第37話『復讐心は冷たく燃える』
執務室に戻ったあとは、山積みの書類と格闘することになる。幸い、今日に限ってはアルテアのサポートもある。公開処刑と演説で疲れている身のフレアをサポートしないのは、とても無理な話だと念押しされたので、仕方なく頼んだのだが。
「休んで良いんだぞ。報告書はもう貰ったから」
「まさか。ボクに暇を持て余す権利などないと思っているよ」
公的な場を離れ、いつもの調子で話ができるようになると互いに気楽に接するが、アルテアは真剣な眼差しで手元にある資料に目を通しながら言った。
「既にブリジットの件で随分と痛い思いをさせられた。暇をするよりも何か仕事をしていた方が気が楽になるんだ。自分の正しい道へ進むためだから」
大きく圧し掛かった失態の責任からは、どう足掻いても逃れられるものではない。ましてや、他人の命に係わるともなれば、自分の不甲斐なさに腹が立って仕方がない。アルテアは資料を握る手に力が籠りそうになるのを抑えた。
「……ボクは、ここまで誰かを憎いと思うのは初めてだ。大した出世欲もなく、退屈で平凡な人生だった。剣を握っていれば正しいことができるという子供じみた正義感で騎士団に入った。誰かを憎む生き方なんて知らなかった」
片手に持ったペンが、ばきっと折れて砕ける。ぱらぱらと粉が机に散らばり、アルテアはジッとそれを冷めた瞳で見つめた。
「以前から殺すことに躊躇はない。悪を討つ自分を素晴らしいと思ってた。でも今は違う。ただ憎い相手を殺したいとさえ思ってる。間違ってるかな?」
ブリジットに道を示した日から、アルテアは誰よりも早く家族として受け入れていた。だからこそ大切にしたかったし、臆病なブリジットを見ていると、実の妹ができたような気すらしていた。────だから、今は正義感よりも憎悪が勝った。
「別に構わんだろう」
邪な感情を抱いたアルテアをフレアは決して否定しなかった。受け入れてみせた。
「誰かを嫌いになることは大いにある。その度合いも皆が違う。誰かが『そこまでのことか』と言ったとしても、当人の基準では『そこまでのこと』なんだよ」
作業の手を止めて、持っていた資料をそっと机に置いてフレアは続けた。
「だからこそ私は奴らを根絶することに決めた。たとえ連中を消す理由が正しくあろうとも、私個人の感情は決して正しくないものを抱いている。利用価値よりも感情論を優先した。そこに、お前との違いがあったか?」
ない。違いなど、どこにも。返す言葉も。フレアもまた、アルテアと同様に家族を狙われ傷つけられたことへの責任と怒りを覚えていた。暗殺ギルドの始末など、大義名分を付け加えて行えればいい。その裏側には、個人的な感情に基づいた計画を実行するという事実だけがある。
「正しいかどうかではなく、やるべきかどうかだけだ。正誤など、後からいくらでも分かること。悩んでいる間にも蛇は狡猾に身を隠すからな」
かつての世界で学んだことだ。他人を貶める人間ほど保身が上手い。どれだけの手柄を立てたとしても、その先に得られるはずだった果実を先にもぎとって自分のものにする人間のどれほど多いことか。
正攻法で前に進む人間は、必ず足を止める。だから後れを取る。その姿を遠くから見つめて待ってくれる者もいるが、世の中の大半はそうではない。立ち止まる彼らの作った道を我が物顔で進んで追い抜かして『これが私の立てた功績だ』と言って立派な姿を装っていれば、簡単に騙されてしまう。
悪質な者たちは、その真の姿を暴かれようとも、逃げ道を作っていつでも平気なふりをする。正しいだけでは手の届かない場所を作っている。
「────決して逃がさん。暗殺ギルドの連中が隠れる暇もないよう、徹底して壊す。追い詰める。連中に血の繋がった家族がいても関係ない。奴らもそうやって生きてきた。いや、あるいは若く未来のあるものさえ呑み込んでいるだろう」
世界の醜さを知っている。何度も繰り返してきたフレアの人生の中で、最も醜悪だったのは、大勢の人間の死を目の当たりにしたことだ。中でも暗殺ギルドというのは非常に残酷な者たちの集まりだ。関わることがなければ、放っておいても良いと感じて、あえて手は出してこなかった。家族に手を出さないのであれば、彼らもまた社会には必要な存在とも言えたから。────ブリジットが襲われるまでは。
「今回の件にはルイーズとクライドも手を貸してくれる。必ず連中を根絶せねばならん。お前も十分に覚悟は決まっているだろう。……期待しているぞ」
同じ志を持った者が傍に居れば、わざわざ自分の価値を再確認しようとするまでもない。信じる者同士で手を取り合えばいい。フレアから手を差し伸べられれば、アルテアの中で答えは決まったも同然だ。
「もちろん、ご期待に沿ってみせるとも」
ふっ、と笑って立ち上がり、フレアの前に立つ。胸に手を当てて深くお辞儀をして、アルテアは決意に満ちた誓いの言葉を口にする。
「────我が皇帝陛下の御心のままに」




