開幕 -opening of a performance-
まったく腹が立つ。
この八月の暑い中、何時間こうして路上で過ごしているのか。過ごす羽目になっているのか。
苛立ちを抑えながら私は次のターゲットに声をかける。
「あのー、すいませーん!!」
私が声をかけた若いサラリーマン風の男はこちらを見向きもせずにスタスタと軽快に歩き去っていく。
「……………………」
まただ。
また無視された。
初めは、私の声が小さくて聞こえないのかと思った。
次に、彼らは声をかけられている対象が自分だと気づいていないのだと思った。
その点を改善していまは目の前で手を振り、路上で出せる限りの大声で声をかけたにも関わらず、相手は立ち止まることすらしない。
「私ってそんなに関わり合いになりたくないような顔してるのかな……」
ここまでくると怒りを通り越して悲しくなってくるよ。
そんな悲しみを抱いたまま近くに設置されているベンチに座りこむ。ずっと声を出していたせいで喉がヒリヒリするが私にはどうすることもできないのが現状だ。
いまの私に支払い能力は一切ない。一言でいうなら家に財布を忘れた。それだけだ。ポケットにも小銭はないし、まさに一文無し。おけら状態。ばんざーい、だ。
うふふ、ふふ、ふ……、はぁ……。
「あー、死にそう……」
ベンチに横になりながら嗄れかけの声で呻く。
うつぶせの状態で市民みんなの物であるベンチを占領していることは誠に心苦しいが、少しの間大目に見てもらうことにしよう。
「……どうせ誰も相手してくれないんだし」
自虐的にポツリと一人ごち、鬱な気分に浸っていると不意に冷たい感触が私の頬を襲った。
「ひゃう!!」
あまりのショックに口からあられもない声が飛び出す。ついでに心臓も飛び出るかと思ったけれど自重してくれたようで何より。ホッ、いや気分的にはヒヤッなんだけど。
というか――。
何!? 何が私のほっぺを襲撃したの!?
我に返り、勢いよく身体を起こすとそこには――。
真っ黒な服に身を包んだ青年が立っていた。
その両手に、雫が大量についた缶ジュースを持ちながら。
「……えーっと」
誰、この人?
目の前に立つ青年をまじまじと観察するが、やはり見覚えがない。
真っ黒な服装にも。
頭に被ったハンチング帽にも。
不健康そうだが割と整った顔立ちにも。
そのどれにも心当たりはない。
「どうぞ」
こちらが戸惑っていると意外にも青年の方から口を開いた。そして手に持った缶ジュースの片方を私に差し出してくる。
どうぞって言われても……ねえ?
「……どうも」
受け取らないとずっと手を突き出したままでいそうだ。そう思った私は怪しいと感じながらもジュースを受け取った。
「座っても?」
「え? あ、どうぞ」
目の届く範囲にも他にベンチはあるのだが、どうやら青年はここに座りたいらしい。素早い動作で私は身体を起こし、スペースを空ける。
「どうも」
青年はそう短く礼を言い、そのスペースに腰かけてジュースに口をつけ始めた。
それにつられるように私もプルタブをこじ開け、貰ったジュースを堪能する。
もしかしたら中に何か入れられているかもしれない、とも思ったが渇いた喉はその考えを一刀両断した。警戒心? なにそれ美味しいの?
ここで何か起こっても周りには多くの人がいる。私がどうこうされる前に青年の方が警察にどうにかされてしまうだろう。
喉に流れ込んだ天の雫は存分に私を潤し、そして癒していく。その心地良さに酔い、気がつけば一気に飲み干してしまっていた。
「喜んでもらえたようで何よりです」
その声に反応して青年の方を見ると彼はジッと私を見つめていた。
「あ、ははは……。喉がカラカラだったんで、つい」
当たり障りのない答えを返しながらも視線に耐えきれずに目を逸らす。
ジュースは素直に嬉しいんだけど一体この人は何がしたいんだろう?
もしかしてナンパ?
いやー、ナンパってUMAか何かだと思ってたわー、チョー嬉しー。
……すいません、調子に乗りました、冗談です。
「あのー、私に何か御用ですか?」
「いえ、先ほどから誰にも相手にされていないようでしたので哀れみから声をかけさせてもらいました」
「…………」
見られていた!!
暑さのせいではなく、恥ずかしさから私の顔が一瞬で赤く染まる。というか見てたのなら、もっと早く救いの手を差し伸べようと思わなかったのだろうか、この人。
「都会とはこんなにも冷たいところなのかと改めて実感します。昔はもっと人と人との繋がりが重要視されていたものですがね」
「そ、そうですか……」
青年は若者らしからぬ丁寧な口調で私に語りかける。
「ところで貴女は彼らに一体何の用事があったのですか? あれだけ無視されても諦めないということはそれ相応のものだとは思いますが。……私が聞いても構いませんか?」
少し逡巡した後、話すぐらいは構わないだろうと判断し、私はその理由を話し始める。
「実は私、探し物をしてるんです」
「探し物?」
「ええ」
「それはどんな物でしょう? 落とし物であるなら家の鍵、財布、ハンカチ、貴金属類といったところですか。それとも落とし物の類ではなく何か商品を探しているのですか?」
随分と詮索してくる。
しかし、不思議と不快感はなかった。こうしていれば探しものが見つかるのではという気さえしていた。自分のその感覚を信じ、苦笑しながら、いやもう本当に恥ずかしい気持ちでいっぱいになりながらも正直に言ってみる。
「恥ずかしい話なんですけど、それがわからないんです」
「は?」
「だから探し物。私、自分が何を探しているのか全然わからないんです。大事な物だというのはわかるんですけど」
「…………」
マズい。もっと言い方があったかも。自分で話していてもおかしいと思うのだから、他人がこれを聞いたらドン引きものだろう。
「ごめんなさい。変なこと言って……」
「いえ、私は特に謝罪されるようなことはされていませんよ。…………時に貴女の探している物とは『自分』というオチはないでしょうか?」
「どういうことです?」
「夏休みを利用して思春期によく見られる自分探しという大変初々しい行為に耽っているのではないかと思いまして」
「違いますっ!!」
それだけはない。そもそも自分探しをしている人間を見たことすらない。漫画で宗谷岬まで自転車で旅をした少年を一人知っている程度だ。
私の強い否定のあと、青年の間には重い沈黙が横たわっていたが、不意に青年が口を開いた。
「では――」
そして、その後に私が待ち焦がれていた、しかしこれまで聞くことのできなかった言葉が続く。
「私も一緒に探してあげましょう」
「え?」
探す当てもない私にとっては嬉しい申し出だったが、まだこの青年が信用できる人物かどうかわからない。
この人はどうして――。
「どうしてそんなに親切にしてくれるんですか?」
この問いで青年の真意が読み取れるとは思っていない。それでもこの人に何か下心があるならば表情に変化が見られるはずだ。
間を置かず青年は私の問いに応える。
「簡単なことです」
私の目を見つめながら言う。
「私も貴女と同じで当てのない探し物をしているからですよ」
恥ずかしい話ではあるが、その言葉を聞いて私はこの人を信用しようと思った。
その言葉を告げたときの彼の顔に浮かんだ感情が、私が抱いている感情と同じものだと理解してしまったから。
心の底から湧き上がるシンパシー。誰かといつの間にか友達になっていたときと同じ感覚。
「……よろしくお願いします」
気がつくと私はベンチの上で三つ指ついてそう口にしていた。
「こちらこそよろしくお願いします。……失礼、自己紹介がまだでした」
居住まいを正し、青年は私にその名を告げる。
「与太です」
また凄い名前を付けられたものですね。ご両親はよほどマイナス思考が過ぎる方だったんですね。ん、それだとプラスになる恐れが。
訂正。お母様とお父様、どちらがプラスでどちらかマイナスでした? なんて――。
自称小心者の私に聞ける訳もなく、単純に名乗りに応じる形で私も彼に名前を告げた。
「私は――」
そうしてお互いに自己紹介を終えると与太さんはいきなりこんなことを尋ねてきた。
「ところで夏弥さん。貴女が探し物を始めたのはいつからですか?」
その質問があまりに唐突だったので答えるまでに少々の時間を費やしてしまう。
「え? えーっと、今日の朝からですけど……。どうしてそんなことを聞くんです?」
「いえ、この暑い中ずっとああして立っていたのなら疲れているだろうと思いまして。先に何処かで休みますか?」
どうやら私は心配されていたらしい。見かけと名前によらず紳士的な人のようだ。
その心遣いに対する感謝も込めて、必殺の笑顔で彼に答える。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。さっき与太さんがくれたジュースで元気になりましたから」
「そうですか。それでは早速探し物を開始しましょう」
与太さんは私の笑顔に特に触れることなくさっさと歩いていく。
「……ソウデスネ」
前言撤回。乙女に対する礼儀は知らないらしい。
「何か?」
私の荒ぶる感情を察知したのか目の前の青年は足を止めて頭をこちらに向ける。
「何でもありません!!」
「……何でもないのにスチール缶を握り潰す女の子はいませんよ。すごいですね、それ」
そう言われて右手を見ると飲み干したジュースの缶が見るも無残にひしゃげてしまっていた。
おお……、穏やかな心を持ちながら乙女の純情(クリ○ン)を殺された激しい怒りで私を超えた超私に……。
「夏弥さん」
なんですフリ○ザさん?
「私が何か失礼をしたのなら謝りますが、その理由を言ってもらえなければ繰り返す恐れがあります。夏弥さんを不快にさせた理由を教えてくれませんか?」
与太さんは完全にこちらに向き直り、真っ直ぐに私を見る。
見つめ合う男女。言葉だけ聞けば素晴らしくロマンチックな場面といえるだろう。
だが、実際に彼の目を前にしていた私はとてもそんな気持ちにはなれなかった。
何故なら、その目は私が彼に抱いた信頼を粉々に壊してしまいそうになるほど危ういものだったからだ。
暗い、光の入り込む余地がないほどの闇。
彼がその目に湛えていたのは一人の人間が一生かかっても到底その身に抱えきれないほどの闇だった。
喜びとか、楽しみ。そういった正の感情を殺し尽くした目。
その目に魅入られ、縛られ、私はその場から動けずにいる。指一本、瞬き一つできずにただ立ちつくしている。
「ああ……、すいません。問い詰めるつもりはなかったのですが」
ハンチング帽を深く被り直したことで彼の目が見えなくなると、一瞬にして張りつめていた空気が霧散していく。
「…………どうします? やっぱり私と行くのは止めておきますか?」
「え?」
「怖かったでしょう?」
確かにあの目は怖かった。彼の目を見て私が動けなくなったのも事実だ。
しかし。
私はその闇が憎しみや、怒りからのみ生まれたものでないことを直感的に理解していた。
深い、深い悲しみ。
それが彼の闇を形作る唯一のモノ。
最初に会ったときに彼が見せた感情。
私の心の大部分を占めている感情。
まるで迷子の子犬のようなそんな感情。
そもそも勝手に信頼したのは私だ。それなのにいまさら「やっぱり止めます」なんて虫が良すぎるだろう。
私は彼に向かって歩き出す。
そして彼を追い越して言う。
「やっぱり手伝うのが面倒になったからってそんなこと言っても無駄ですよ? 絶対に手伝ってもらいますからね、与太さん」
彼の顔は見えなかったが私にはその表情がほんの少し和らいだように感じられた。
「わかりました。貴女の探し物が見つかるまで全力で手伝わせてもらいます」
これは私の一つの思い出。私が体験した物語。
観客はあなた一人だけれど、どうか最後まで見届けてほしい。この奇妙で波乱に満ちた私たちの物語を。
いやぁぁああああああ!! あぁぁああああああああ!! aaaaAAAALaLaLaie!! うん? どうも久安です。
取り敢えず一話目です。二人の会話を読むたびに悶えました。「やべーよ、こいつら何言ってんの? 特に女の子の方」って感じです。まあ、何だかんだ言って読む度に当時を思い出して愛着も湧きましたが。
次回は1月9日 23時に更新です。




