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悪女皇帝は返り咲く  作者: 智慧砂猫


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第30話『交わす言葉』



 



 馬車の準備ができて、厨房にアルテアが迎えにやってくる。待っていたブリジットは、地下牢から連れ出された母親と一緒に馬車に乗り込んで、自宅へ向けて出発した。ティナはまるで話そうともせず俯いて、青い顔をしたままだった。


「……お母さん。大丈夫だよ、すぐ家に帰れるからね」


「何言ってるのよ、誰のせいでこうなったか分かってるの!?」


「私じゃないでしょ? お母さん、ずっとお酒飲んでるから」


 今でも隣にいるだけで分かるくらい酒の臭いがする。夫を亡くしてからというもの、ティナはずっと塞ぎ込むように酒を飲んでは、嫌なことを忘れようとした。その度に、何かあるとブリジットに八つ当たりしてきた。


 分かっている。酒になど頼ったところで解決にならないことも、娘に八つ当たりをして意味もなく暴言を吐いて、自分を慰める卑しさも。帰ってこないものに縋りついて、未だに泣き喚いて文句を言うだけの日常が当たり前になっていた。


 腹立たしい。だが、どうしようもない。事実を突きつけられると、ブリジットに対して口を閉ざして、また俯いてしまう。


 がらごろと揺れる馬車の中で、ブリジットは母親の横にぴったりくっついて、ぽつりぽつりと話を始めた。聞いてもらえなくても構わない、ただ話したい、と。


「私ね、お母さんが辛いの知ってるよ。お父さんのこと大好きだったでしょう。だから、私、少しでも元気づけたくて、貧しい生活から抜ければ変わるかなって思って、皇宮で働くようになったんだよ。……でも、意味なかったね、ごめん」


 幸い、扱いは酷くとも給金は平等に与えられた。皇后宮に住み込みで働いていた事もあって、お金はさほど必要なく、殆どが母親への仕送りに充てられた。少しでも生活が変われば、何か切っ掛けになれば。


 信じたものはなにひとつ報われていないとしても、ブリジットは母親を支えるということに、一切の迷いがない。そうするべき、そうしたいと願った。たとえ心が既に壊れていたとしても、いつかは形だけでも取り繕うときが来るかも、と。


 だが、逆にティナの酒癖をひどいものにしたのかもしれないと後悔する。ぎりぎりで保っていた心が萎れていくのが、ブリジット自身にも分かった。膝を抱く腕が、ぎゅうっと力を強めて、悲しさを堪えようとする。


「……ブリジット。あなたは頑張ってるわ」


 ティナが、流れていく景色を見ながら言った。


「私も分かってるのよ。今のままでは駄目だと、分かってる。でも毎晩、夢に見るの。あの人の冷たくなった体に触れた瞬間のこと。その度に苦しくなって目が覚めてしまう。だからお酒に頼るしかなかった。忘れようとしたわ、何度も。でも、ぴったり張り付いてるみたいに、お酒が切れると夢に見てしまった」


 何度も前に進もうとして、その度に足が止まった。自分だけが、その時間に取り残されたような気分がした。視界の全ては色を失い、思考も疎かなほど憔悴しきって、何をして生きていけばいいのかを忘れたのだ。


 そのときから、何もかもを誤魔化すように酒浸りになった。その方が幸せだった。いっときとはいえ苦しみから逃れられたから。ブリジットはそれを邪魔する存在になっていき、いつしか、愛することも、愛し方さえも忘れてしまった。


 我が子を振り返ってみれば、今にも泣きそうな顔で見つめている。そのとき、ふいに思い出す。幼い頃、帰り道で買ったアイスを落として、泣きそうになるのを必死に堪えていたブリジットの愛らしさを。


「私たちに必要なのは、話す時間だったのかもしれないわね。気付くのに、あまりに時間が掛かり過ぎてしまったけれど」


 ようやく、ティナの表情に小さな笑みが生まれた。自らへの後悔と、我が子への申し訳なさと、複雑な感情が入り混じった笑みだった。


「お母さん、前みたいに私のことを呼んで?」


 震える声にティナが小さく頷いて、そっと肩に腕を回して抱き寄せた。


「ごめんね、ビディ。あの人が大切にしていたのに、私はそれを駄目にしてしまった。これからやり直すことを許してくれる?」


 やっと、やっと時間が動き出した。ずっと待ち侘びていた瞬間に、ブリジットはわんわん泣いた。泣いて、泣いて、それでも嬉しかった。大好きなお母さんが帰ってきたと喜び、ぎゅっと抱きしめて────。


「うん、うん……! わ、私も、これからも頑張るから……!」


 長い年月をかけて母娘の離れていた心が寄り添い、抱き合う。御者台から小さく振り返って眺めていたアルテアも、思わずもらい泣きしそうだった。


「(もしかして陛下は分かっていたのかもしれないな、この二人なら大丈夫だと。わざわざボクが口を挟むまでもなかったようで安心できた)」


 ひとつの小さな物語が紡がれていく様子にアルテアは満足げに笑みを浮かべて、馬車を静かに走らせる。僅かに違う道を進んで、ほんのもう少しだけ二人が肩を寄せ合っていられるように。


「────さて、お二人共。もうそろそろ到着だ、後は家でゆっくり話したまえ。それくらいの時間の融通くらいは利かせてあげられるだろう」

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