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悪女皇帝は返り咲く  作者: 智慧砂猫


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第8話『ヘンデリックス公爵』




 首都は酷く荒れている。貴族たちが暮らす皇宮周辺の地域は栄えていても、少し外れれば首都の大半が、生きる事に苦しみすら覚える人々で溢れた。


 馬車が通れば恵みを訴えたが、聞き届けられる事はなかった。何もかも皇帝のせいだと悲痛に叫ぶ民衆の声など虫のさざめきも同じで殆ど耳を傾けたりはしない。ときには強盗事件さえ起き、貴族が被害者でなければ誰も気に留めない。


 そんな町で一人、新品同様に手入れの行き届いた真っ黒のロングコートを着て、黒い革のグローブで新聞紙を握り、いたずらに吹く風が浚って行かないように、中折れ帽をやんわりと手で押さえて歩く男がいる。


 荒んだ町の中で、ひっそりと営まれる喫茶店に入った男は、適当な席を選ぶと膝を組んで座り、一杯のコーヒーとクロワッサンを注文する。随分とおんぼろな店には似つかわしくない雰囲気を漂わせ、さらっと新聞を広げて退屈そうに読んだ。


「お客様は随分と景気がよろしいのですね」


 店主がそっとコーヒーを置き、嫌味を言う。男は目もくれずに答えた。


「朝はクロワッサンとコーヒーがなければ気分が乗らない」


 頓狂な返しに店主が目を丸くした。関わるなとでも言われている気がして一瞬だけ腹を立てたが、表情を見るに、興味もなく本心でそう返したのだと分かる。


「……少々お待ちください。すぐにご用意いたします」


 店内は静寂の中に、ときどき食器の音が響くだけ。変わらず男はクロワッサンが届いた後も静かに新聞を読み続け、たまに店の扉へ視線を投げた。


 誰かを待っているのだろうか。店主は怪しい男の様子を窺う。すると、しばらくして、ひとりの女性が入ってくる。やはりというべきか、どう見ても身なりの良い貴族と思える雰囲気。店主が関わってはいけない気がして視線を逸らす。


「……久しぶりだな、ギデオン」


 ギデオンと呼ばれた男は、対面の席に座った女性を上目遣いに一瞥して新聞を折りたたむ。隣の席にそっと新聞を置くと、ひと口だけコーヒーを飲んだ。


「ああ、元気だったよ。こうして呼び出されたときは夢でも見ているのかと思ったけど、まさか本当に貴女が会いに来てくれるとはね、フレア?」


 気さくで、物腰柔らかな男。名前をギデオン・フランベルジュ・フォン・ヘンデリックス。生粋の公爵家出身であり、皇帝に反旗を翻した大貴族。フレアの直属騎士団の名誉に与る、七人のうちの一人だ。


「数日前、貴女から手紙が届いて驚いたよ。俺が首都にいると知っているなんて、どこの誰から聞いたのか……」


「私の専属侍女が、皇后宮で働いているときに噂を聞いたそうでな」


 フレアにもコーヒーが届く。頼んでいないが、と断ろうとするも店主は消え入るような声で「サービスです」と答えて、そそくさと厨房に引っ込んだ。ちらと覗かれているのを、ギデオンが横目に睨む。


「やめろ、ギデオン。我々が目立ちすぎている」


「……貴女がそう仰るのなら、そうしよう」


 いちいち興味津々に見つめてきやがって、と僅かな殺意を最後に店主へ向ける。それから、クロワッサンをひと口サイズに千切って口へ放り込んだ。


「他のオルキヌス騎士団の仲間にも手紙を?」


「再編はまだ先の話だ。まずは首都を立て直したくて、お前に声を掛けた」


 フレアの真っすぐな眼差しに、ギデオンがくくっと笑い声を殺す。


「メンテル公爵は役立たずだったらしい。なぜ国政を任せたのかは分からないが、追い出されては俺も手の出しようがなかった。考え方を随分と改めたな」


 自分を選ばなかった事を後悔してくれただろうか、という遠回しな問いかけに対して、フレアから返って来たのは、テーブルに優しくコトッ、と置かれた小瓶に入った真紅の液体だった。


「酒に堕落したのは事実だ。だが、メンテル公爵が内政を掌握したのは、この酒に含まれる別の成分────。混ぜられた薬物によって私が不安定になったからだ」


 瞬間、ギデオンは背筋がざわついた。敬愛するフレアに対して、よくもそんな真似をしてくれたな、と激しい怒りが胸の内で燃えあがった。思わず力を籠めすぎてカップの取っ手が割れてしまうほどに抑えきれなかった。


「はは、そこまで怒ってくれて嬉しいよ。まだお前に信じてもらえているんだな。……だが、カップを割ってしまうのは頂けない」


「失礼。あまりに腹立たしかったもので」


 怒りはまだ胸の内にあるが、フレアの言葉に、すっと落ち着きを取り戻す。取れてしまったカップの取っ手をテーブルに優しく置くと、さら、と粉の様な破片が崩れて落ちた。ギデオンは申し訳なさそうに店主を振り向いた。


「いいんですよ、お客様。元々古いカップでお出ししているので、持つだけでも割れる事はありますから。お気になさらないでください」


 ちょうど良いタイミングだとギデオンは咳払いをして、店主の計らいに与って「場所を変えましょう。もっと具体的な話がしたい」と懐から何枚かの金貨と札を取り出して、テーブルに食事と弁償の代金を置いた。


「釣りはいらない。これだけあれば新しい食器も揃えられるだろう。……では行きましょうか、我が皇帝陛下。エスコート致します」


「うむ、ではそうしよう」


 席を立ち、店を出て行く前にフレアは店主を振り返った。


「コーヒーを御馳走様。また来るよ」

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