未来 -back light-
ドアの前に立ち、三回ノックをする。
「どうぞ」
部屋の中に入る許可が出たことを確認してウチはドアを開けた。
部屋にいるのは一人の青年と一人の老婆。与太と夏弥ちゃん。ウチの大事な友人たち。
「あの子はちゃんと迷わず逝った?」
「ええ、彼女はちゃんと天国に向かいましたよ。心配いりません」
「……そっか」
与太は夏弥ちゃんの髪を慈しむように撫でながら、ウチの問いに答える。いまの答えと与太の仕草からウチは勝負に負けたことを悟った。
しかし、不思議とウチの胸には悔しさというものはない。負け惜しみに聞こえるかもしれないが、実際にそうなのだから仕方がないだろう。
「……優しい顔してからに」
夏弥ちゃんの顔を覗き見るとその顔には苦痛や怯えといったものは微塵もなく、穏やかな、どこか嬉しそうな顔をしていた。
それを見て、ウチの心は喜びで満ちる。なぜなら大事な友人を心安らかに送ることができたのだから。
まあ、ウチのしたことといえば与太に夏弥ちゃんの寿命があと僅かであることを知らせただけ。夏弥ちゃんが無事生き返ったあの日に与太と交わした約束を守っただけだ。
通常、生者である夏弥ちゃんが死者である与太に会うことはできない。会えるとすればそれは生者が死に近づいたときだけだ。
だから、あの日ウチは与太と約束した。夏弥ちゃんの寿命が尽きるとき、必ず連絡すると。
夏弥ちゃんに安らかな死を贈るために。
そして、どうやらその目論見はうまくいったようだ。彼女の死に顔がその成功を示している。
「それか? 渡せへんかった誕生日プレゼントっちゅうのは?」
「ええ」
夏弥ちゃんの髪につけられた酷く子どもっぽい、所々錆の目立つ髪留め。あの日与太が妹に渡す筈だった誕生日プレゼント。
「百年越しのプレゼントになってしまいましたけどね。昔からこういうのが好きだったんですよ、汐織は。それは夏弥さんとなったいまでも同じみたいです」
「さよか……。ほんで? 自分ももう逝くんか?」
「ええ、正確には落ちるですけれど」
口ではそう言いつつ与太は何かを探しているようだ。ウチは彼が探している物に見当がついていたので、その在り処を教えてやることにした。
「そこそこ、その棚の上や」
「ああ、本当だ。ありがとうございます」
彼がその手に取ったのは写真立て。勿論用があったのは写真立てそのものではなく、中の写真だ。
生者であった夏弥ちゃんや千夏ちゃんの目には何も写っていないように見えただろうが、死者である与太、そして妖怪の血が流れているウチには別のものが見えていた。
それは――。
「……何回見ても飽きひんよなあ? その頃の夏弥ちゃん」
ウチらの目には写真を撮られることに緊張して、顔を真っ赤にしている彼女が写っていた。
あの事件のときのいつ、これを撮ったのかは定かではないが、与太のことだ。どうせ、恒例行事だとか何とか言って強引に撮ったのだろう。
「そうですね、彼女は特別面白い人でしたし」
「…………」
誤解しないで欲しいが、さっきも言った通りウチに悔しいという気持ちはない。ただ少しの羨望はあるが。
「明石さん?」
「へ? ああ、何どないしたん?」
「貴女がどうしたんですか? 急にボーッとして」
「……何でもあらへんよ。ほれ自分もはよ逝くんやったら逝きや?」
心を見抜かれたことによる羞恥か、それともこれから一人になってしまうという寂しさからか。
自分でもどちらの感情がそうさせたのかはわからないが、気がつくとウチはそう与太に言い放っていた。
チクリと胸が痛む。
「なら、明石さん早くあそこに立ってください」
そう言うや否や与太はウチの腕を掴み、壁際へと移動させる。
「ちょ、ちょっと待ち!! 自分何するつもりやねん!!」
「何って……写真を撮るに決まってるでしょう?」
「ええっ、何で!!」
与太は深いため息をつきながらウチの質問に答える。
「貴女が私の友人だからですよ」
驚きのあまり身体に電流が走る。だが、それに対する不快感はなく、寧ろ心地いいぐらいだ。
「……ウチが友人?」
「友人でなければなんだというんです?」
「それは……、ほれ……クライアントとコントラクターの関係というか……、仕事上の関係というか……」
散々「好き」だの「惚れた」だの言ってきたくせに、口に出して友達だというのは何か恥ずかしい。そう思ってはぐらかした解答をしたら、完全に失敗した。
「そうですか、貴女にとってそうでも私にとっては大事な友人ですから。はい、そこに立って」
ウチの言葉を本気に受け取ったのかそそくさと撮影の準備を始める与太。
「いやいやゴメン、待って!? 照れ隠し!! 照れ隠しやからな!? ホンマはウチかて自分のこと友達や思てるわ、ボケェ!!」
焦ったウチは必死になって否定する。……罵倒の言葉が含まれてるのは見逃してほしい。
「……っふふ」
「?」
「あははは!!」
耳を疑った。あの与太が。出会ってから常にウチの前では仏頂面を崩さなかったあの与太が。
笑ったのだ。
「わかってますよ、そんなこと。そんなに必死になるなんてやっぱり明石さんは面白いですね」
「そ、そない笑わんでもええやんか」
動揺を悟られまいとしてそう返事をするが、私の心は会話どころではなかった。彼が笑いかけてくれた。それだけのことがウチの心を埋め尽くす。
きっとこの笑顔は夏弥ちゃんに向けられたものとは異なるものだろう。
しかし、そんなことはどうでも良かった。
自分が与太にとって特別な存在で在れた。
それだけでウチは――救われる。これからを生きていける。
「ふふ、すいません。さ、撮りますよ」
心が満たされていくのを感じていると与太がポラロイドカメラを構えた。そのレンズを見た瞬間ある考えが浮かぶ。
「ああ、ちょっと待って。撮ってもええけどその代わり――」
一つ条件を出させてもらおう。
「貴女も物好きですね。こんなものが欲しいなんて」
ウチの出した条件を首を傾げながらも承諾した与太が呟く。
「ええやん、別に。ウチにとってはこれまでの仕事料全部よりも価値のあるもんなんやから」
カメラを与太の手に返しながらそう主張すると彼はそれ以上追及してくることはなかった。
「それなら良いですが。……さて、と」
部屋の空気が変わる。禍々しい気が部屋を包み込んでいく。その変化でウチは全てを理解した。
ああ、もう時間なのかと。
「もう出て来てくださって構いませんよ、マウラ」
「……もう来ている」
「うおっ!!」
マウラという名の悪魔はいつの間にやらウチの背後にひっそりとその姿を現していた。
「さあ、私の未練はこれで全て果たされました。随分待たせてしまいましたが私を地獄に落としてもらって結構です」
その言葉に胸が痛む。覚悟していたこととはいえ、やはり愛した男が、いや、大事な友人が地獄に落とされるのを黙って見ているのは辛い。
「……本当に良いのだな?」
そうしてマウラが最後の確認をとると、与太は無表情のまま頷いた。まるで、地獄に落ちることが怖くないかのように。
だが実際は違う。彼の心は確かに怯えている。それでも、その感情を表に出さないのはきっといままで殺してきた者たちに対する彼なりのケジメなのだろう。
人を殺しておいて地獄に落ちるという当然の罰に怯えるなど許されない、そう考えているのだろう。だからウチは与太の心を暴くようなことはしない。彼の矜持を踏みにじるようなことはしたくない。
「……では、連行するとしよう」
その言葉が発せられると同時に、与太の身体に数え切れないほどの赤い鎖が飛びかかる。
腕に。
脚に。
首に。
腹に。
あっという間に与太の身体は鎖で縛りあげられ、外気に触れているのは最早顔だけだ。
「……お前は生者と死者の境界を侵し、多数の生者を殺害した。よって、これより阿鼻地獄へと収監し、その期間は二十三万とんで三百七十六年と四十九日とする。この罰に何か異存は?」
「勿論ありませんよ」
限界まで熱せられた鎖に身体を覆われても、与太は飄々とした様子で問いに答える。
「……よかろう。最後に何か伝えることは?」
与太がウチをじっと見つめる。
彼がこれから先受ける苦痛を想像し思わず泣きそうになったが、地獄に落ちる本人が泣いていないのにここでウチが泣く訳にはいかない。
涙を何とか堪え、与太の言葉を待つ。
「私は幸せ者です。目的を遂げることもできましたし、それ以上に得難い友人を二人も得ることができました」
静かに、だが力強く言葉を紡ぐ。
「私たちはこれから異なる時間を過ごすことになります」
与太の言葉に無言で頷く。
夏弥ちゃんは天国で転生を待ち。
与太は地獄でその罪を贖い。
ウチはこの世で寿命が来るまで生き続ける。
そして、天国での時間の進むスピードはこの世より速く、地獄での時間の進むスピードはこの世より遅い。
「私たち三人が再びこの世の何処かで顔を合わせる可能性は限りなくゼロに近いでしょう」
それでも、と与太は言葉を続ける。
「いつかまた巡り合えると私は信じています。だから明石さん――お願いですから泣かないでください」
「え?」
手を頬に当てると与太の言う通り、そこには涙が流れていた。
「あ、あれ? お、おかしいな……」
慌てて目を擦り涙を追っ払おうとするが、忌々しいことに涙は逆にどんどん溢れてくる。
「ちょ、待って!! すぐに止めるし!!」
「いいですよ、そのままで」
与太が再び優しく微笑む。
「その方が私も笑って落ちることができる」
それが最後だった。ウチがそれ以上言葉をかける暇もなく与太の顔にも鎖が巻きついていき、そして――。
彼の身体は昏い、昏い穴へと飲み込まれていった。
何の余韻も残さず、何の痕跡も残さず、まるでそこには元々誰もいなかったような気さえした。
しかし、ウチの後ろでズブズブ床に沈んでいこうとしている悪魔がいることがいま起こったことが真実である証明だ。
「何勝手に帰ろうとしとんねん、自分」
涙を拭きとり、沈みかけのマウラの頭をむんずと掴み、帰宅を阻止する。
「……何だ?」
「いや、一つ伝言頼まれてくれへんかなー、と思って」
「……あの男とは十分言葉を交わしたと思ったが?」
マウラは納得がいかないのか、怪訝そうな目でこちらをジロジロ見てくる。
「ちゃう、ちゃう。与太にやない」
「……? なら誰にだ?」
「天国の夏弥ちゃんに」
残念ながらウチに天使に知り合いはいないので目の前の首だけになった悪魔しか頼ることができないのである。
ぶっちゃけた話、駄目元でそう頼んでみたのだが……。
「……内容による」
「できるんかいっ!!」
予想外の返答にマウラの頭を勢いよくシバいてしまった。
「……お前が聞いたのだろうが」
「……ごめんなさい」
「……まあ良い。それで何と伝えるのだ? 内容に問題がなければ我が友である天使に伝言を頼んでやろう」
……悪魔のくせに天使と友達なんかい……。
そうツッコミを入れてやりたかったがへそを曲げられても困るので止めておいた。
「さっきの与太の言葉を丸々全部」
「……全部というと、
『私は幸せ者です。目的を遂げることもできましたし、それ以上に得難い友人を二人も得ることができました。
私たちはこれから異なる時間を過ごすことになります。私たち三人が再びこの世の何処かで顔を合わせる可能性は限りなくゼロに近いでしょう。それでもいつかまた巡り合えると私は信じています』」
「そう、それそれ」
「『だから明石さん――お願いですから泣かないでください』までか?」
「そこはいらんっ!! 最後の文章以外や!!」
というかわかってて言うてるやろ、自分!!
「……ちっ。まあいい、頼まれてやるとしよう」
舌打ちしたで、この悪魔……。
しかし、まあ頼みを引き受けてくれるというのであれば問題はない。そう判断してマウラの頭を掴んでいた手を放してやる。
「……ではな」
そう言ってマウラも完全にこの部屋から姿を消した。
これでこの部屋にいるのはウチ一人。もうここに用はない。夏弥ちゃんの亡骸は彼女の孫的存在である千夏ちゃんが明日にでも見つけてくれるだろう。
そうして部屋を出て、階段を下り、夏弥ちゃんの家を後にする。外はもうとっぷりと日が暮れ、月が柔らかい光を生み出していた。
おもむろにポケットから二枚の写真を取り出す。ウチの写真を撮る条件として譲り受けた写真。ウチの大事な友達が写った写真。
それを少しの間じっと眺め、再びポケットへと丁寧にしまい込む。ただそれだけの動作でウチの心は寂しさから解放される。
「さて、これからどないしたもんかな」
与太がいなくなった以上もう情報屋を続ける理由もない。寿命が尽きるまでのこの莫迦みたいに長い時間、何をして過ごしたものか。
今後の行動指針を模索していると、何処からか子どもの泣き声が聞こえてきた。その方向に視線を向けると、見た目五、六歳の男の子が道のど真ん中で泣き喚いているのが見える。
しかし、道行く人はその泣き声にも、その姿にも反応すらしない。どうやらあの男の子はかつての夏弥ちゃんと同じく霊体のようだ。
その姿を見てウチは名案を思いつく。
そして思い浮かんだと同時にウチは男の子の傍に駆けよっていた。
「どないしたんや?」
声をかけると男の子は少し愚図りながらも、その問いに答えを返してくれた。
「う……、ママが、ね? どっか……ぐすっ!! どっか……い、行っちゃったの……」
「そうか、それはまた難儀やな。じゃあ――」
ウチはこの世に。
一人は天国に。
一人は地獄に。
転生し、また会えるのはいつの日か。
それは与太の言っていた通り誰にもわからない。けど、とりあえず寿命が尽きるまでの間、ウチは何処かの誰かの真似をして過ごそうと思う。
「ウチが一緒に探したるわ」
さぁ、まずはこの一言から始めるとしよう。
給料カマンッ!! どうも、久安です。
さて、今回が最終話となりますが如何でしたでしょうか? つまらなかった、面白かった、何言ってるのかわからなかった。色々あると思います。作者的には二番目であれば嬉しく思います。あの後三人がまた会えたかどうかは、御想像にお任せするとしまして……。
当然のことですが、決して手を抜いて書くなんてことはしていません。これは当時の私がああでもない、こうでもないと頭を悩ませながらも全力で書いた作品です。
ですがどうしても力の足りないところがあります。次に繋げるためにも少しでも多くの方からの御感想、御批評を頂ければと思います。
最後になりましたがこのお話に最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました。彼らに代わり、深謝致します。