第二十四話
なんかしっくりこない。
そして、進まない。
Side 陽
「…兄……きて……」
んだよ、うるせぇな。
「陽兄、……き…ってば…」
まだ寝てんだろうがよ。
おいそこ、反応してる時点で起きてるんじゃね、とか言うな。
「陽兄! 起きてよっ!」
「ふぐぉっ!」
腹部への痛打。
あろうことか、肘打ち。
誰かが跳びのってきた拍子に当たったらしい。
クソ痛ぇ……。
「誰だってんだよ、俺の惰眠の邪魔をするやつはよ……」
折角の休暇ぐらい寝かせろよ、コンニャロー。
「……ごめんなさい」
「んん、藍か」
意外なことに、馬鉄こと藍がのし掛かっていた。
つか、ごめんなさい、しか今まで言ってなくないか?
……深くは触れないでおこう。
「で、どったのさ? なんかあった?」
「えぇ〜と、その……」
「あー、言いにくくなったならごめん。もうすっかりきっちりしゃっきりすっきり目、覚めたから。邪魔にはならんよ」
藍の頭を撫でる。
そんな不安そうな顔されたら、罪悪感が込み上げてくるじゃないか。
「……ホントにいいの?」
「おうさ。弟に嘘ついてなんになるよ」
藍にニッ、と笑いかける。
作り笑いじゃなく、自然に溢れる笑み。
そうすると、藍も笑顔になってくれた。
子供はやっぱ笑ってないとね。
「じゃあ、……陽兄、僕に稽古つけて!」
「……なんですと」
なんてこった……(泣)
★ ★ ★
Side 三人称
警邏にでようとしていた蒲公英は、偶然にも項垂れ気味の陽と嬉々とした様子の藍と出会う。
「えーっ! 藍、お兄様に稽古つけてもらうの!? ……いいなぁ〜」
「えへへ♪ いいでしょ」
「羨ましがるとこでも、嬉しがるとこでもねーよ」
理由を聞けば、陽兄にご教授賜るんだ、とVサインを送りながら藍は言う。
そんな様子に、蒲公英は純粋に羨ましがっていた。
蒲公英にとっても藍にとっても、陽に指南を受けることが――理由はそれぞれに違うが――それほどまでに嬉しいことなのである。
★ ★ ★
「なんでまた? しかも俺」
指名されるほど強くないんだがな、と陽は続ける。
一応承諾はしたものの、改めて理由を聞いてみることにした。
「うぅん。陽兄が一番強いよ! そう、皆も言ってるし」
(山百合さんはともかく、瑪瑙や翠姉、母さん、薊さんに加え、蒲公英にすら負けるんだが)
と、陽は心で呟く。
確かに、皆に勝ったことがない訳ではない。
だが、蒲公英以外には負け越していた。
……流石に兄としての体面や意地、プライドがあるようだ。
「それにみんな、陽兄に教わったほうがいいって言うんだもん」
「……なにをバカな。俺の専門、槍術、ってか長物じゃねぇんだぞ?」
そこで首をかしげる藍。
「……? 陽兄に教えてもらうのは剣術だよ?」
どうやら、槍術、というところに引っ掛かったようだ。
「……マジにか」
通りで俺か、と呟く陽。
馬騰こと牡丹や韓遂こと薊も、剣が使えない訳ではない。
が、専門外であるのも確か。
それならば、陽に教えを乞うた方が早い、と考えたようだ。
「だけど、……足りんな。武が欲しい理由が、剣術を欲する理由が、ね」
馬家の一員となってからというもの、藍は茜とともに長物の鍛練は欠かさず行っている。
だがらこそ陽は疑問に思ったのである。
「僕は強くなりたいんだ。……お姉ちゃんを守る為に」
「ふむ」
☆ ☆ ☆
藍はずっと姉である馬休、すなわち茜の背を見て来、追ってきた。
むしろ、それが当然だとも思っていた。
何故なら、姉の茜は強いから。
守られるのが当然だと思っていた。
何故なら、自分は弱いから。
男と女の権力、武力、知力といった力が逆転しつつある今日、男が女に守られる、という構図は珍しいことではない。
藍と茜も、元にそんな関係であった。
だが、藍の中にあった常識は覆された。
義兄、陽によって。
西涼の天狼とは、と問えば。
"男でありながら武に長け、知に富む、才色兼備の将"
そう誰もが揃えて口にするほど、あまりにも有名だった。
勿論のこと、藍も知っており、憧れもした。
そして数奇な運命により、会うどころか、家族という間柄にまでに陽と藍は近づいた。
しかしながら、数日を共に過ごして、藍が陽に対して抱いたのは、ただの優しい兄だ、ということ。
期待はずれ他ならなかった。
評価が評価だけに、もっと強烈な人物像を浮かべていた藍は、酷く落胆もした。
……これは、陽の目指す事――過大評価による牽制――の弊害の一例だ。
一月余り経ち、藍はたまたま早起きした。
厠から戻る途中、藍は見た。
見てしまった、と言えた。
陽の鍛練している姿を。
鋭き牙のような姿を。
別人のような姿を。
身体の震えがとまらなかった。
凍りついく思いがした。
同時に、格好いいと思った。
そして、改めて憧れた。
奮える感情を抑えて、藍は声を絞り出した。
「……よ、陽兄?」
「あん? ……あー、藍か。 みーたーなー」
なんてね、と微笑む姿には、先程とはまた別人を感じた。
むしろ、何時もの雰囲気だった。
★ ★ ★
「将の俺、軍師の俺、そして家族の中の俺。どれも偽りなく俺だよ」
少し話をしよう、と陽は藍を誘い、朝焼けの光が射す中、二人して中庭に座り込んだ。
「ただ、使い分けてるっつーか、なんつーか。ま、とにかく分けてるのさ。……ずっと厳つい目の俺も嫌だろ?」
態と右目の目尻を指で上げて冗談めかし、苦笑いをする陽。
「……なんで」
「ん?」
「なんで分けてるの?」
対する藍は、子供故の好奇心から、率直に聞きたかった。
「うーーーん……」
腕を組み、陽は思案顔をする。
話すか否か迷っているようだ。
「……まぁ、いいか。 じゃ、藍に質問。なんで日も昇らない内に俺が鍛練してると思う?」
「……見られたくないから?」
「正解。……じゃあ、次。誰に、だと思う?」
「うーん……皆?」
「皆、とは範囲が広いな。……答えは、兵たち。もっと具体的に言えば、俺の部下以外の兵たち」
何故そのような話をするのか、藍にはわからなかった。
「じゃ、最後。何の為に?」
「……わかんない」
ま、当然だわな、と相槌を一つ入れる陽。
「答えは、……虚勢を張るためだよ」
「……え?」
「俺っていう存在を大きく見せる為ってこと」
藍には、ますます意味がわからなかった。
「ちょっと難しいか。……簡単に言うとだな、相手に憧れさせるんだ」
「どういうこと?」
「ほら、軍師の時の俺って、どんな印象を受ける?」
「厳しくて、怖い、とか」
もっとさ、格好いいとかさ、いってくれたってさ~。
と、一応嘆く陽。
「じゃあ、将の時の俺は?」
「厳しくて、怖い、とか」
「ちょっと待て。軍師の時と同じじゃねーか」
ほら、強そうだ、とかあんじゃん、と陽は付け足す。
まさかの同じ印象に、少し戸惑いを隠せなかったが。
「ま、あれだ。俺が裏で努力してる、なんて印象、持ったことないっしょ?」
「……あっ!」
確かにそれは言えた。
義兄が鍛練している姿など、藍は想像もしていなかった。
「こいつは凄い、と思わせれば、大体勝てるんだよ。敵にも、無論味方にもね」
その裏付けする為に隠れて鍛練してんのさ、と語り終えた陽は、藍の頭を撫でる。
「陽兄は、その虚勢ってやつで街の皆を守っているってこと?」
「……そう、なんのかねぇ」
(俺が、戦なんてしたくないって気持ちが一番なんだけどな)
と、陽は苦笑する。
「……それでなら僕も、守れるかな」
「さあね。虚勢なんて、元々守る為のもんじゃない。相手の戦意を如何に殺ぐか、自分が闘わせたくないと思う人を、如何に闘わせずに済ませられるか。支点はそこにあるんだよ」
ま、頑張るこった。
そう言いつつ、くしゃり、と藍の頭を撫でてから、陽は立ち上がる。
「さぁ、飯だ、飯!」
☆ ☆ ☆
「――――藍」
「ひゃっ、ひゃい!」
義兄の呼ぶ声に、思考が現実に引き戻される。
「言っとくけど、……剣術に限らず、武そのものは、相手を殺す為のもんで、守る為のもんじゃない。肝に銘じとけよ」
陽の冷たい声色にもおじることなく、藍は答えた。
「好きな人を、大好きなお姉ちゃんを闘わせずに済ませられるなら、守れるなら、誰であろうと僕は殺すよ。……たとえ、陽兄がお姉ちゃんの前に立ちはだかってもね」
そんな藍の決意に陽はにこり、と笑うのだった。
陽は語る。
「茜と藍には毎度毎度、かなり驚かされたよ」
と