第28話『変わらない忙しさ』
シルヴィが部屋を去ると、フレアは自身の業務に戻る。赤い鉛筆で印を付けられた応募者の資料は、それぞれどこが特筆すべき優秀な点であったかを分かりやすく個々の紹介や経歴に赤い線が引かれていた。
「(ほお、これは良いな。ただの侍女ではないぞ、ギデオンも喜びそうだ)」
参考資料を基にフレアもようやく自身が面接を受け持った応募者リストから選別を始める。全員を採用できず、民衆の負担を解消しきれない事への心苦しい気持ちはまだスッキリしないが、順調に進んだ。
百人規模の選別は難しい。同じような得意な仕事を持つ者は、どちらを選べば効率的になるかの基準を他に向けなければならない。人柄。人間関係を重点に置いて、陽が沈み始めるまで、ゆっくりと時間を掛ける。
「お邪魔するぜ、皇帝陛下」
そろそろ終わりそうなときに、開けてから扉を叩いて呼ぶ声に顔をあげた。アールが何枚かの紙の束を片手に報告があると言って執務室に入る。
「例の捕まえた連中はどうだった?」
「そのことでルイーズが報告書を纏めてくれてる」
シルヴィとブリジットが配給を受けて運んでいた頃、二人を明らかに追いかけている不審人物を秘かに捕えていた。どこの人間か、簡単には口を割りそうになかったので、戻って来てから身柄をルイーズに預けておき、情報を聞き出していた。
アールは報告書をフレアの机にそっと置く。
「いずれも金で雇われたゴロツキだ。雇い主についてはハッキリしていない。この手の輩を雇うのは、今の首都なら余ってるくらいだ。バックまで調べるのは難しいんじゃねえかな」
受け取ったフレアは、じっと目を細めて報告書を読む。
「連中が仕事を請け負った場所に共通点は?」
「ないっぽいんだよな。どこもかしこも貧民街で明日のメシを食うのにも困ってる奴ばっかだ。金さえ貰えりゃ構わねえってのが多いんだ」
困ったものだ、と手に持った鉛筆で額をこんこんと叩きながら。
「仲介人の特徴について分かっている事はあるか」
「首に蛇のタトゥーがあったらしいぜ、ぐるりと巻くみたいな」
「……わかった。クライドとギデオンにも報告を回せ」
フレアの記憶が正しければ、裏社会の人間である事は明白だ。何らかの組織に属する者が蛇のタトゥーをしていた事までは分かっている。だとしたら、最も効率よく情報を集められる、あるいは情報を握っているのは、あらゆる勢力図について仔細に知るであろうギデオンとクライド、両公爵であるという判断だ。
「それからシルヴィの護衛はお前が続けろ。ブリジットにはアルテアをつける。随分な人数を皇宮に出入りさせた。誰かが忍び込んでいても分かりにくいだろうし」
「了解だ。アルテアには俺から伝えとくよ。残った仕事、頑張ってくれよな」
あれこれと問題が小さく積み木のように重ねられていくのに追われて、ちっとも心の安らげる瞬間がない。アールが執務室から出て行った後、また業務に戻ろうとして溜息が出てしまう。仕方なく鉛筆を置き、椅子に体を預けて天井を仰ぐ。
「これだと死ぬ前となんにも忙しさ変わらないな。……疲れた」
体の内側から錘がぶら下がっているのではないか、と思うほど体が重い。宮本サラであった頃の事など微かなものだ。もう鮮明さを失ってハッキリと思い出すのも難しいくらいだが、明らかにフレアとして感じる疲労は以前では耐えられなかったのだろうなと頭が痛くなった。
「……すう」
そのまま、フレアは眠ってしまった。深い眠りだ。日頃の疲れを蓄え続けた体は、動かせても限界に達していた。姿勢こそ崩れてはいないがよく眠っていて、近付いてくる足音にもまるで反応しない。
「無防備だな。俺がスパイだったらどうするんだい、フレア?」
眼鏡の向こうに見える穏やかな寝顔に、ギデオンが可笑しそうにする。手には自身が受け持った騎士の選別を済ませた報告書が纏められてある。
「おや、陛下は眠っているのか。ギデオン、報告書なら俺が受け取ろうか」
「クライド。休憩時間だろう、暇でも潰しに来たのかな」
「いや、手ぶらだと暇でな。せっかくだから陛下を手伝おうかと思ったんだが」
足音を立てないよう静かに歩きながら、ギデオンの隣に立ってフレアを見る。あまりにもすやすやと眠っているので、クライドはやれやれと笑った。
「俺たちが裏切り者だったらどうするつもりだったんだ?」
「はは、俺と同じ事言うじゃないか」
「そうか。長年の付き合いともなると、そうなるらしい」
ギデオンとクライドは共に公爵家としてときにライバルでもあり、ときに良き友人である。幼い頃から互いをよく知る仲だ。趣味も、好きなものも、嫌いなものも。あらゆる要素が似通った二人だった。もちろん、愛する女性も。
「帰って良いぞ、ギデオン。お前はまだ仕事があるんだろう」
「別に急ぎではないから大丈夫だよ。そっちこそ演舞場で鍛錬もしていたじゃないか。帰りたまえ、陛下の手伝いなら俺がしておくさ」
ギデオンが手に持っていた報告書をクライドがパッと奪い取る。
「まあ、そう言わず。俺も書類仕事は嫌いじゃないんだ」
今度はギデオンがクライドから報告書を奪い返す。
「いいや、結構。俺の仕事をわざわざ君にさせるわけにはいかないよ」
どちらも報告書を譲るまいと、笑顔だが明らかに敵意を剥き出しにする。フレアの傍にいるべきなのは自分だとでも言うかのように、いがみ合って────。
「ああもう、やかましい! 寝てられるか!」
騒がしさに目を覚ましたフレアの怒鳴り声が、皇宮に響き渡るのだった。




