夜会の半ばで
エミリエンヌはよろよろと立ちあがった、そしてさっきまで化粧直しをしていた鏡を見る。
頬ははれ上がり、唇から一筋血が垂れている。
倒れた拍子に無残に崩れた髪にかろうじてエメラルドの髪飾りが引っ掛かっている。
頭をさすってみた。どうやら床に打ちつけてこぶになっていた。
扉を開けると、エミリエンヌはしゃくりあげた。
しゃくりあげるエミリエンヌを廊下を歩いていた使用人がギョッとしたように見つめる。
その顔を歪に見せるほど、真っ赤にはれあがった顔、崩れた髪身じろぎするたびに不自然に揺れる身体は、足をくじいたためまっすぐ歩けないからだ。
そんな様子の女がしゃくりあげながら歩いて行く。
「何事かありましたか」
何事もなかったはずがない有様に、わかりきったことを尋ねてしまったその使用人はあわてていたのだろう。
エミリエンヌは答えない、ただしゃくりあげるだけだ。
たまたま廊下を歩いていたらしい来客がエミリエンヌの様子を見てその場で硬直する。
玄関を出るまでに数人の遅れてきたらしい来客がエミリエンヌの様子を見て仰天していた。
エミリエンヌは自分の家の馬車に近寄ると、かすれた声で「帰る」とだけ言った。
馬車はそそくさと進み、エミリエンヌは帰路についた。
ルーパートは夜会の行われているホールへと足を進めた。
これから、兄の婚約者を奪おうとする外道と話をするつもりだ。
エミリエンヌは自分の将来を考えろという。しかし、このような無法を放っておくほうが自分の心が耐えられない。
扉を開けて、夜会の中心となる場所に目指す相手はいた。
アルバート。ソリントンは金色の髪をした華奢な女の肩を抱いて、アダムと談笑していた。
婚約者を横取りされて、アダムはへらへらと笑っている。
いや、なぜ黙って肩を抱かれている。
老若男女すべての称賛を一身に浴びたユージェニーの金色の髪。
まずは彼女を糾弾するべきだろうか。
「ユージェニー」
そう呼び掛けた返事は意外なところから来た。
「なあに、ルーパート」
ルーパートは背後を振り返る。
ワイングラスを片手にユージェニーが立っていた。
そしてルーパートの身体をすり抜けてアルバートのそばに立っていた金色の髪の女に声をかける。
ユージェニーとクラウディア、二人は姉妹だけあってとてもよく似た髪色をしていた。
肩を抱かれていたのはクラウディア、そのクラウディアにユージェニーはワイングラスを渡すと、ルーパートに向き直る。
「で、私に何か用?」
クラウディアはルーパートなど見るのも嫌だと顔をそむけている。
「なんでこいつも呼んだのよ」
小さな声だがはっきりと聞こえた。
「ああ、どうも、私とクラウディアの婚約披露宴に来てくださってありがとう」
アルバート・ソリントンは柔和な笑みを浮かべて、握手を求めてきた。
そのままルーパートは振り上げた拳の行く手を失いその場に途方に暮れていた。
認めたくない、認めたくないが、玉の輿に乗ったのはクラウディアなのだ。
「ルーパート、エミリエンヌはどうしたんだい」
ルーパートの後ろにいると思い込んでいた少女の姿が見えないのにアダムは怪訝そうな顔をする。
その時、この家のお仕着せメイドの格好をした少女が、ユージェニーとクラウディアに囁きかけた。
「緑のドレスを着たご婦人が、その何らかの災難にあわれたようなお姿で」
黄色に緑の布を縫いつけたドレスを着たエミリエンヌのことだとすぐにルーパートにはわかった。
おそらくアダムも同じ連想をしたのだろう。
「ルーパート、エミリエンヌはどこだ?」
クラウディアが眉を吊り上げた。
「あんた、彼女に何をしたの?」
冷ややかな色の緑の目、すでに事態を確信しているのだろう。
ルーパートの家族はルーパートを取り囲み別室に行かせてほしいと、姉妹に頼み込んだ。その願いはすぐに聞き届けられた。
夜会の中心で起きたその一幕は、多くの出席客の耳目を集めていた。
客間に通され厳重に鍵をかけてから、すべて話すようにルーパートは促された。
「エミリエンヌが僕をとめたんだ、アルバートに話をつけるってことを」
「なんでお前が、あの人に話をつけなきゃならないんだ」
「だって兄さんの婚約者に手を出そうとしているんだぜ」
「あの人はクラウディアにぞっこんだよ、何かの間違いじゃないか?」
「サマセット家に出入りしているのは、ユージェニーを横取りしようと考えているからだろうと思って」
父親が頭痛をこらえるように呟く。
「そんなことになっているなら、お前が動くまでもなくこちらで手を打つ。何も手を打たなかったのは打つ必要がなかったからだ」
サマセット家が、ユージェニーの妹をどこに嫁がせようと、トルーマン家に何か言う権利も義務もない。
「僕の邪魔をするなと突き飛ばしただけだ」
「筋の通らない暴力だ。ダランソン家にわびを入れねばならん」
「うまい話ってなんだったんだ」
アダムは頭痛をこらえるようにうめく。
「ユージェニーとクラウディアを通して我が家はソリントン侯爵家と縁組をしたのと同じになる。こんな簡単なこともわからないのか? そのためなら、結婚式を延期してあの二人を結婚させてやるのもさしたる犠牲じゃないさ」
仕事の都合でできるだけ早く式を上げたいアルバートのために順番を譲ってやったことを今まで愚痴愚痴言っているのだと思いこんでいたアダムは呆れた顔でルーパートを見る。
その時、夜会では、クラウディアが、ルーパートがいかに粗暴か、クラウディアがしゃべり倒しており、ダランソン邸では顔面を変形させられて返ってきた娘に、家人が悲鳴をあげていた。