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岐路 -choice-

 夜道を一人歩く。

 どうやって与太さんと明石さんを振り切ったのかは覚えていない。

 気が付いたら目の前にいた二人はおらず、私は与太さんと初めて会った場所に立っていた。

「与太さんが私を……、一体どうして?」

 私が何かしたのだろうか。確かに色々と失礼なことをしたかもしれないが殺される程のことをした覚えはない。


『いつもどおりお別れするんやろ?』

『ええ。私の他の友人たちのように探し物が見つかったら、あの世に送ります』


 あのとき二人はこう言っていた。

 このことから考えるとあの屋敷の廊下に貼ってあった与太さんの友人たちは既に死んでいる。

 与太さんに殺されたのだ。

 あの男は自分の友人を殺したのだ。

 写真に映っていた人たちが殺される光景を思い浮かべて身体に震えが走る。自分自身を抱きすくめるようにして震えを抑えようとするが簡単には止まらない。

 とにかくあの二人に襲われないような場所に逃げなくてはならない。

 どこか良い場所はないかと考えるが、すぐに簡単な答えがあることに気がついた。

「家に帰ろう」

 お父さんも、お母さんもきっと心配しているに違いない。

 何をしていたんだと叱られるだろうが、それでもきっと温かく迎えてくれる。おかえり、と言ってくれるだろう。

 そう考えると自然と元気が湧いてくる。

 さっきまでの震えが嘘のように止まる。

 帰ったら何をしよう?

 最短ルートで家に向かいながらそんなことを考える。

 たっぷり叱られた後にお母さんを抱きしめよう。

 最近喧嘩したお父さんも思いっ切り抱きしめてあげよう。

 いつも生意気な弟の夏飛なつひも抱きしめてやろう。

 それからお風呂にゆっくり浸かって今日の疲れを癒して、最後に布団に入る。

 そうすることで昨日までのことを綺麗さっぱり忘れるのだ。

 私は探し物をしに街に出たりなんかしなかった。

 私は街で与太さんという名前の男の人になんて会わなかった。

 その人と一緒にお店を見たり、手を繋いだりなんかしなかった。

 アスファルトの上にポタポタと水滴が落ちる。

「ひっく……、うう、ぐすっ……」

 私は腕で顔を擦りながら歩き続けた。

 地面に点々と続く水滴の跡が私に訴えかける。

 今日経験したことが確かにあったことだと、忘れてはならないことだというように。

「そん……なの、む、無理だよ……」

 だって、与太さんと過ごした時間はどれも楽しかったのだから。

 心の底から楽しいと思えた時間だった。

 最後のあの瞬間が訪れるまでは。

「ね、ねえ……、与太さん……?」

 尋ねるべき相手が目の前にいないことを知りながらも私は声に出して尋ねずにはいられなかった。

「全部、嘘……なの?」

 当然のことながらその答えが私に返ってくることはなかった。



 そうしてそのまま道中与太さんに見つかることなく私の家に到着した。

 二人とも私の家の場所なんて知らないだろうし、当然といえば当然のことだったがあの明石さんという人は侮れない。

 あのときの二人の話の流れから考えると明石さんは情報を売ることを生業としているようだったのでいずれこの場所も見つけられてしまうかもしれないが、いますぐ襲撃してくるということはないだろう。

 こうなってしまった以上、信じてもらえるかどうかはわからないが、ありのままを両親に話して警察を呼んでもらうしかない。

 そう決心して一人家の前に立つ。

 そんなに長い間離れていないはずなのにまるで長い間帰っていなかったような錯覚に陥る。

「きっと色々あったからだよね……」

 そう自分に言い聞かせる。

 何も違和感などないのだと。

 ここは私の家で、私の帰るべき場所なのだと。

 その筈なのに。

 どうして私の身体の震えは止まらないのだろう?

 インターホンを押す指先がかじかんだように上手く動かない。それでも何とかインターホンを押そうとするとどこからともなく声が聞こえてきた。

「待ちなさい」

 声のした方へと半ば反射的に視線を向ける。

 私の視線の先にあるのは一人の人間。

「……与太さん」

 私はその人間の名を呼ぶ。

 九割の恐怖と一割の悲しみを込めながら。

「何か……御用ですか?」

 突如現れた与太さんに驚くこともせず、そう問いかける。

「貴女を連れ戻しにきました」

「お断りします」

 私の命を狙っているはずの人間が目の前に登場したのにも関わらず怯えることなく、そうきっぱりと答える。

「探し物なんてもうどうでもいいです。見つからなくってもいい。だから私に構うのはやめてください!!」

 これ以上は悲しいだけだから。

 信じていた人に裏切られて、挙句命を狙われるなんて悲しすぎる。

 しかし、それでも彼は引かない。

「夏弥さん、貴女はわかっていない。貴女の探し物は絶対に見つけなければならないんです」

 訳がわからない。

 探していた本人がもういいと言っているのだからそれで終わりの筈だ。

 なのに何故。

 こうも喰い下がるのか?

「お願いですから私を信じて言うことを聞いてください。いまここに帰ることは危険すぎる」

 悲しみが怒りに変換されるのに、さほど時間はかからなかった。

 自分が殺そうとしておいて、この男は一体何を言っているのか?

「死にたくなければ私と一緒に戻るしかないんです。だから――」

「ふざけないで!!」

 感情が爆発する。

 もう止められない。

「ここは私の家です!! 私の居場所なんです!!」

「知っています。明石さんに超特急で調べてもらいましたから」

「だったら……!!」

「だからこそです。いま親密な人間と会うのは貴女のためにならない」

 この人は頭がおかしいのか?

 この荒んだ心を落ち着かせるためには、本当に私をわかってくれている人間に会うしかない。その人間に私を認めてもらうしかないのだ。

「さっきから訳のわからないことばっかり……」

「それは貴女が現状を理解していないからですよ、夏弥さん」

「ちゃんと私は知るべきことを知ってる!!」

「何です? 言ってみてください」

 目の前の男はそう私を促す。

「……あなたは私の探し物の手がかりである男の人の情報を明石って人に調べてもらった」

「はい」

「あなたはこれまで自分の友人を殺してきた」

「……微妙に違います」

「そしてあなたは全てが終わったら私を殺すつもりなんでしょう?」

「残念ながらそれは完全に違います。……どうやら後半になるにつれて誤解があるようですね」

 何が違うものか。

「違うことなんて何もない!! それにあなたが本当のことを言っているという証拠もないでしょう!?」

「それは――」

「与太、もういい加減にしとき」

 突然、会話に私と与太さん以外の人間が入り込んできた。

「いまのこの子には何を言うても無駄や。好きにさしたり」

 そう言いながら突如現れたのはあのとき与太さんと一緒にいた女性だった。

 赤いタンクトップにクラッシュジーンズを身に纏い、腰には柄物の布を巻き付けた私よりも年上と思われる女性。

 その顔は特に美人という訳ではないが、不細工という訳でもない。普通の顔という言葉がこれほど似合う人間は恐らく他にいないだろう。

「あなたは……」

「こんばんは、お嬢ちゃん。盗み聞きしとったみたいやけど一応自己紹介しとくわ。ウチは明石。明石元三郎げんざぶろう

 随分と男性的なお名前だ。

 ……本名だろうか?

「お嬢ちゃんは夏弥ちゃんて言うんやったっけ?」

「……はい」

 警戒しつつも、明石さんの問いに答える。

「せやったら、夏弥ちゃん。与太の言うことなんか聞かんとさっさとインターホン押してしまい」

「えっ?」

 この人と与太さんは仲間ではなかったのか?

 何故与太さんと意見が食い違うのだろう?

「……明石さん。私はこんなやり方は……」

「黙っとき」

 ドスの利いた声で与太さんの意見を遮る。

「与太はどうか知らんけどな。ウチ、こういう人の話聞かん子嫌いやねん。せっかく与太が説明したろうっちゅうのに自分のことば~っかりで聞く耳持とうともせえへんし」

 与太が説明下手糞なんも原因の一つやとは思うけど、と最後に付け足す。

「こういう子には一度痛い目見せたらなアカン。まあ、その一度で――」

 明石さんはゾッとするような顔をしてその続きを言う。

「死んでまうかもしれへんけどな」

 全身に悪寒が走る。

 身体の震えが更に酷くなる。

「ほれほれ、どないしたん? 愛しの家族に会いたかったんやろ? あと少し指に力を入れるだけでそれは叶うんや、はよ押しいな」

「わ、私は……」

 明石さんの隣に立つ与太さんに視線を送るが、与太さんはこちらを見てくれない。

「いまさら与太に頼ろうなんて虫のええ話やな」

 どうやら私の視線の揺らぎを見られていたようだ。

「これまで与太に世話になりっ放しやったんやろ!? せやったら家に帰るか、与太んとこ帰るかぐらいは自分で選べや!!」

 それが引き金だった。

 その一言で私は吹っ切れた。

 インターホンに添えられた指に力を込める。

 それと同時に来客を知らせる電子音が私の家の中に響く。

「……ふうん。それが自分の選択か。別にウチは夏弥ちゃんがどっちを選んでもかまへんかったんやけど」

 そこまで言って明石さんは一度言葉を切る。

 そして

「自分で選んだんやから、後悔、しなや」

 と言って闇の中に姿を消した。

「夏弥さん」

 私に声をかけ、なおかつその場に留まっているということは与太さんは消えるつもりはないんだろう。

「……何ですか?」

 もう数秒と経たずにお父さんか、お母さんが出てくるだろう。話があるなら早く済ませてほしい。

「私はここにいます。ここにいて夏弥さんを見ています。それだけは覚えていてください」

 与太さんがそう言い終えた後、その意味を聞く前に玄関のドアが開いた。

「お姉ちゃん!?」

 私が振り返ると、そこには寝巻を着、心配そうな顔をした夏飛が立っていた。

そしてその後ろから少し遅れてやってきたのはお父さんとお母さん。

 私は慌てて三人の前に飛び出し、彼らの視界に入る。

 そして三人を大声で呼んだ。

 いや、呼ぼうとした。

「お父さ――」

「何だ、誰もいないじゃないか」

 三人の視界に間違いなく入っているはずなのに、夏飛もお父さんもお母さんも私を見てくれない。

「質の悪い悪戯だ、クソッ!!」

 そう悪態をついてお父さんは地面に唾を吐きかける。

「警察が夏弥を見つけたから連絡に来たのかと思ったのに……」

「何言ってるの、お父さん!? 私ここにいるよ!?」

 どれだけ近くで叫んでも声が届かない。

 一人で探し物をしていたときと同じだ。

 あの出来事が私の脳裏に甦る。

 誰一人私の声に耳を貸してくれなかった。

 誰一人私を見てくれなかった。

 それは私の存在感が薄いからではなく。

「お父さん、夏弥は……?」

「……安心しなさい。きっと警察が見つけてくれる」

 私の姿が見えなかったからだ。

 私はやっと理解した。

 理解、してしまった。

「さあ、中に入ろう。そして警察からの連絡を待とうじゃないか。ほら夏飛も……」

 お父さんが泣きだしたお母さんをなだめ、夏飛の肩に手を置いて家の中に入ろうとする。

「待って」

 彼らの背中に手を伸ばす。

 しかし、その手は届かない。

 届くはずがないのだ。

 だって私は――。

 既に死んでいるのだから。

 それを自覚した瞬間に私が壊れ始める。

「う」

「うう」

 身体からどんどん力が抜ける。

 きっと死を自覚していなかったからこそいままで私は存在していられたのだろう。仮初めの存在として。

「あああああ!!」

 遂に自分の足で立っていられなくなる。地面に膝をつき、徐々に呼吸が激しくなっていく。

 消滅する苦しみはあったが、この瞬間、私の心を占めていたのはその苦しみではなく、諦めの感情だった。

 その感情の中で自分に問いかける。

 ――家族に気づいてもらえなくても良いの?

 仕方ないよ、私にはどうすることもできない。

 ――このまま消えてしまっても良いの?

 仕方ないよ、私にはどうすることもできない。

 ――本当に?

 うん、私には未練なんてものも――。

「未練ならある!!」

 右手に強い力を感じる。

 閉じていた目を開けるとそこには消えそうになる私の右手をしっかりと掴んだ与太さんがいた。

「与太……さん?」

「しっかりしろ!! 未練ならあるだろう!?」

 どうしたんです、与太さん? いつもと口調が違いますよ?

 薄れゆく意識の中で何とか与太さんに返答する。

「未……練?」

「そうだ!! 君はまだ探し物を見つけていない!!」

 ああ、そうだった。

 でも、もういいんですよ、与太さん。

「私は……もう誰にも……存在を……認めてもらえないん……ですから」

 いまさらそんなものを見つけたところで私が救われるとは思えない。

 私はもうここにいないのだ。

「存在がない? 死んだら誰にも存在を認めてもらえない? そう言うのか?」

「だって……そうでしょう?」

 夏飛も、お父さんもお母さんも私を見ることはできなかったんですよ?

「ふざけるな!!」

 私の家の前で与太さんの怒号が響く。

「君がここにいないのなら俺が握っているこの手は誰のものだ!?」

 その言葉に心が反応する。諦めしかなかった心が再び動き出す。

 そういえば与太さんはずっと私のことが見えていた。

 それに明石さんも私に話しかけてきてくれた。

 私は死んでいるのに。

「諦めるんじゃない!! 生きていようが死んでいようがそんなことは関係ない、君は――」

 私の手を更に強く握りながら与太さんが叫ぶ。

「君は確かにここにいるんだ!!」

「ッ!!」

 その力強い言葉が私の中に入り込み、心の中に巣喰った諦観を焼き尽くしていく。心が別の何かで満たされていく。

 ぼやけ始めていた私の身体が徐々にその輪郭を、荒かった呼吸が次第に落ち着きを取り戻す。

 身体を蝕んでいた苦痛は既にもうない。あるのは与太さんに強く握られた右手の痛みだけ。

「与太さん」

 俯けていた顔を上げ、隣にいる男性の顔を見る。

「はい」

 あれ? 口調が元に戻ってる。ちょっと格好よかったのに……。勿体ないなあ。

「私がちゃんと見えますか?」

「はい」

 与太さんだけでなく私の方からも手に力を入れる。

「私にちゃんと触れますか?」

「はい」

 お互いに強く握り合い、その存在を確かめ合う。

「私は――」

 声が震え、頬に一筋の涙が流れる。

「私はちゃんとここにいますか?」

「勿論です、夏弥さん」

 ここで与太さんが私に笑いかけてくれれば完璧だったんだけどなあ。そう心の中で思いながら与太さんに寄りかかる。

「……すいません、与太さん。ちょっと、目を閉じていてくれませんか?」

「わかりました。貴女が良いと言うまで閉じておくことにしましょう」

 そして。

「う、ああ……」

 私は泣いた。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 一人、自分の死を悼んで。


 きゃあああああああ、いやあああああああ、久安ですぅぅうううう!!


 最早何も言うまい。言わせないで!!


 ああああああああああああ、次回更新は1月17日 23時ですぅぅうううう!! ひゃあああああああああ!!

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