第十九話
進んだけども。
進んだ気がしないのはこれ如何に。
――天の御遣い。
蒼天切り裂きやって来て、乱世に平和を誘う天の使者。
噂であるので、多少言い回しは違なってくるが、大体はこんな感じの紹介のされ方だ。
そいつが、最近この大陸に遥々やって来たらしい。
俺は正直、必ずやって来るとあらかじめ予想していた。
理由として、そいつはこの大陸に於ける始まりの象徴どあり、収束の象徴でもあるから、というのが一つ。
もう一つは、俺の感覚的な確信からなる。
ひどく曖昧で、抽象的であるのに、何故か分かっていた。
本当に何故なのか分からない。
初めて天の御遣いの噂を耳にしたのは、ちょうど一月ほど前。
俺はその超絶的に胡散臭いのを、矛盾した存在奴だと思った。
微妙な均衡を保ってきたこの世を乱す不届き者。
悪政強いる馬鹿共が乱したこの世を正す道理者。
乱世へと誘う悪。
治世へと誘う善。
……実に愉快な存在だ。
さらに、その噂は――俺が関与したから、というのも否定出来ないが――大陸中に広まった。
数多の人間は実を取る。
目先の欲に囚われる。
後の影響を無視して、都合の良い方だけを選び取る。
だからこそ、動乱を幕開ける象徴を渇望する。
……笑えるね、全く。
俺が歪んでいるから、こう思った訳ではない。
てか、最初から狂ってる。
俺自身が絶対的に矛盾した存在だ、と言えるぐらいに。
何も貫けない矛と何でも通す盾。
はたしてそれらは本当に矛と盾なのかは甚だ疑問だが、このように、矛盾にも色々あり、それを誰もが持ち得ている。
だが、絶対的矛盾、というものを持ち合わせた者は、そうはいない。
何故なら、非情で異常な覚悟か、壊れた心。
所謂、狂精神。
それがなければ、必ず破綻するからだ。
殺す為に助ける。
悪を挫く為に悪に染まる。
……そういった数多くの矛盾に対して、それらを実行する冷たい覚悟。
俺自身、どうとも思わない壊れた心。
俺はどちらも兼ね備ている。
全てに於いて、揺るぎなく、圧倒的に矛盾する。
それが俺であり、絶対的矛盾、というやつだ。
それを――その絶対的矛盾を――表で繕っても、わかる人にはわかる。だからこそ、俺には好評も悪評もある。
だからこそ、狼と呼ばれるに相応しい。
「そうは思わないか、蒲公英」
「ん?」
休憩用に、と用意した三人掛けぐらいの椅子に座る蒲公英が反応する。
何時のときか考えていた"狼"たる所以は、ここにあると俺は前に結論付けていたんだが。
ま、突然ふってもわからんだろうな。
突然だが、俺と蒲公英は、俺専用の執務室にいる。
金城に来て、念願の俺専用執務室を母さんから賜った。
まぁ、書簡が膨大になったから、という泣ける理由だが。
とにかく、それができてから今に至るまでの問題(と言えるものではない)は、何故か蒲公英さんが入り浸ることです。
そして、俺の大切な動力源である糖分をぱちっていきます。
俺は甘いものは好きなのです。
三度のメシと同じぐらいです。
甘すぎるのは嫌いですが。
ほら、ベタつくじゃん?
おっと、好みの話は今はおいといて、だ。
ホントは是非ともやめて欲しいです。
ま、食べられたら、その後に、たんぽぽてめーばかやろう、と言うぐらいで済ましますがね。
俺はそんなんで怒るほど狭量ではないのだよ。
「なんでもない」
「……ふ〜ん。 あっ、これって、天の御遣い様についての報告書?」
いつの間にか接近していた蒲公英さん。
そんで、俺が手に持っていた書簡を覗きこんでいた。
「たんぽぽ、その人に興味あるんだ〜」
「そうか」
素っ気なく答えてしまった。
何故だろう。
なんだか、こう、……イライラするんだ。
別に蒲公英が誰に興味を持とうが関係ないのに。
無性に腹が立つ。
けど、単純な怒りじゃなくて、……どこか悲しい。
……訳、わかんねぇ。
「……お兄様?」
「俺は天の御遣いに何の興味も持たないね。全然、全身全霊、全体的に全面的に全般的に全部、興味がない」
別に、本当に興味がない訳じゃない。
ただ――
「天の御遣いに、これっぽっちの興味を持ってたまるか!」
――文字通り、全力で否定したくなっただけだ。
勢いよく立ち上がり、そのまま退出してしまう。
呼び止めようとする蒲公英の声を無視して。
ズキズキと痛む心を無視して。
★ ★ ★
Side 牡丹
「嫌われたぁ〜?」
共にいた翠が怪訝そうな声を洩らす。
確かに、普段からみれば有り得ないことのように思えるかもしれないけど。
対する蒲公英は半べそかいている。
可愛い姪っ子ね、全く。
「どうしてそう思うの?」
詳しく聞かないとわからないけど、多分陽が悪い気がするわ。
そんな感じで事の顛末を聞けば、……フフッ♪
陽ったらずいぶん人間らしくなったじゃないの。
いや、戻った、が正確かしら?
「……母上」
「えぇ。全てに於いて、あの馬鹿息子が悪いわ♪」
「……ホントに? でもお兄様、すっごい怒ってたよ」
愛しい馬鹿息子は今頃、自分の馴れない感情をもて余しているはず。
本当に、可愛い馬鹿息子。
「大丈夫大丈夫。このおばさんに任せときなさい♪」
大きく張った胸を、さらに張ってみせる。
フフッ……まだまだ衰えていないわね♪
「陽兄なら中庭にいたわ。……頑張ってね、おばさん(笑)」
「茜……。くぅ〜!」
いっ、いつの間に入って来たのかしらっ!
茜と藍が後ろにいたわ。
いい加減やめてもらいたいけど、おばさん、と自分で言ってしまっただけに、今回は否定できない。
……全く、どこから聞き付けているのか、分かったもんじゃないわ。
まぁでも――
「ごめんなさい!」
「だから藍、謝らなくていいんだってば!」
――大人で子供のあの馬鹿息子に比べたら、可愛いものよ。
「あっ! ちょっ、……ぅ~」
「へへっ♪」
二人を撫でる。
振り払わないだけ、茜も私を受け入れてくれている。
藍は言わずもがな、よ。
年相応に頬を膨らます茜が、無性に可愛い。
くすぐったそうに目を細める藍も、可愛い。
二人はすでに私の娘と息子。
私の大事で大切で大好きな家族の一員。
……アンタが教えてくれた、家族という大切な存在。
その家族のみんなを紹介してやりたかったのに、どうして先に逝っちまったんだよ?
「……おば、さん?」
いけないいけない。
心配そうに見上げてくれた茜に、首を軽く振ってから、微笑んでみせる。
そうすると、顔を真っ赤にして、伏せちゃった。
ホント、可愛いわ♪
……今更言ったところで、どうしようもねぇか。
待ってな。
どうせすぐにいくだろうしよ、そんときに紹介してやるから。
★ ★ ★
Side 三人称
「…………」
無言で剣を振るい、拳を奮う。
研ぎ澄まされた剣術と、乱れた我流の拳術。
両者が合わさって、初めて陽自身の武の完成型となる。
「やっぱ、しっくりこねぇ」
しかし、完成と言えど、まだ八割とも言える。
今、陽の持つ剣での限界の為、八割でも完成と言わざるを得ないのである。
「やっぱり陽のって、不思議な武よね〜」
「いつからそこに?」
陽は後ろを振り向きながら問うた。
「最初から、しっくりこねぇ、までバッチリよ♪」
「堕ちたな、俺も……」
サムズアップする牡丹に、ガックリ、といわんばかりに陽は肩を落とした。
「それは違うわ。自己嫌悪を振り払うので一杯だったんでしょう?」
「へぇ……聞いたんだ」
「そこは驚きなさいよ〜。つまんないじゃないの」
今度は、牡丹が肩を落とす。
おどけたように、だが。
「……別に、アンタの面白いことに付き合う気は――「陽!」――っっ!!」
怒りの形相で、牡丹は陽の名を呼び掛ける。
それにはっ、となる陽。
「……ごめん、母さん。イラついてた」
「分かればいいのよ、分かれば。……ほら、おいで」
罰が悪そうに、陽は余所に目を背ける。
それに対して牡丹は、その場の芝生に正座して、自らの腿を叩いて陽を誘う。
膝枕をしようというのである。
「いや、それは流石に恥ず――「陽?」――わかったよ。わかりましたよ!」
「そうそう。物分かりの良い子は好きよ」
「ったく、……しょうがねぇ」
そう悪態を吐いて、牡丹に頭を預ける陽。
なんだかんだ言いつつも、結局陽が折れるのが、いつも構図である。
「陽って、ホント、分かんない子ね」
「あん?」
「無表情で分かりにくい時もあれば、今みたいに他人行儀をしたりして、驚くほど分かりやすかったり、ね」
と、陽を撫でながら言葉を続ける牡丹。
振り払わない辺り、陽も満更ではないのかもしれない。
「馬鹿にしてんの?」
「うぅん、褒めてるの」
「ホントかよ」
「本当よ」
「なんかハズイな」
「可愛いわ」
「それを言ったら母さんも」
「あら、ありがと」
「いえいえ、お世辞ですから」
「むっ……可愛くない」
「それを言ったら母さ――「怒るわよ?」――サーセンした」
「……フフッ」「……ハハッ」
罵倒でも賞賛でもない言葉の応酬。
テンポよく軽口を叩きあう。
似ているからこそ出来る会話である。
二人は自然と笑っていた。
「ねぇ、陽……自己嫌悪に陥る必要はないわ。そのイライラは、アナタが成長している証拠なんだもの」
勿論、蒲公英には謝って貰うけど、と牡丹は続けて言う。
「あぁ、わかってる。ちゃんと謝るよ。……でも、このイライラってなんなのさ?」
陽は知りたかった。
自分の知らない感情を。
突然に支配された理由を。
「それは嫉妬よ」
「しっ……と?」
「そう、嫉妬。人間の醜くて、私に言わせれば、かけがえのない感情よ」
牡丹は優しい手付きで陽の頭を撫でる。
ただひたすらに慈愛を込めて。
「醜くて、かけがえのない? ……よく分からん」
「直に分かるわ。私の息子で、似た存在なのだから」
満面の笑みを浮かべる牡丹。
その笑顔に、綺麗だ、と陽は思った。
★ ★ ★
陽が、牡丹の下から蒲公英のところに向かった後。
「嫉妬、か。……随分と久しい感情だとは思わない?」
辺りには誰も居らず、他から見れば、虚空に質問を投げかけたように見えることだろう。
「なんじゃ、気付いておったのか」
しかしながら、ここにはもう一人いた。
小陰から出てくる薊。
「あ、ホントにいたんだ」
「気付いておった癖によく言う」
「フフッ♪ さ〜てね」
肩を竦める薊。
そんな様子に笑みを溢す牡丹。
「嫉妬……ふむ。確かに久しい。じゃが、……儂の"アンタ"に対する嫉妬は、計り知れないものであったのを――「覚えてる」――む」
「私にも"テメェ"に対する嫉妬があったもの」
今となっては全部大切な時間よ、と牡丹は笑う。
「ハァ……気勢を削がれた気分じゃ」
もう一度肩を竦める薊。
しかし、その顔は笑顔だった。
「さて、義姉上。書簡どもが待ちくたびれていますぞ」
「……いやよっ!」
勢いよく立ち上がる牡丹。
「駄々を捏ねるでない! それでも儂の義姉かっ!」
「やあっ……ダメ……こっ、こないで」
ズンズン、といわんばかりに歩を進める薊。
半泣き顔を作って、それに合わせるように後退りながら、牡丹は言う。
「何故か儂が強引に迫っているようにに聞こえるのじゃが……」
「事実じゃない」
キョトンとする牡丹。
その隙を薊は見逃さなかった。
「ふっ、もう逃げられませぬぞ、義姉上殿?」
「くっ! お母さん、はーなーしーてーよー!」
「子供か! そして、儂はお主の母親でないわ!」
服の後ろの襟をヒシッ、っと薊は掴む。
逃げられない牡丹は、ジタバタと幼児退行をする。
果たして、一体どちらが姉なのだろうか。
「ふぅ。ねぇ、薊。あなたに言っておかなきゃならないことがあるの」
「なんじゃ? 急にしおらしくなりおって」
いきなりキリッとして真剣味を帯びた話し方に、薊は少し戸惑ったが、そのまま――襟を掴んだまま――聞くことにした。
「あのね、私、政務をすればするほど寿命が縮む病気なの!」
…………。
もう少し、マシな嘘は吐けないのだろうか。
「はい、連行〜。いくぞ」
「ああん、ホントなのにぃ!」
牡丹の悲痛な叫びは、城内に轟いた。
が、薊が怖いので、全員スルーするのであった。
「あれ、私、太守じゃなかったかしら? 何故かしら? ……目から汗が止まらないわ」
★ ★ ★
一方、天の御遣いはというと……。
「初戦なう」
無事、公孫賛軍に将として組み入れて貰った四人。
天の御遣いこと北郷一刀の初めての戦である、黄巾党との初戦も終局を迎えていた。
「うっぷ……ヤバい、吐く」
おろ゛ろ゛ろ゛ろ゛
と、いわんばかりに勢いよく、胃の中のモノを吐き出す一刀。
「ちょ、御遣い様吐かな――」
おろ゛ろ゛ろ゛ろ゛
と、衛兵Aはもらい吐きをしてしまう。
「そう言いつつ、お前まで吐いて――」
おろ゛ろ゛ろ゛ろ゛
と、一刀と衛兵Aの吐瀉物の量に、もらってしまう衛兵B。
この負の連鎖により、一刀と劉備、その二人を守護する衛兵達の中で、劉備一人だけが吐かないという、なんともシュールな光景ができあがっていた。
「あっ、あれー? 私も吐いた方がいいの、かな?」
陽は語る。
「嫉妬……今なら母さんの言ってた意味が十分に分かるよ。関羽見てたら、なぁ」
と