よくよく考えてみると、私、自転車に乗るのって今日が初めてなんですよね。なのにいきなりこんな、整備不良で車輪がいくつかすっ飛んでしまったジェットコースターみたいなのに乗せられて……私、きっと自転車恐怖症になってしまっ!
――うっ……うぷっ…………おっ……おええ。
「ん? お、おい、大丈夫か未来! ……うげっ!」
……だ、大丈夫ではないようなので、速やかに自転車を止めていただけますでしょうか。とても……とても気持ちが悪いです……。
「おい、未来! おい、しっかりしろ! おいっ!」
わ、私……もう……駄目です……。
……おええっ。
ようやく止まった自転車から降り、蒼志君に支えられ道端の木陰へと運ばれていきます。そして、へたり込んでぐったりしていると、咲紅ちゃんと翠君が様子を見に引き返してきてくれました。二人は色々とひどい有り様の私たちを見るなり、引きつった顔をして、
「遅いから心配して見に来てみれば……うわっ! なにやってんのよあんたたち!」
「げえっ! ひっでぇなぁ! どんだけマニアックなプレイしてんだよ。お前ら二人ともグチョグチョになってんぜ?」
「そ、蒼志君が悪いんですよ! 私、駄目だって言ったのに、でも全然聞いてくれなくて! 私、言ったんです、これ以上は駄目だって。なのに……なのに……うぐっ、ひーん!」
「いや、その……悪かったよ。ほんっと、すんませんっした!」
それから咲紅ちゃんに手伝ってもらって体をきれいに拭き、私は淡いブルーのワンピースに、蒼志君はもと着ていたものと同じグレーのTシャツに着替えました。そして、木陰で少し休憩したあと、今後は乱暴な運転は控えるよう蒼志君にしっかり念を押してから、移動を再開したのです。
事後処理にだいぶ時間をとられましたが、ここまで来るのに必要以上に急いだおかげで、待ち合わせには遅れずに済みそうです。不幸中の幸い……いえ、幸い中の不幸と言うべきでしょうか。もっとも私からしてみれば、不幸中の不幸なんですけれどね。
ともあれ、その後はママチャリが暴走することもなく、二人が蒼志君を煽ることもなく、三人は順調に自転車を走らせています。
照りつける強烈な日差しも、葉を茂らせた木々が落とす影のおかげでさほど苦になりません。道が悪いせいで少し揺れますが、この程度ならもうしばらくは耐えられるでしょう。
でも荷台に乗せてもらうのではなく、ちゃんとサドルに座って自分でペダルを漕げば、きっともっと気持ちが良いのでしょうね。そのうち自転車に乗る練習してみようかなあ。
そんなことを考えていると、森の中を縫うような動きをして、黄色い何者かがこちらに近づいて来るのが目に留まりました。えー、あれは……あ、トラちゃんですねえ。現在、私たちとの距離はおよそ200メートル。移動速度が桁違いに速いので、このままだとすぐに追いつかれてしまうでしょう。そうなると、きっとまた暴走するのでしょうね、このママチャリは。次こそ私は再起不能に陥る自信があるので、そうならないように対処しなければなりません。トラちゃん、ごめんなさい。ちょっと痛いかもしれませんが、レーザーの出力を弱めて……んー、えい! えい! えーい!
……ふう。どうやら諦めてくれたようです。トラちゃんは、周囲をキョロキョロと気にしながらもと来たほうへと帰って行きます。他には――、
「おい、未来!」
「ひゃいっ!」
ああ、びっくりした。突然、蒼志君が振り返って大きな声で私に呼びかけました。
「な、なんですか?」
「あ、いや、なんかボーッとしてたから、また気分が悪くなったのかなって思ってさ」
あら。蒼志君は私の体調のことを心配してくれていたようです。
「あ、いえ、大丈夫ですよ。ちょっと考え事をしていただけですから。えへへ、心配してくれてたんですね、ありがとうございます。蒼志君、優しいんですね? でもご心配には及びません。この程度の速度と揺れなら、なんとか――」
「着替え、もう無いからな? 気分が悪くなったら早めに言ってくれよな?」
へ? あ、着替えの心配ですか。ああ、そうですか。
「ええ、そうですね、そうします」
「ま、未来の気持ちも、わからなくはないけどな」
……はい? えっとー、いったいなんの話でしょう?
「いまさっき、柵撤去大作戦が成功するかどうかを考えてたんだろ?」
え? いえ、全然違いますけど。
「けっこう責任重大だからなあ。作戦の結果次第で町の人たちの未来が変わっちゃうわけだし。だからまあ、それを不安に思う気持ちはわかる。俺だってさあ、これは例えばの話だけど、次の日すっげえ大事な用事が――」
ん? あ、今度はクマさんです! 前方にクマさんが現れました! 私たちとの距離は約150メートル。まだこちらの存在には気がついていないようですね。でも熊さんはこの道のすぐそばにいるので、このまま私たちが進んで行けばいずれは気づかれてしまうでしょう。なので、いまのうちに少し場所を移動していただこうと思います。
よおく、狙いを定めて……えい! えい! あ、そっちに行っちゃ駄目です、えい! えい! そのままもうちょっと向こうに、えい! えーい!
ふう、このくらい離れてくれていれば問題はないでしょう。
「――と、まあ、そんなことにもなりかねないからな。あんまり考えすぎんなよ?」
あ、蒼志君の話、ぜんぜん聞いていませんでしたね。まあ、きっとまたくだらない冗談かなにかですよ。適当に無難な返事をしておけば良いでしょう。
「ええ、そうですね」
そんなこんなしているうちに、三台の自転車はこの道の終わるところ、すなわち森の出口へ差し掛かろうとしていました。帽子をかぶり、あご紐をしっかりとかけて空を見上げると、うわー、あいかわらずの快晴ですねえ。一面、見渡す限りに広がった青色と、その中ほどに燦然と輝く黄色い塊。遙か遠くにそびえる白いモクモクは、しばらく日除けにはなり得ないでしょう。
こんな日に全身黒ずくめの翠君は大丈夫なのでしょうか? 黒色は熱を吸収しますからね。森を抜けると日陰はほとんどないので、かなり大変だと思いますよ?
そう思って彼のほうに目を向けると、おや? 出発したときは確かに真っ黒だったポロシャツとジーンズに、なにやら幾何学的な紋様が浮かび上がっています。不思議に思い、目を凝らしてよくよく見てみると……あ、あれは、靴跡のようです。
察するに、翠君が咲紅ちゃんに対して下品な冗談を飛ばし、その見返りとしてたくさんの蹴りを貰った、といった感じですね。驚嘆すべきは自転車に乗ったまま、翠君の全身にくまなく何発もの蹴りを入れた咲紅ちゃんの足技でしょう。その現場を見逃してしまったことが実に悔やまれます。
さておき、研究所を出発してからおよそ一時間後。私たちの自転車は、立ち並ぶ木々の影を抜け出し、青々と茂る草の上を走りだしたのです。
そしてその瞬間!
「うわっ!」「むわっ!」「ぬわっ!」「もわっ!」
立ち込める草いきれに息を詰まらせ、みんな苦しげに顔を歪めました。それから蒼志君が徐々にママチャリの速度を落としつつ、
「なあ、ちょっと提案があるんだけどさあ……」
提案? はて、いったいなんでしょう?
「ここから先は日が沈んでから「駄目よ!」に……」
さすが咲紅ちゃん。まるで蒼志君がそう言い出すのを知っていたかのようです。稲光のように素早い突っ込みで、彼の無責任な発言を封じ込めました。
わずかに遅れて翠君もなにかを言おうとしましたが、彼はその状態のままで固まっています。表情からその内容を推測すると、おそらく「ナイスアイデアだぜ、蒼志!」みたいなことでしょう。が、咲紅ちゃんの刺すような視線に射抜かれ、その言葉はとっさに飲み込んだようです。
「まったく、本当にいいかげんなんだから。そんなことしたら遅刻しちゃうでしょ? 駄目よ、約束はちゃんと守らないと」
「はいはい、わかってるって。ただ言ってみただけだよ」
「本当にわかってるの? 約束した相手は、あの千霞なのよ? もし待ち合わせの時間に一分でも遅れたら、きっとそのあと延々と、たぶん一年くらいはグチグチ言われ続けることになるのよ? 嫌でしょう、そんなの」
「……ええ? いや、千霞はそこまでねちっこい性格じゃないと思うけどなあ。そういうのは咲紅に対してだけなんじゃ――」
「あー、もうとにかく! あの女に隙を見せちゃ駄目なのよ! わかった?」
二人は渋々といった様子で「「へいへい、わかりましたよ」」と返事をし、それからペダルを漕ぐスピードを少しだけ速くしました。
しかし……千霞ちゃんとは、いったいどういった人物なのでしょう。咲紅ちゃんがこれほどまでに毛嫌いするのには、なんらかの理由があるはずです。なんだかだんだん不安になってきました。もしかしたら私、いじめられちゃったりするのでしょうか? それにもう一人、ミッチーちゃんの存在も気になります。怖い人でなければ――。
「あっちーーー! いったいなんなんだよ、この異常な暑さは! 四十度超えてんじゃねーの? このままだと町に着く前に干からびっちまうぜ!」
突然、予想通りに翠君が騒ぎ始めました。まったく予定通りです。
「ははっ、四十度超えてんのはおまえだけだ。俺たちはみんな三十二度くらいだよ」
「はぁ? なんで僕だけ暑いんだよ。そんなわけねーだろ」
「翠君……本当にわかってないの? ずーっと昔、一緒に理科の授業で実験したでしょ。水を入れたペットボトルに白い紙と黒い紙を巻いて、日当たりの良いところに――」
「あーあー、覚えてる覚えてる! 黒い紙のほうがいきなり沸騰して先生がビックリしたんだよな。つまり……僕が黒い紙のペットボトルで、おまえらは白い紙のペットボトルってことか。ふざけんな! そういうことは出発前に教えろよ!」
え、沸騰した? ――あ、そういえば数年前、そんな実験をしている子供たちを見かけて、なにげなくペットボトルにマイクロ波を照射したことがありましたね。あー、あのとき大騒ぎしていた子供は翠君だったんですか。確かに面影がありますよ。まあ、狭い町ですからね。そういった偶然もあって然るべきなのでしょう。
それから蒼志君は翠君に、
「だってさあ、おまえ自信満々で格好つけてただろ? せっかくいい気分になってるところを邪魔しちゃあ悪いかと思ってさあ。でも、ちょうど良かったじゃん。なんか汗で咲紅の靴跡が消えてるし」
あ、本当だ。さっきまで服の表面にびっしりとあった靴跡が、大量にかいた汗に流され消えています。なるほど、確かにちょうど良いタイミングでしたね。
ですが、暑くてたまらないと感じているのは、翠君に限ったことではありません。現在の気温は三十四度。太陽が熱の圧力で私たちを押し潰そうとしています。頼りの風はそよとも吹きませんし、陰らせるような雲は遥かに望むばかりです。
きっとこんな日は、猛獣たちも涼しい森の中にいたいと思うのでしょうね。上空から草原を見渡しても、猫の子一匹――いえ、トラの子一匹、見当たりません。
絶え間なくわめき散らす蝉の声、むせ返るような青臭い空気、べたつく汗で肌に張り付いた衣類、遠慮することを知らない灼熱の太陽。
そして、ただでさえ高めの不快指数をさらに、無駄に高めているのが翠君の独り言です。ブツブツと、クドクドと、グダグダと「あちー」とか「死ぬー」とか「もう駄目だー」とか、ひたすら繰り返しています。かなり不愉快です。なので気を紛らわせるため、気になっていたことを蒼志君に質問してみました。
「ねえ蒼志君。これからお会いするお二人って、どんなかたなんですか?」
すると蒼志君はチラッとだけ私のほうを振り返ってから、
「どんなかた? うーん、どんなって言われてもなあ……まあ、二人ともごく普通の女の子、かな? だから未来みたいな特殊能力は備わっていないぞ? 超能力者じゃないし、陰陽師でもない。魔法少女ですらないからな」
ええ、まあそんな期待はしていません。
「いえ、そういうことじゃなくて。えっとー、見た感じとか性格とかです」
「ああ、なんだそっちか。そうだな、千霞は一言でいうと小動物系かな? 背がちっちゃいし、ちょこまかしてる感じだ。どっちかって言うとおとなしいほうだな……普段は。人見知りするみたいだから最初はギクシャクするかも。でもまあ、結構いいやつだよ」
なるほど、かわいらしい感じの人なんですね。そして、いいやつですか。では、なぜ咲紅ちゃんは千霞ちゃんのことを、あんなにも毛嫌いしているのでしょう? 気になりますね。
「んでミッチーはなあ……ミッチーはサムライっぽいな、刀は持ってないけど。空手やってるから強いし、チョンマゲだし。あと口数が少ないな。で、正義感が強い。で、ストイックな感じ。でもまあ、結構いいやつだよ」
なるほど、かっこいい感じの人なんですね。そして、いいやつですか。んー、なんとなくお二人の人物像は掴めましたが、わだかまる不安感をぬぐい去るには至りませんでした。特に咲紅ちゃんと千霞ちゃんが不仲なことについて、とか。でも咲紅ちゃん本人がいる前では聞きづらいことですからね。仕方がありません。
「ま、そんなに心配すんなって。バッチリ紹介してやるからさ。魔女さんの正体は、とても面白おかしい……いや、便利な……いや、珍妙な……ひ弱な……すぐ泣く……人並みの頭脳の……いや、素晴らしいロボットでした、ってな!」
ひどい言われようです! 私はとっさに蒼志君の首を締め、そして断固たる態度で、
「わざとですか!? わざとですよね!? もう、何度も言っているじゃないですか、私はロボットではありませんって。いいかげんに――」
してください! と続けようとした、そのときでした。咲紅ちゃんが前方を指さし、大きな声で私たちに告げたのです。
「みんな見て見て! ほらほら、町が見えてきたわよ!」
少しだけ体を乗り出し蒼志君の体越しに進行方向に目を向けると、地面にへばり付いているような灰色の平べったい町が肉眼に映りました。まだ距離があるので、建物の形まではっきりとは見えません。やたらと大きなコンクリートの板を寝かせて置いているみたいです。へえー、地上からだとこんなふうに見えるんですねえ。
「なーんかさあ、寂しい町だよなあ」
蒼志君がしみじみとつぶやきました。そして、
「……なんか変な感じだな。町の中にいるときは全然そんなふうに思わなかったのに」
軽く首を捻ってそう続けます。
ところで私、さっきからかなり本気で首を絞めているんですけど……蒼志君はぜんぜん苦しくなさそうです。――くっ!
「そうねえ、未来ちゃんにいろんな話を聞いたからかしら。あたしも町に対するイメージがガラッと変わっちゃった気がするわ。でも……あたしたち、自分が住んでる場所なのに町のことなんにも知らなかったのね」
咲紅ちゃんも、しみじみと蒼志君に応えます。そして私は、さらに力を込めて蒼志君の首を締めます。――くっ!
「なあ、二人とも変だと思わねえ? 僕たちさあ……いや、僕たちだけじゃなく、町の人間全員に言えることなんだけど……町についてのこと知らなすぎるだろ。なんでだ? だってインターネットってさあ、三百年前にもあったんだろ? 普通に考えたら誰かがどこかしらに残してるはずだぜ? 当時の情報を。ブログとか、ホームページとか、ウィキとかにさあ。そういうのが全くなにも残ってないなんて、あり得ないぜ!」
意外にも翠君が的を射たことを言いました。でもその疑問にお答えするのは、蒼志君に多少なりともダメージを与えてからです。――くっ!
「あ、それずっと前に掲示板で話題になってたわよ? なぜかすぐに削除されてたけど。町ができた当時は色々と忙しかったからじゃないか、って意見が多かったわね」
――くうっ!
「んー、それは変だよなあ。そんなに手間のかかることじゃないだろ。仮に当時は無理だったとしても、状況が落ち着いてから書いてもいいじゃん?」
――くうーっ!
「だろだろ? なんにしても一つも残ってないってのは絶対おかしいぜ!」
――ハァ、ハァ、ハァ、まったく、し、仕方ないですね、ハァ、ハァ、今回は、このくらいにしておいて、あげますよ、ハァ、ハァ、ハァ――、
「ハァ、ハァ、そ、それはですねえ!」
「お? 未来、なんでそんな息切らしてんだ?」
「くっ! 蒼志君には関係ありません!」
「そ、そうか」
「そうです! ……それで、インターネットについてなんですけど、そういうプログラムがあるんですよ。常にネット内を巡回していて、発電所や柵に関係した情報を見つけると、その情報を自動的に削除してしまうプログラムが」
私がそう説明すると、翠君が自転車を私のそばに寄せてきて、つばを飛ばしながら、
「やっぱウィルスか! だよなあ、そうだと思ってたぜ。で、そのウィルスはいまどうなってんだ? あと、消された情報の復元はできないのか? あと、誰がそんなもの作ったのかはだいたい予想つくけど、一応聞いとこうか!」
……翠君のつばに、妙なウィルスが含まれていなければ良いのですが。
「んー、申し訳ないのですが、私、そういうのは専門外なので詳しいことはわかりません。でもしばらく前――百三十年くらい前に、ネットの掲示板で知り合った自称スーパーハッカーの人にお願いして、調査してもらったことがあるんです。彼が言うには、そのプログラムはある種の人工知能なのではないか、と。そして、それは常に居場所を移動し続けているので補足が困難だ、とも言っていました。それから「一匹だけではない。最低でも千はいる。例えば物理的な問題等でその一部が消滅してしまっても、互いに補修、あるいは自己増殖して、常に一定数がネット上に存在するよう調整されている」だそうです。
因みに彼に調査してもらったすぐあと、私、たぶん彼もそのプログラムに目を付けられたらしく、ネットを介して連絡を取り合うことが一切できなくなってしまいました。
あと、データの復元は不可能だそうです。かなり念入りに消去されているらしいので。
それからそのプログラムを作ったのは、まあ十中八九〈被害者の会〉でしょうね。目的は、永久に柵を撤去させないようにすること。そのために、徐々に時間をかけて町から柵に関する正しい知識を消してしまおう、という計画だったのでしょう」
私がハンカチで顔を拭いながらそう答えると、そのあと少し間を置いて蒼志君が、
「……博士は? 博士はそれについてなんて言ってたんだよ。って言うか、博士なら何とかできたんじゃないのか?」
「それがですねえ、残念なことにそのプログラムが暗躍し始めたのは、父が亡くなった少しあとのことなんです。もし父が存命中にこんなものを見つけていたら、大はしゃぎしていたことでしょうね。きっと『フッ、青二才が。ワシに勝負を挑むなんざ、百億年早いわ!』とか洩らしつつ、速攻で退治していたと思います」
ふふ、嬉々として端末に向かう父の様子が目に浮かびます。
「ねえ、他にはいなかったのかしら? そのプログラムに気づいた人って。例えばインターネットを管理してる会社とか、あと町役場の人とか。絶対、何件かは問い合わせがあったと思うんんだけど」
そうですね、咲紅ちゃんの言うことはもっともです。でも、
「その、インターネットを管理していた会社の会長さんは〈被害者の会〉の会員だったんです。そして、町の運営に携わる偉い人たちの中にも〈被害者の会〉の会員が何人かいたんですよ。ですから割と簡単に色々ともみ消すことができたようですね」
それを聞いたみなさんは、ペダルを漕ぐ足に力を込めつつ「なによそれ!」「迷惑な奴らだな!」「職権乱用だぜ!」などと口々に言い合い、強い憤りを見せました。そしてひとしきりそうしたあと、翠君がひときわ大きな声で、
「こうなったらしょうがねえな。この僕がそのウィルスを駆除してやるぜ! 速攻で、パパパッとな!」
「え? 翠おまえ、パソコンとか得意だっけ?」
「いや全然。これから勉強すんだよ。大学とか行って」
言うだけならセキセイインコにでもできますからね。まあ、健闘を祈ります。
ともあれ、そんな話をしている間にも自転車は着々と町に近づいていき、やがて私たちはほぼ予定どおりの時間に、私が空けた穴のところへたどり着いたのです。
自転車を柵から少し離れたところに止め、ゆっくりと穴に近づいていきます。ふと穴の向こうに目をやると、そこにそびえるのは強い拒絶の意志を形にしたような、鈍色の頑丈そうな金属製の柵。
これにはかなり高圧の電気が流れているようですが、いったい何ボルトくらいなのでしょう?確か、とあるテーマパークのTレックスを閉じこめる柵が一万ボルトだったはず。それと同じくらいでしょうか? あんまり近づきたくないですね。あの少年のように、ふっ飛ばされたくはないですから。
「なあ未来、この穴もおまえが掘ったんだよな? レーザーかなんかで。すげえなあ」
蒼志君が穴の中をのぞき込んでそう言いました。私は彼のそばに近づき同じようにかがみ込んで、
「そうです。でも、もう少し角度をつけたほうが良かったかな。こうして見ると、けっこう急ですよね? 深さもかなりありますし」
穴の底まで5メートルくらいでしょうか。だいたいビルの三階くらいの高さがあります。下りるのにはかなりの勇気が必要になりそうです。が、蒼志君はそんな私の心配をよそに「ようし、じゃあ行くか」と軽く言ってから、無造作に穴の中へと入っていきました。
「あっ、蒼志君、ロープ、ロープ!」
みなさんはどうだかわかりませんが、私はロープにつかまりながらでないと、下りることも上ることもできません。確固たる自信があります。
「お、おう!」
するすると、あっと言う間に底に着いた蒼志君がこちらを見上げて手を挙げました。私はロープの一端を穴の中に投げ込み、もう一端を結びつけた杭を木槌で地面に打ち込みます。
「うわっ、そんな物まで入ってたのかよ! どうりで重いはずだぜ!」
翠君が渋い顔をして文句を言っています。でも、私を背負ってこの穴を上り下りするよりは、荷物がほんの少し重くなるだけのほうがいいでしょう?
「では翠君。向こうに行って、これを打ち込んでください」
私が杭と木槌を差し出してお願いすると、翠君は「しょうがねえなあ」と軽くぼやいて、蒼志君のあとに続きます。まもなくして、蒼志君と翠君は先を争うように向こう側の穴を登りきり、地面に杭を打ち込んでロープを固定しました。
「おーい、いいぞー!」
「はーい!」
蒼志君の合図に咲紅ちゃんが手を振って応えます。それから「あたしが先に行くね?」と言って、穴の中へと入っていきました。咲紅ちゃんはロープを巧みに使い、まったく危なげない様子でどんどん下っていきます。そして、瞬く間に穴の底へと降り立つと、すぐさま向こうの穴を上り始めました。
さてと、次は私の番ですね。怖いですけどなるべく下を見ないようにして……ロープをしっかりと握り、まずは右足から……くっ! ……あそこのちょっと窪んだところに……ふう。次は左足を……くっ! ……ふう。これは、なかなか大変ですね。
ロープさえあれば、私でも自力で上り下りできると思っていたのですが……そう簡単にはいかないようです。早くも腕が痺れてきました。体を鍛えるために毎朝ラジオ体操をしているんですけどね。次回からは第二もすることにしましょう。ちょっと恥ずかしいポーズがあるので、できればやりたくないんですけど。
そんなことを思いつつ、慎重に少しずつ足を運んでいきます。ひとあし……もうひとあし……くっ! 足が震えてきました。底まではまだ半分くらいあります。かなり苦しい状況ですが、そんな顔をみなさんにお見すせるわけにはいきません。ただでさえ色々と足を引っ張っているので、これ以上は負担をかけないように……くっ! 私にもプライドというものが……くっ!
こうして、汗だくになりながらも何とか自力で穴の底までたどり着くと、
「おしっ、さすが未来! 一人でよく下りられたな!」
「未来ちゃん、えらい! 頑張ったね!」
「体重60キロもあんのにな! マジですげえぜ!」
頭上からそんな労いの言葉と、まばらな拍手がパラパラと。なんとなくバカにされているような気がしないでもないような……。
私がどう反応するべきか頭を悩ませていると、蒼志君がロープを伝って穴の底まで下りてきました。そして、私に背中を向けてしゃがむと、
「ほら乗れよ。上までおんぶしてやるから」
「あ、でも、みなさんには色々とよくしてもらっているので、なんだか申し訳なくって。ですから、この程度のことは自分の力で――」
「あー、もう! 水くさいなあ。いいんだよ、そんなこと気にしなくて。俺たちがやりたくてやってることなんだから。それに発電所に着いて、いざってときに未来がヘロヘロで使い物にならなかったら、すっげえ困るだろ?」
ええ、それはそうでしょうけど……確かに、それもそうですね。それではありがたくお言葉に甘えることにしましょう。
「では、すみませんが上までお願いします」
私は若干の引け目を感じつつ、おずおずと蒼志君の背中にしがみつきました。そして、
――揺られること五分。肩で息をする蒼志君の背中から降り、私は生まれて初めて町の中へ足を踏み入れたのです。三百年間ずっと見続けてきて、よく知っている場所のはずなのに……なんだか妙な気分です。落ち着かないというか、ソワソワするというか……。
目の前には、町を覆い隠すように広がる雑木林。ここを越えればすぐに、待ち合わせ場所のファミレスがあります。たぶんきっと、みなさんも同じ気持ちだと思いますが……私はいいかげん、おなかがペコペコです!




