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断罪 -punishment and sin-

 たくさんの足音が聞こえる。一人、二人ではない。もっと大勢の人間が近くで動いているようだ。

 私の身体を何かに乗せて運ぼうとしているのか、数秒の間私の身体が宙に浮く。

 幽霊のときにも身体は浮かなかったのに……、まさか生き返ってからこんな浮遊感を味わうことになるとは思わなかった。

 心の中でそんなおかしな体験をしている自分を笑う。

「――早くこの子を病院に搬送しろ!! 怪我よりも衰弱が酷い!!」

「わかってる!! ……それにしても何なんだこの部屋は……。気味が悪い……」

 怒鳴る声。

 戸惑う声。

 私の耳は色んな人の声を拾うが――。

 一番聞きたい人の声を聞くことはできなかった。

 その事実が身体に僅かに残っていた気力を奪っていく。そうして気力を完全に失った私は眠りに落ちた。

 まるでその事実から逃げるように。



 ― a punishment ―


 クソッ!!

 クソッ、クソッ!!

「クソッ!!」

 思わず口に出して悪態をつく。

 横にいた女がこちらを不審なものを見るような目で見てくるが、そんなことに構ってはいられない。

 街の中心部の屋外ビジョンに俺の名前が連続誘拐殺人の犯人として公表されたときは頭に血が上り暴れてしまったが、ここでそんなことをしては仕事熱心な駅員に取り押さえられかねない。

 というのも俺の現在位置は駅のホームなのだ。俺が犯人であることが公になった以上この街にはいられないため、こうして仕事着であるスーツ姿のまま街の外への逃走を試みたのだが……。

 いくら待っても一向に電車がやって来ない。

 先ほどのアナウンスによれば爆破予告があったとかで安全点検のため運行が遅れているようだ。こんなときに何処の馬鹿がそんなことをしやがったのか。もし見つけたら腹に爆弾仕込んで殺してやる。

 俺を苛立たせているのはそれだけではない。

 最も俺を苛立たせているのは何故俺が犯人であることがバレたのかということだ。

 女を誘拐するときは細心の注意を払ったし、女の悲鳴が外に漏れないように部屋に防音処理も施した。それに死体を捨てるところを誰かに見つかるなんてヘマしていない筈だ。

 歯が折れそうになるくらい噛みしめる。

 見てろ。

 必ず逃げきってみせる。

 そしてまだ試してない殺し方でたくさん殺してやる。

『大変お待たせ致しました。運行が遅れていました○○行き普通電車が四番ホームに参ります。お待ちのお客様は白線の内側まで――』

 やっと来やがったか。

 見ると電車は既にホームに入ろうとしているところだった。

 これでやっとひとまず逃げられる。

 そう思った瞬間。

 俺はホームから線路の上へとその身を投げ出していた。

「……は?」

 勿論、俺は自ら飛び出した訳ではない。駅には人が溢れかえっている。まさか誰かが俺にぶつかってきやがったのか!?

 真相を確かめるべく俺は宙に浮きながらも身体を捻り、背後を振り返る。

 視界に入ったのは、口に手をあてヒステリックな悲鳴を上げる女と、目を丸くしてこっちを見ている中年の男と――。

 空中に浮いた黒い手袋だった。

 金属の擦れ合う不快な音が辺りに響く。左を見ると俺が待っていた電車が目前まで迫って来ている。いまからではどうしようが間に合わないと俺の直感がそう告げていた。

 俺の命が奪われる寸前、再びホームを仰ぎ見る。

 すると、さっきまで手袋の浮いていた位置に同じ手袋をその身につけた一人の男が立っていた。歳は十七ぐらいか?

 何はともあれ全身黒ずくめでハンチング帽を目深に被ったそのガキは、こちらを見下ろしている。

「そうか、てめえが――」

 俺を突き落としやがったのか。

 最後まで台詞を言うことなく俺の身体は鋼鉄の芋虫に喰い潰されていた。



「待てよ、てめえ!!」

 驚くことに俺は俺を突き落として殺したガキを大声で呼び止めていた。声をかけられたガキはゆっくりとこちらを振り返る。

「……何か?」

「何か、じゃねえ!! 俺を殺しておいて何処に行くつもりだ!!」

 俺がそう言うと目の前のガキは少しも驚いていないような声で

「おや、自分が死んでいることに気づいているのに動揺しないとは。驚きましたね」

 と言う。

 このガキ、もしかして俺を舐めてるのか?

「それに未だここに存在しているということはあなたも何か未練があるのですか?」

「未練だと!?」

 ガキとの距離を少しずつ縮めながら、そう問い返す。当の本人はといえば俺が接近していることに気づいているくせに後ろに下がる様子を全く見せない。

「ええ、未練です。何かやり残したことがあるんでしょう?」

 俺の胸のポケットにはナイフが入っているがヤツに切りつけるためにはもう少し近づかなければならない。時間稼ぎも兼ねて俺はガキの話に付き合ってやることにした。

「未練か、確かにあるぜ」

「それはどんな?」

「俺の部屋に置いてきた女を殺し損ねたことだよ。あの女は衰弱死させてやろうと思ったのが間違いだった。こんなことになるんだったら他の殺し方を試しておくんだったぜ」

「……やはり貴方は色んな殺し方を試したかっただけのようですね」

 あと少し、あともう少しで間合いに入る。そうしたら一息に心臓を突き刺して殺してやる。

「ああ、そうだ。残念なことにまだ二つしか試してねえけどな。ああ、そうだ、お前知ってるか? 殺し方を変えても同じところが出てくるんだよ」

「何でしょう? 皆目見当がつきません」

「女の死ぬときの表情だよ!! どいつもこいつも絶望を顔に刻んで逝きやがる!! もしかしたら俺はそれを確かめたいのかも知れねえな」

「そうですか。胸糞の悪くなるお話をどうもありがとうございます」

「気にすんな。俺もこれで準備が整ったんだから、よ!!」

 台詞とともにガキに切りつける。しかし、間一髪のところでガキはナイフをかわしていた。

「チッ……!!」

 踏み込みが浅かったか?

「ああ、そうだ。告白するとな、俺にはもう一つ強い未練があるんだよ。何だと思う?」

「さあ?」

「それは――」

 言葉を発しながらも一気に間合いを詰めてガキの首を狙う。ガキは今度は反応できなかったのか逃げる素振りを全くみせない。

「俺を殺したお前を殺してやりてぇってことだよ!!」

ナイフを握った俺の右手がガキの首に迫る――が、その寸前不思議なことに腕が止まった。

「ああ?」

 目の前のガキは何もしていない。ただ馬鹿みたいに立っているだけだ。それなら一体何が俺の動きを阻害しているのか?

 改めて動きを止めた自分の腕を見る。その瞬間俺は思わず悲鳴を上げそうになった。自分で自分のことを情けないとは思わない。自分の腕がこんなことになっていたら誰だって悲鳴を上げるだろう。

 俺の腕には熱で赤く変色した鎖が巻きついていたのだ。

「ぐ、あああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 鎖の発する熱で俺の腕の皮膚が、肉が、焼け爛れていく。そのせいか辺りに人間の肉の焼ける臭いが漂う。

 一体何処からと周りを見回すとそれは俺の足元から伸びていた。

「て、てめえ……何だよ、これ……!?」

 周りには俺とこのガキしかいない。他の奴らはさっきから俺の死体に夢中になっている。とすれば、必然的にこれはコイツの仕業になるのだが……。

「それは地獄への招待状だ」

 ガキの口調がガラリと変わるがそんなことはどうだっていい。

「地獄ゥ!?」

 何言ってやがるんだ、コイツは!?

「幽霊がいるんだ。地獄や天国があったっておかしくはないだろう?」

「そういうことを言ってるんじゃねえ!! 俺が聞いてるのは何で俺が地獄に行かなきゃならねえんだってことだよ!!」

「善人だろうが悪人だろうが生きてる間に人を殺せば、未練があろうと地獄に落ちる。お前が地獄に落ちる理由はそれだけだ」

 ヤツがそう言った瞬間、地面から更に無数の鎖が現れ、俺の身体を締め上げる。

「ぎっ、うあ、おおお、ぎゃあ、あああああああああああああああああああああああああ!!」

 最早俺の身体で無事なところなどない。何処も彼処も焼け爛れ自分が人の形を保っているのかすらもわからない。

 そして徐々に俺の身体がコンクリートでできているはずの駅のホームに沈みだす。

 ズブズブと。

 まるで俺を喰っているかのように。

 直感でわかる。このまま沈めばヤツの言う通り俺は地獄に落ちるということが。

「や、やめ、た、助けてくれ!! たすけ――」

「助けると思うか? 俺はお前を殺したんだぞ?」

 そう言って目の前のガキは口の端を吊り上げて嗤う。

 俺を嘲笑うかのように。

「でも、良かったじゃないか? なあ?」

 最後にヤツは俺に語りかける。

「地獄では数回死んだだけじゃあ魂は解放されない。お前自身が色んな死に方を体験できるぜ?」

 地獄に落ちる瞬間、俺が見たものは十七歳のガキではなく、邪悪な笑みを浮かべた悪魔だった。



 ― a sin ―


「ふう、これで後始末も終わりましたね」

 今回の探し物はその期間こそ短かったがその分濃い内容だったなと思う。そう感慨に耽っていると何処からともなく声をかけられた。

「……何を一人で達成感に浸っているのだ、お前は?」

「おや、マウラ。てっきり今回は姿を見せないで帰るのかと思いましたよ」

 私の目の前に立っていたのは人を地獄に引き摺りこむことを仕事としている悪魔の一人だ。姿形はごく一般的。角とコウモリのような翼、そして尻尾を持った鬼といったものである。

「……警告せずに帰れるものか、お前、また霊の身であるにも関わらず人を殺したな?」

「それが何か?」

 目の前の整った顔立ちをした悪魔はため息をつきながら、私を睨む。

「……前にも言ったろう? 霊が人を殺したときのペナルティを」

「ああ、そういえばそうでしたね」

「……良いのか? このまま人を殺し続ければお前はさっきの下種以上の地獄に落とされることになるが?」

 感情のない声で悪魔が尋ねてくる。

「……霊としてこの世をうろついている間は良いが、お前が成仏したとき俺はお前を阿鼻地獄に落とさなければならん」

 阿鼻地獄――。

 八大地獄の最下層。

 地獄の中の地獄。

 舌を抜かれ、釘を打たれ、虫や大蛇に襲われ、熱した山を上り下りさせられるなど最も苦しみを伴う地獄。

 確かに恐ろしいが覚悟はとうの昔に決めている。

 人は生きている間に人を殺すと、死ぬときに地獄に落ちる。霊となった後に人を殺すと成仏するときに地獄に落ちる。そのことをマウラに聞いたときから。

「構いませんよ」

 だからそう答えた。怯えながら、震えながら。

「……お前は何故人を殺す?」

「快楽のために人を殺す人間が憎いから」

「……お前は何故迷い子を助ける?」

「私の同類を見捨てられないから」

「……そうか」

 問答が終わると疲れたようにマウラはそう呟きながら消えていく。来たときとは違いゆっくりと。

「……なら精々後悔しないようにするが良い」

 その言葉を最後にマウラの気配は消えた。どうやら地獄に帰ったらしい。

「ふう……」

 私の未練が果たされていない以上まだ地獄に引き摺りこまれることはないとわかっていても悪魔を目の前にするとやはり緊張する。

「……終わったみたいやな」

「明石さん……ですか」

 声のした方を見るといつの間にか後ろに明石さんが立っていた。

「今回は狂った爆弾魔にさせてしまってすいませんでしたね」

「構へんよ、それなりに面白かったしな」

 そう言って彼女はにしし、と笑う。

 まったくこの人には世話になってばかりだ。

「そんなことより……ウチも与太にさっきの悪魔と同じこと聞いてもええ?」

 私よりも一回り以上も年下の女性は真っ直ぐな瞳で私を射抜くように見つめる。

「ホンマにええんやな? このまま地獄の最下層に向かって走り続けても?」

「誰に聞かれても答えは一緒ですよ。全てが終われば地獄に落ちる。私はそれで構いません」

 私も彼女を見つめ返す。自分の瞳と心に震えや恐怖が映らぬよう気を付けながら。

「……はあ。わかった、わかった。惚れた男には逆らえんわ」

 私の固い意志を感じてくれたのか明石さんはそう言って両手を上げ、降参の構えをとる。それにしても女性が冗談でそうホイホイ「好き」だの「惚れた」だの口にしない方がいいと思うのだが……。

「……ホンマにこの朴念仁は……」

「何か言いました?」

「……ふん、何でもないわ!!」

 愛想を尽かしたのか、彼女は私を置いて駅の出口に向かって歩き出す。何処に行くのか尋ねようとしたが、いまは機嫌が悪いようだから止めておいた。

 まあ、彼女が何処に行こうと私の求める情報が手に入ったときはあちらから接触してくれるので問題はないのだが。

 さて、じゃあ私もそろそろ行くとしよう。

 当てのない探し物をしに。



 私が病院で目覚めたのはあの日から三日後の夜中のことだった。身体の状態は万全……とはほど遠いものであったが兎にも角にも私は目覚めた。

 暗い病室を見渡す。カーテンの隙間から月の光が差し込んでいるおかげで部屋の様子をすぐに把握することができた。

 どうやらこの病室は個室のようだ。部屋の中にはテレビやサイドテーブル、来客用の椅子が置かれている。

 そして、その椅子には誰かが腰かけていた。

「ッキャ……!!」

 悲鳴を上げようとしたが、椅子に座っていた人物が人間とは思えないスピードで私の口を塞ぎ、それを阻む。

 ……おかしい。襲撃者がこれ以上のアクションを起こす様子がない。

 思わず閉じてしまった目を恐る恐る開くと、目の前にいたのは――。

「あふぁひふぁん!?」

「おー、夏弥ちゃん三日ぶり」

 にかっと笑ってそう言うと、明石さんは口から手を放し、私の上から降りてくれた。

「どうしたんですか、いきなり!!」

「シーッ。病院では静かにせなアカンで? 他の患者さんに迷惑や。それにウチ巡回中の看護師さんに見つかるんは困るし」

 明石さんがそう言うのを聞いて私は慌てて声のボリュームを下げる。

「……で、どうしてここにいるんですか、あなたは?」

 再び椅子に座り直した明石さんに尋ねると彼女は

「夏弥ちゃんのお見舞いに決まってるやん」

 と飄々とした様子で答えた。

 ……嘘くさー。

「ああっ!! 夏弥ちゃんまできっついこと考えるようになってもうた!! まさか与太効果!?」

「ちょ、声!! 声大きいですって!! 私に注意しといて何してるんですか!?」

 耳をそばだてるがこちらに近づく物音はない。どうやらこの近くを巡回している人間はいなかったようだ。

「ふう~……」

「大丈夫。さっきはあんなこと言うたけど、いまこのフロアで起きとるんはウチと夏弥ちゃんだけやから」

「何でそんなこと――」

 そこまで口にして私は明石さんに違和感を覚えた。

 そういえばさっきこの人はおかしなことを口走らなかったか?

 まるで私の心の中を見透かしたような、そんな台詞を。

「その違和感は正解。夏弥ちゃんには教えたるわ。実はウチ、人の心が読めんねん。ほんでその力を使って情報屋をしとるっちゅうわけ」

 大したことではないように明石さんは自らの秘密を口にする。

「心が読めるって……。そんなこと人間にできる訳が……」

 既に実際に心を読まれたのだからその言葉を否定できないことがわかっているが、私はそう口にせざるをえなかった。

「せやな、普通の人間にはこんなことでけへん」

 明石さんは私の目を真っ直ぐに見て言葉を続ける。

「でも、ウチはそれができてまう。ウチは人間とサトリっちゅう妖怪との間に生まれた子どもやから」

「……え?」

「所謂ハーフちゅうヤツやな。……どないしたんポカーンとして? あ、もしかしてサトリ知らん?」

「い、いえ、サトリは知ってますけど……」

 明石さんの問いに対して慌てて答える。

 サトリ。

 山奥に住み思っていることを全て見透かす妖怪。姿は人のようだとも猿のようだとも言われている……だったかな?

「けど?」

「何て言うのかな……明石さんはそれっぽくないっていうか」

 はっきり言って人間にしか見えない。

 私の目の前に座る彼女は人間よりも人間らしいのだ。

「あ、す、すいません。何か失礼なこと言っちゃって!!」

 それに考えちゃって!!

 しかし、私の謝罪が明石さんに受け入れられることはなかった。いや、そもそも明石さんはそんなものを求めていなかった。

「く、くく」

「……明石さん?」

「くくく、あはははは!!」

 いきなり笑われた!! しかも腹を抱えての大爆笑である。

「ちょっと、だから声、声!! いくら何でもこれだけでっかい声出せば皆起きますって!!」

「ははっ、スマン、スマン!! くくっ!!」

 まだ笑うか、この人は!!

 五分ほど経っただろうか、ようやく明石さんは噛み殺していた笑いを全て出しきり、まともに話せる状態にまで落ち着いた。

「まったく、もう……」

「ひ~、ひ~……。あー、一生分の笑いを使い果たした感じやわ~」

「それは良かったですね」

 上機嫌な明石さんとは対照的に私の機嫌は最悪だ。いきなり笑われて気分の良い人間はいないだろう。

「そう怒らんとってーな。夏弥ちゃんが与太みたいなこと言うからつい可笑しくてな」

「与太さんも同じことを?」

 その名前を出すと心が痛んだが、明石さんの話に好奇心を向けることでその痛みから気を逸らすことができた。

「うん。ウチと与太が出会ってしばらく経った頃、同じようなこと言いよってん。あの陰気な声で」

 こんな感じやったかな、と言いながら明石さんは与太さんの声を真似てそのときの言葉を再生する。

「『妖怪というよりもただの騒がしい人間の子どもですね、貴女』ってな」

 真似上手っ!!

 そして与太さん容赦無っ!!

「はは……、与太さんらしいっていえば与太さんらしいですね」

「せやろ? でもウチは嬉しかった」

「え?」

「んー、何ていうか、ウチは妖怪と人間両方の血を引いてるやろ? そういう存在に対して世間様っちゅうのは厳しいねん」

 嫌な過去を思い出しているのだろうか。明石さんの目は何処か悲しげだ。

「ウチかて普通に生まれたかった。こんな力なんていらんから普通の人間として生きたかった。でも周りはそう見てくれへん。妖怪も人間もウチを半端者扱いや。

 でも与太は違った。ウチを一個の生き物として見てくれた。――いまの夏弥ちゃんみたいにな」

 そう言って一瞬にして目から悲しみの光を消し、私にウィンクしてくる。

「だから、ありがとうな、夏弥ちゃん。ウチを人間にしか見えへんって思ってくれて」

 恐らくこれが初めて見る素顔の明石さんなのだろう。私に向けられた笑顔はとても綺麗で素敵だった。同性である私が照れて顔を逸らすほどに。

「ど、どういたしまして!! そ、それで他に何か御用があるんですか!?」

 動揺を誤魔化すため明石さんに早口でそう尋ねる。

「あ、そうそうもっと大事な用があったんや。というかウチはこれを届けるためだけに来たんやけど夏弥ちゃんのせいで嬉しーて忘れるとこやったわ」

 私のせいですか!?

「冗談やて、嬉しかったんは事実やけどな……っと、あった、あった」

 私の心の声に反応しつつ明石さんはポケットから小さな封筒を取り出した。

「ほい、これ」

「?」

 明石さんから手渡されたそれを右腕で受け取り、しげしげと眺める。封筒の裏側を確認するも特に差出人の名前は書かれていない。

「これ、差出人の名前書いてませんけど誰からですか?」

「……夏弥ちゃんも中々の朴念仁やな。まあ開けたらすぐにわかるわ」

 そうはいっても封筒を開けること自体いまの私には困難なことなんだけど……。

 私の心の中を読んでいるはずなのに手伝う素振りを見せない明石さんをジト目で見ながら何とか右手だけで開封することに成功する。

 その中に入っていたのは一枚の飾り気のない手紙だった。

 明石さんを見ると彼女は少し頷き、私にその手紙を読むように促す。

『おはようございます、こんにちは、こんばんは、夏弥さん。明石さんがどのタイミングでこの手紙を渡してくれるかわからないのでとりあえず全部言っておきます。

 まず、もう一度貴女を騙したことを謝らせてください。すいませんでした。他に方法がなかったとはいえ私は貴女の誠意を踏みにじってしまったことはいくら謝っても許されることはないでしょうが私にできることはこうして謝ることぐらいしかないのです。

 このまま謝り続けても良いのですがそれでは本題に入れないので謝るのはこの辺にしておきましょう。今回私が夏弥さんに手紙を書いたのは伝えたいことがあったからなんですから。

 それは貴女の身体のことです。といっても心配しないでください、今回のことが原因で死ぬようなことはありませんから。ただ、魂と肉体が長く離れていたせいでしばらくの間多少の感覚のズレが生じるかもしれません。

 そのズレというのは例えば時間の感覚がおかしくなるとか、そういったものです。それも生活に支障のない程度だとは思いますが、もしズレが酷いようなら明石さんに相談してみてください。いまの貴女になら彼女はきっと力になってくれます。

 あと最後に一つだけ。貴女はしっかり生きてください。人生の途中で愚かにも命を絶った私のようにはならないでください。そうしていればきっとまた会えます。勿論、夏弥さんが会いたいと思えばですが。

 それではどうか素敵な人生を。   

                             与太』

 もうさっきのように誤魔化すことはできない。私が感じている空虚感の正体。それを自覚してしまったいまでは。

「それで、夏弥ちゃんどっか調子悪いとこある? あ、報酬なら充分与太に貰てるから心配せんでええで」

「……たいです」

「ん?」

「何でかわかんないけど……凄く胸が痛いです……」

 自分で身体を抱いて耐えることしかできない。明石さんならこの痛みを取り除くことができるのだろうか?

「……ん、わかった」

 そう言うと明石さんは折れた左腕に注意しながら優しく私を抱きしめた。

「……明石さん?」

「ウチにはその痛みを何とかすることはできひん。それを何とかできるんは夏弥ちゃんだけ」

「私……?」

「うん」

 でも、どうすれば良いんだろう?

 どうすればこの痛みは消えてくれるんだろう?

 私にはその方法がわからない。

「んふふ、ホンマに手のかかる子やな。ほんならヒント」

 私の心を読んだのか、明石さんは苦笑しながら私の頭を撫でる。

「夏弥ちゃんは与太に会えへんことが寂しいねん。だからこんなに胸が苦しい。……これでどうしたらええかわかった?」

 私はその問いに答えることができなかった。明石さんの言葉を聞いた直後、泣いてしまっていたから。

「う、うう……」

 明石さんの言うとおり確かに私は寂しかった。

 でも、胸が苦しいのはきっと別の理由。

「うああ、ああ……!!」

 あの人がただの知り合いならこんなことにはならなかっただろう。

 あの人がただの友達ならこんなことにはならなかっただろう。

「っく、……ひっく、うええ」

 自分でも気づかない内にあの人に対する気持ちがこんなにも大きくなっていた。

 私は与太さんのことをこんなにも――好きになっていたんだ。

 だからこんなにも胸が痛い。

 好きな人に会えないことがこんなにも辛い。

「あ、明石さん……」

「ん? どないしたん?」

「ちょっと……、泣いても、良い、ですか?」

「おお、泣き。泣いてスッキリしてまえ」

 そう言って彼女は更に強く抱きしめてくれる。

 その優しさに心から感謝しつつ、私はただ涙を流した。



「夏弥ちゃん、ちょっとは落ち着いた?」

「……は、はい、ありがとうございました……」

 しばらくしてようやく私の胸の痛みは涙とともに止まった。それまでずっと明石さんに抱きしめられていたので何だか顔を見るのも恥ずかしい。

「それにしても夏弥ちゃんがなー。へえー」

「…………ッ!!」

 しかも私のみっともない心も見られているのでなお恥ずかしい。

「まあ、まあ、そう恥ずかしがらんでもええやん。好いた惚れたは人生の華やで?」

「そう思うならこっちを見てニヤニヤしないでくださいよ!!」

 ああ、もう!! 顔が熱くてしょうがない!!

「あはは、スマン、スマン。ウチの秘密も教えたるから許して―な」

「? 明石さんの秘密?」

 明石さんが人間と妖怪のハーフであるということ以上の秘密なのだろうか? だとしたらある程度心の準備をしておかないと……。

「そう構えんでもええよ。大したこととちゃうし」

 そして次の瞬間、明石さんは秘密を告白した。

「ウチも夏弥ちゃんと一緒で与太に惚れとるっちゅうだけやから」

 文字通り告白だった。

「う、ええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

「いやーん、恥ずかしいわー」

「恥ずかしいって、ええええ!!」

 他の患者さんのことなんて頭の中から完全に吹き飛んでいた。

 すいません、お騒がせして。

「ちなみに何回もアタックしとるけど、当の本人は完全に無視ちゅーか、冗談やと思っとります…………ううっ!!」

 今度は明石さんが泣き出してしまった!!

「あの、ほら。いいじゃないですか告白できるだけ!! 私なんて何処にいるかもわからないから告白すらできませんよ!?」

 あれ? 自分で言っておいて何だけど私も悲しくなってきたんだけど?

「それもそうやね」

「嘘泣きっ!? 人が多少の傷を覚悟して慰めたというのに!?」

「まあ、ええやん敵に塩を送るっていうし」

「微妙に意味違いません、それ……?」

 嘘泣きだったならまず苦境に陥ってないじゃないですか、あなた。

 明石さんに非難の視線を浴びせる。

「そんな目で見んといてーな。さて、と……何はともあれこれでウチと夏弥ちゃんはライバルちゅうことや」

「……ラ、ライバル?」

「せや、恋のライバル」

 ……よくもそんな恥ずかしい言葉をさらっと口にできるな、この人。

「なんや、夏弥ちゃんも与太のこと好きなんとちゃうんかいな?」

 私の心を読んだ明石さんがそう問いかけてくる。

「いや、す、好きです……けど」

「ほんならやっぱりライバルやんか」

「ライバルっていっても私圧倒的に不利じゃないですか。与太さんを見ることもできないのに」

「何言うてんの。手紙にも書いてあったやん、また会えるって。そんときに全力でアプローチをかけるんや!!」

 そうですけど……。ん? ちょっと待て。

「何で明石さん手紙の内容知ってるんですか!? まさか……!?」

「待ち、待ち!! ウチは人の手紙勝手に覗くなんてしてへんよ!!」

「ですよね……」

 口ではああ言ったが彼女はそんな失礼な人ではない。

「手紙読んでるとき夏弥ちゃんの心の中が手紙の内容で埋め尽くされてたからわかっただけや!!」

「そっちの方が質悪くない!?」

 不可抗力なのかもしれないけど!!

「……まあ良いですよ……。それでもやっぱり私、不利ですよね? この勝負」

「わからへんで? 鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍の方が与太の好みかもしれんし。まあ情の深さは負けてるとは思わへんけどな!!」

「うーん……」

 やっぱり、不利だと思うんだけどな、……まあ良いか。

「さーて、ほんなら大事なんはどうやって勝ち負けを決めるかやなー」

「え、好きって与太さんに言わせればそれで勝ちなんじゃ……」

「アホやなー、夏弥ちゃんは。あの与太がそんなこと口にする訳ないやろ? それにアイツは幸せちゅうもんを手に入れようとせえへんし」

 ああ、それは何となくわかる気がする。与太さんは確かにそういったものを殺し尽くした目をしていた。

「ならどうするんです?」

「ん~、…………あっ!!」

 どうやら名案を思いついたようだ。ニヤリと悪役のような顔をして笑う。

「これでどうや? 与太を笑わせたもん勝ちっちゅうのは?」

「笑わせるって、……ギャグで?」

「……それ本気で言うてる?」

 明石さんが冷たい目でこちらを見てくる。

 冗談!! 冗談ですよ!!

 自分だって散々やりたい放題やってたじゃないですか!!

「ふう……、夏弥ちゃん覚えとき? 慣れへんことはしたらアカン」

「…………そうですね」

 それを知るのに高い授業料を払ったものだ。

「それで、ええと要は与太さんの笑顔を引き出せば良いんですよね?」

「ん。そゆこと。与太が笑顔を見せる特別な人間になれれば勝ちや」

 確かにあの人の笑顔なんて見たことないなあ……。私といたときはずっと無表情の無愛想だったし……。

「ちなみに明石さんは与太さんの笑顔って見たことあります?」

「邪悪な笑みやったら三日前に見たけど、残念ながらそれ以外はないわ」

 邪悪な笑みって……三日前に何してたんだ、あの人は……。

 とにかく、明石さんもこれまで与太さんの笑顔を引き出したことがないのなら、とりあえず勝ち目のない勝負でもないってことかな……。

「わかりました、それで良いです」

「おっ、ええやん。絶対に負けへんって決意をした、恋する乙女の顔や」

 そして無言で握手を交わす私と明石さん。

「よし!! これで契約完了やな。ほんならウチはそろそろ撤収するわ」

「もうですか?」

「あれ、もしかして寂しい? 大丈夫やて、ウチとはいつでは会えんねんから。あ、コレ連絡先な」

 そう言ってサイドテーブルの上にメールアドレスと電話番号が印刷された名刺を置いて私の頭を撫でる。

 恥ずかしい話だが、明石さんの言う通り、私は寂しかった。私の目に映らない与太さんを除けば明石さんはこの世で唯一、私が遭遇した事件の表と裏を知る人物なのだ。気兼ねすることなく話ができる人間が傍にいてくれるだけで、心は休まる。

「…………はい、寂しいです」

「おっふ!!」

 どうせ心を読まれているのだからと正直に私がそう答えると明石さんはまるで胸を銃で撃ち抜かれたようなポーズと表情をしていた。

「……何この子、可愛過ぎひん、ちょっと!!」

 何やらボソボソ呟いているようだが、声が小さすぎて聞き取れない。

「あの、明石さん?」

「何でもない!! 何でもないからそんな目で見んといて!! ちょっと……、ホンマに、やめ……、上目遣いでこっち見んな言うとるやろコラァ!!」

 そうして明石さんは突然大声を張り上げ、ドアから飛び出していった。

 どうしたんだろう? 私何かおかしなことをしただろうか?

 私は不思議に思いながらも、いつか与太さんにまた会えるという喜びに打ち震えていた。

 その喜びが消えない内に与太さんの手紙をしまおうとサイドテーブルに置いた封筒を手に取るとそこから一枚の写真がハラリとベッドの上に舞い落ちてきた。

どうやら封筒の中に手紙と一緒に入っていたようだ。

落ちてきた写真を手にとって眺める。

そこに映っていたのは――。


 セから始まる試験を受けられた方お疲れ様でした。どうも、久安です。


 当時、私は何を思ってこの文章を書いたのか、理解に苦しみます。ちなみに今回は細かな手直しもゼロです。布団に顔をうずめて悶えました。一時間ほど。夏弥ちゃんったらピュアッピュア。笑えない……。


 次回は1月20日 23時です。あと二話かな?

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