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登校きょひ

 俺は家に帰る前に、アパートの一室に寄ることにした。

 今時珍しく、その子が携帯電話を持っていなかったからだ。

 オートロックを解放してもらい、エレベーターで七階へ。呼び鈴を押して、屋人を呼び出す。少しするとおずおずと言った感じに扉が半分解放された。

 小動物チックで見るからに気弱そうな女の子がそこに居た。不安そうな目が俺の姿を見て安堵に、いつもおどおどして警戒を湛えていた口元がふっと緩む。短く切りそろえた髪がリスのような可愛らしい印象を与えてくるが、事情を知る俺からしてみれば痛々しい。なるべく目立たないようにと人目を気にした服装がさらに痛々しさに拍車をかける。

 彼女に抱く感情はいつも悔恨だ。

「や、来たよ」

 そんな感情をおくびにも出さずに精一杯の笑顔を向ける。

「こんばんわ。人太君」

 俺に心を許した手が扉を完全に解放した。

 彼女の名は河野春。

 俺が四月の末に自信が持てる全ての力を総動員して助け損ねた女の子だ。ちなみに登校拒否中。

「どうしたの?」

「ああ、運明日ちょっと野暮用が入っちゃってさ……。明日これない」

 俺がばつの悪い顔を浮かべると春は頬を膨らませた。

「ごめん!人助けなんだ。この通り!」

 俺は彼女の前で手を合わせ、謝罪の意を表示する。そんな俺を見て彼女は溜息。

「しょうがないよね。人太君は正義の味方だもんね」

 心に疼痛。

 未だ正義の味方と呼ばれることには抵抗がある。

 俺はこの子を救えなかった。俺が彼女へのいじめを先導する人間を懲らしめた時には全てが手遅れだった。度重なるストレスで彼女の心はとっくに壊れていた。たったの一カ月。それでも人の心を折るには十分な長さだ。正義の味方なんていない。特に俺はそんなものになれもしなければ、夢も見ていない。

 それでも俺は彼女の前では正義の味方であり続ける必要があった。

 彼女には依存できる誰かが必要だったのだ。

 俺の可愛い妹が聞いたらきっと一笑に伏すだろう。

「それでお詫びにこれを献上しに来たのです!」

 俺は手に持った結構、上等なプリンが入った箱を彼女の目の前に差し出す。

「わぁ!これって駅前にあるプリン専門店の!手に入れるの大変だったでしょう?」

 春が驚きつつ俺のさし出した箱を受け取り、中を改める。二つプリンが入っていることを確認し、春は俺を中に招いた。

「用意するから居間で待っていて」

 トコトコとキッチンに引っ込む姿を見つつ、居間へ移動する。

 こんな日常のやり取りをするのにゴールデン・ウィーク全ての日数を使った。いじめの解決をしたのが四月末。それから俺は毎日彼女の所に通い詰めた。初めは俺の差し入れも受け取ることを抵抗していた。彼女は他人の善意を受け取ることができなくなっていた。きっと、俺以外の人間からは今はまだ無理だろう。

 殺風景なリビングも見慣れたもので、俺はいつも座っている定位置へ移動する。彼女の家族はみな海外で生活しており、この家は彼女しか住んでいない。しばらく待つと春はお盆を持って危なっかしい足取りで居間に入ってきた。こけそうだ。助けに行きたかったが、我慢する。彼女は特に人に触れられることを好まない。触れられなくなってしまった。何かの拍子で接触してしまうと、お盆をひっくり返してしまう可能性がある。

「…………ふぅ」

 たどたどしい足取りだったが、なんとかテーブルまでたどり着く。彼女はバランス感覚が壊滅的だ。

「ごめんね。遅くなっちゃって」

「気にしてないよ」

 彼女も俺が気遣っていることは分かっている。一歩間違えれば俺に対しても必要以上の罪悪感を抱き、悪循環に陥るほどに彼女は追いつめられている。出来るだけリラックスするよう、優しく見えるように顔の表情筋を総動員する。

 元々、作り笑いは得意だったが、彼女の家に通うようになってからなおさらに鍛えられた気がする。

「俺達、友達だろ?」

 俺の言葉に春ははにかむように笑う。笑うと彼女は本当に可愛い。クラスに居た時の能面のような顔とは大違いだ。

 春が紅茶を入れ、席に着く。彼女は料理の腕が絶品で、それは飲み物に関しても発揮されている。今の状況が解決すれば、どこにでもお嫁に出すことができるだろう。

「おいしいね」

「ああ」

「人太君」

「うん?」

「毎日ありがとう」

「ああ」

 俺からは決して「学校に行こう」とは言わない。カウンセリングの基本だ。彼女も今の状況が駄目なことくらいわかっている。彼女自身、学校には行きたいのだ。『あの連中』には俺が十二分な制裁を加えた。退学まで追い込んだやつもいる。彼女に何かが起こることはないだろう。俺は彼女に『あの連中』に加えた手段を伝えていないが、彼らの末路は教えた。

 その瞬間から、俺は春の正義の味方になってしまった。

 俺が実行したとは言わなかったがカンのいい子だ。解るのだろう。

「明日ね。外に出てみようと思う」

 俺は彼女を見ると、意を決したかのような張りつめた表情をしている。一週間以上、彼女は家に引きこもったままだった。

「そうか。俺がいなくても平気か?」

「平気」

 間髪いれずに平然と彼女は言った。

 嘘だ。

 俺の力がそれを教えてくれる。

 どこも平気ではない。

 出来ないことをするにはいつも覚悟と痛みが必要だ。

「わかった」

 学校はサボることにしよう。

 葵ちゃんとの約束は夕方からだ。

 さっき「来られない」と言ってしまったから実際に顔を出すわけではなく、見守るだけ。

 学校を一日休んだくらいで一々何か言われることもないだろう。

 どの道、あそこはつまらない場所だ。

週一ペースを守り切れるのがあやしくなってきました。

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